内藤やすお|演歌十八番

内藤やすおブログ

鉄道唱歌 ・ 歌碑

2010年09月15日 | 日記


鉄道唱歌の歌碑。

『汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として』・から『おもえば夢か時のまに 五十三次はしりきし 神戸の宿に身をおくも 人の翼の汽車の恩』と東海道は新橋から神戸まで1番から66番まで・日本一長い歌がこの『鉄道唱歌』です。

東海道編の66番は第一集で全5集まで入れると、ナント334番まであります。
全部歌うには1時間10分かかるそうです。一度挑戦してみますかね。

この『鉄道唱歌』第一集が出来たのは1900年、明治32年との事。『大和田建樹』と言う人が作ったそうです。

東海道線が新橋から神戸まで開通したのが明治22年。東海道五十三次を江戸時代の浮世絵師の『歌川広重』のように歩いたり駕籠に乗ったりして行くと1ケ月もかかっていた時代から考えると、新橋、神戸間の汽車開通の快挙は世間に大きな衝撃を与えたのではないでしょうか。

この『鉄道唱歌』は国鉄時代には車内放送で殆どの列車に流れていました。今も車内放送にこの曲を使ってはいますが、ごく一部の特急列車に限られており、まさに風前の灯状態です。

このり『鉄道唱歌』の歌碑、新橋駅の東口広場『ゆりかもめ』の乗り場前に建っております。



歌碑のある東口の反対側の通称『汽車ポッポ広場』・・・汽車ポッポの前での写真です。

この広場、この汽車の前は待ち合わせ場所のメッカでもあります。
新橋はまたサラリーマンの退社後の赤チョウチン、縄のれんと小粋で安い呑み屋さんが多いです。
私も15年ほど前は、新橋の近くの『虎ノ門』の会社に勤めており、ほとんど毎晩この界隈での呑み屋さん、スナックなどで飲んだくれていました。『烏森』まだ当時の面影タップリでした。
チントンシャン・・・・
烏森を粋な着物を着て流していた『新内流し』のオヤジさん。どうしているかなぁ。


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