ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

「お話」としての物語について。②

2017-09-08 | 物語(ロマン)の愉楽
 イギリスの作家ケン・フォレットが20世紀の激動のヨーロッパを描いた大河ロマン「巨人たちの落日/凍れる世界/永遠の始まり」の「100年三部作」(全11巻。ソフトバンク文庫)に感銘を受けた。これまで長らく自分にとって「文学の基準線」は大江健三郎だったが、それがケン・フォレットに取って代わるくらいの勢いだった。
 それに伴い、「純文学至上主義」がぐらついて、これまで「物語」だと軽侮していたもの、すなわち大衆小説、娯楽小説を熱心に読むようになった。むしろ純文学より、こちらこそが文学の本道ではないか。今やそんなふうにさえ思っている。
 という話を前回やった。
 ケン・フォレットを「文学の基準線」に据えるとは、ケンさんを神棚に祭ってほかを退けるという話ではない。逆だ。物差しなんだから、どしどし使わなきゃいけない。ケン・フォレットを物差しにすると、大江文学ははるかに高い。そして深い。しかしそのぶん、神経が細かすぎ、インテリくさすぎ、関心の領域が偏りすぎている、とも言える。いまどきの一般読者からすれば、高尚すぎるということになろう。
 ケン・フォレットの作品が通俗だってことは論を俟(ま)たない。しかし、大江さんと並ぶ現代ニホン最高峰の作家・古井由吉さんは、「純文学をやってる者は、とかく通俗小説をバカにするけど、俗に通じるってことは、ほんとはとっても難しいんだ」と言っておられた。ぼくがケン・フォレットに敬意を払うのは、まさに俗に通じているがゆえである。
 俗に通じるとは、「卑しい俗情に媚びてやる」ってことではない。「ふつうの大人が読むに堪える」ということだ。日々心身をすり減らしながら、この世知辛い浮世を渡っているわれわれが、すんなりと感情移入できる小説。そういうことである。大人が読める小説を書けるのは大人だけだ。
 「100年三部作」を読むと、作者自身の人生体験に加えて、社会や政治や経済や歴史や風俗についての幅広い知見の蓄積を感じる。もちろん綿密な取材もしてるんだろう。世の中と人間の裏面について、あるいは暴力や悪意についての考察も怠りない。そのうえで、さまざまなキャラが縦横に絡み合いながら豊かなストーリーを織り成していく。文章は簡潔で飾り気はなく、しかし必要なことは的確に伝える。これぞ小説ほんらいの魅力ではないか。
 ケン・フォレットを好きなのは、大衆小説や娯楽小説に往々にして見られるような、「ストーリーの面白さのために肝心の人間性を犠牲にする」ところが殆ど見られないからだ。ちなみに、これに関して真っ先に思い出すのは綾辻行人の『十角館の殺人』(講談社文庫)だ。どんでん返しをやりたいために、あれだけの血を流すとは。何ちゅう幼稚な話であろうか。あんなのが混じってるから、ぼくは推理ものを好きになれんのだ。
 ただ、『十角館の殺人』みたいなものは、明治この方の「近代小説」ではなく、江戸期の「戯作」の変種として捉えるべきかもしれない。嫌味ではない。「近代小説」ではなく「戯作」として評価するならば、『十角館の殺人』はなかなかの作だ。
 いきなり話が大きくなるが、文学の祖型はそもそも神話だ。それが流れ下って昔話や伝説となり、人々の口から口へと語り継がれる。いっぽう文明化した社会では、長短さまざまの詩や戯曲、随想録のような散文などが発達し、優れたものは文献となって残された。けれども、いわゆる中世から近世にかけて、「人間」なるものを濃やかに描いた作品はない。まあ源氏物語、『神曲』、シェイクスピア、『ドン・キホーテ』といった巨大な例外はあるけれど、それらが山脈を形成したわけではない。制度としての「小説」が成立したのは、やはり「近代」になってからである。近代になって近代小説が成立したなんて言ったら、これは同義反復(トートロジー)だけど。
 近代以前、つまり近世、つまり江戸期の日本においては、戯作が読みものの中心だった。町人や下級武士たちはそれを読んだ。知識人たちは漢文の世界に生きていたが、漢文で物語が綴られたわけではない。それは学問と詩のための道具だった。馬琴だって漢字かな交じり文で物語を書いたのだ。明治維新がきて、「西欧」がどっと流入し、新しい時代にふさわしい新しい「読みもの」が必要となったとき、何人かの俊英たちが苦心惨憺してそれに応えた。そのときに「自我」や「内面」や「私」、さらには「風景」「告白」といったものがつくられた。むろん直ちにできあがったのではなく、たくさんの人々(必ずしもそれは文学者とは限らない)の手を経て、少しずつ形成されていったわけだけれども。
 「自我」や「内面」や「私」の形成に携わったのだから、明治から大正期の(純)文学者たちはもともと精神世界に近いところにいた。べつにスピリチュアル系って話じゃないけど、少なからぬ人が「キリスト教」に近いところにはいたのである。ぼくが前回の記事で告白(笑)したように、今日においてなお、純文学が宗教(的なるもの)の代替となりうる要素は揺籃期にあったということだ。
 ともあれ、「近代的自我」をもったキャラクターを確立するために、(純)文学はストーリーの面白さを蔑ろにした。そうしなければならなかったのだ。「筋(物語)」と「キャラ」とを比べたら、物語のほうが強いから。だって、神話以来の伝統をもってるんだから。昨日きょう成立したばかりの「人間」が、これに敵うわけがない。モノガタリを思う存分繰り広げたら、キャラはそこに取り込まれ、ただそれを前に進めるだけの傀儡(かいらい)となってしまうだろう。初期の(純)文学者たちはそれを恐れた。かくて、「私小説」が生まれた。
 物語論の見地からいえば、私小説とは、「物語の誘惑をできうるかぎり排した小説」と定義できるかもしれない。しかしそれでも、そこに何人かのキャラが出てきて何らかの行動をしたり会話をしたりする以上、ロラン・バルトが『S/Z』(みすず書房)でやったような繊細にして緻密きわまる分析を施せば、否応なしに「物語」は抽出されてしまうだろう。それが物語の真の怖ろしさなのだが、こんな話は専門的すぎるから今はいい。
 横光利一みたいな人は、「傀儡(あやつり人形)ではない生きたキャラと面白いストーリーは両立できる」と唱え、自分でもそれを実践した。後世の批評家の中には厳しいことをいう人もいるが、そういう人に限って自分では小説を書かない。ぼく個人は、横光さんは健闘したと思っている。
 ぼくのばあい、かなり長期にわたって「純文学」という箱庭に居り、ここにきてむやみに大衆小説、娯楽小説、エンターテイメント小説を読み漁っているので、かえって「純文学」の特異さが際立って見える。今も昔もリアリズムに依拠する純文学の誠実さ、志の高さは美しい。ただ、もうちょっと物語の誘惑に身を委ねてもいいんじゃないか。難しいところではあるが。


「お話」としての物語について。①

2017-09-08 | 物語(ロマン)の愉楽
 前回はあれこれ書いたが、ふつうに「物語」と聞いたなら、誰しもが思い浮かべるのは「お話」だろう。もちろんそれは誤りではない。前回やった議論のほうが、むしろ特殊だといえる。
 「文学」といえば、これは大学に「文学部」ってものがある。最近は、「文学なんてやったって何の足しにもならねえ。生徒も集まらねえ」ということで、名称も中身も変わりつつあるようだけど、それでも東大や京大から文学部がなくなることはないだろう。明治この方、国立一期校における「文学部」は、研究機関としても教育機関としても、多大な力を持っていたからだ。しかしこれは別の話なので、別の機会にしましょう。
 ともあれ、「文学」である。「文学部」もあれば、「純文学」ってのもあり、とかくお堅いイメージがつきまとう。
 「小説」はどうか。これは「文学」よりはとっつきやすいが、それでも「物語」のほうがさらに楽しそうだ。シンプルに「読んで面白いお話」という感じがする。
 ハリー・ポッター・シリーズは「文学」か「小説」か「物語」か? この三択なら、間違いなく物語だろう。
 3年前にこのブログを始めたとき、ぼくは「物語批判」をやってたんだけど、それは前回やったような「大きな物語」の批判であると共に、「お話」としての「物語」の批判も兼ねていた。つまり大衆小説、娯楽小説、エンターテイメント小説のことである。むろんハリポタも含む。
 大衆小説、娯楽小説、エンターテイメント小説に対立するのは「純文学」だ。もともとぼくは純文学に対し、信奉に近いくらいの思い入れがあった。「物語」を貶(おとし)めて「純文学」を賞揚しよう、というのが当ブログの方針だったのである。
 しかし読み返してみると、『「大きな物語」に対する解毒剤としても、純文学はすごく有効なんだぜ。』てなことも書いている。
 つまりまあ、「大きな物語」に対する批判と、大衆小説、娯楽小説、エンターテイメント小説に対する批判とが、ごっちゃになっていたわけだ。双方を一緒くたにしたうえで、「純文サイコー。純文学はこんなにクールだぜ。みんな物語にばかり溺れてないで、もっと純文学を読みましょう」と訴えていた。大体そんな感じである。
 「なんか強引だよなあ」と当時から感じてはいた。70年代くらいまでならともかく、今日の純文学にそれほどの力はない。だいいちほとんど読まれない。ぼくがブログで何を書こうが、読まれないものは読まれない。というか、そもそもぼくのブログが読まれない。
 それにやっぱり、「大きな物語」と「大衆小説や娯楽小説やエンターテイメント小説」とが区別できてないのはいかんよなあ、とも思っていた。
 「戦後短篇小説再発見を読む。」のシリーズを始めてからは、「大きな物語への批判」はどこやらへ行って、エンタメ批判ばかりになった。どだいノンポリの文学バカなんだから、あるべき姿に戻ったといえる。
 さっきも言ったが、純文学に対して、ぼくは長らく信奉に近い思いをもっていたのである。誇張ではなく、特定の信仰を持たないぼくにとり、それはほとんど宗教の代替であったかもしれない。これはあながち幼稚な錯誤でもなくて、「純文学」という制度は、ある種の性向をもった個人にとって、宗教の代替となりうるくらいの力をもつのだ。もちろんそんなカリスマ性は、今日ではどんどん薄れているが。
 『火花』ブームもあったけど、純文学業界ぜんたいからすれば、まさに火花みたいなもんだった。いちじ又吉直樹よりもテレビに出まくっていた羽田圭介ともども、純文学の値打ちがまたひとつ下がった感すらある。
 ぼくは十代の頃から(はっきりと年度は特定できる。高2の夏だ)純文学に入れ込んでおり、30年近くにわたって、書くのも読むのも、ほぼ純文一辺倒だった。しかし、それまではそうじゃなかった。
 本好きなのは間違いなかった。子供の頃から手当たり次第に読んでいた。小学生の時の愛読書は漱石の『猫』と最近になってドラマ化された獅子文六の『悦ちゃん』。SFも読んだ。中学に上ると近所の図書館に行って森村誠一、笹沢佐保、平井和正、大藪春彦、ほかには名前は覚えていないが、アンテナに引っかかったやつを次から次へと借りては読んだ。西村寿行まで読んだ。よく貸してくれたものである。初期ドタバタ時代の筒井康隆ももちろん読んだ。
 はっきりと意識してではなかったにせよ、小説(物語)なんておしなべて暇潰しだと見なしていた。難しくいえば、「消閑の具」というやつだ。難しくいっても同じことで、ようするに小馬鹿にしてたのだ。
 理系に進むつもりでいたので、高校に入ってからもその考えに変わりはなかった。それが高2の夏、学校の図書室で大江健三郎の「死者の奢り」と吉行淳之介の「驟雨」と小川国夫の「アポロンの島」に出会い、いっぺんにブンガクにのめり込むこととなった。「信仰」はその時から始まったのである。
 それまでにもっぱら読んできた大衆小説、娯楽小説、エンターテイメント小説と、「死者の奢り」や「驟雨」や「アポロンの島」とは、どこが違っていたのだろうか。まず文体が違った。繊細で緻密で余韻があった。そして登場人物の内面が違った。ずっと豊かで屈折していて深かった。ここに自分の本来いるべき場所がある、と高2のぼくは思ったし、いつか自分もこういう作品を書きたいと思った。たぶんそこからすべてが始まっている。
 それ以降まるっきり大衆小説、娯楽小説、エンターテイメント小説に手を出さなかったとは言わないが、読む量が激減したのは確かだ。ほとんど読まない。しかし映画、ドラマ、マンガ、アニメは好きだった。コトバで書かれてはいなくとも、これらが「物語」であるのは間違いない。むしろより濃厚に「物語」であるだろう。いま思えば、そうやって「物語」への飢えを満たしていたのだ。
 20世紀が終わってゼロ年代に入ったあたりから、爆発的、といっていいほどの勢いでエンタメ作家が増えてきた。ぼくの子供の頃なんて、上に列挙した人たちを含めて大衆小説のプロなんて200人くらいだったんじゃないか。その大半が松本清張をはじめとする推理小説か、司馬遼太郎・池波正太郎をはじめとする時代小説で、あとSFが一握り、といった按配。いずれにも属さぬ五木寛之、井上ひさし、城山三郎、新田次郎のような人たちのものは、「中間小説」と呼ばれていたはずだ。
 ゼロ年代あたりから爆発的にエンタメ作家が増えたのは、戦後ニホンが、小説以外にもそれこそ映画、ドラマ、マンガ、アニメなどによって膨大な量の物語を供給し、その肥沃な土壌のうえに多くの才能が花開いたってことなんだろうけど、ファンタジー系、ホラー系、さらにゲームとタイアップしたラノベ系、はてはケータイ小説、ネット上での二次創作にまで膨張すると、もはや読むどころか全体像を掴むことすらできない。勝手にしやがれ、という気分で、ぼくはますます純文学の孤塁に閉じ籠ることになる。
 ぼくのばあい、テレビと縁を切ったこともあって映画、ドラマ、アニメからは遠ざかり、『MASTERキートン』『蒼天航路』『鋼の錬金術師』といったマンガに夢中になりながら、いっぽうで純文学、詩、古典、評論、哲学書、歴史書を読む、といった変則的な読書ライフになった。エンタメ小説だけは読まないのである。「物語」への飢えはマンガで満たしつつ、海外のものと日本のものとを問わず、エンタメ小説には手を出さない。頑なだった。そういう時期が30年近くも続いたのだ。
 あれはしかし、フロイトのいう「抑圧」であった気がする。関心があるのに、無理をして抑えつけていたのだ。不健康な話なのである。
 その抑圧から解き放たれて、あたかも「高2の夏」以前に戻ったかのように、またエンタメ小説が好きになった。それが6、7年前だ。山田風太郎の『明治小説全集』(ちくま文庫)、そしてケン・フォレットの『大聖堂』(ソフトバンク文庫)がきっかけであった。ことにケン・フォレットには感銘を受けた。純文学の感覚からすると文章は粗い。キャラもけっして深くはない。まさに通俗。しかしそれがなんだというのだ。むしろこれこそ文学の本道じゃないか。
 今年の7月、ケン・フォレットが20世紀のヨーロッパ史を描いた「巨人たちの落日/凍れる世界/永遠の始まり」の「100年三部作」を読んだことにより、「これが文学の本道じゃないか」という思いはより強くなった。それまでは大江健三郎であった自分のなかの「文学の基準線」が、ケン・フォレットに取って代わるくらいの勢いだった。個人的には、コペルニクス的転換といっていい。
 これに伴い、自分の中での純文学と「物語」、すなわち「大衆小説、娯楽小説、エンターテイメント小説」との関係も、自ずと転換を迫られた。それでこのところずっと、物語のことを考えている。前回やった「大きな物語」ではなくて、シンプルな、「お話」としての物語である。