ダウンワード・パラダイス

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『鎌倉殿の13人』における上総広常の描き方について その①

2022-04-19 | 映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽





 佐藤浩市演じる「上総広常」は、群を抜いて魅力的だったので、第15話『足固めの儀式』での謀殺シーンは多くの視聴者にショックを与えたようだ。放映直後のタイムラインを見ていたら、「小学生の子供が泣き止まないんですけど。」といったツイートがあって、そういえば自分も幼いころ、両親の脇でドラマを観ていて、筋立てはよくわからぬし、役名も俳優じしんの名前もあやふやながら、何となく好感を抱いていたキャラが悲惨な最期を迎える場面で、いたく混乱した記憶があるな……と、微かな痛みと共に思い返した。
 むろん深甚なショックを受けたのは子供ばかりではなく、「明日からまた仕事だってのに、なんて気分にさせてくれるんだ。」とか「よし、5月になったら上総広常の墓参りに行く!」とか「それにつけても頼朝はありえん。許すまじ。」「広常ロス。」といったツイートもみられ、かなり騒然となっていた。これほどに視聴者の心を揺さぶるとは、脚本の三谷幸喜、スタッフの皆さん、そしてもちろん佐藤さんをはじめ、主演の小栗旬も、頼朝役の大泉洋も、「冥利に尽きる。」というやつだろう。いかにもSNS時代の大河ではある。
 ぼくは父君の三國連太郎の大ファンだったが、佐藤浩市はこれまで好きでも嫌いでもなかった。記憶に残っているのは、映画では、デビュウ間もない頃の『道頓堀川』(1982/昭和57)……これは映画館で観た……と、あとは『亡国のイージス』『のぼうの城』『KT』『清須会議』『Fukushima 50』『あなたへ』、あとは父の三國と本格的に初共演した『美味しんぼ』……この7本はテレビ放映で観た……くらいか。
 テレビドラマではなんといっても同じ三谷脚本での大河『新選組!』(2004/平成16)の芹沢鴨だけど、これもドラマが序盤から中盤に差し掛かるところで組織全体の「足固め」のために暗殺される役どころで、今作のキャスティング発表の時から話題になっていた。むろん、たんに組織の地盤固めだけでなく、新選組のばあいは沖田総司(藤原竜也)、今回の「鎌倉殿」では小四郎こと北条義時と、「その殺害に加担することによって後進の少年が大人へと脱皮する契機を作る」という役回りを担っている点が物語論的には重要なのである。
 総司のほうは実際に自らが刀を振るって事に及んだのに対し、今回の小四郎は頼朝とその謀臣・大江広元(栗原英雄)によって巧く操られただけだが、事後的に計画を知らされてから容認したわけだから、「謀殺に加担した」には違いない。
 前回の記事でふれた『草燃える』(1979/昭和54)は、永井路子の一連の「鎌倉もの」が原作で、岩下志麻演じる政子を中心に、鎌倉幕府の草創期から、承久の乱の少し後までを扱っていた。『鎌倉殿の13人』は……大胆な言い方をするならば……その放送当時18歳だった三谷さんによる、『草燃える』の才気あふれるリメイクといえる。
 『草燃える』で義時を演じていたのはこのたび平清盛役をやっていた松平健で、義時を中心にみるならば、あのドラマは、
「事情がよく分からないまま周囲に巻き込まれて『革命』に加わった坂東の純朴な若者が、稀代の政治家・源頼朝(石坂浩二)に側近として仕えて『政治の何たるか』を身を以て知り、自らも政争をくぐり抜けていくうちに、だんだんと人格が変わっていき、やがて老練・冷酷な独裁者となって次々と政敵を粛清していく話」
 であった(その「政敵」には実父の時政も含まれる。さすがに命までは取らないが)。
 いっぽうの政子は、政治向きには疎く、ひたむきに身内を愛する女性として描かれていた。そんな政子が、長女・長男・次男(・次女)ら全てに非業のかたちで先立たれるから悲劇性が際立つわけだ。
 ぼくが前回「政治と権力の魔性」という言い方をしたのはこの義時のことで、その人格の変貌ぶりが鮮烈だった。なお前作の『黄金の日日』でその人格変貌を見事に演じたのは秀吉役の緒形拳だ。権力はひとを怪物へと変える。それが独裁であればなおさらだ。だから絶対にいかんのである(これはプーチン大統領のことを念頭において言っているのだが、むろんそれだけではない)。70年代後期の大河はその真理をしっかりドラマ化していた。
 義時は、当年40になろうかという小栗さんが演っているから紛らわしいが、頼朝の「旗挙げ」(じっさいには目代の屋形を夜討ちしただけだが)のさい17、8歳。今でいえば高2か高3くらい。今話のラスト、長男の泰時が誕生した時点でもたかだか21くらいだ。三谷×小栗は、果たしてどんな義時像をつくりあげていくのか。このご時世、あまりSNS界隈を「ドン引き」させるのも得策ではなかろうから、「最愛の妻と子供たちを守るために、感情を殺して表向きはひたすら冷徹にふるまう。」くらいの線であろうか。それならば史実を曲げてまで新垣結衣さんを嫡男・泰時の母にキャスティングしたのも頷ける(正妻役の女優さんは別におられるようだけど)。
 いずれにせよ、盟友・三浦義村(山本耕史。なお義時は最後までこの義村だけとは良い関係を保っていた)が指摘したとおり、義時が「頼朝に似てきている」、すなわち政治権力の恐ろしさを理解し始めているのならば、そして、頼朝の性格を目の当たりにして、この先どんなことをしてでも北条の家を守り抜く決意を抱き始めたとすれば、それはこのたびの広常誅殺~第一子誕生こそがその契機であったのは間違いなく、それゆえの佐藤浩市のキャスティングであったと納得できるわけである。




 それで、その佐藤広常なのだけれども、第7回の「敵か、あるいは」で初登場したさい、父君の三國さんにあまりにもそっくりだったのでまず驚いたのだった。これまで佐藤浩市が三國連太郎に似ていると感じたことはなかった。しかし思えばぼくが初めて三國連太郎という俳優に魅了されたのは1981/昭和56年のオールスタードラマ『関ヶ原』での家康(森繁久彌)の謀臣・本多正信役であり、このとき三國さん58歳。いまの佐藤さんは61歳だから、そういうものなのかもしれない。血は争えぬということだ。
 冒頭でも述べたが、この佐藤版・上総広常はほんとうに魅力的だった。じつはいったん視聴をやめようかと思ってたのだが、この人の登場ののちは日曜の夜が楽しみになった。むろん脚本と演者の力が大きいのだが、美術スタッフなども丹精を込めて仕事をしていたように思う。渋めの衣装がじつに似合うのである。
 広常じしんがドラマの中で高言していたとおり、あの時点でキャスティングボードを握っていたのは彼だった。なにしろ頼朝は石橋山の合戦で大敗を喫して命からがら小舟で逃げ延びてきた身である。父の義朝ゆかりの豪族たちが少しずつ参集しつつあったとはいえ、房総の地で広常が本気で合戦を挑んでくればまず勝ち目はなかったろう。その大豪族の広常が敵対どころか味方になってくれたおかげで他の豪族も次々と傘下に加わり、頼朝の関東支配がやっと緒についたといえる。広常なくして後の頼朝はなかった。このことは誰よりも頼朝じしんが認めていた。
 それで、ぼくはかねがね「房総半島にあれだけの勢力を誇った広常がなぜ頼朝に加担したのか?」について疑問をもっていたのだが、ドラマ化に併せてあちこちのサイトが特集を組んでくれるおかげで、いろいろ有益な情報を拾えた。こういうところが大河の功徳だ。そのなかで、いちばん得心できたのはこれである。






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源頼朝の危機を救った「両総平氏」 千葉常胤、上総広常【鎌倉殿の13人 満喫リポート】
https://serai.jp/hobby/1063346






上総広常とは、どういう人物なのか。


上総氏は桓武平氏の流れをくむ一族で、平安時代中期に坂東(関東)に根を下ろした坂東八平氏と呼ばれる氏族集団のひとつだ。


広常の祖父にあたる平常晴は、現在の房総半島にあった上総国の権介となった。「介」とは地方行政官である国司の二番目の役職で、「権」は「仮」の意味。つまり律令制における上総国のナンバー2ということになるが、上総国は天皇の息子である親王が国司を務める国(親王任国)だった。親王は任国に赴任はしないので、上総介は上総国の実質的な長官だった。広常の父常澄も上総介を世襲していたようで、広常は3代目の上総権介ということになる。


広常の祖父常晴の兄にあたる平常兼は、下総国の権介を名乗り、下総国千葉郷に拠点を置いた。これが千葉氏のルーツとなる。『鎌倉殿の13人』に登場する千葉常胤(演・岡本信人)は、この常兼の孫にあたる。上総を本拠とする上総氏、下総を本拠とする千葉氏をはじめとする、房総半島に拡がった一族は、両総平氏とも呼ばれた。


(……中略……)


頼朝が挙兵した治承4年(1180)当時、広常は上総氏の家督を継いで、名目的には両総平氏を率いる立場にあったようだが、実際には一族間の争いもあり、両総平氏のなかには、平家と血縁関係にある藤原親正という荘園領主の傘下に走るものもいるなど、その支配は不安定なものだった。


前年の治承3年(1179)には、平清盛が後白河法皇の院政を停止するクーデターを起こしていた(治承三年政変)。実はこの政変が、頼朝の挙兵、そして平家の滅亡に至る争乱の呼び水となった。


できるだけ簡単に説明しよう。清盛は院の影響力を削ぐため、院や院に近い人物が所有していた所領や知行国を取り上げて、のきなみ平家一門や家人たちに分け与えた。知行国主が平家関係者に変わると、坂東にも平家の家人が目代(代官)として派遣される。


平家の家人にとっては都合の良いことだが、そうではない地元の武士層にとっては、自分たちの生活や特権をおびやかす脅威に他ならない。彼らは自らの生存をかけて、平家打倒に立ち上がった。その旗頭としてふさわしい人物が、源頼朝だったのだ。


上総広常の支配する上総にも、波が押し寄せていた。治承3年には平家の有力家人の藤原忠清が上総介に任命されたのだ。藤原忠清は、平家政権に広常の非を訴え、その権限を奪おうとする。広常はすぐに息子の能常を京都に派遣して申し開きをさせたが、平家政権は納得せず、広常を京都に召喚しようとした。


広常と平氏政権は、のっぴきならない対立関係となっていった。しかも、広常の兄で、おそらく広常と家督争いをしたと思われる上総常茂が藤原忠清と連携して、広常から家督を奪い返そうとしていた。


上総広常は、追い詰められていたのだ。


平家政権によって追い詰められていたのは、上総広常だけではなかった。一族の千葉常胤も、藤原親正や平家方の目代に圧迫を受けていた。三浦半島の三浦氏も、平清盛の信頼を背景に相模国全域に支配を広げようとする大庭景親の脅威にさらされていた。


実は、頼朝の舅であり、もっとも信をおくべき相手でもあった北条時政にも、同じような「事情」があった。


かつて伊豆の知行国主は源頼政で、その嫡男仲綱が伊豆守だった。時政はこの頼政に仕える地方官僚だったとされている。ところが、頼政・仲綱親子は、以仁王の挙兵失敗によって滅亡した。彼らに代わり、清盛の義弟にあたる平時忠が伊豆の知行国主となり、時忠嫡男の時兼が伊豆守となったのだ。


そして、伊豆の目代として派遣されたのが、平家家人の山木兼隆だ。伊豆では平家家人である伊東祐親も力を伸ばしていたため、源頼政に仕えていた北条時政は、事実上、追い詰められていたのだ。


北条時政、三浦義明(その子義澄)、そして千葉常胤、上総広常は、旗揚げ期の頼朝を支えた坂東武士の主力ともいうべき面々だが、彼らはみな、平家政権の圧迫によって一族の危機を迎えていた。源氏再興のために平家を討つというのは、スローガンとしては非常に分かりやすい。しかし、その裏には極めて現実的な坂東武士の「事情」があったのだ。






引用ここまで


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 つまり、日に日にいや増す平氏の勢力がいよいよ東国にまで及び、土着の坂東武者たちは所領その他の既得権益を脅かされつつあったわけである。それくらい切羽詰まった事情がなければ、いかに貴種とはいえ、一兵ももたない流人の三十男を奉じて自分の命と家の存亡を賭けるはずはないのだ。
 そのあたりの研究は近年ずいぶん進んできているらしく、日本史好きの三谷氏もとうぜん目を通してはいると思うが、しかし、この手の込み入った事情はなかなかドラマに乗せにくい。
 佐藤広常が大泉頼朝に味方した理由は、シンプルに「彼の人柄に惚れ込んだから。」である。もともと興味をもっていたところに、小四郎のけんめいの説得(と、頼朝の天運を認めたこと)で面会する気にはなったが、そのときはまだ「この目で見て、奴が大将の器でないと判断したら討ち取ってその首を平家に差し出してやる。」くらいの気分でおり、わざと約定の刻限に遅参した。しかるに頼朝が、大軍を率いての到着を喜ぶどころか、かえって遅参を叱責したため、その心根に感服して、そこで臣従を誓った。そんな設定になっていた。
 これは当時の状況を知るうえでの基礎的な文献のひとつ『吾妻鏡』の記述なのだが、いかにも芝居がかっている。もともと近代以前の史書に厳密なリアリズムを求めるのは木に縁って魚を求めるようなものではあるが、それにしても脚色がすぎるようである。芝居がかっているということは、ドラマに仕立てやすいということで、このたびの三谷脚本もほぼそのままこのエピソードを生かしたわけだ。
 この初対面のエピソードを最大限に生かしたことで、佐藤浩市演じる上総広常は「情誼に厚い、愛すべき好漢」というキャラクターとなった。頼朝を「佐(すけ)殿」という尊称で呼ぶのが気に入らないと愚痴っているところに三浦義村から「唐では親しき仲間のことを武衛(ぶえい)と呼ぶそうです。」と嘘八百を教えられ(じっさいには武衛とは「兵衛府」のことで、やはり尊称である)、それからはずっと(まさに謀殺されるその瞬間まで)頼朝のことを「武衛、武衛」と親しみを込めて呼び続ける。しかも、一貫してタメ口である(舅の時政ですら「鎌倉殿」と呼んで丁寧語で応対するにも関わらず)。
 それもこれも、頼朝が好きだからこそなのである。従来は、「広常は武力を笠に着て横柄なふるまいが目につき、家臣団の結束を乱していた。」という解釈が専らだった。『草燃える』でも、小松方正(この人は憎々しい悪漢面が売り物の役者さんだった)演じる広常は、ある式典で頼朝を出迎えたとき、一人だけ下馬しなかったし、他のことでもいろいろと盾突いていた。それらも『吾妻鏡』にある有名なエピソードなのだが、このたびの三谷版は、そういった「頼朝に対する尊大さ」を示す逸話を一切採用せず(挑発してきた佐竹秀義や大場景親を一刀のもとに切り捨てるなど、直情ぶりを強調する演出はあったが)、ただただ「頼朝に惚れこみ、そのマブダチのつもりでいる広常」の像をつくった。
 頼朝は広常のその「友情」を利用し、そして裏切って罠に嵌め、政権の「足固め」のためのスケープゴートとして葬り去った。だからこそ、その唐突かつ理不尽な死がこれほど広範囲にショックを与えているのである。
 これはドラマとしては大成功といえる。しかし、ロジックからすると相当に無理がある。反則すれすれ、といってもいいかもしれない。




その②につづく



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