このたび文庫になった筒井康隆『創作の極意と掟』(講談社文庫)はとても面白く、役にも立つけれど、ご本人が「これは老作家の繰り言みたいなもの」と書いておられるとおり、「教科書」と呼ぶには物足りない。
では、いまどきの若者が小説を書きたい、できれば作家になりたいと思ったとき、教科書たりうる本ってなんだろう。
むろん、いい小説を書くには、ひたすら読み、ひたすら書くしかないのだが、それはそれとして、の話だ。
プロの作家が書いたその手の本でぱっと思いつくのは、
高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』(岩波新書)
島田雅彦『小説作法ABC』(新潮選書)
辻原登『東京大学で世界文学を学ぶ』(集英社文庫)
保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』(中公文庫)
クーンツ『ベストセラー小説の書き方』(朝日文庫)
キング『書くことについて』(小学館文庫)
村上春樹『職業としての小説家』(新潮文庫)
といったところだろうか。それぞれに面白いし、ことにキングの本はパワフルで即効性がある。しかしやっぱりどれも、教科書と呼ぶのははばかられる。どこか過剰であったり、いびつであったり、脱線したり。それこそが作家の作家たるゆえんなのだが。
古いところでは大江健三郎さんの『小説の方法』(岩波同時代ライブラリー)と『新しい文学のために』(岩波新書)。ぼくなんか20代の頃ぼろぼろになるまで読んだ。このうち『新しい文学のために』のほうは、30年近く経った今でも新刊で売っている。
ほかには岩波文庫から、ボルヘスやカルヴィーノといった錚々たる巨匠の文学講義録が何冊も出ている。巨匠による講義といえば、その名もずばり『ナボコフの文学講義』(河出文庫)というのもある。
まあ、この手の本を読み漁ったからってプロになれるわけじゃないのは、わが身を振り返ってみれば明らかですけどね。キングとかクーンツなら、「そんなものに費やす暇があるなら、君自身の作品を一ページでも一行でも前に進めろ」というだろう。
ごもっとも。ただ、そうやって書き上げた代物がいっこうに商品価値を認められぬから、いつまでたっても「入門書」から縁が切れないわけである。
この話に深入りすると暗くなる。いったん忘れて、ブックガイドに戻ろう。
「この一冊」というならデイヴィッド・ロッジ『小説の技巧』(白水社)か。ロッジはイギリスの現役作家で、大学で教えていたこともある。新聞に連載したのをまとめた本で、よみやすい。ただ、単行本だからちょいとお高い。
ぼくがいちばん感服したのは渡部直己『日本小説技術史』(新潮社)だが、これはあまりにも高度過ぎて、精読すると「もう小説なんて書かなくていいや」という気分になってしまう。これではいけません。値段ももっと高いし。
キングとかクーンツなら、「作家を志す者にとってはむしろ有害。絶対読むな」というかもしれない。そう言われても面白いので読んじまうだろうけど。
それやこれやで思い出したのは、廣野由美子『批評理論入門』(中公新書)だ。「批評理論」と銘打っているが、大学でのレポートのためだけでなく、実作のためのヒントが詰まっている。12年前に出たのだが、これだけコストパフォーマンスのいい本はいまだにないと思う。もちろん新刊で売っている。
副題が『フランケンシュタイン』解剖講義。メアリー・シェリーのあの有名な「フランケンシュタイン」を題材にして、小説技法、ならびに現代批評理論をわかりやすく紹介してるのだ。著者は現在、京大の教授である(本著の執筆当時は助教授)。やはり「教科書」を書くのは学者の仕事だ。
第一部が「小説技法篇」、第二部が「批評理論篇」。実用的なのは第一部だが、第二部のほうも知っておいて損はなかろう。ロッジの本にはこちらの要素が欠けていた。
ついでにいうと、フランケンシュタインは博士の名前だから、「フランケンシュタインの(創った)怪物」が正しい(でもめんどくさいので皆わかってはいてもそうは書かない)。原作は今も新潮文庫ほかで入手可だ。
ざっくりいえば通俗小説なんだろうけど、そうとばかりも言えない多義性を孕んでおり、それゆえに題材に選んだ、と廣野さんは書いている。むろん新書なんだから、一般受けする題材を、という配慮もあったろう。
これは廣野さんとは関係なく、ぼくが勝手に言うことだが、フランケンシュタイン(の怪物)は、19世紀ロマン主義の産物であり、その美学は現代日本のエンタメにも滔々と流れ込んでいる。
石ノ森章太郎の「サイボーグ009」やその変形としての「仮面ライダー」、あれもフランケンシュタインの末裔だ。仮面ライダーなんて、いまだに毎年バージョンチェンジして日曜の朝を賑わせている。もはや改造人間ではないらしいので、フランケンシュタイン的色合いは薄れてるけど、しかし根源が19世紀ロマン主義にあったことは間違いない。本来なら、石森プロはメアリー・シェリー女史に足を向けては寝られない。
もちろん廣野さんは、そんな下世話なことには言及せず、アカデミズムの枠内で、整然と論を進めている。そこは大学の先生である。第一部では、冒頭、ストーリーとプロット、語り手、焦点化、提示と叙述、時間、性格描写、アイロニー、声、イメジャリー、反復、異化、間テクスト性、メタフィクション、結末、という15の基本用語(=基本概念=基本技術)が簡潔かつ明晰に説明され、小説を読む、あるいは書くための道具がひととおり揃う。
第二部では、伝統的批評、ジャンル批評、読者反応批評、脱構築批評、精神分析批評、フェミニズム批評、ジェンダー批評、マルクス主義批評、文化批評、ポストコロニアル批評、新歴史主義、文体論的批評、透明な批評、といった、当節の主な批評理論が解説される。
こういうのはまあ、キングやクーンツなら「どーでもいいんだよそんな眠たい話はよー」と一蹴するところかも知れないが(さすがにそこまで下品な言い方はしないか。すいません)、有意な作家志望者ならば、知っておいてけして損はあるまい、と思うわけである。
この本を手元に置いてじっくり読む。あとはもう、純文学とエンターテイメントたるとを問わず、国産たると翻訳ものたるとを問わず、古典たると近現代文学たるとを問わず、ひたすら読み、ひたすら書く。それでもって、才能があって運がよくって売り込みの労を惜しまなければ、いつの日かプロになれるんじゃないでしょうか。なったことがないので断言はできませんけども。
では、いまどきの若者が小説を書きたい、できれば作家になりたいと思ったとき、教科書たりうる本ってなんだろう。
むろん、いい小説を書くには、ひたすら読み、ひたすら書くしかないのだが、それはそれとして、の話だ。
プロの作家が書いたその手の本でぱっと思いつくのは、
高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』(岩波新書)
島田雅彦『小説作法ABC』(新潮選書)
辻原登『東京大学で世界文学を学ぶ』(集英社文庫)
保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』(中公文庫)
クーンツ『ベストセラー小説の書き方』(朝日文庫)
キング『書くことについて』(小学館文庫)
村上春樹『職業としての小説家』(新潮文庫)
といったところだろうか。それぞれに面白いし、ことにキングの本はパワフルで即効性がある。しかしやっぱりどれも、教科書と呼ぶのははばかられる。どこか過剰であったり、いびつであったり、脱線したり。それこそが作家の作家たるゆえんなのだが。
古いところでは大江健三郎さんの『小説の方法』(岩波同時代ライブラリー)と『新しい文学のために』(岩波新書)。ぼくなんか20代の頃ぼろぼろになるまで読んだ。このうち『新しい文学のために』のほうは、30年近く経った今でも新刊で売っている。
ほかには岩波文庫から、ボルヘスやカルヴィーノといった錚々たる巨匠の文学講義録が何冊も出ている。巨匠による講義といえば、その名もずばり『ナボコフの文学講義』(河出文庫)というのもある。
まあ、この手の本を読み漁ったからってプロになれるわけじゃないのは、わが身を振り返ってみれば明らかですけどね。キングとかクーンツなら、「そんなものに費やす暇があるなら、君自身の作品を一ページでも一行でも前に進めろ」というだろう。
ごもっとも。ただ、そうやって書き上げた代物がいっこうに商品価値を認められぬから、いつまでたっても「入門書」から縁が切れないわけである。
この話に深入りすると暗くなる。いったん忘れて、ブックガイドに戻ろう。
「この一冊」というならデイヴィッド・ロッジ『小説の技巧』(白水社)か。ロッジはイギリスの現役作家で、大学で教えていたこともある。新聞に連載したのをまとめた本で、よみやすい。ただ、単行本だからちょいとお高い。
ぼくがいちばん感服したのは渡部直己『日本小説技術史』(新潮社)だが、これはあまりにも高度過ぎて、精読すると「もう小説なんて書かなくていいや」という気分になってしまう。これではいけません。値段ももっと高いし。
キングとかクーンツなら、「作家を志す者にとってはむしろ有害。絶対読むな」というかもしれない。そう言われても面白いので読んじまうだろうけど。
それやこれやで思い出したのは、廣野由美子『批評理論入門』(中公新書)だ。「批評理論」と銘打っているが、大学でのレポートのためだけでなく、実作のためのヒントが詰まっている。12年前に出たのだが、これだけコストパフォーマンスのいい本はいまだにないと思う。もちろん新刊で売っている。
副題が『フランケンシュタイン』解剖講義。メアリー・シェリーのあの有名な「フランケンシュタイン」を題材にして、小説技法、ならびに現代批評理論をわかりやすく紹介してるのだ。著者は現在、京大の教授である(本著の執筆当時は助教授)。やはり「教科書」を書くのは学者の仕事だ。
第一部が「小説技法篇」、第二部が「批評理論篇」。実用的なのは第一部だが、第二部のほうも知っておいて損はなかろう。ロッジの本にはこちらの要素が欠けていた。
ついでにいうと、フランケンシュタインは博士の名前だから、「フランケンシュタインの(創った)怪物」が正しい(でもめんどくさいので皆わかってはいてもそうは書かない)。原作は今も新潮文庫ほかで入手可だ。
ざっくりいえば通俗小説なんだろうけど、そうとばかりも言えない多義性を孕んでおり、それゆえに題材に選んだ、と廣野さんは書いている。むろん新書なんだから、一般受けする題材を、という配慮もあったろう。
これは廣野さんとは関係なく、ぼくが勝手に言うことだが、フランケンシュタイン(の怪物)は、19世紀ロマン主義の産物であり、その美学は現代日本のエンタメにも滔々と流れ込んでいる。
石ノ森章太郎の「サイボーグ009」やその変形としての「仮面ライダー」、あれもフランケンシュタインの末裔だ。仮面ライダーなんて、いまだに毎年バージョンチェンジして日曜の朝を賑わせている。もはや改造人間ではないらしいので、フランケンシュタイン的色合いは薄れてるけど、しかし根源が19世紀ロマン主義にあったことは間違いない。本来なら、石森プロはメアリー・シェリー女史に足を向けては寝られない。
もちろん廣野さんは、そんな下世話なことには言及せず、アカデミズムの枠内で、整然と論を進めている。そこは大学の先生である。第一部では、冒頭、ストーリーとプロット、語り手、焦点化、提示と叙述、時間、性格描写、アイロニー、声、イメジャリー、反復、異化、間テクスト性、メタフィクション、結末、という15の基本用語(=基本概念=基本技術)が簡潔かつ明晰に説明され、小説を読む、あるいは書くための道具がひととおり揃う。
第二部では、伝統的批評、ジャンル批評、読者反応批評、脱構築批評、精神分析批評、フェミニズム批評、ジェンダー批評、マルクス主義批評、文化批評、ポストコロニアル批評、新歴史主義、文体論的批評、透明な批評、といった、当節の主な批評理論が解説される。
こういうのはまあ、キングやクーンツなら「どーでもいいんだよそんな眠たい話はよー」と一蹴するところかも知れないが(さすがにそこまで下品な言い方はしないか。すいません)、有意な作家志望者ならば、知っておいてけして損はあるまい、と思うわけである。
この本を手元に置いてじっくり読む。あとはもう、純文学とエンターテイメントたるとを問わず、国産たると翻訳ものたるとを問わず、古典たると近現代文学たるとを問わず、ひたすら読み、ひたすら書く。それでもって、才能があって運がよくって売り込みの労を惜しまなければ、いつの日かプロになれるんじゃないでしょうか。なったことがないので断言はできませんけども。