ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

実朝のこと。

2022-10-28 | 雑読日記(古典からSFまで)
 『鎌倉殿の13人』は、ぼくがこれまで観てきた大河の中でも一二を争う面白さで、きわめて完成度も高く、日曜8時が楽しみでならない。たんに毎話のストーリーが面白いというだけでなく、伏線が緻密に張り巡らされているため、「あっ、これがあそこに繋がるのか」という発見の快感がある。本来ならばもっとブログで語りたかった。そうしなかったのは、NHKの報道姿勢に不満があるからだ(国会中継をやらないことなど)。
 ニュースやNスぺでは政治の暗部を取り上げぬどころか、徹底して忌避しているのに、フィクションにおいては権力の怖さ、醜さをこれでもかとばかりに描き尽くす。その対比が興味ぶかいなあと思ってはいるが、べつに企図してのことではなく、たまたまそうなっているだけだろう。それに、描かれるのは頂点における権力闘争だけで、ぼくらの先祖だったはずの民衆のほうにはほとんど目は向けられない。そこは大河の限界だが……。
 それにしても、三谷幸喜という人はいつからこれほど腕を上げたのか。2004(平成16)年の『新選組!』はもとより、6年前の『真田丸』でさえ、さほど感心はしなかった。なにやら、ここまで積み重ねてきた脚本術が飽和点に達し、この一作において咲き誇ったかのようである。マンガ的なキャラ付けや展開も多いが、それをも含めて、当世風の長尺テレビドラマのひとつのお手本といえるのではないか。
 俳優も、ベテラン・中堅・若手そろって魅力的なひとばかりで、泰時役の坂本健太郎はいかにも清新だし、金子大地演じる頼家の焦燥や不安が裏返しになった傲岸さもよかった。そしてなにより、実朝役の柿澤勇人。このドラマをみて実朝に好感を抱かぬ視聴者がいようか。
 劇界に疎いぼくは、これらお三方の顔と名前をこのたび初めて知ったわけだが、頼家、実朝、泰時と並べて、中でいちばん年齢が低い実朝を演じる柿澤さんがじつはもっとも年長だそうだ。本作では10代の前半からを演じているが、初見の際には、「20歳そこそこの新人を抜擢したのかな。」と思った。さすがに10代前半には見えなかったけれど、ぎりぎりティーンエージャーには見えた。しかし調べてみると当年35歳、しかも舞台で場数を踏んだ中堅俳優とのことで、演技力というものの凄さ(むろん演出や美術といったスタッフの力も与ってのことだろうが)を改めて思い知った次第だ。
 さて。ここからはドラマを離れて実朝の話にうつる。すなわちこまではマクラである。だからカテゴリも「映画・マンガ・アニメ・ドラマ・音楽」ではなく「雑読日記(古典など)」に入れておく。


☆☆☆☆☆☆☆


 実朝ファンの文学者は多い。たとえば『右大臣実朝』を書いた太宰治(1909/明治42~1948/昭和23)。


 青空文庫 『右大臣実朝』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2255_15060.html



 これは代表作『駆込み訴へ』におけるキリストを実朝に、ユダを公暁になぞらえたもので、この時期の太宰がもっていた人間関係のモデル像が投影された一作だ。「平家ハ、アカルイ。……(中略)……アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」という一節がとみに印象的で、よくあちこちで引用される。ぼく個人としては『駆込み訴へ』よりもこの中編のほうが膨らみと奥行きがあって好き……というより太宰の全作の中でたぶんいちばん好きである。
 近代日本の批評をつくった小林秀雄(1902/明治35~1983/昭和58)にも「実朝」という名高いエッセイがある(新潮文庫『モオツァルト・無常という事』所収)。
 太宰のもそうだが、小林のこの「実朝」も太平洋戦争下の作品で、時節柄、戦意高揚の翼賛めいた文章でなければ、あとは日本の古典についてくらいしか書く題材がなかったということはあるだろう。しかしいま読むと、有史以来といっていいほどの国難の時期に、2人の優れた文学者が、ニホンという国の歴史を改めて確かめ直しているようにも見える。いずれにせよ、戦時下にある文学者の憂愁と孤独が、一読それとは分からぬかたちで、実朝の境涯に仮託されているのは両作ともに間違いのないところであろう。
(とはいえ、太宰はともかく小林秀雄は、ニッポンの敗戦責任について実になんとも身勝手な発言を残しており、ぼくは一貫してそのことに腹を立てている。しかもその件に関して小林を大っぴらに批判したのはいまもって中上健次とタモリだけである)
 青年期にこの両者から多大な影響を受けた詩人・批評家・思想家の吉本隆明(1924/大正13~2012/平成24)も、ランボーやマルクスやフロイトや親鸞に拘るのと同じくらいに、ずっと実朝に拘っていた。『源実朝』という著作もあり、ちくま学芸文庫に入っている。ぼくはこの評論を他の本で20代の頃に読んだのだが、和歌の素養が乏しいせいもあり、いまひとつ釈然としなかった。いま読めばもう少し理解できるだろうけど、残念ながら手元にない。ただ、有難いことにネットの上にはこのような文章が公開されている。


実朝論 - 吉本隆明の183講演 - ほぼ日刊イトイ新聞
https://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/text-a015.html




 吉本さんが『源実朝』という論考を上梓するのは、1969年に行われたこの講演の後だが、要諦はほぼこの中に尽くされているといっていい。
 和歌の創作や鑑賞にかんする細かい技術論は別として、これほどの巨きな文学者たちが、こぞって実朝に熱を上げるのは、さっきも少しふれたとおり、稀にみる繊細な感性と鋭い知性を持ちながら、「武門の暴力」に絶えず圧迫されつづけ、芸術の世界に半ば逃避せざるを得なかった彼の境涯がいたく同情をそそるからである。吉本さんは西行論もものしているが、実朝はなにしろ三代目の将軍だからスケールが違う。
(ただ、従来の実朝像はいかにもロマン主義的で、近ごろの研究では、彼は武芸は不得手ながらも、将軍としては相当に有能だったとされているらしい。しかし、有能だからといって孤独や憂愁を抱え込まぬものでもないだろう)
 さらに実朝には、「夭折」という属性もある。これもまた文学好きを惹きつけてやまない主題である。
 それで思い出されるのは、終生を通して「夭折」に憧れ(敗戦によって「あらかじめ約束された死」を奪われたために)、ついには高度成長の絶頂期にあって45歳の若さで切腹をした三島由紀夫(1925/大正14~1970/昭和45)のことだが、三島には実朝を扱った作品がない。いや作品がないどころか、文業のなかで実朝に言及している箇所が見当たらない。見落としということもあるので、これからも気を付けて探すつもりだが、ぼくにはこれが不思議でならない。やはりミシマは、「武門」を希求しつつも結局は「公家」であったということか……。
 小林、太宰、吉本、三島に比べれば、失礼ながら知名度は落ちるかもしれないが、ドイツ文学者で小説も書いた中野孝次(芥川賞候補になったこともあるが、一般には『清貧の思想』で知られる)にも、若年のころに実朝を論じたエッセイがある。氏は1925(大正14)生まれ、2004年(平成16年)没。吉本、三島と同年齢だ。すなわち「敗戦によって“あらかじめ約束された死”を奪われた」世代である。いや、「奪われた」という表現は三島由紀夫にのみ当てはまるので、ふつうは「死を免れた」というべきか。しかし、それは後年になってからの感慨で、戦時中の軍国少年の大半は、聖戦完遂のために死んでいくことを自明と思っていたろうし、「誇り」とさえ思っていた(思い込まされていた)者もけして少なくなかったはずだ。
 この中野氏の実朝論もまた、上述の基本線に則っているが、吉本隆明の、綿密ではあるが回りくどい文章よりもよほど読みやすく、評論として洗練されている。講談社文芸文庫から出ていて、品切れのため古書のほうはとんでもない値をつけてはいるが、電子書籍版は手ごろな価格だ。正式なタイトルは『実朝考―ホモ・レリギオーズスの文学』。
(なおホモ=レリギオーススとは「宗教という文化をもつヒト科」といったような意味で、いまの大河で描かれているような衆道(BL)とは無関係なので念のため)。
 さて。歌人としての実朝についての評言で、ぼくがこれまで目にした内で最高のものは、丸谷才一の『新々百人一首』(上下。新潮文庫)の下巻221ページにみえるくだりである。


「大海の磯もとどろによする浪われて砕けて裂けて散るかも」
でも、
「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ」
でも、
「もののふの矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原」
でも、
「いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母を尋ぬる」
でも、
「萩の花くれぐれまでもありつるが月出でて見るになきがはかなさ」
でもなく、






いつもかくさびしきものか葦の屋にたきすさびたる海人の藻塩火






 を掲げて、丸谷さんはいう。


 「注目に値するのは、一首が、『新勅撰集』以下十三の勅撰集に入選しなかつたことである。言語の多義性にもかかはらず、ここにはたぶん王朝和歌の美学を破壊する、その点で現代短歌に通じると言へないこともない、何か危険なものがあった。実朝は王朝の様式美から逸脱して、孤独な、あるいはむしろ自閉的な、生を歌う。定家をはじめとする世々の撰者たちは、その社交性の欠如を拒み続けたのであらう。すなはち現代短歌はこの一首にはじまる。」




 「すなはち現代短歌はこの一首にはじまる。」 これほどの賛辞がほかにあろうか。丸谷さんは、おそらくは小林秀雄いらいの伝統をふまえて、武門の暴力のなかで生涯を送ったかの鎌倉の天才歌人に無上ともいうべき位置づけを与えた。塚本邦雄も大岡信も高橋睦郎も、ここまで実朝を評価してはいない。気難しい国文学者たちの同意を得られているとは思えないけれど、これはぼくが知る中でもっとも麗しい、実朝に向けての言祝ぎである。



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