ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

ひきつづき絵画の話。

2017-09-30 | 物語(ロマン)の愉楽
 ひきつづき、泰西名画のお話を。
 いわゆる現代絵画の源は印象派だ。印象派の登場により、「絵画とは、現実の世界をできるかぎりありのままキャンバスのうえに写すもの」とする絶対の前提が揺らぎはじめた。表象するもの(絵)と表象されるもの(現実世界)とのあいだに、画家の主観を介在させてこその「作品」ではないか、という思想が行きわたるようになったのである。これには同時代における写真機の発達も大きく与っていたといわれる。目に映った光景をリアルに再現するだけなら写真に任せておけばいい。画家にはもっとやるべきことがあるはずだ。

 かくしてセザンヌ、ついでマティス、ピカソ、ジョルジュ・ブラックのように、「現実世界を映すのではなく、キャンバスのうえに画家が自らの世界を再構築する」アーティストがあらわれる。ここからジャクソン・ポロックなどの抽象表現主義まではあと数歩だ。



 (図像は上から、マネ、セザンヌ、ブラック、ポロック)


 用語の厳密な定義からすると厄介なところもあるが、このような動きを「モダニズム」と総称してもいいだろう。それはもとより現代芸術の他のジャンルとも並行しており、文学もまた例外ではなかった。たんじゅんな類比は難しいけれど、やはりジョイス、プルースト、カフカあたりが相当するであろうか。これ以降、「何を書くか」ではなく「いかに書くか」が現代小説のテーマとなっていく。ただ、これは純文学のそれも最尖端にかかわる話で、エンタメ小説においてはこの限りではない。

 エンタメ小説ってものは、まるでモダニズムなどなかったかのように、それと意識しないまま、19世紀小説をダイレクトに受け継ぐ。バルザック、ディケンズ、E・A・ポーあたりである。真正のモダニズムなんて、しょせんはインテリのためのものなのだ。ただし超一流のエンタメ作家は、「これを使えばもっと面白くなりそうだぞ」と思えば、貪婪に新しい手法を取り入れる。ぼくをも含めて、現代日本の読者たちは「不条理」をカフカより先に、「言語実験」や「意識の流れ」をジョイスより先に、筒井康隆という偉大なエンターテイナーから学んだ。それもお勉強としてではなく、げらげら笑いながらである。

 話を絵のほうに戻すと、高度大衆消費社会におけるビジュアル表現の主流もやはりモダニズムではなく19世紀絵画の嫡流である。つまりマンガやアニメのことだ。抽象表現主義で描かれたマンガだのアニメなんて見たことも聞いたこともない。浦沢直樹も井上雄彦も、宮崎駿も新海誠も、あくまでも19世紀絵画の延長線上で作品をつくる。フォルムを備えた人間(キャラ)が、舞台の中で動き回ることで繰り広げられる作品世界だ。パースがきっちり取られていて、デッサンが緻密であればあるほど「巧い絵」と呼ばれる。なんら不思議はない。人間ってものはもともと目に映る世界を鮮やかに再現したビジュアルを見るのが好きなんだと思う。ぼくも「巧い絵」で描かれたマンガやアニメが大好きで、昨年の今ごろは「君の名は。」に夢中だった。

 されどマンガやアニメはともかく、いわば「純文学業界」に当たるアカデミックな美術研究においては、印象派~モダニズムこそが「現代芸術」であるという常識がもちろん強い。それゆえに、「ただただ巧い絵」や「うっとりするほど綺麗な絵」を「うまいなあ」「きれいだなあ」と嘆賞しながら愛でる行為が軽んじられてきたし、今もその風潮はある。しかし人間ってのは上に述べたように「巧い絵」「綺麗な絵」が根っから好きなのだし、そもそも人類の歴史の中ではモダニズムなんてつい最近の話であり、ただもう絵を前にして「ああ巧い」「ああ綺麗」と呟きながら陶然としていた期間のほうが圧倒的に長かったのである。

 だからもっとアカデミズムのほうでもモダニズム/印象派以前の絵を大衆向けに論じるひとが出てこないかなあと思っていたら、10年ほど前から中野京子という方が「怖い絵」という切り口によってそんな仕事をはじめた。この方は専門の美術研究者ではなく、ドイツ文学者/西洋文化史家である。一枚の絵を題材にして、その裏に秘められた物語やエピソードを読み解いていく。そこに「恐怖」がからまっているのがミソだ。恐怖は人間の根源的な情動だから。前回紹介した「レディー・ジェーン・グレイの処刑」も、中野さんが企画にかかわる「怖い絵」展のために招聘されたものである。

 このような流れのなかで(と言っていいと思うが)、池上英洋という美術史家が2014年に『官能美術史』という本を出された。「ちくま学芸文庫」のオリジナル企画だが、好評であったらしくその後『残酷美術史』『美少年美術史』『美少女美術史』と続いて、現在4部作となっている。こちらは「恐怖」ではなく人間のもうひとつの根源的な情動「エロス」を切り口としているわけだが(まあ『残酷美術史』だけはむろん恐怖寄りだし、「怖い絵」とかぶるところも多いけど)、とても有意義な試みであり、これによって絵画史のみならず西欧精神史そのものへの理解も深まる。もっともっとこの手の本が増えていってくれればと願う。