ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

大江健三郎について。

2015-09-26 | 純文学って何?
 シルバーウィーク中に2本くらいは記事をアップできると思っていたら、用事が入ってだめだった。貧乏ひまなし、ったぁよく言ったもんで、人生なんて雑事に追いかけ回されてるうちに終わっちまうんだろうねえ。やりたいこと、やるべきことの十分の一もできないままに……。時間なんて無尽蔵にあると錯覚していた若い時分が懐かしい。いや懐かしいというか、あのころの自分にどうにかして会って、「何やっとんじゃーっ」と喝を入れてやりたい気がするが、でも万が一それが可能だとしても、当時のぼくはそんな忠告なんぞ聞きやしないだろう。ままならんもんだなあ。まあ、それゆえに人間は文学ってものを生み出したのかもしれず、そして、自分はこんなにも文学に惹かれつづけてるのかもしれないが。
 「旧ダウンワード・パラダイス」から文学にまつわる記事を移してこようと目論んでいるんだけれど、古いのをそのまま転載するのも気が引けるし、すこしは手を加えたい。ところが、それをやりだすとキリがなくなってますます更新が滞る。この袋小路から脱出せねばなりません。さればもう、手直しは最小限にして、失礼を承知でエイヤッとばかりにやっつけるしかないわけで、井上ひさしについての前回の記事はそうだった。ほぼ昔の文章のまま。くっつけただけ。
 それで今回は大江さん。当然ながらというべきか、安保法制にともなう反対運動で、齢80歳をすぎたこの老大家はいま前面に出てきておられるのだけれど、そのことに関してぼくはふれない。文学は政治に従属するものではない、というのが長年にわたるぼくの持論で、「戦後民主主義者」としての大江さんと、小説家としての大江さんとは別のものとして考えなければいけない。「いや、そういうわけにもいかんだろう」とおっしゃる方はおられるだろうし、ぼく自身もじつは半分くらいそう思ってはいるのだが、この件について深入りするとまた袋小路となって永遠に更新できないので、とりあえず再掲でございます。


初出 2010年1月5日
基準点としての大江健三郎

 ぼくにとっての文学の基準点は大江健三郎であり、未知の小説に出逢って、価値判断をすべき時には、まず大江作品と対比して考える。ここ30年来ずっとそうしてきたし、たぶんこれからも変わらないだろう。
 ぼくにとってはそれほど大きな存在だけど、いわゆる「政治の季節」が過ぎ去ったのちは、大江さんはさほど若い世代に読まれているとは思えない。ノーベル賞を取ったあとでも、その事情は同じだろう。理由はいくつかあるんだろうけど、まず文章が晦渋であること(これは物事を内と外から緻密に描出しようとするせいなのだが)、それと関連して、文体に独特のクセがあること(一流の作家であれば当然なのだが)、作中にダンテやブレイクやイエーツといった固有名詞が頻出し、ペダンチックな印象を与えること(これは文学と現実の生とを照応させることで、双方に深みを齎そうという試みなのだが)、いちばん単純なレベルでは、そういった辺りが挙げられるんじゃないか。
 もう少し深い位相でいえば、ご自身のご家族をモデルにする形で作品を構想されるせいで、一見の読者に取っ付きにくい印象を与えること(じっくり読めば、それが決してパーソナルなものでなく、まさに普遍的なテーマを扱っていると分かるんだけど)、また、すべての作品群が有機的に繋がっているために、途中からはなかなか入っていけないということもあるみたいだ。逆にいえばそれは、作品をまとめて読み進めれば進めるほど、目くるめくような広大にして深遠な世界像が現出するってことなんだけどね。さながら樹齢何百年という樹々の生い茂る森林を散策するように……。これを傍目に眺めてうち捨てておくのは、じつに勿体ない話ではないか……。
 大江さんは、文学史でいう「第一次戦後派」の流れを汲んでおり、政治や宗教までをもひっくるめて、ぼくたちの生きるこの世界の全貌を把握せんとの野心を持ち続けておられる。いわゆる全体小説だが、大江さんのばあい、「個人的な体験」や独自のイメージに則してそれを試みられるので、失敗した全体小説にありがちな空疎さを感じさせることがない。ただ、そのために作中人物はいわゆる知識人が主体となり、これまた取っ付きにくさの一因となる。いやそもそも、社会的な関心が希薄になって、個的な欲望に引き籠りがちな今の若者にしてみれば、世界の全貌を把握するという姿勢そのものが、すでにして縁遠いのかも知れない。
 さて。Aという対象を持ち上げるためにBという対象をくさす手法は陳腐なうえに下品でもあり、本来は慎むべきなのだが、ノーベル賞が取り沙汰されるレベルの作家ということで(ぼくはぜんぜん真に受けてないけど)、申しわけないがこの方を俎上にあげさせていただこう。言わずと知れた春樹さんだ。
 このあいだ文庫になった『世界は村上春樹をどう読むか』(文春文庫)のなかで、「大江健三郎と対照的な作家である春樹」という意味の文章があった。それ以上の説明はなかったけれど、意図するところはだいたい分かる。共同体としての「谷間の森」に想像力の拠点(トポス)を置き、あくまでも錯綜する地縁・血縁の中で個人を捉える大江さんに対して(この点において、1946年生まれの中上健次は1949年生まれの村上春樹より1935生まれの大江健三郎のほうに圧倒的に近い)、春樹さんはむしろ、そのようなしがらみをすべて取っ払ったところからストーリーを始める。ハルキ的登場人物たちは、都会の底で冷たい孤独に打ち震えはしても、たとえば病気の母親の介護でアタマを悩ませたりはしない。ついでにいえば、子供のことでアタマを悩ませたりもしない。ていうか、そもそも子供がいない。そう。「独身者性」はハルキ文学のもっとも重要な要素のひとつだ。
 ぼくが『ねじまき鳥クロニクル』を最後にハルキさんから離れていったのも、どうやらその辺りに起因するようだ(だからぼくは、『アフターダーク』も『海辺のカフカ』も読んではいない)。個人レベルでも社会的にも「父」たることを引き受けた大江文学に対し、村上文学はあまりにも偏頗だと思え、そのために興味が薄れていった。『アンダーグラウンド』から社会的なコミットメントを深めていったというけれど、とてもじゃないがあれくらいでは、作家としての社会参加とはいえないだろう。これはたんにぼく個人の偏見ではなくて、じっさい、一般読者の熱狂ぶりとは裏腹に、ここ十年ほどのニッポンの評論家たちは、以前ほどの熱意を持っては春樹論に取り組んでこなかった(ビジネス偏重の便乗本はたくさんあるが)。
 父であること、ひとの親であること、さらにいえば、次の時代をつくる若者たち/子供たちに対して相応の責任を担うこと。文学に求められる最大の役割の一つはそこであり、今の日本でそれだけの重みを備えた作家は大江さんのほかにぼくには(驚くべきことに)思い当たらない(もちろん、ここでいうのは文学的な意味での「父」なり「親」であって、生物学的な意味でのそれとは必ずしも直結しない)。その点においてもやはり、大江氏は自分にとって唯一無二の基準点である。




「読む人間」としての大江健三郎

 2011年10月8日から10日にかけて、3回に分けて掲載したもの。氏が自らの読書遍歴をやわらかい言葉で語った『読む人間』という講義録が集英社文庫で出たので、その感想文として書いたものです。

 昨年のノーベル文学賞を受けたマリオ・バルガス・リョサさんは、かつての「ラテン・アメリカ文学ブーム」のときにボルヘスやマルケスやプイグやコルタサルなどと並んで熱気の渦の中心にいた作家で、ぼくにとっても懐かしい名前であったから、このブログでもすぐに記事を一本書いた。本年度の栄誉に浴したのはスウェーデンの国民的詩人とのことだが、さすがにぼくもこの方のことは存じ上げない。それで、受賞者が発表されてからこんなことを言うのは後出しジャンケンみたいで良くないけど、これまで一度たりともぼくは、村上春樹さんがノーベル賞に選ばれるなんて思ったことはない。少なく見積もっても、向こう10年あまりはけっしてそのような事態は起こらぬだろう。たしかに優秀な作家だし、春樹さんの作りあげた文体は現代日本語散文のひとつの規範を成しているとも思うし、国際的な人気を博しているのも事実なのだが、ノーベル賞というのはそれとはまた別物なのである。世界にはまだまだ、巨大な怪物めいた作家がたくさんいるのだ。
 そう。「ノーベル文学賞とは怪物に与えられるものなのだ。」というのが、18の齢から孜々として小説を書き続けながら、芥川賞どころか新人賞すら未だに取れない凡庸なワタシの偽らざる思いなのだった。川端康成という方は、怪物というよりむしろ妖怪という感じだが(ああ。なんかむちゃくちゃ失礼なことを言ってる気がしてきたけど、もちろん、これらはみんな最大級の誉め言葉ですからね。誤解なきよう)、大江健三郎さんは紛れもなく日本文学が世界に誇りうる怪物である。テレビで見かける大江さんは、紳士的というよりどこか柔弱な印象すら与えかねない、いかにも学究肌のインテリといった風情でいらっしゃるけれど、あの方の作り出す文学世界がどれほど桁外れに物凄い代物であるか、同じ日本語文化圏に暮らしていながら、果たして何人のひとが理解していることであろうか。かつての学生運動の時代はともかく、中年以降、作品で言えば『万延元年のフットボール』以降の大江健三郎は、作家として現代日本から不当に遇されていると思う。まあ、すなわちそれは、およそ「純文学」というもの全般が不当に遇されているってことなんだけど。
 だからこそ94年(平成6年)の受賞は本当に喜ばしいことだった。とかく世の中は、石が流れて木の葉が沈む、といったていの理不尽に満ち溢れているものだけど、大江さんに対するノーベル賞授与は、そんななかで例外的なくらい真っ当で、筋の通った事件であった。ぼく個人としては、平成になってからの20数年間で、あれほど快哉を叫んだニュースはない。三島由紀夫亡きあと、ノーベル賞候補として取り沙汰されることのもっとも多かった日本人作家は、ぼくの知るかぎり安部公房であった。ほかにも沢山の方の名前が挙がっていたが、その前衛性において最有力視されていたのは安部さんだったはずである(ただしノーベル賞の選考過程は秘密のヴェールに包まれているので、実際には有力候補どころか、そもそもだれが候補にのぼっているのかさえも分からないのだが)。
 それで、まあ、こういうことは節度をもったインテリの人なら決して口にしないだろうから、軽薄なぼくが言ってしまうと、ノーベル賞を取ったのが安部さんでもほかの誰かでもなく、ましてや三島由紀夫でもなくて、大江健三郎さんで本当によかった。安部さんの小説はたしかに当時の世界文学の最先端に立つものであったかもしれないが、その作品はあたかも数学の論文のごとく緻密にして論理的、しかしそれだけに硬質すぎて、およそ生身の人間の息づかいや温もりといったものから縁遠かった。これはぼく個人の私見であるから、もとより異論を持たれる方もおられるだろうけど、文学としての豊饒さ、奥深さにおいて、大江健三郎は安部公房をはるかに凌駕していると思う。
 何よりも、ある時期からの大江作品は、長編のみならず短編においてもすべてが有機的に繋がっており、全体がそれこそ瑞々しくも鬱蒼たる森のように、ひとつの世界を、いやむしろ、一個の宇宙とでも呼ぶべき大曼荼羅を織り成している。そこから浮き上がってくる主人公(的な人物)の姿は、猥雑なる俗世間から一定の距離を保ちつつ、障害を抱えた長男を含む家族と誠実な関係を取り結びながらも、核の恐怖を絶え間なく憂い、また時として、否応なく押し寄せてくる政治的あるいは性的な衝撃波に揺さぶられ、それでも毎日欠かさず古典を読み、人間と社会と歴史と世界についての真摯な思索を続け、「神」への信仰には至らぬけれど、「魂のこと」には常に考えを巡らせている、そのような、ひとりの現代人である。20世紀後半~21世紀前半を生きる「現代人」の姿をこれほどまでに重層的かつ生々しくリアルに描いた小説家は、世界レベルで見ても他にはいない。これはぼく個人の文責において断言しよう。
 じつは中上健次もかつて候補に目されたことがあるらしいのだが、中上健次があそこまで徹底的に「知識人ならざる者たち」を中世の語り物のような手法で描き抜くことができたのも、大江健三郎という巨大な先達がいたからである。中上文学は或る意味で大江文学の裏返しであり、村上龍さんはそちらの系譜を継いでいる。いっぽう、春樹さんはわりとストレートに大江さんの系譜を継いでいる(大江さんと春樹さんとの芥川賞をめぐる因縁を考えるとき、この事実はとりわけ興味ぶかく映る。もとよりこれは、春樹さんが大江文学から影響を受けたということではない。あくまでも構造的な比較論である)。
 かつてぼくは、大江健三郎を「わが文学の基準点」などと言挙げしたことがあるけれど、何のことはない、大江さんは現代日本文学そのものの基準点なのだった。そのような作家がノーベル賞というかたちで世界から認められたのは、わが国にとって誠に光栄な話であり、あまりにもわれわれは、そのことを軽く見すぎているのではないか。たとえば、愚直なまでに「戦後民主主義者」としてのお立場にたって社会的な発言をされる大江さんを捉えて、嘲弄に近い批判を行う小林よしのりさんのような態度は、ぼくにはとうてい正当なものだと思えないのである。文学者、ことに大江さんほど複雑な文学者においては、名士あるいは「有識者」としての社会的発言と、文学者として生み出される作品とはまったく次元の異なるものなのだから。


 このあいだ集英社文庫で『読む人間』という大江さんの講演録が出て、これがすこぶる面白かった。今回の記事はそのことを書きたかったので、上に述べたことは前置きである。イントロにしては長すぎるんじゃないかと言われるやも知れぬが、ネットってものは文学に詳しい人だけが見るわけではない(というか、むしろ文学とは疎遠な人たちのほうが多いってことに最近気づいた)。ブログという媒体において、大江さんほどの作家を俎上に乗せさせていただくならば、あのていどの解説は不可欠であろう。おりしもノーベル賞の時節ということもあったけど。
 大江健三郎という作家においては、「本を読む」という営みがご本人の生そのものと分かちがたく結びついており、それは巷間よく言われるような「ブッキッシュ」どころのレベルではない。大江氏はこれまでにもたとえば『小説のたくらみ、知の楽しみ』『私という小説家の作り方』(ともに新潮文庫)のような自伝的読書エッセイを刊行してこられたけれど、この『読む人間』はそれら2冊と比べてずっとシンプルで、じゃあ程度が低いのかというとそうではなくて、単純さゆえの力強さに満ちている。『小説のたくらみ……』や『私という……』はこちらがアタマで理解して、知的快楽と共に享受する按配であったが、『読む人間』は、カラダの奥にすうっと入っていく感じだ。
 それは当初の発表形態によるところが大きい。先述のとおり、講演の記録に手を入れたものなのである。ジュンク堂の池袋本店にて「大江健三郎書店」なる催しがあり、これは著名人が自分の推薦する本を書店の一角に並べて販売するジュンク堂恒例の企画なのだが、それに付随して行われた7回連続の講演と、あと、ほかの場所で行われた二つの講演が元になっている。冒頭いきなり、ナボコフ、フリーダ・カーロ、『イリアス』『オデュッセイア』、シモーヌ・ヴェイユ、エリオットなどの固有名詞が出たのち、大江さんが幼少年期を通じてもっとも多大な影響を受けたという『ハックルベリイ フィンの冒険』からいよいよ、作家の骨肉を形作ってきた雄勁にして鮮烈な読書遍歴が幕をあける。
 ご存知の方も多かろうが、ハックは黒人奴隷であるジムと一緒に筏でミシシッピ河を下っていくのだが、そのうちに、ジムに対する友情と、それまでに教え込まれてきた倫理観との板ばさみとなって苦しむ羽目になる。ジムは或る老婦人の「財産」であるから、彼の逃亡を知るハックがそれを黙認することは、「ひとの財産を奪う」ことであり、「地獄に落ちる」行いなのである。すれっからしではあっても根が純朴なハックは地獄行きを本気で恐怖し、老婦人に宛てて手紙を書くが、すぐに自らの手でその手紙を破る。「じゃあ、よろしい、僕は地獄に行こう。」と、心の奥で呟きながら……。「それは恐ろしい考えであり、恐ろしい言葉であった。だが私はそう言ったのだ。そしてそう言ったままにしているのだ。そしてそれを変えようなどとは一度だって思ったことがないのだ。」
 地獄に行っても構わないから、友人を裏切るまいと決意する、その意志の強さに、9歳の大江少年は決定的な影響を受けた。そして、その次が岩波新書の『フランス ルネサンス断章』。この本を読んで、高校2年の大江青年は、著者である渡辺一夫教授にじかに教えを請わんと切望し、東京大学仏文科への進学を心に定める。「まったく端的に、これが私の人生の実際の進み方を決めた本です。」 ちなみにこの本、著者による度重なる改稿を経たうえで、『フランス・ルネサンスの人々』と題を変え、いまは岩波文庫に入っているが、その解説をほかならぬ40年後の大江さんがお書きになっている。『読む人間』を補うかたちで、その解説の文章の一節を引くと、「このような学者に学び、このように考えうる人間となり、このようなことを表現する文章を書きたい……」というのが、若き大江青年の「熱望」であったとのこと。およそインテリとは縁遠い環境に生まれ育った若者が、一冊の本によって「知への憧憬」に目覚めたときの昂揚を描いて間然するところがない。しかもその熱望を実際に達成されたわけで、まことに見事な話である。
 かくして大江青年は「森深い谷間」を出て東大の仏文科へと進み、在学中に校内新聞に発表した小説が際立った評価を受けてプロデビューする。そしてその数年後には、新進気鋭の芥川賞作家として、石原慎太郎、開高健らとともに時代の寵児となるのである。1950年代半ばあたりのことだった。


 じつをいうとぼくは、サルトル的な閉塞状況を寓話化したような初期の大江作品がそれほど好きなわけではなく、また、いわゆるグロテスク・リアリズムを推し進めておられた時期、つまり『ピンチランナー調書』や『同時代ゲーム』の頃の作品も性に合わない。ぼくが座右に置いて繰り返し読み返すのは、『「雨の木」を聴く女たち』『新しい人よ眼ざめよ』『いかに木を殺すか』『河馬に噛まれる』『静かな生活』『僕が本当に若かった頃』、そして『燃えあがる緑の木』といった辺りである。障害を持つご子息との共生が歳月を重ねて円熟してきた時期、すなわち中年期の後半以降に書かれた作品群と称していいかと思う。
 それらの作品においては、ダンテ、ブレイク、イエイツ、オーデン、エリオットといった世界文学史上の巨匠が全編を通じて言及される。ぼくがことのほか愛好している『新しい人よ眼ざめよ』などは、言及どころか作品自体がブレイクの詩篇に触発されて生まれたものである。いま取り上げている集英社文庫の『読む人間』でも、ここに名を挙げた大詩人たちの作品を、優れた研究書の助けを借りて精密に読み解き、自作へと昇華していく営みの歓びが、ページの大半を費やして詳しく語られている。読書と創作とが照応しながら絡み合い、そのことがさらに実際のライフ(人生=生活)そのものをより深く、豊かにすることへと繋がっていくのだ。時間つぶしでも、目先の利益のためでも、たんなる教養のためでもない、生の根底に直結した、もっとも理想的な読書のかたちがそこにある。創作に携わらない人であっても、本と向き合うこのような姿勢から学ぶべきものは少なくないはずだ。
 青年期から中年期にかけての大江氏は、サルトルはもとよりドストエフスキー、ラブレー、また我が国の第一次戦後派や、文化人類学者の山口昌男といった書き手たちからも大きな影響を受けてきたはずだが、それらの名前は『読む人間』のなかには現れない。おそらくは、すでに濾過されてしまったということだろう。たしかに詩というものは、言葉かずが極度にかぎられているために、1行ずつのボルテージが高く、人生のさまざまな局面において閃光のように記憶の底から蘇ってくる。また、イメージの断片が作品の内部で峻烈に飛び交ってはいても、一義的な意味は絶え間なく揺らいでいるゆえに、読む側の成熟度に応じていろいろな読解が成り立つということもあろう。生涯の伴侶となりうる本は、意外にも小説ではなく詩のほうかも知れぬと、ぼくも近ごろエリオットの『荒地』(岩波文庫)などを読みつつふと考えたりもする。
 一冊の本と向き合う作家・大江健三郎の誠実さは、そのまま他者や世界と向き合うときの誠実さに等しい。ぼくなどは、自らの放埓な濫読ぶりを省みて、信頼すべき年長者から、もの静かだが厳しい口調でたしなめられたような気分になったくらいだ。「知識人」という言葉は現代社会でほとんど死語になりかけているが、『読む人間』のなかでは、その単語がまだ目映い光芒を放っていた。冒頭、シモーヌ・ヴェイユ(フランスの女性哲学者。きわめて鋭敏で繊細な文学的感性の持ち主だった。1943年、34歳で死去。)に触れて、「これから知識人になっていかれる若い女性の方たちが、本を読んでいく上での大きい柱になさったらいいんじゃないかと思う。」とおっしゃった一節が、ひときわ心に残ったのである。これほどに直截で力強いメッセージは、今までの大江さんのエッセイにはなかった。聴衆に向かってダイレクトに語りかける、講演という媒体の功徳であろう。一級の読書論として、あるいはすこし異色の人生論として、ふだん大江さんを敬遠している若い層にも幅広く推薦したい。


いただいたコメント


 『中上健次 軽蔑』とGoogle検索し、こちらに来ました。
 僕は中上の『灰色のコカコーラ』(を収録した鳩どもの家も)を愛読していますので非常に興味深い記事でした。
 先輩に薦められて読んだ『限りなく透明に~』はなんだか退屈な作品でして、江藤淳が『あれは他人の言葉を借りて言わせれば麻薬中毒者のカセットテープを聞いているようなものだ』『サブカルチャーの表現に過ぎない、サブカルチャーの記述を脱していない』と批判していたのが印象的です。
 大江の記事に別の作家への私見をだらだら書いてしまい、恐縮です(-.-;)
 大江健三郎の『万延元年のフットボール』の記述の粘っこさと描写の鮮やかさと残酷さは衝撃の一言に尽きます。
 安部は『壁』『砂の女』しか読んでいませんが、個人の苛立ちを示した能力では大江の方が上手だというのは僕も同意見です。春樹にノーベル賞は無理だと思います。
 僕がコメントしようと決めたのは、お書きになったように最近の大江が戦後民主主義者として活躍しているのを右翼的目線から非難する人々が多すぎると常々感じていたからです。
 ぷちナショナリズムの高揚を肌に感じていますが、やはり大江の力強さは比肩しがたいものでしょうね!

投稿 野鳥先輩 | 2011\11\13


 コメントありがとうございます。気の向くままに、いろいろと雑多なテーマを取り上げていますが、やはりブンガク関係は当ブログの本丸なので、こういったご意見をお寄せいただけると嬉しいですね。
 記事の中にも書いたとおり、ぼくもまた『ブルー』よりも『灰色』のほうを愛好する者の一人ですが、ただ、『限りなく透明に近いブルー』という小説そのものが嫌いってわけでもないのです。これについても短い文章を載せておりますので、もし未読であれば目を通していただけましたら幸いです……。
 『万延元年のフットボール』は、たしかに衝撃的な作品であり、戦後文学史に輝く傑作ですよね。さっきウィキペディアを見て、春樹さんの『1973年のピンボール』というタイトルが、これのパロディーだと初めて気がついたんですが……大江さんの重厚さと春樹さんの軽妙さとは、まさしく時代の移り変わりの象徴だとは思います。しかし、『海辺のカフカ』や『1Q84』くらいでは、海外の並み居る怪物的な作家たちにはまだまだ及ばないでしょう(じつはまだどちらも読んでないんですけどね……)。
 社会的な発言をする際の大江さんは、故・井上ひさし氏と並んで愚直なまでに「戦後民主主義者」であり、その点においてはデビュー当時からまったく揺らいでおられません。いわゆる「昭和ヒトケタ」の作家たちというのは(大江さんは昭和十年だからギリギリですが)、小説の中ではずいぶんと綺想を繰り広げたり、時には反社会的なイメージを書き連ねたりしても、一知識人としては、頑として戦後民主主義者たる姿勢を貫く方が多いわけですが、大江氏はまさにその代表格ですね。その姿勢に込められた深い思いを汲み取ることなく、たとえば小林よしのり氏あたりの尻馬に乗って大江さんを嘲罵するような振る舞いは、政治的にも文化的にも、きわめて貧しい行為だと思います。せっかくあれほどの作家と時代を共有しているのに……。

投稿 eminus(当ブログ管理人) | 2011\11\14

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