ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

聖ゲオルギウスとバットマンとを繋ぐもの

2019-11-16 | 物語(ロマン)の愉楽
 前回の末尾でジョーカーおよびバットマンの話を持ち出したが、英雄にして殉教者たる聖ゲオルギウスから、いきなりこのお二人に跳んじまうのもまた乱暴な展開である。ゼミのレポートであれば指導教授から苦笑まじりに窘められるところであろう。ただし論旨の運びは確かに粗いがけっして牽強付会ではなくて、繋がってるのは事実なのである。それもただ類比的に「同一の構造が認められる」というレベルじゃなく、ほんとうに系譜として繋がっているのだ。
 そこをヨーロッパ文化史の文脈を辿ってていねいに跡付けてやればそれこそ浩瀚な論文ができる。きっと面白いものになるだろう。それは現代アメリカの病理の一端を浮き彫りにすることにもなるので、たんに面白いだけでなく社会学的にも意義がある。しかしぼくにはそんな余裕はない。
 だからここではメモの代わりに最低限の手がかりだけを書き付けておこう。いきなり近代から歴史を始めて、固有の確たる神話をもたないUSAは自身のために「キッチュな神話」をつくった。むろん特定の個人なり企業なり組織なりがつくったというのではなく、大衆の欲望と情念を吸い上げながら巨大な説話論的/イメージ論的体系が自ずと形成されていったわけだ。
 それこそがハリウッド映画にほかならない。
 ハリウッド映画の影響力は、州知事どころか大統領までをも生んだことからもわかる。
 たぶんこういう話題については町山智浩さんなんかが詳しいんだろうけど、ぼくが目にしたかぎりでは、あの人の関心は60年代以降に集中していて、創成期~大戦直後あたりまでのハリウッド映画についてのまとまった論考はないようだ。ほかに目ぼしい資料も手元にない。
 資料はないが、ハリウッド映画の歴史において、「聖ゲオルギウスとバットマンとを繋ぐもの」といえば、そりゃ常識で考えて「西部劇」だろう。いまはテレビで目にするのも稀だが、ぼくが子供の頃にはしょっちゅうやっていた。当時は「日曜洋画劇場」「月曜ロードショー」「水曜ロードショー」「金曜ロードショー」などと、まさに連日テレビで洋画を放映してたのだ。ネット配信やDVDはおろか、ビデオすら普及してなかった頃には、テレビの洋画枠は貴重で、西部劇もそんな洋画枠のコンテンツのひとつだった。
 ぼくは西部劇に興味がない。ゆえに巨匠ジョン・フォードの作品もほとんど観てない。蓮實重彦いこう、ジョン・フォードを知らずして映画を語ることは許されなくなった。だからそもそも西部劇を……というか、ハリウッド映画、いや現代映画を不用意に語ってはいかんのだけども、そんな事を気にしてちゃブログなぞやってられんのである。だから西部劇についてもどんどん語る。
 どんどん、といってもここでいうべきことはあまりない。西部劇には必ず保安官が登場する。銃を携えた荒くれ共に伍して、街の正義と治安を守るヒーローだ。代表する役者はジョン・ウェイン。
 この「保安官」こそが、聖ゲオルギオスとバットマンとを繋ぐ直近のキャラ類型に違いない……というわけで、本日はばたばたしていて時間がないのでここまで。





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