坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

仏の慈悲

2009年07月15日 | 坊主の家計簿
 昨日、夏祭り、っちゅうか研修から帰宅して、仕事→ちょい仮眠→通夜。
 通夜は仕事ではなくお世話になった知人の通夜。帰りに先輩と亡くなった知人に教えて貰った焼き肉屋で通夜。

 明日は仕事で通夜。葬儀屋さんから事情を聞いて変な話だが気合いが入る。いつも以上にこの出会いを大切にせんとアカン。きっと色々な事を体験し、教えてくれる事だろうし。

 全然話は変わるのだが、『天皇』である。
 天皇は最早『神聖にしておかすべからず』ではなく、象徴である。つーか、まあ、『神聖にしておかすべからず』なんぞと云ってた人たちがどういう態度だったのかは知らん。幕末には維新の弊害として暗殺されたと噂される天皇も居るし。今でも天皇の意向を無視して『天皇家』の問題にあーじゃこーじゃという右派の人もいるらしいし。
 あっ。。。え~と、戦後に憲法が変わった。憲法が変わったのだが天皇に対する意識が変わっていない人たちも多くおられる。当たり前である。憲法が変わったからといって突然人間が変われるわけがない。

 わが大谷派教団では『法主(法の主)』が『門首(門徒の首座)』になった。まあ、宗派の憲法が変わったのだが、これまた天皇の問題と同じく、そう簡単に意識が変わるわけがない。
 『法主』が『門首』になったのだから、『住職』『僧侶』も『門徒』なのだ。だが、これも生身の人間なのでそんな簡単に変わるわけがない。つーか、宗憲が変わった事、つーか、『宗憲』っちゅうのがある事も知らない門徒さんが多く居てる気がするのだが。。。

 天皇が神から人間になった。
 法主が門首になり、住職・僧侶も同じく『同朋』の真宗門徒になった。
 しかし、変化に付いて行ける人もいれば、なかなか付いていけない人もいる。

 常なるものはない、というのが仏教の基本原理である。非常に『進歩的』である。
 進歩的であるが、周囲を見捨てるのは過激派である。進歩的な指導者の立場は『法主』であり『住職』であり『僧侶』である。
 
 共に門徒。

【しかればすなわち、浄邦縁熟して、調達、闍世をして逆害を興ぜしむ。浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり。これすなわち権化の仁、斉しく苦悩の群萠を救済し、世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。】(親鸞)

 共に『世雄の悲』を恵まれる者同士。