エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

柘榴坂の仇討

2014年09月13日 | ポエム
浅田次郎原作の「柘榴坂の仇討」の試写会に出かけた。
昨夜のことである。



季節は秋。
まだまだ東北の一部と北海道の太平洋側では、天候不順が続いている。
明日一杯は要注意だという。

是非、身を守って頂きたいのである。



最近の映画では、秀逸である。
感動では無い・・・共感と云う波に揺さぶられるのだ。

それも、見終わってから共感という波が押し寄せてくる。
キャメラ・ワークも素晴らしい。
久石譲の音楽も豊かで、スクリーンにぼくたちを引き込もうとする。



秀作である。
中井貴一が光る。
中井貴一の一個の個性が光るのである。

あたかも、鏡のようにぼくたちのアイデンティティを照らし出す。
否、ぼくたちの主体性が問われるのである。
中井の台詞の間が、素晴らしい。

中村吉右衛門の存在感は流石である。
鬼平の殻は、とうに破っている。







「銀幕に影映し飛ぶ秋の虫」







吉右衛門の存在感は、井伊直弼はこうであっただろうと推測させるのである。
広末涼子は「ぽっぽ屋」から突き抜けたけれど、吉永小百合の放つ気高さや知性、あるいは人間の深みが感じられない。

ここ止まり・・・だと思わせる。
これからは、老(ふ)け役を無難にこなす程度だろうか。

阿部寛の眼力は、光るけれど台詞の切れに欠ける。
沈黙の演技は秀逸であるけれど・・・。

中井貴一の総力には、まだ肉薄しえない。

御一新の時代、日本人のアイデンティティが鋭く問われていた。
中井はその問いを、静かに波が浜辺を濡らすように問いかける。
忽ち、ぼくたちは共感の渦に巻き込まれるのだ。
陳腐な感動では、断じて無い。

映画が終わって、バタバタと座席を立って帰路に向かう人がいる半面、多くの観客が館内が明るくなるまでシートに身を任せているのであった。

今月20日から全国ロードショーである。
共感して頂きたいものである。




        荒 野人