ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

21.08.16 おぼえがき 文学は実学である。

2021-08-16 | 純文学って何?
 Twitterを見ていたら面白かったので、とりあえずまとめてみました。ひさびさに「純文学って何?」カテゴリの記事ですよ。
 ぼく自身の意見はまた後日。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆








もう二度と「文学の時代」は戻らない……だからこそ文章を書く人に求められること
著者は語る 『文学は実学である』(荒川洋治 著)
https://bunshun.jp/articles/-/41688





著者(荒川さん)のことばの一部を抜粋


「文学部を出た人は、歩いていても、わかります。ぼんやりしている。文学部、文科系の人は、いつも、漠然と、人間について考えつづけてきた、というところがあります。つまり、〈人間〉の研究をしているんですね。いまは、これまでの方法では、解決できない問題が多い。社会が壁にぶつかったとき、いざというとき、文科系の人は、人間性にもとづく、いい判断ができ、大切な、必要なはたらきをすることがあります。人間についての総合的な認識や感性をもつことが大切で、文学が『実学』である、というのは、その側面をとらえてのことです。この『実学』は、文学ではないものに求めることもできます。言葉を身体の中で作用させなければならないから、音楽では担えないんです。そういう意味では、哲学・思想にも頑張ってもらいたいですね。」


「いろんなメディアが発達したこともあるし、読書は、他人が書いたものを読むという行為ですよね。でも今の人は、他人に興味がない。自己愛が強くなったのか、あるいは逆に、小さくなったのかもしれない。本来の健全な自己愛の構造は、まず自分があって、そこから親の世代への興味、祖父母の世代の興味へと遡り、過去との繋がりに学んでいくんです。文学はほとんどが、過去を書くものです。でも今は、世代が断絶していて、過去に学ぶこともなくなっています。」


「文学が偉くなくなったからこそ、〈文学とは何か〉という根本的で、本質的なことが問われる、試されている時代だと思います。だからこそ面白いし、やりがいがあります。また、時代の先行きが見えなくなると、人は自分自身に立ち戻ります。そういう点で、文学は多少持ち直している気がします。ただ、もう二度と、いわゆる文学の時代は戻ってこないでしょう。ところが、そんなことは関係なく、文学は消えずに存在しつづけるとも思います。」




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




Twitterより




小説創作で学ぶ 文章の技術(文芸社 通信講座)
@writeinprose
7月2日
「この世をふかく、ゆたかに生きたい。そんな望みをもつ人になりかわって、才覚に恵まれた人が鮮やかな文や鋭いことばを駆使して、ほんとうの現実を開示してみせる。それが文学のはたらきである」(荒川洋治「文学は実学である」)




あいすカフェオレ@意識低い系読書
@cafeaulaitice
6月12日
『文学は実学である』荒川洋治
情報過多の時代、文学の力を侮ってはいけないと思いますよ。
“ 一冊の本を手にするということは、どうもそういうことらしい。自分の中に何かの「種」、何かの「感覚」、おおげさに言えば何か「伝統」のようなものが、芽生えるのだ。”




Pan Traductia
@PTraductia
7月30日
この一年ほど、政治家がかかわる問題や事件を見て思うのは、想像力の乏しい人が多いこと。たぶん、文学とは縁遠いんだろうな。文学は実学ですよ。仮定の問題にも答えられる思考力も、失言を防ぎ誤解されないようにする言語力も養える。




星野直彦@まぶしい社長
@HoshinoNaohiko
8月6日
文学は実学であるとは、まさに至言。虚言などではないし、実際には全ての学問は実学であると言っても過言ではない。
此処にあるように、想像力喚起の出来ない人間が問題解決に当たることの危険性は高いと言うこと。




Pan Traductia
@PTraductia
7月31日
若い頃に文学に接するのはごく自然なことなので考えに入れなくていい。いつまで、どこまで、という話。たとえば、イギリスの19世紀以降からだけでも、公務の傍ら詩人や劇作家として活躍した閣僚を数え上げていくと、結構な数になる。明治以降の日本ではどうか。調べると面白いことだろう。


Pan Traductia
@PTraductia
7月31日
例示しやすいので文学と書いたが、表現活動全般と考えてもらえれば。美術、映画、アニメ、音楽、演劇、漫画、いずれも入る。接しているか、好きかどうか、というだけの浅い話をしてもいない。


Pan Traductia
@PTraductia
7月31日
「文学が実学であるか」ではなく「その人が文学を実学として扱えるか」という、個々人の問題。政治家に限定せず。




Pan Traductia
@PTraductia
8月13日
前に「文学は実学」と言ったが、実学という言葉では伝わりづらいなら、基礎工事と言ってみよう。個人が個人であるための、そして、個人と個人がつながって社会を築くための。見えないからといって、捨てコンクリートやパイルで手を抜いたら、どんなに美しい外観の建物でも、倒壊します。




nakas17
@nakas171
7月5日
返信先:
@ShinHori1
さん
明治政府はあれだけ富国強兵が急がれている時期に教育の前のめりに走らなかった。アホみたいな実学優先に傾くことなく初等教育を固めることにも力を注いだし、基礎学問や哲学文学が重要なこともわかっていた。現政府の明治礼賛は驚くほど浅薄で無知にあふれている。






☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




佐藤優BOT
@satoumasaru_bot
7月18日
神学は虚学だと思うんです。神学から見ると理学も、工学も、法学も、文学も、経済学もすべて実学なんです。私は虚学と実学のバランスが取れてはじめて総合知が生まれると思うんです。






学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。
古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。
実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。
福沢諭吉『学問のすゝめ』より






勉強たん
@Lets_study_bot
6月9日
「知識は重要だが、有用でなければならない」とはマサチューセッツ工科大学に息づく伝統のこと。ここから実学、すなわち成果の見やすい工学や医学と成果の見にくい虚学、文学や天文学との対比が見て取れるわね。実学を重視する人も多いけど、虚学という土台のもとに成立している以上、どちらも重要よ。





逢坂誠二 立憲民主党
@seiji_ohsaka
文化芸術を大切にすべきと考えるのは、目先の利益や損得だけでは得られない、それが人の心を豊かにし、他者を尊重し意思疎通を図り、創造力や感性を育むための糧となり、人間に不可欠なものだからです。ゆとり、思いやり、優しさ、慈しみなど、今だけ自分だけ金だけの世の中だからこそ必要なことです。




コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。