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ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

宇宙よりも遠い場所・論 20 「暗喩」の豊かさ、あるいは、「現実」と「物語」とのあいだ

2018-12-23 | 宇宙よりも遠い場所
 映像作品ってものは、ひとつのカット、一連なりのシーンが、重層的な意味をもつ。ストーリーラインを前に進めるためだけでなく、その裏側に、さらにべつの意味を隠し持ってるわけだ。それこそが作品ぜんたいの厚みとなる。優れた映像作品ほど、その「裏の内実」が分厚いのだ。
 それを100%読み取るのは、ことに初見では大変だけれど、読み取れるものなら、なるべく多いに越したことはない。
 べつに難しいことを言いたいんじゃない。ぼくたちがドラマやアニメを見るさい、それと意識することなく、ふつうにやってることである。
 第1話の冒頭、散らかり放題の自室のベッドで寝汚(いぎたな)く惰眠を貪るキマリ。その枕元(?)に本が積み上げられており、そのなかに「ROMANCE」という少女漫画雑誌がみえる。
 キマリの「ここではない何処かへ」という願望を「ロマンス」のひとことでまとめていいかどうかはわからないけれど、日常からの逸脱って点では、確かにそれはロマンスだろう。
 キマリのなかにはロマンスがある。しかしそれは、この時点ではまだ、しかるべき位置に収まってはいない。受験やら何やら、ほかの色んな事とごっちゃになってる。そういうことなのだ。


 こんなのはまさに「序の口」で、『宇宙よりも遠い場所』には至る所にそういった「暗喩」が散りばめられているのだが、この例からもわかるとおり、それはけっして難解なものではない。むしろ図式的といっていいほどで、あまりにあからさまな時は、ほとんどギャグとして機能する。1話Aパートでは、校内のポスターや標識、英語の授業のリーディングなどを存分に用いて、この手の小気味いいギャグが炸裂していた。それゆえ事件らしい事件は起きずとも、こちらもしぜんに話の中に引き込まれた。


 キマリと報瀬との「ガール・ミーツ・ガール」のあともその趣向はつづいた。駅の階段で黒髪の美少女の落とした封筒を拾ったキマリが、中を確かめる場面で、背後のポスターがこれである。


 そして翌日、それを落とし主に返すべく、けんめいに探索するキマリは、この科目の教科書でその封筒を隠し持っている。




 まだまだあるが、いずれにせよ、こういうのは作り手の「お遊び」に属することで、微笑を誘われる。ところが、そうやって楽しく眺めているうちに、メタファーが少しずつ切実なものへと変わっていくのだ。


 時系列としてはさっきの2例より前になるが、ささやかな「ロマンス」を求め、学校をサボって小旅行を試みたキマリは、怖くなって引き返す。その時のカットだ。表向きの意味は「雨が降ってますよ」だけど、これは「とほほほ……やっぱ私、できないや」というキマリの涙だろう。
 ちなみにこのカット、報瀬から「呉に行こう」と誘われた日の夜、自宅にてさんざん思い悩むキマリの回想として再利用されるが、そのとき彼女がベッドから台所に移動したのに合わせ、このカットが挿入される。



 「滴る雫」によってキマリの心情と二つの場所とが見事につながる。このていねいな作り込みを目にして、「ああ、これはきっと名作になるな。」と確信をもったものである。


 いうまでもなく全編を通しての最大・最高の「暗喩」は第12話の例のアレに決まってるけれど、これまで述べてきたところだと、第3話の「窓のストッパー」も忘れがたい。第1話・第5話の「葉っぱの舟」ももちろんだ。第2話で、いちど腹を立てた報瀬が気を鎮めてキマリの所に戻ってくる際の、赤信号が青になるカットもよかった。
 こういう技法は、ありふれた日常のシンプルな舞台だからこそ生きるので、異世界もののファンタジーだったら、舞台装置や、周りの小道具などがあらかじめ異化されてしまっているため、使いづらい。
 シンプル・イズ・ベストということでは、ぼくなどはいつも、A・タルコフスキーの『ノスタルジア』(1983年)で、たった一本の蝋燭(ろうそく)に灯した小さな火があたかも全人類の救済の象徴のように見えてくるシーンを思い出すのだが、ほかにも適切な例はあるだろう。



 こんな話を始めたのは、第8話「吠えて、狂って、絶叫して」には、「これって暗喩、もしくは象徴だよなあ……リアリズムとして見ちゃったら、ここだけはさすがに呑み込めんなあ。」というシーンがあるからだ。
 それは全編を通じてのベストテンに入れてもおかしくない名シーンなのだが、ここまでていねいに保ってきた一定のリアリティーを台無しにしかねぬような、危ういシーンでもあった。
 もちろん見返すたびに涙は出るし、4人が南極に辿り着く前にこのイベントがなかったら絶対ダメだぞと思いもするが、それでもやはり、「うーん……」という声が漏れてしまうのは如何ともしがたい。
 ぼくたちの生きる「現実」と、「物語」との関わりというか、もっというなら「相克」のようなものを、そのシーンを見るたび、考えさせられてしまうのだ。




6 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-12-24 16:29:12
8話の波のシーンなんでしょうが、そのうち何処かで書こうと思った事を書いておきます。

此の3巻収録の8話で甲板に出る辺り、「危ねー」と思う人は多い。
私もそう思ったのだが、調べてみたところ、こんな南極渡航者の記事を発見した。
https://www.env.go.jp/nature/nankyoku/message/article49/071205.html
絶対安心と迄は言い切れないが、昼間なら艦上体育をやれる程度ではあるんだねぇ。
「しらせ」の主要寸法は138×28×15.9×9.2m(長さ、幅、深さ、喫水)なので、通常時の海面から甲板までの高さは8.7mなのかな?
マンションの高さは凡そ3m/階なんだそうで、キマリ達が荒海を覗いていた甲板は少し下、多分高さ6m、2階の屋根位の所。
名古屋の高潮防波堤が大体その高さなんだが、船は波に乗っかる形で浮いている為、此れはそこそこ余裕の有る高さなんじゃないかと思う。

画面では波が画面を覆う程の高波と見えるが、此れには(作画ミスではなく)目の錯覚である。
艦内からキマリ達越しに海を見る視点な為、海面に対して俯角や仰角が生じているのに気付き難いのだ。
外の景色一杯を覆う波、ではなく、船が傾いて俯角で海を見下すため、画面一杯に波立つ海面が見えるのだ。
船の手摺を越える程の波が来るのではなく、俯角である為に、本来なら眼下に見える波が聳り立って見えるのである。
(いや、より正確に状況を推察すると、キマリ達には暗くて波が殆ど見えていないと思う。)
後は推して知るべし、浴びる波濤も波頭の天辺がかすめる程度なので、キマリ達が危機感を抱いたとしても、遊園地のウオータースライダーとかの波飛沫を食らった程度に感じていると思う。
『よりもい』は、何故南極で吐く息が白く成らないかの様に、調べて初めて解る事を割とあっさり説明を省いている所が有る。
疑問に思ったら自分で調べて、更に南極への興味を深めて欲しいというスタンスなのだろう。
中略
ただ鮫島弓子コック長のその後の反応を見ていると、誰かが注意して見ていた気はするんだよね。
「此処からは大人扱いするからね。」何て言いながら、子供に余計な心配は掛けられない、過度の危険は犯せられないと気配り、そしてそれをおくびにも見せなかった様に。
部屋割で考えても、両隣は他の女性隊員の部屋で固められていただろうし、「あの子達、外へ行くみたいよ?と、止めなくて良い?危なくない?」「まぁ大丈夫。此れ位の揺れなら。」何て会話が陰であったかも知れない。
「うわぁ迂闊だったよ、あの子達の行動力を甘く見てた。」
何て後で気付いて自分達の失策に気付いて青く成っていたかも知れないけど、それはあくまで大人達の裏事情なのだ。

以上、長文失礼しました。
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ありがとうございます。 (eminus(当ブログ管理人))
2018-12-25 00:51:06
 いやありがとうございます。とても参考になりました。やはりこのアニメは良質のファンに恵まれてますね……。
 このコメントはwordに移して「よりもい参考資料」のファイルに保存しました。ぼくはもちろん遠洋航海の経験がないので、こういったリアリズムの見地からの資料や考察のご提示はたいへん有難いです。
 ただ、当ブログはもともと「物語と純文学」についてのブログで、このアニメに対しても、「物語論」からのアプローチを試みています。だからこの次の記事は、頂いた考察の方向からはかなり外れたものになるかと思います。「ふーん、まあ、そんな見方もあるか」と、おおらかな気持ちで引き続きお読み頂ければ幸いです。
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Unknown (Unknown)
2018-12-26 03:13:04
Amazon(宇宙よりも遠い場所 3 [Blu-ray])に上の文章の改訂稿を含んだレビューを寄せました。
興味があったら探して読んでみて下さい。

----で、管理人様は円盤買われたんでしょうか?
私は2017大晦日頃にTVでPVを見て興味をそそられ、初放映を翌日辺りに録画で見て、直後にDVD全巻を予約、5話視聴直後に注文をブルーレイにランクアップした次第です。(ちょっと勝ち誇ってる。)
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拝読しました。 (eminus)
2018-12-26 12:16:42
 「8話は本当に危険なのか?民間南極観測隊は可能性があるのか?」ですね。先ほど拝読しました。とても示唆に富む考察です。コピーして、「資料ファイル」に入れました。情報量が多いので、細かいところはもう少し自分で調べて、裏打ちをしたいと思っていますが……。
 昨年12月の時点で本作に目をつけていらしたとは慧眼ですね。この連載の初めの方でも書いたのですが、ぼくが本作を知ったのは今年(2018年)の9月の終り頃です。11話があんまり褒められてたんで、とりあえずその回だけプライムビデオで観ました。びっくりして、すぐに全話をアタマから観て、そのまま3周くらいしたかなあ。
 ディスクを買ったのは、それから少し経った後ですね。いわゆる「娯楽教養費」はぼくのばあいイコール書籍費なので、これを買うと向こう3ヶ月くらい本が買えなくなる。それで迷ってたんだけど、買いました。その時点でも、たぶん10回は見返してたと思うけど、やはりこのスタッフには「納金」すべきだと思ったので……。アニメたると実写たるとを問わず、映像作品のディスクを買ったのは初めてです。
 ご高察はあくまでも「リアリズム」の見地に立たれた上でのものですね。ぼくのばあい、前にも述べたとおり「物語」としてこのアニメを考えているので、ひょっとしたら、この先の論旨には違和感をおぼえられるかもしれません。「ふーん、そんな見方もあるのか」くらいの感じで、ひきつづきお読み頂けたら幸いです。
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今更訂正。 (古い怪獣映画好き)
2020-11-30 02:38:06
15.9m-9.2m=6.7m
今更気付きましたが何計算間違いしてたんでしょうね。
水上4mくらいの所がキマリ達のいた場所で、2階のベランダくらいの高さ。
波の高さが4mとすると一寸危ない位置に成りそうです。
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8.7mじゃなくて……。 (eminus)
2020-11-30 05:00:25
8.7メートルじゃなく、6.7メートルだったってことですね。ぼくも気づきませんでした。
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