ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

「肝心なこと。」を書かない手法。~村上春樹の『風の歌を聴け』より。

2015-09-10 | 純文学って何?
◎これは2009年の9月10日に「旧ダウンワード・パラダイス」に発表した記事です。少し手を加えました。前回の「火花」論の参考として転載します。


 「そんなわけで、彼女の死を知らされた時、僕は6992本めの煙草を吸っていた。」(村上春樹『風の歌を聴け』より)


 ぼくが初めてハルキ作品に出会ったのは、1984年の晩春のことだ。1Q84年じゃなくて、もちろん、リアルな1984年である。デビュー作『風の歌を聴け』。駅の商店街の端っこにある古本屋で、講談社文庫の初版本だった。佐々木マキさんのあのカバーイラストは同じだけど、まだ背表紙は黄色くなかった。
 ご多分に漏れず、まずは軽快で知的な文体と洒落た会話にシビれた。断章形式のスタイルも、カッコよくて斬新だった。春樹さんがこの作品で群像新人賞を取ったのは1979年。その頃はまだ、3年前の村上龍『限りなく透明に近いブルー』の熱狂の余韻がそこここに立ち込めていた。セックス&ドラッグ&ロックンロール。群像だけでなく、純文学雑誌の各新人賞候補には、どろどろ、ぐちゃぐちゃ、饐えた臭いを漂わせた、『ブルー』の亜流が犇いていたはずである。その中に、『風の歌を聴け』は、まさに爽快な一陣の風を吹かせた。しかしそれが、たんに滅法アタマのいい29歳の作家志願者の「戦略」に留まらなかったことは、もう少し経ってから明らかになる。結果としてこのデビュー作は、日本文学の新しい地平を開くことにもなったのだから。
 最初に買った文庫本は、その年のうちに知り合いの女の子にあげた。そのあとも立て続けに2回、同じことを繰り返した。3人のうち2人までが夢中になって、すぐに自分で『ピンボール』と『羊』を買ったと言ってきた。1987年、『ノルウェイの森』が「第一次ハルキブーム」みたいなものを形成する前に、ぼくは少なくとも2人のハルキストの誕生に手を貸したことになる。ただ、あれから20年以上が過ぎて、彼女たちがみな『海辺のカフカ』や『アフターダーク』を読んだかどうかは知らない。ぼく自身は、『ねじまき鳥クロニクル』の2巻目の冒頭あたりで挫折して、そのあとしばらく、ハルキ作品から遠ざかっていた。『1Q84』で復帰したけれど、もう、往時のときめきが戻ってくることはない。
 『風の歌を聴け』は、一言でいって「喪失」(と再生)の物語なんだけど、作中に描かれている死者は、少なくとも表面的には、自殺した「仏文科の女の子」だけだ。メインストーリーの「小指のない女の子」との挿話に取り紛れているうえ、幼児期の記憶やら、寓話めいたエピソードと等置されてしまっているから気づきにくいのだが、この女の子は確かに「僕」の恋人であり、知り合った翌年に「僕」に何の相談もなく自ら命を絶った。しかもそれは、「1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終る。」とされるこの物語のたかだか5ヶ月まえ、つまり同年の3月のことなのだ。いかに「僕」がクールであろうと、この事実からショックを受けていないはずがない。というか、この18日間のできごとは、じつはそのショックからの回復のプロセスのなかで起こっていると見るのが正しいだろう。
 悲しいからといって大声で「悲しい」と叫んだところで、その悲しさが他人に伝わるわけではない(しかしまあ、臆面もなくそれをやってベストセラーを飛ばした人もいたけどね)。言い換えればそれは、本当の意味で自らの悲しみを表現できはしないということだ。それゆえにこそ「僕」は屈折し、独特のアイロニーに身を委ねざるを得ないのだが、冒頭に掲げた一文こそ、このうえもなくスタイリッシュに、その辺りの機微に触れているとはいえまいか。たとえば、「彼女の死を知らされた僕は、流れ落ちる涙を拭うこともできず、ただ暗闇の底に立ちすくんでいた。」などという文章と比べてみてほしい。すれっからしの現代人たるわれわれに対し、どちらがより深く、「僕」の悲しみを訴えかけてくるだろうか。
 春樹さんが好きで好きで、年に一度は休暇をとって神戸に出かけて自己流の「ハルキ・ツアー」をやっているという人に会ったことがあるが、彼は「もちろん全作好きだけど、風の歌だけは別格だ。あの哀しさは比類がない」というようなことを述べていた。たぶんそれは、いま言った理由によるものだと思う。表面からは隠されているからこそ、こちらの心のより深いところに迫ってくるのだ。
 「書かない」ことで時代の空虚と喪失感とを鮮やかに描き出してみせたこのデビュー作から30年、春樹さんは自作にどんどんテーマやキャラやストーリーやらを充填し、今やエンタテインメントもかくやと言うほどのストーリーテラー、ページターナーとなった。それはおそらく、作家が自らの心に「井戸」を掘り、そこから「物語」を汲み上げる術に習熟したということなのだろう。それは作家としての目覚しい成長には違いない。何たってノーベル賞を取り沙汰されるほどなんだから。しかし、やっぱりぼくも「『風の歌』の湛える哀しみは比類ないよな……」と思うし、大きな声では言えないけれど、春樹さんの最高傑作はどこまでいっても『風の歌を聴け』だと思っているのである。


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