ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

佐藤優『功利主義者の読書術』/情報の集積体としての小説

2016-06-25 | 哲学/思想/社会学
初出 2013年06月


 佐藤優という人の根底には神学がある。それはプロテスタント神学を基盤としているが、むろん、裏打ちとしてキリスト教の全史にわたる該博な知識がある。日本の著述家としては稀有なことだ。カトリックの信仰をもつ小説家はけっこう多いし、キリスト教とふかく交わっているモノカキは、小説家以外にもきっと少なくないはずだが、しかし佐藤氏ほどに「神学」の厚みを前面に出して思索を織り成している評論家/批評家はいない。宗教業界で仕事をしている方々は別だ。あくまでも一般の読書人に向けて文章を発表している人の話である。

 ぼくが初めて氏の著作を読んだのは新潮文庫の『自壊する帝国』であったが、この本を店頭でぱらぱらとめくってすぐにレジへと持っていったのも、ロシアに興味があったからではなく(佐藤氏はいわゆるムネオ疑惑に連座して逮捕されるまでは外務省の分析官で、ソ連を担当していた。ここでの「帝国」とはソビエト連邦のことである)、この書物に充溢している「神学」の空気に強く惹かれたからだった。ぼくはニーチェが好きで昔から読んでいるけれど、読めば読むほど自分にキリスト教の素養が欠落しているのを感じて参っていた。キリスト教の凄さを知らずして、「神は死んだ。」の真価が分かろうはずもない。かと言って、神学に特化した専門書は取っ付きにくい。だから佐藤氏の本は、自分の弱点を補うのにうってつけだと思えたのだ。

 『自壊する帝国』の面白さが予想を上回っていたため、続いて『私のマルクス』『甦るロシア帝国』(ともに文春文庫)も、文庫になるなり飛びついて買った。『私のマルクス』は若き日の佐藤氏の思想形成を描く自叙伝ともいうべきもので、より突っ込んだスタイルで神学のことが語られている。氏は1960年生まれで同志社大学の出身だが、神学をまなんでいたために、構造主義やポスト構造主義のような「現代思想」から隔たった場所で思想の礎をつくった。ゆえにポストモダンとも脱構築とも縁がない。どこまでも「近代」のひとである。だからたとえば東浩紀のような人と佐藤優とを比べて(この二人は一回り近く齢が違うが)、どちらが優秀であるかと問われると答に窮するが、少なくとも今のぼくにとっては、佐藤氏のほうが桁外れに重要であるのは間違いない。

 それにしても、神学の徒がマルクスについて熱心に語るというのは奇異なことのように思われるかも知れない。じつは佐藤氏はマルクスを、唯物論者どころか「ユダヤ教とプロテスタンティズムを根源にもつユートピア思想/千年王国思想の受肉体」として読んでいる。このような読みはもちろん佐藤氏のオリジナルではなくて、概説としてはわりと目にするものだ。とはいえ今の日本の著述家の中で、その見解を自己のものとして全身で抱えこんでいる人は佐藤氏しかいないのではないか。

 『功利主義者の読書術』は、ぼくにとって四冊目の佐藤優である。あとがきによれば、「2007年から2009年まで小説新潮に連載されたものを基本に、その他の雑誌に寄稿した論考をいくつか併せて成った一冊」だという。いろいろなことが書かれているが、大きな支柱というべきものは「新自由主義(市場原理主義)批判」である。先述のとおり、佐藤氏は外交官としてソビエト帝国、じゃなかった連邦共和国の末期に立ち会い、共産主義の恐ろしさや愚かしさを厭というほど目の当たりにした。しかしその一方、マルクスを読み込み、資本主義社会に対する根本的な懐疑の念をもずっと抱き続けてきた。どちらに対しても批判的なスタンスを保っている。健全なスタンスを保っている、といっていいだろう。

 これはぼくの要約だが、共産主義社会が「平等」(の幻想)に偏するあまり異常を来たした社会だとすれば、新自由主義(市場原理主義)社会は「自由」に偏するあまり異常を来たした社会である。資本主義というシステム自体にその傾向は内包されているのだが、それでもたとえばケインズ主義のような政策によって、行き過ぎた「競争」にブレーキを掛けることはできた。
 ところがここ十数年来、市場はその歯止めさえ失って、明らかに暴走を続けている。日本のばあい、中韓などの台頭による構造的な不況のゆえに皆がヒステリックになっており、不況から脱却するための改革などと称してさらに新自由主義の方へと傾き、中間層を破壊し貧困層を増大させて、よりいっそう景気を悪化させるというダウンワード・スパイラルに陥っている。そんな危機感を一般ピープルが肌で感じ取ったからこその民主党の政権奪取であったはずなのだが、これが一夜の夢と消え去った今、事態はいよいよ厄介になった。
 アベノミクスが壮大なる茶番であるのは言うまでもない。投機熱ばかり煽っていてもしょうがない。偏在する富をうまく再分配し循環させて、生産と消費を担う中間層を復興させる以外に日本を立て直す手段はない(改めて繰り返すけれど、このパラグラフで述べたのはぼく個人の見解だ。『功利主義者の読書術』の元となる原稿が連載されていた頃、民主党はまだ政権を取ってはいない)。

 『功利主義者の読書術』は、「資本主義の本質とは何か」「大不況時代を生き抜く智慧」「日本の閉塞状況を打破するための視点」という三つの章で新自由主義(市場原理主義)批判を行っている。
 第1章に当る「資本主義の本質とは何か」では、ずばりマルクスその人の主著『資本論』の第一巻と、日本人学者・宇野弘蔵の『資本論に学ぶ』が主に取り上げられる。宇野弘蔵は、マルクスの過剰なイデオロギー部分を廃し、科学的な側面だけを理論化したとされる人だ。第5章「大不況時代を生き抜く智慧」では、再びその宇野弘蔵の『恐慌論』と、マルクスよりももっと前のドイツの経済学者フリードリッヒ・リストの『経済学の国民的体系』が主に取り上げられる(この選択ひとつ見ても、佐藤氏の良い意味での鈍重さが分かる。リストなどという古めかしい経済学者をわざわざ持ち出す人なんて、いまどき滅多にいないだろう)。
 そして最終章「日本の閉塞状況を打破するための視点」では、現代ドイツのおそらくはもっとも有能な社会批評家・ユルゲン・ハーバーマスの『公共性の構造転換』が主に紹介される。

 このハーバーマスは、じつはぼくが卒論に選んだ思想家なのだ。80年代中庸、ちょうどそのころ岩波から出た『近代の哲学的ディスクルス』という本に魅了され、そこで論じられているニーチェの像について考察したのがすなわちぼくの卒論であった。読んで下さった指導教官に(日本でも指折りのニーチェの権威)「君はほんとにニーチェが好きなの?」と問い返されたのが今も記憶に新しい。ニーチェではなく、本当はハーバーマスのほうが好きなんじゃないのかという含意であったろう。それは確かに図星であった。ニーチェは凄い思想家だけど、彼の本を読んでそのままダイレクトかつアクチュアルに現代社会に関わっていくことはできない。どうしても媒介者が要る。むろん相手がニーチェなのだから媒介者もまた超一流でなきゃならないが、それはハーバーマスをおいてほかになかった。ドゥルーズもフーコーもデリダもまたニーチェから多大な影響を受けているけれど、その頃のぼくには、彼らはしっくりこなかった。

 ハーバーマスに濃厚にあって、ドゥルーズやフーコーやデリダに希薄なものはマルクスに対する顧慮だろう。後者の三人にとってのマルクスはニーチェと並ぶ巨大な先行者のひとりでしかないが、ハーバーマスは、マルクス主義の系譜に連なるフランクフルト学派の若い俊英としてキャリアを始めた。だから彼の著作は哲学よりも社会学のほうに近いと言っていいかもしれない。ここで佐藤優が取り上げた『公共性の構造転換』はまさに、日本をも含めた現代社会の病理を抉る社会学の新しい古典というべき一冊だ(原典は1962年刊。翻訳は未来社から第2版が1994年に刊行)。

 『公共性の構造転換』は、タイトルのとおり現代社会における「公共性」について精密に分析した書物だが、この著作を語るためには新たな記事が必要だし、そもそもぼくはまだ読んでいない(高いから)。ここでは佐藤氏の文章を引用させて頂くことで、紹介に代えさせてもらおう。

…………大衆民主主義は事実上、為政者とマスコミによって操作される衆愚政治のようになっている。しかし、市民の側に、自由な討論に基づく公共圏を回復することで、国家の横暴を規制するという気構えが残っている限り、大衆民主主義は、他の政治体制と比較してよりましな制度なのである。/筆者の経験でも、ドイツ、チェコ、イギリス、ロシアの知識人は基本的にテレビを見ない。日本でもテレビのスイッチを切り、活字を読む習慣をもつ人々が増え、その人々が、喫茶店でも、居酒屋でも、井戸端会議でもよいから、自由な討論を深めることによって、日本の民主主義も少しはマシになるのだ。/ハーバーマスが、現代人が公共圏を回復すること心底信じているのかどうか、正直に言って、筆者にはわからない。しかし、公共圏を放り出してしまうと、そこに残るのは金儲けしか考えない市場と、暴力を背景に収奪することしか考えない国家(官僚)による地獄絵しか浮かび上がらないので、最後の望みとしてハーバーマスは公共圏の回復に賭けているのだと筆者は解釈している。

 そういった意味で、ほんとならネットこそが新時代の「公共圏」になるべきなんだろうけど、現実はむしろその期待に逆行しているようだ。今回は新自由主義批判という側面に焦点を絞ったが、『功利主義者の読書術』にはほかにも様々な要素があり、ぼくはもうひとつ大きなアイデアをもらった。それについては次回書きたい。



情報の集積体としての小説

初出 2013年06月



 前回は、佐藤優の『功利主義者の読書術』(新潮文庫)を取り上げ、この本の大きな支柱である「新自由主義(市場原理主義)批判」について述べた。ニッポンの評論家には稀なことながら、佐藤氏の基底にはプロテスタント神学が厳然として存するゆえに、けして軸足がブレることがない。いわゆる脱構築派というか、ポストモダンの若手論客(いちいち名前は挙げない)のように、状況の推移を見てとって、新自由主義だのリバタリアニズムだのに軽々しく与することがないのである。そこのところが好もしく、信頼がおけるとぼくは見ている。

 『功利主義者の読書術』には、沖縄のこととかロシアのこととか、ほかにも色々なことが書かれているが、より本質的なところでぼくが「これは参考にすべきだ」と感じ入ったのは、「情報の集積として小説を読む」ということであった。『坂の上の雲』のような歴史小説や、城山三郎(……はたとえとしてもちょっと古いか。今だったら誰だろう? 池井戸潤あたりか?)のような経済小説を情報源として読むのは自然なことだが、世にいう「純文学」もまた、「情報の集積」として読み解けるし、読み解くべきだ、とぼくは『功利主義者の読書術』を読んで痛感したわけだ。

 ぼくのばあい、自分が純文学にこだわっていることもあり、小説というものをどうしても純化して考えてしまう。そして、純化をぎりぎりと極限に近いところまで絞り上げていけば、はっきり言ってあとにはもう、言語そのものしか残らない。ストーリーやらキャラ造型なんてのは、結局のところ構造化すれば限られたパターンに収斂してしまうのである。これは二十歳の時に観てショックを受けたJ・L・ゴダールや、作家でいえばモーリス・ブランショあたりの影響だと思うが、とにかくわりあい若い頃から自分にはそういう傾向があった。これが高じればどうなるかというと、小説はどんどん散文詩に近づくわけである。

 その結果として、「小説とは、言語を使って何ができるかの実験場なり。」という定義を以前ブログに書いたりもしたわけだが、そんな信条で30年近くやってきたあげく未だ新人賞ひとつ取れないところを見ると、この方針はあまり人にはお勧めできない気がする。やはり小説は散文詩とは別物であって、扱う素材も重要なのだ。素材というのはいわば言語と社会とが出会う時に発するノイズ(夾雑物)なのであり、やすやすとは構造化されないノイズこそが小説の生命線(のひとつ)なのかも知れない。最近になってようやくそのような認識に至った。まあ一周か、下手すると二、三周くらいして当たり前の地点に帰ってきた感もあるが。

 『功利主義者の読書術』で扱われる本は、お堅い資料ももちろんあるが、文芸評論や軽いエッセイ、告白本やマンガなども含まれている。フィクションも多くて、はっきりと小説に分類されるものだけでも、綿矢りさ『夢を与える』(資本主義の本質とは何か)、チャペック『山椒魚戦争』(論戦に勝つテクニック)、五味川純平『孤独の賭け』/高橋和巳『我が心は石にあらず』(実践的恋愛術を伝授してくれる本)、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』/大城立裕『カクテル・パーティー』(「交渉の達人」になるための参考書)、小林多喜二『蟹工船』(大不況時代を生き抜く智慧)、高橋和巳『邪宗門』(「世直しの罠」に嵌らないために)、チャンドラー『長いお別れ』(清水俊二訳)『ロング・グッドバイ』(村上春樹訳)(人間の本性を見抜くテクニック)、池上永一『テンペスト』(「沖縄問題」の本質を知るための参考書)、ソルジェニーツィン『イワン・デニソーヴィッチの一日』(再び超大国化を目論むロシアの行方)……といった具合だ。よく言えば多彩、悪く言えば取りとめがなく、プロの文芸批評家だったらなかなかこういう選択はできない。そこがまた貴重なのでもある。

 論戦に勝つとか交渉の達人になるとか、はては実践的恋愛術の指南とか、これはほんとに著者本人が付けたのだろうか、編集者の差し金じゃないのかと勘ぐりたくもなるが、こういったハウツー本っぽいサブタイトルはあまり本編と関係がない。良かれ悪しかれ、どの章にも明日使える知識ではなく、より深いレベルで思索を促す論考が詰まっていることをこの本の名誉のために書き添えておく。それはともかく、これらの小説に付された佐藤氏の解説を読んで、小説というのはフィクションでありながら、いや、むしろフィクションであるからこそ、読み手の力量如何によってずいぶんと「役に立つ」ものだとつくづく思った。

 べたべたのリアリズムで書かれたものにかぎらず、仮に幻想小説、実験小説の類いであっても、小説というものは書かれた時代の空気を濃密に写す。社会、政治、風景、世相、風俗、職場、家庭、そこに暮らす人々の交わり、さまざまな心情や会話、また毎日の雑多な思い、感情のもつれ……。同時代の小説ばかり目にしているとつい忘れてしまいがちだが、古い作品や遠く離れた異国の作品などを読むとき、あらためて、新鮮な感じでそのことに気づく。小説ってのはやっぱり凄いメディアだぞと思う。また、たとえ文学史的には価値が低いとして忘却された作品であっても、一つの時代の資料として、証言として、何度でも召喚されるべきだとも思う。

 ぼくが『功利主義者の読書術』から学んだ二つ目のこととは以上のとおりだが、講談社文芸文庫の『戦後短編小説再発見』シリーズ全18巻に収められた短編群を、いずれそのような視点から読み解いてみたいと考えている。



荒俣宏『99万年の叡智』を古本屋で買った。

2016-06-25 | 哲学/思想/社会学
初出 2012年09月


 古本屋めぐりをしていて、荒俣宏『99万年の叡智』なる本を入手した。副題は、「近代非理性的運動史を解く」。1985年、平河出版社刊。おお。85年。われらが年だ。そうだった。バブリング・エイティーズとは、なにもディスコとDCブランドショップの隆盛によってのみ回顧されるものではない。この手の「濃ゆーい」書物が大手書店の棚にぎっしりと犇めいていた時代でもあったのだ。あの頃の本屋は今より確かにオシャレであった(今日、そういった輝きはウェブ空間に移行し、その分だけ書店は色艶を失った。そもそも本屋の数が減ったし)。ただ、当時から書店に入り浸っていたぼくも、この『99万年の叡智』を目にした記憶はない。平河出版社という、やや特殊な版元から出ていたために、思想や哲学ではなく宗教関係のコーナーに置かれていたのではないか。さすがにぼくも、宗教書の棚までは仔細にチェックしないから。さもなくば、よほど出版部数が限られていたか。

 著者の荒俣さんについては、この場でぼくが贅言を費やす必要はあるまい。日本有数の蔵書家で幻想文学研究者で博物学者……と肩書きをいくつ連ねればその実体に迫れるだろう。「学魔」という異称を奉られることもある。途轍もない人には違いないのだが、ただしその小説ばかりはお世辞にも巧いとはいえず、小説ってものが学識や読書量だけで書けるものではないことの例証となっている。いやいや、そんな憎まれ口はどうでもよくて、1985年といえば荒俣さんは38歳。まだまだ少壮気鋭といっていい年齢だ。『99万年の叡智』巻頭の序言にいわく、「本書は近代におけるオカルティズム史に見通しをつける試みである。/これまでともすれば異端の名の下に現実と乖離する傾向にあったオカルティズムを、一気に近代史と関連づけ、しかもその動向を一貫性ある<党派的活動>として再検討する。すなわち、これを非理性的運動史と命名した所以である。」

 なんとも熱っぽく、気宇壮大で、ありていに申せば青くさい。自らを「貧書生」と卑下し、「理想の暮らしは楽隠居。」などと書き付けて憚らぬ後年の氏のエッセイに親しんでいたぼくなんて、若き日の荒俣さんがこれほどの鮮烈な志と情熱をもって執筆活動を行っておられたとは露知らず、この書き出しの一文だけで不明を恥じて、居住まいを正したことであった。むろん、ここで扱われるオカルティズムとは、「あいつ、最近ちょっと変なんだよな。なんかオカルトに嵌まっちゃったみたいでさあ。」といった用法で使われる「オカルト」とはまるでレベルが違う。荒俣さん自身の言葉を借りれば、「ここでいうオカルティズムとは、<古代の叡智>を指している。ルネサンス期イタリアで活動したフィチーノがエジプト=ギリシアの古代文献、とりわけ<ヘルメス文書>と総称される古代神秘哲学を復刻して以来、世に広まったヘルメス思想。オカルティズムとは、それら古代文書に秘められた<叡智>を探求する作業なのである。」というわけだ。

 日本の学校は哲学をろくに教えないけれど、それでもデカルト、カント、ヘーゲルなんて名前はたいていの人が教科書なんかで見た覚えがあろう。しかし、このルネサンス期の思想家たち、とりわけ「神秘家」とか時には「魔術学者」などと称される著作家やら博物学者たちのことはほとんど黙殺に等しい。専門家の数も多くはないし、入門書に使えそうな本もあまり出ていない(皆無ではないが)。その中でフィチーノは、いちおう正当な哲学史に名を留めており、『ソフィーの世界』にもその名がちらっと出てくるけれど、それでも大半の方がおそらく初耳だろう。むしろルネサンス(ルネェッサ~ンス!)といえばレオナルドとかミケランジェロとか、芸術家たちが大活躍した時代として知られる。しかし、じつは思想や観念の領域においても、それこそミケランジェロの天上画に匹敵する凄まじい達成が成し遂げられたのがこの時代だったのだ。それが先述の<ヘルメス文書>の復刻であり、そこから始まる、ゾロアスター、オルフェウス、ヘルメス・トリスメギストス、プラトン、ネオ・プラトニズムといった<古代の叡智>の一大再生プロジェクトだった。重厚かつ緻密なキリスト教の体系によって抑えつけられていたマグマが解き放たれ、当のキリスト教的思想と複雑に絡まり合って(けしてキリスト教的思想を駆逐したわけではない。キリスト教はもちろんそれほどやわではない)爆発じみた展開を見たのだ。ルネサンスのことを、「古代復興」と呼ぶのはそういう意味だ。

 荒俣宏は大学(アカデミズム)に籍を置く学者ではなく、その著作も学術書ではない。論述は往々にして危うきに遊び、どこまでも広がる風呂敷の大きさに、読んでいるこちらがどぎまぎさせられることも珍しくない。とはいえそれが膨大な知識によって下支えされているために、いかに奔放不羈に見えようと、本筋だけは外してないという安定感も確かにある。どういうことかと言うと、早い話、むちゃくちゃに面白いのである。この『99万年の叡智』は、荒俣さんが十年近くにわたってあちこちの媒体に発表してきた論考を集成して入念な加筆を施したものだが、ご自身が「筆者は……本書を成立させるために断片的な駄文を弄し続けてきたのではないか。……こうして一定の編集意図にもとづく書物を構成してみると、それらの断片はまるでジグソーパズルのように所を得て、結果的に奇妙な統一性を有するオカルティズムの鳥瞰図をつくりあげた。さながら無意識がすでにして本書の意図を自らに解き明かしていたかのように。」と記しておられるとおり、本邦には稀な「オカルティズム大全」となっている。

 オカルティズムは、近代合理主義の原則である「原因と結果とをつなぐ因果律」や「実証」、また「論理的思考」などとは趣きを異にする方法であり、直感・霊視・幻覚・妄想に重きを置く。象徴的、非大脳的な思考といってもいい。その意味では確かに「非理性的思考」ではあるけれど、しかし、それがそのまま「反理性的」というわけではない。また、自然科学的な見地からみれば「非科学的」というべきかもしれないが、人間の「こころ」をあつかう人文科学の立場からすると、それは紛れもなく「科学的」と呼べる。たとえば、神話というのは古代の叡智の結晶という点でオカルティズムの典型だけれど、洋の東西を問わず、およそ神話や伝説なるものが文学や精神分析学をはじめとする人文科学のアイデアの宝庫であることを知らない人はいないだろう。

 『99万年の叡智』は3部構成となっており、第1部の「叡智の起源と魔の源泉」では、章ごとの小テーマに沿って、近代に至るまでのオカルティズムの系譜と諸相とが概説される。その冒頭に「総説」として置かれた「近代非理性思想をながめる」という断章は、たんにオカルティズムに留まらず、正当なる哲学史や西洋思想、いや、アラブや東洋までをも含めたいわば「人類の観念史」の簡潔な見取り図となっている。「近代神秘学フロー」「19世紀フランス・オカルト復興期人脈表」「神智学運動史と人智学の諸活動」などの図表(フローチャート)を添えて綴られたその文章の密度の高さは相当なもので、これを読んでぼくは、いままで雑多に蓄えてきた様々な知識が有機的に結びつき、とても見晴らしがよくなるのを覚えた。

 たとえば、中ほど辺りにこんな一文がある。 「年代別に順序立てれば、イスラムにつづく巨大な<東からの波>となったのは中国思想である。16、7世紀に東アジアへ渡ったイエズス会士を通じてヨーロッパにもたらされた孔子哲学や易の思想は、<天命>と称する新しい支配原理を西欧にもたらし、もっぱら世襲をルールとしていた西洋型王制に対し<徳治政治>(徳のある聖人が国を治め、徳を失った際には<革命>が許容される)の理論を示した。ヴォルテールらがフランス革命の前夜に喧伝したのは、実にこの中国思想であった。今日でもフランスが支那学の王者であることは、16、7世紀にまでさかのぼる因縁によっている。次いで19世紀に影響力を発揮したのはインド・ペルシャ哲学で、この場合はドイツがその研究の中心となった。とりわけニーチェの超人哲学、ショーペンハウエルの厭世哲学が生みだされた陰には、ゾロアスター教の思想が介在した。ゾロアスター教の特質はいうまでもなく善悪二元論にあり、一方人間はそのはざまにあって善にも悪にも転じ得る不確定性をもつ。そしてその選択がもっぱら人間の意志によるところからニーチェ哲学が、また悪の支配する現世を徹底的に嫌悪するところからショーペンハウエル哲学が、それぞれ芽を発したと考えられる。……(後略)」

 むろん、あえて単純化しているところもあるわけだけど、これくらい大胆な祖述なんてものはまずもって大学(アカデミズム)に籍を置く学者先生には書けない。そして、ぼくみたいな市井の哲学好きには、実はこの手の文章こそがいちばん滋養になるのである。フランス革命の淵源が中国思想にあった、という概念を知っているのといないとでは、世界史の見方はまるで違ったものになろう。

 第2部の「霊的国防と霊的革命」は、タイトルからして、ありゃりゃ、それこそ「オカルト」じゃないですかといった感じで、「帝都大戦」の世界にも直結してくるわけだが、「オカルティズムを一気に近代史と関連づけ、しかもその動向を一貫性ある<党派的活動>として再検討する。」のがこの本の主眼である以上、とうぜん話はこちらの方面に及ぶわけである。この章は、陰謀史観や秘密結社を取り上げている点でみんなの大好きな「都市伝説」のネタ元というか、基礎文献となるべき論考が並んでいるのだが(フリーメーソン、イルミナティ、シオン議定書などについても詳しく書かれている)、そんなことよりぼくが個人的にもっとも気になったのは、「霊的国防」の現実形態としての「ファシズム」についての話であった。

 ファシズムとは、「復活した祭政一致主義」の投影であり、その要素は「民族としての大衆」「ヒエラルキア(階級的秩序)」「軍事力」の三つである、と荒俣さんは書いておられるのだが、これって、1985年(昭和60年)ではなくて、まさに今、2012年(平成24年)の今日ただいまのニッポンにおいてこそ正面きって取り沙汰されるべき大テーマじゃなかろうか……。なんてことを書いてたらまた話が時事ネタのほうへと向かっていくし、さすがに長くなりすぎたので今回はこれくらいにしておきますか。なお、第3部「非理性のテクノロジー」は、「概念的なオカルティズムが現実社会にあってどのように応用され、また操作技術に大成されたかを跡づける仕事」であり、これまた都市伝説のネタ元になりそうな情報が並んでいるけれど、さすがにこの部分だけは、出版から30年近くが過ぎて古びてしまっているようだ。

『一言芳談』のこと。

2016-06-25 | 雑読日記(古典からSFまで)
初出 2010年09月。のちに一部を加筆修正。

 『一言芳談』といえば、読んだことはなくとも、たいていの人は名前だけは聞いたことがあるんじゃないか。よく国語の教科書でみる小林秀雄の「無常という事」(昭17)で取り上げられているからだ(最近の教科書はかなりポップになってるらしいけど、小林秀雄の人気は衰えてないようだ)。取り上げられてるっていうよりも、この短いエッセイそのものが、『一言芳談』抄の中の、以下の簡潔な一文から生まれたものだといったほうがいいけれど。


 或云、比叡の御社に、いつはりてかんなぎのまねしたるなま女房の、十禅師の御前にて、夜うち深け、人しづまりて後、ていとうていとうと、つづみをうちて、心すましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。その心を人にしひ問はれて云、生死無常の有様を思ふに、この世のことはとてもかくても候。なう後世をたすけ給へと申すなり。云々。


「ある人が言った。比叡の神社で、偽って巫女のいでたちをした若い女房が、十禅師の御前において、夜がとっぷりと更け、人も寝静まってから、たぁーんたぁーんと鼓を打って、澄みわたった声音で、どうでもいいことでございますよねえ、そうでしょう、ねえねえ? と謡っていた。その気持を人から詰問されて答えたことには、生死無常のありさまを思えば、この世のことはどうでもよい、ただ後の世のことをお助け下さいと申し上げたのです、とのことであった。」


 あえて現代語訳すれば、こんな感じになるだろうか。ちなみに十禅師とは、「コトバンク」によれば、

[1] 〘名〙 昔、宮中の内道場に奉仕した一〇人の僧。知徳兼備の僧をえらんで任命した。内供奉(ないぐぶ)との兼職で、あわせて内供奉十禅師といわれた。
※続日本紀‐宝亀三年(772)三月丁亥「当時称為二十禅師一。其後有レ闕。択二清行者一補レ之」
[2] 日吉山王(ひえさんのう)七社権現の一つ。国常立尊(くにとこたちのみこと)を権現と見ていう称。瓊々杵尊(ににぎのみこと)から数えて第一〇の神に当たり、地蔵菩薩の垂迹(すいじゃく)とする。僧形あるいは童形の神とされた。現在は樹下神社と称し、祭神は鴨玉依姫和魂。
※梁塵秘抄(1179頃)二「神の家の小公達は、八幡の若宮、熊野の若王子子守御前、比叡には山王十禅師」


 ……となるが、ここでは[2]の意味である。現在の滋賀県大津市、日吉大社摂社樹下宮のことだ。ぼくはまだ行ったことはない。

 しかし考えてみると、このシチュエーションはかなり異様だ。女房とは、今みたいにそこいらの奥さんのことではなく、宮中に仕える女性をさす。そんな女性が、なんで夜中にそんな所でそのような真似をしてたんだろう? しかし小林秀雄はそこを追究するわけじゃなく、タイトルどおり、「無常」というテーマだけに的を絞る。今もなお信奉者の絶えない大批評家には違いないけれど、小林さんの文章はどれもみな、気障な文飾が論理の筋目を見えにくくしていて、昔からぼくは好きになれない。厳密にいえばあれは批評(分析)の文体ではなく、小説(レトリック)の文体だ。

 ともあれ、ここで小林秀雄が言いたいのは、「歴史とは、過去から未来に向けて単調に伸びた無味乾燥な年表のようなものじゃなく、われわれがそれを《思い出す》ことによって、いつだって生き生きと眼前に現れ出る現象の集積である。」ということらしい。それこそが「常なるもの」であり、これに相対するのが、「何を考えているのやら、何を言い出すのやら、しでかすのやら、自分のことにせよ他人事にせよ、わかったためしがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。」という「生きている人間」であり、これが「人間の置かれる一種の動物的状態」、すなわち「常ならぬもの」=「無常」であるというわけだ。このような小林一流の(プラトニズム的な?)考え方を、のちに坂口安吾は「教祖の文学」で痛烈に批判した。

 「現代人は、鎌倉時代のどこかのなま女房ほどにも、無常ということがわかっていない。常なるものを見失ったからである。」というのが、この名高いエッセイのラストの決め台詞である。つまり小林は、「なま女房」のことばを、「この世のことなど何ひとつ信用がおけないから、わたしは後の世に望みを託します(それこそが常なるものですから)。」という決然たる意志表示だと解釈しているわけだ。

 しかし、中路正恒さんの「玉依姫という思想」
 を読むと、この小林秀雄の読解自体が、いかにも「現代人」のものだなあと痛感させられる。本来は、もっと神秘的というか、呪術的ともいうべき深遠な含みがあったというのだ。

 あれあれ。『一言芳談』のことを書こうとして、えらく道草を食ってしまった。ここからが本題である。この印象的な短文が含まれている『一言芳談』とは、ちくま学芸文庫版の紹介によると、こうである。「ただよく念仏すべし。石に水をかくるやうなれども、申さば益あるなり……。十三世紀末から十四世紀半ばにかけて成立した仮名法語集。法然上人、明遍僧都、明禅法印など三十四人の念仏行者、遁世者が、ひたすら往生を求めて語りかける。浄土門の信仰が平易なことばで綴られた文言集。」

 つまり、鎌倉から室町にかけての、「他力」を旨とする念仏者たちの箴言やら寸話を集めた法話集といえばいいのか。この本が有名なのは、小林秀雄の功績のほかに、『徒然草』の吉田兼好が心を寄せていたとされるからだ。小林自身が、例の「なま女房」のエピソードをさして、「この文を徒然草のうちに置いても少しも遜色はない。」と言っている(裏返せば、『一言芳談』の中の他の文章は、『徒然草』に比べると数段落ちるといっているわけだが)。

 このあたりのことは、上田三四二の『徒然草を読む』(講談社学術文庫)の「六 補遺」に詳しい。上田さんによれば、兼好は『一言芳談』に対して絶妙な批評的距離を置いている(まあ、すべてに対して絶妙な批評的距離を置くのが吉田兼好というエッセイストの魅力なんだけど)。第九十八段のなかで兼好は、「尊きひじりの言ひ置きける事を書き付けて、一言芳談とかや名づけたる草子を見侍りしに、心に合ひて覚えし事ども」と述べて五つの項目を挙げ、残りは、「この外もありし事ども、覚えず。」と切り捨てている。

 「ああそうか。この五つ以外は忘れちゃったのか。」と通り過ぎるのは高校生の読みであって、ここで兼好が、『一言芳談』のエッセンスとして、自分はこの五項目を採る、あとは認めない、とやんわりと表明しているのを見抜かなければいけない。そして、それら五つの項目とは、「仏の道を願うとは、とりたてて特別のことではなく、暇のある身となって、世間のことを気にかけない。」という心構えと、あとは「自分にまつわるすべてのものを捨てること、持たぬこと、執着せぬこと。」との覚悟に尽きる。

 すべてをうち捨てたうえで、なお不足をかこつことなく、憂いもなしに徒然に生きる。これぞすなわち隠遁者のライフスタイルにほかならず、兼好はふかく共感した。しかしそれ以外の部分となると、概して『一言芳談』はあまりに現世を厭い、生を疎んじすぎている。そりゃあ濁世を逃れて極楽浄土に救いを求めるのが浄土思想の根幹だとはいえ、とことんそこに偏したら、やっぱりそれは、思想としては奇怪な様相を呈することになろう。

 「法然は言うに及ばず、(……)重源の事蹟ひとつをとってみても、彼が東大寺の勧進と別所経営のために発揮した情熱と才幹は、この《捨聖》のけっして《死聖》に終わるものでなかった事情を明らかにしている。」と但し書きを付けたうえで、上田三四二はいう。「『一言芳談』の生が死を待って寝そべっているとすれば、『徒然草』の生は、死ちかきがゆえに覚醒せよと言う。両者の見つけたところが同じ隠遁の境涯だったとしても、その意識のあり方は大変ちがったものだといわねばならない。」……つまり、兼好はここに言行を留める念仏僧たちよりも遥かにしたたかなのだというわけである。

 『徒然草』の岩波文庫版は、昭和3年に出ていらい改訂されて版を重ね続けているが、『一言芳談』のほうは、小林秀雄が読んだであろう岩波文庫版も、そのずっと後、平成10年に出版された小西甚一校注のちくま学芸文庫版も、長らく品切れのままとなっている。おそらく、その理由のひとつはここのところにあるんだろう。そういえばぼくも昔、書店の店頭でぱらぱらと見て、かなり迷ったが結局買いはしなかった。これも同じ理由からである。だけど今は、ちょっと後悔しています。


追記)そのご、古書にて岩波文庫版を入手。思いのほかの名著であった。



イエスの誕生日について・ほか

2016-06-25 | 哲学/思想/社会学
初出 2009年12月


 ぼくたち非キリスト教徒にとって、聖書はけして読みやすい書物とは言えない。近代小説ではないから仕方ないとはいえ、話の流れが粗っぽく、なめらかに繋がっていかない。旧約のほうには、聞き慣れないヘブライの名前がたくさん出てきて、何がなんだか分からないし、新約は何しろ説教くさく、奇跡の御業もどうしたって釈然としない。われわれにとってキリスト教はイスラームより遥かに親しいだろうが、それはバッハの音楽であったり、ラファエロやレオナルドの絵画であったり、NHKやTBSの「世界遺産」で見るサン・ピエトロやミラノやシャルトルやランスやケルンの大聖堂などのイメージに負うところが大きいかと思う。平均的な日本人のなかで、そういった背景の介在なしに、いきなり聖書を読んでキリスト教が腑に落ちたという人は、果たしてどれほどいるだろう。

 今年は『カラマーゾフの兄弟』の新訳が出て、けっこう好評なようだ。あれは東方正教会系のキリスト教だけど、ともかくあの作品を読んで、その奥深さに打たれるとする。で、そこからさらに足を進めて、ヨーロッパ(ロシアも含む)文学をきちんとやろうと思い立つ。そこまで来たら、どうしても聖書を読まねば話にならない。かつて私も、そんな調子で聖書を手に取ってはみたものの、やはり早々に投げ出したくなった。それでもまあ、何冊かのガイドブックを頼りに、折りに触れて目を通すよう努力はしてきた。構成と記述の煩雑ささえ乗り越えれば、新約よりも旧約のほうが個人的には読み物として面白い。新約のほうは、記述の矛盾を意識しつつ、テキストの成立過程を憶測しながら読むのがコツで、そうすると小説とは別種の面白さが生まれる。

 大雑把にいえば、旧約はその字のとおり、ユダヤ民族と唯一神ヤハウェ(エホバは誤記。この単語は厳密には日本語で表記できない)との古い契約を主題としている。それらは大きく分けて律法(モーセ五書)、歴史書、文学書、預言書、外典から成るが、そこに描き出されるのは古代ユダヤ民族のただならぬ受難の歴史と、にも関わらず一貫して揺らぐことのない神への信仰である。自らの共同体が苦境に陥れば陥るほど、「信」が高まっていく逆説的なダイナミズムこそ、旧約聖書の真骨頂であろう。

 いっぽう新約は、キリストの十字架上での死によって、神と人類とのあいだに結ばれた新しい契約のことである。これにより、唯一神ヤハウェはユダヤ民族だけの「主」から、人類全体へと及ぶ普遍(カトリック)なる存在になったというわけだ。ところで、キリストとは「救い主」を示す一般名詞であり、われわれがよく知っているあのナザレの青年ばかりを指すのではない。だから新約聖書は、必ずしもイエスの教えや行状だけを記したものではなく、古代ユダヤ民族が共有していた「救い主の教え」について記した書物だといえる。「イエス」と「キリスト」とは、むろん広範にわたって重なってはいるが、まったくイコールというわけではないのである。これは新約を読む時の大事なポイントだ。

 じつは聖書には、イエスの誕生日についての記述はない。ウィキペディア(日本版)にもそう書いてある。以下、その件りを引用させて戴く。

 『新約聖書にはイエスの誕生日を特定する記述は一切なく、この日については諸説がある。かつては降誕祭と別に、1月6日をキリストの公現祭として祝う日があった。12月25日の生誕祭は、遅くとも345年には西方教会で始まった。ミトラ教の冬至の祭を引用したものではないかと言われている。(……中略……)キリスト教圏では、クリスマスには主に家族と過ごし、クリスマスツリー(常緑樹。一般にはモミの木)の下にプレゼントを置く。プレゼントを贈り合い、互いの「愛」を確かめる日といえる。ただしこの習慣は、太陽神崇拝など、キリスト教以前の宗教に由来しており、聖書には由来しない。』

 そう。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、つまり4福音書のどこにも、「イエスが12月24日の深夜から、翌朝の未明にかけてお生まれになった」なんて記述はまったくないのである。さらにいうと、季節がいつだったかすら分からない。それを特定できるような描写がなく、専門家たちのあいだでも意見が分かれているそうだ。

 私たちはよく、雪の降りつのる厩(うまや)の中で、東方の三博士に祝福されて、聖母マリアの腕の中でまどろむ幼子イエスの絵などを見るが、あの情景は、少なくとも聖書の記載に由来するものではない。のちにキリスト教が体系化され、より精緻で豊饒なものになるに従って、あたかも有能な演出家の手になるごとく、膨らんでいったものである。

 そもそも4福音書のうち、イエスの誕生に触れているのはマタイとルカの2書のみだ。いちばん古いマルコ書には、イエスはいきなり青年として登場する。逆にもっとも新しいヨハネ書は、人間としてのイエスの生誕については、まったく書き記そうとしていない。ヨハネ書におけるイエスの降誕は次のとおりだ。「ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」格調はとても高いけど、観念的で、これではとうてい生まれた月日や場所は分からない。

 いっぽうマタイ、ルカ書のどちらを見ても、記述者が、イエスの誕生そのものよりも、むしろその前後の周囲の状況のほうを詳しく書こうとしていることにわれわれは気づく。天使による受胎告知もそうだし、東方の博士たち(3人とは限定されていない)の来訪もそうだし、ヘロデ王による幼児虐殺も然りだ。それらはすべて、イエスが神の子であること、そして、それに負けず劣らず重要なこととして、イエスがユダヤ民族の偉大なる王の末裔=新しき王=救い主(キリスト)であることを証し立てるために書かれている。つまり、旧約聖書とイエスとを繋ぎ合わせるために書かれているということだ。

 新約の冒頭を飾るマタイ書は、「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。」という一行に始まり、最後、「こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンの移住まで14代、バビロンへ移されてからキリストまでが14代である。」に至るまで、じつに1ページのほとんどを費やして、人名の羅列で系譜を綴る。ユダヤの始祖アブラハムから、古代ユダヤのもっとも偉大なる王ダビデを経て、救い主イエスへと途切れなく続いているというわけだ。ところでこれは、イエスの父ヨセフの側の系図である。

 しかしイエスは、誰もが知るとおり聖母マリアの処女懐胎によって生まれたとされる。ふつうに読めば、どうしたってこれは矛盾だろう。ここからは二つのことが読み取れると思う。マタイ書が、イエスをユダヤ民族の偉大なる王の末裔=新しき王=救い主(キリスト)とする信仰と、イエスを神の子とする信仰という、系統の異なる二通りの信仰を基盤として成立したこと。もう一つは、こういった齟齬を調整する必要を認めぬくらい、イエスの誕生にまつわる挿話は、いわば「二の次」であったということだ。

 降誕についての記述とは逆に、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、4福音書のすべてにおいて、他の何よりも熱心に記述されているエピソードがある。もちろん、イエスの磔刑による死と、そののちの復活である。ローマ支配下のユダヤ人社会において、いわゆる預言者は彼のほかにも何人かいたと思われ、生前のイエスはその中でも傑出した存在だったには違いないにせよ、あくまでも預言者の一人なのではなかったか。つまりイエスは、復活によって「神の子」たることを真に証明したわけで、その短い生涯における事蹟や、幼児期のことや、処女懐胎などは、おそらくそこから逆算される形で系統づけられていったのではないかと思う。

 イエスは刑死ののちの復活によって、「神の子」であり「救い主(キリスト)」であることを顕かにした。キリスト教徒ならざるわれわれにとって、この復活のエピソードはイエスの行なった他のあらゆる奇蹟にも増して謎に満ちているけれども、キリスト教が十字架そのものをシンボルとしていることからも知られるように、これこそがあの宗教における信仰の要であることは間違いがない。

 だから最初期におけるキリスト教の中心祭儀はイースター(復活祭)だった。イースターといえば、私などには故チャールズ・シュルツ氏の「スヌーピー」で、ペパミント・パティーとマーシーのふたりが卵の殻に模様を描くギャグのシリーズで馴染み深いが、日本ではハロウィーンよりもまだ認知度が低いだろう。「春分の日以後の満月の次の最初の日曜」に行われるとのことで、ややこしいけど、まあ3月の下旬から4月上旬あたりか。それはまた、春の訪れを祝うユダヤ教の過越し祭の時期とも重なる。イエスが過越し祭のさなかに捕まって十字架にかけられたことは4福音書のすべてに明記されており、さらに復活はその三日後とされているからだ。

 聖母マリアからイエスが生まれたことを祝う習慣は、そもそもこの復活祭から派生したものらしい。古い文書には、イエスの生誕は過越しの月の14日ないし15日に設定されているという。復活はすなわち新たな誕生でもあるから、寿ぎの対象として、両者をとくに区分する必要とてなかったのだろう。それに、季節が改まって生命が芽をふく春先は、いかにも生誕の祝いにふさわしい。それがなぜ、まるまるワンシーズンも繰り上げられて、12月25日となったのか。

 もともとユダヤの民族信仰であったキリスト教が、ほぼ現在のヨーロッパ全域に広がったのは、もちろん、ローマ帝国がその迫害を諦め、受容して、ついには国教に定めたからである。それ以前のローマでは、ミトラ信仰(「ミトラ教」という言い方は適切ではない)がひろく受け入れられており、じつは12月25日とは、そのミトラ信仰の最高神たる「太陽神」の誕生日だった。こちらは春分ではなく、お察しのとおり、冬至のほうを基準としている。冬至を境に昼の時間が長くなり、陽光が徐々に力を増して、世界はゆっくり春へと向かう。この太陽神を救い主イエスと重ねることで、ローマは民衆のあいだにキリスト教を浸透させるよう図ったのである。

 やがて版図の要所に教会が建てられ、ローマ教会がその頂点に立って法王庁となる。のちの「ゲルマンの大移動」による西ローマの瓦解(476年)はご承知のとおりだが、その際に、この法王庁までが潰えたわけではない。「蛮族」といわれたゲルマン諸族だが、むろん帝国のすべてを灰燼に帰してしまったわけでなく、文化的なものをも含めて、いろいろな制度を受け継いでいる。そうでなければ国家の体裁を整えることなどできない。中でも特に大きかったのが、キリスト教との融合だ。

 すでにキリスト教の教義や習俗はさまざまな形で根付いていたが、法王庁とゲルマンとが分かちがたく結びついたのは、フランク王国のカールが、教皇レオⅢ世によって、再興ローマ帝国皇帝の冠を授けられた際だ。この頃には降誕祭もすっかり一般的になっていただろう。カールの戴冠は西暦800年の、まさにクリスマスの日のことだった。地上の権力と天上の権威との結合によって、大帝=教皇の覇権は揺るぎないものとなり、ここに現在の西ヨーロッパの礎が固まる。そしてそれからほぼ一千年ののち、産業革命を経た西欧は「帝国主義」を押し立てて世界に繰り出し、かくして今、アメリカはおろか我が日本においてまで、歳末商戦がかまびすしいという次第だ。

 ぼくは今回、考証を楽しみたかったわけではない。われわれがふだん当たり前のように営んでいる行いであれ、ちょっと蓋を開けてみれば、色々と奥が深いと言いたかったのだ。欧米の精神文化の基底に横たわるユダヤ的なるものについて、まだまだ知らない事が多いということも指摘しておきたい。伝統の長さを誇りにしているのはなにも日本や中国だけではない。アメリカの強固な同盟国たるイスラエルの国旗には、「ダビデの星」が輝いている。



聖書について、ほんのちょっぴり語ってみました。

初出 2014年07月

 近所の子どもが、「ありの~、ママと~、きりぎりすのパパが~」と歌っていた。自分で考えたんだとしたら、ま、なかなかオモロいね。(注・「アナ雪」が流行ってた頃の記事なのです。もとの文章にはこのあとしばらく前置きが続きますが、それは割愛しましょう)

 旧約聖書の劈頭は、「初めに、神は天地を創造された。」と始まる。シンプルな、有無を言わせぬ出だしである。これに対し、新約聖書の「ヨハネによる福音書」のオープニングは「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。」と妙に形而上的なのだ。ロゴス中心主義というか、いわばロゴス根源主義だな。似たようなことを言い換えながら変奏していく按配で、ぎくしゃくして、論理的にはおかしいのだが、ここまで「言葉」を重んじて、「神」と同格にまで持ち上げて頂けるなら、言葉フリークのぼくとしては高い評価を下さざるをえない。「ヨハネによる福音書」は、ぼくは聖書のなかではかなり好きである。

 「テクストとしての聖書」を、成立過程に遡るかたちで、文献学的に読み解いていくのはずいぶんとスリリングな作業だと思う。新書や選書サイズでもけっこう充実した参考書が出ているが、しかし、そういった学問上の成果をいったんカッコに括って、できるだけアタマを空っぽにして、虚心坦懐に聖書の字句を読んでいくのも一興ではないか。「創世記」の文体は「ヨハネ福音書」のそれに比べてはるかに素朴な印象であるが、シンプルで素朴なゆえに一直線にぐいぐいと進んでいくかというとそうでもなくて、こちらもどうもごたごたしている。そのごたごたぶりが、またいかにも稚拙なのである。まず神は「光あれ。」と命じて光を生ぜしめ、昼と夜とを分かつのだが、その3日後に「天の大空に光る物があって、昼と夜とを分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。」などとおっしゃるのである。おいおい。昼と夜とは最初に分けたんとちゃうんかい。そやからその日が「第四の日」になったんとちゃうんかい。そのときに初めて昼と夜とが分かれたんなら、それまでは日付の観念もないわけで、どうしたって、その日が初日になるやろが。

 といった具合でなんとも出鱈目と言うしかなく、記述者集団のなかに、全体を統括して一貫性を持たせる「監督」はいなかったのかと不思議になる。こういった齟齬をねちねちと突っついた研究ってものは歴史上果たしてあったんだろうか。たぶんなかっただろうなあ。キリスト教徒の人たちは、どのように自分を納得させているのかな。それとも、そんなこといちいち考えんか。まあ、こういった矛盾や混乱をありのママで、きりぎりすのパパで素直に受け容れ、あまつさえ神秘性さえ感じ取ってしまうのが「信仰」なり「信仰者」のありかたなんだろうとは思う。ようするに「神」はどんな星よりも太陽よりも偉大にして先行する存在者であって、けっして「太陽神」なんてものではないと言いたいのだろう。「光」さえも神の被造物であり、その管轄を、あとから製作した「天体」に委ねたというわけだ。だって、とりあえず「光」を作っておかないと、まったき闇の中で天地創造を執り行うことになって、それは絵柄としてもおかしい。それにしても、神は光を作るまではどのような状態で過ごしていたのか、時間と空間はどうなっていたのかという疑問が直ちに湧き上がるけれど、これは「ビッグバン以前」について思考するのとほとんど同じことだろう。キリスト教が、世界の起源を唯一神に帰するのはまだよいとして、なぜその神の起源を問わぬのだろう?という疑念は子供の頃からぼくの頭を去ったことがない。

 一ページ目からそんなことを思い巡らせるから、なかなか先へ進まないのだが、旧約の唯一神が他民族のあまたの神々に比して際立っている点は、人間を造り、人類が地に満ちるや否や、間髪を入れず「あれをしろ」「これはするな」とバシバシ命令を下すところであろう。そして、「神は我のみを崇めよ。なにがあろうと他の神(邪神)に心を奪われるなかれ。」としつこいくらい強調するのだ。下手すると、「神(自分)への信仰をおろそかにすること」が、「殺人」よりも重い罪になりかねぬ勢いである。ここがまことに恐ろしい。この苛烈さは、少なくとも明文化された形では、ほかの神話には類のないものだ。というより、その苛烈さゆえに、もともとは一つの神話(物語)でしかなかったはずのこのテクストが、最強の「聖典」になってしまったのだともいえる。

 それにつけても、聖書を読むと、ひとってものは物語を求めてやまない生き物だなあとつくづく思う。人間を動物から隔てる定義はいくつかあろうが、「人間とは、物語をつくり、それを消費するものである。」というのも十分に成立しそうだ。なまじ大脳が異常に発達してしまったために、「世界」とダイレクトに向き合うことができない。「あるがままの世界」というものが、さながら不可解な混沌のように感じられてしまい、それに自分なりの解釈を施さなければ耐えられぬのである。そして、その物語製作および消費のサイクルは今もなお終わることがない。のみならず、文明が複雑になればなるほど、必要とされる物語もまた複雑さを増していく。じつのところ、根底を貫く原理はあっけないほど単純だったりもするのだが、しかし見かけの上ではわれわれの現代社会は、きわめて多様で錯綜する大量の物語を抱え込んでしまっている。ように映る。聖書はそれら無数の物語の重要な源泉のひとつであり、やはり大変な古典だと思う。ただ、現実を侵食し、時として凌駕してしまうことがあるから物語ってものはとことんオソロシイのであり、そのオソロシサには常に気をつけていなくてはいけない。


空の空。空の空なる哉。/肉は悲し、なべての書は読まれたり。

初出 2009年10月


 「空の空。空の空なる哉。すべて空なり。日の下に人の労して為すところの諸々の働きは、その身に何の益かあらん。世は去り世は来る。地は永久に保つなり。日は出で日は入り、またその出でし処に喘ぎゆくなり。風は南に行きまた廻りて北に向かい、巡りに巡りて行き、風またその巡る処にかえる。河はみな海に流れ入る。海は満つることなし。河はその出できたれる処にまた還りゆくなり。萬のものは労苦す。人これを言い尽くすこと能わず。目は見るに飽くことなく、耳は聞くに充つることなし。先に在りしものはまた後にあるべし。先に成りしことはまた後に成るべし。日の下には新しき者あらざるなり。見よこれは新しき者なりと指して言うべき物あるや。それは我らの前にありし世々すでに久しくありたる者なり。己前のものの事はこれを覚ゆることなし。以後のものの事もまた後に出づる者これを覚ゆることあらじ」(旧約聖書・文語訳版  伝道之書《コヘレトの言葉》より)

 この「コヘレトの言葉」、結局は「神を畏れ、その戒めを守れ」で締め括られるんだけど、ずっと昔に読んだとき、信仰を説く書物のなかで、これほどのニヒリズムが語られるってどうなんだろうと思った。「さすが聖書は懐が深い」ではすまない。とはいえこれ、虚無思想には違いないけど、ボードレール流の「近代の倦怠」とはぜんぜん違う。だって、「目は見るに飽くことなく、耳は聞くに充つることなし。」ですよ? ボードレールなら、すなわち近代人の病んだ自意識ならば、「すでに目はすべてのものを見飽きたし、耳はすべてを聞き飽きてしまった。」というところだ。まったくの正反対、さいきんの用語で言えば真逆ってやつ。つまりここでは、人間の為しうる営為の無力さを強調することで、のちに来る「神の恩寵」を準備しているのであろう。だとすれば、これをしてニヒリズムと呼ぶことそのものが、ひょっとしたら不適切なのかもしれない。


 「肉体は悲しく、ああ! 書物はすべて読んでしまった。」(シュテファン・マラルメ『海の微風』)

 「肉は悲し、なべての書(ふみ)は読まれたり。」という簡潔な文語訳で記憶してたんだけど、改めて調べてみたところ、そういう訳はないようだ。開高健が好んで引用していた記憶があるんだけどなあ。名訳の誉れ高き鈴木信太郎ヴァージョンは、「肉体は悲し、ああ、われは全ての書を読みぬ。」とのことだし、西脇順三郎訳でもない。あるいは開高さん自身のアレンジだったのか……。というわけで今回は、岩波文庫『フランス名詩選』に載っている渋沢孝輔訳で参りましょう。

 昨日は「コヘレトの言葉」に対してボードレール(1821 文政4~ 1867 慶応3)を引き合いに出したが、「近代の倦怠」をいうのなら、それをさらに先まで(ほぼ極限まで?)突き詰めたのがこのマラルメ(1842 天保13~ 1898 明治31)の言葉だろう。今さら言うのもなんだけど、マラルメは本当に難しい。ブランショの『来たるべき書物』(ちくま学芸文庫)を思い起こすまでもなく、文学の極北のひとつといっていいかと思う。それこそボードレールとか、ランボーやロートレアモンは翻訳でもけっこう興奮するんだけど、マラルメだけはほんとにだめで、まだしもヴァレリーのほうが取っ付きやすく思えるほどだ。

 しかし今回の記事を書こうと久しぶりにこの『海の微風』を読み返したら、以前よりはすんなりイメージの流れが辿れた気がする。あまりにも有名なこの詩句のあと、二行目では「逃れよう! 彼方へと逃れよう!」と脱出願望をあからさまに謳い、そしてその逃避行の行く先は「鳥たちが未知の水泡(みなわ)と天空のあわいにあって酔い痴れている」海へと定まる。

 「瞳に映る古い庭園」、すなわち過去の遺産は、もはや「海に浸っている」わたしの心を引き止められない。続く六行目の文頭で、「おお夜よ!」と、詩篇の空気をいきなり闇の色に塗り込め、それとの対比で「白さが護り固めている空虚な紙の上」を際立たせる。その紙の上を照らす「わがランプの荒涼たる明るさ」も、「子供に乳をやっている若い妻」、すなわち家族への情愛も、やはりわたしの心を引き止められない。「わたしは発つだろう!  帆柱帆桁を揺すっている蒸気船よ、異国の自然に向けて錨をあげよ!」

 「わたし」の出発とは、たんにリアリスティックな意味で旅行に出るってだけじゃなく、「詩を書く」(それも、万感の書を読み尽くしたあとで)という行為そのものをも指し示しているんだと思う。だから「瞳に映る古い庭園」および「子供に乳をやっている若い妻」と、「白さが護り固めている空虚な紙の上の/わがランプの荒涼たる明るさ」とが同列に並置されているのは論理的にはおかしい。「書けない」ことの不毛さと、「書こうとする意志」とが一緒くたになっているからだ。

 そしてこの自家撞着が、最終連の「《倦怠》は、残酷な希望に荒みながらも、/なお信じているのだ ハンカチを振る最後の別れを!/しかも、おそらくは、船は、嵐を招び、/疾風に傾いて難破へとむかうのか/マストもなく、マストもなく、肥沃な小島もなく、消え失せて……」という不吉な情景を呼び寄せる。「書けない」ことを承知のうえで「書こうとする意志」を貫くのだから、そういう顛末にもなるだろう。されど、このような破綻を予期しつつも、詩篇は「だが、おおわが心よ、聞け、水夫たちの歌を!」と、自らを鼓舞するような呼びかけで終わる。こう見ていくと、近代の自意識ってやつはほとほと重層的で屈折していて、とうてい一筋縄ではいかないことがよくわかる。「コヘレトの言葉」からマラルメのこの一句への変遷に、「西欧」の精神史が凝縮されている気さえする、といったら言いすぎだろうか?

奇書ゆえに……副島隆彦『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ』

2016-06-25 | 哲学/思想/社会学
初出 2010年07月


 たとえば『グレムリン』(84年)が日本人のことを諷した映画だというのは公開当時からほぼ周知のことだった。ポケットモンキーをデフォルメしたような愛らしい珍獣モグワイは、ふだんは可愛いペットだが、育て方をちょっと誤ると、大量に増殖したうえ凶暴化して人を襲い、街を荒らす。時あたかも日米貿易摩擦たけなわの折り、アメリカとしては、敗戦の焦土の中から手取り足取り教え導いて、世界第二位の経済大国にまで育ててやった子飼いに手を噛まれた心境であり、その思いを投影したものだと評された。もう少し古い時代のSF映画で、宇宙人が少しずつ静かに地球への侵略を進めており、友人や隣人や家族など、周囲の人々が知らぬ間にみんな身体を乗っ取られているというのもあった。あれはソ連の目ざましい躍進を背景に、アメリカ国内に共産主義思想が浸透すること(赤化)の恐怖を描いたものだとされている(むろん、もっと人間存在の根源的な不安に根ざした、精神分析学的な解釈もありうるだろうが)。マッカーシーのアカ狩り旋風が吹き荒れる前後のことであったろう。

 こういうものは設定そのものがメタファー(比喩)であり、つまり、イソップと同じく寓話である。作品として論じるよりも、社会心理学やマスメディア論の対象にしたほうがよさそうだ。これとは別に、「映画」というメディアを駆使して、特定の事件や社会状況、組織、人物などを詳細に叙述しようと試みる作品もある。むろんこちらのほうが正統派で、ジョン・F・ケネディー暗殺の裏面に迫った『JFK』(91年)などはその最たるものだろう。オリバー・ストーン監督の『JFK』には原作があるが、日本と同様アメリカにも、映像は好きだが活字はちょっと、という人がたくさんおり、そういう層への訴求力として、やはり映画は圧倒的なのだ。むろんドキュメンタリーではなくフィクションだから、「これはあくまで仮説ですよ。こんな見方もあるんじゃないかっていうだけですからね。」との体裁を取ってはいたが、『JFK』の公開以降、オズワルドの単独犯行を信じるアメリカ人はほぼ一掃されたことだろう。

 ハリウッド映画は文化であると同時に産業でもある(コーラやハンバーガーやジーンズは、産業であると同時に文化であるが)。つまり初めから輸出を前提に作られている。国家そのものの暗部を白日の下に晒すかのようなこの手の作品が作られ、国内で封切られ、さらには海外に輸出されるなんてことは、かつて存在した・いま存在する全ての共産主義/社会主義国にあっては絶対に考えられないし、その他の国々、たとえばイギリスやフランスやドイツなどでも考えにくいのではないか。ヨーロッパ映画は、庶民の日常をこまやかに描いた「純文学」系の作品が多い。あるいはそれは何よりもまず予算の問題なのかも知れないが、いずれにせよ、ハリウッドというシステムが世界全体で見て稀有な規模のものであるのは言うまでもないことだ。

 ここで見逃してはならないのは、かくも寛容にしてフェアな姿勢それ自体が、すなわち「アメリカ」という国の最上の宣伝になっていることだ。つまり、アメリカはこれほどまでに言論や表現の自由が保障された、人権を大いに尊重する、抑圧のない国ですよということを、全世界に向かって伝えるメタ・メッセージとなっているのである。そこのところが本当に凄い。とはいえしかし、もちろんアメリカにタブーがないわけがない。「覗いてはいけない真実」に近づいたばかりに、あっさりと消されてしまう刑事だの記者なんてのを、ぼくたちはそれこそハリウッド映画でさんざん見てきたではないか。報道や小説、映画などで暴かれる「闇」の数々は、諸々の政治的・社会的条件が複雑に絡まり合った結果として、われわれの前に提出されたものなのだ。その中には確かに、数少ない証言者やジャーナリストの「良心」によって日の目を見たものもあるだろう。しかし実際には、何らかの政治的意図のもとに特ダネのような形をとってリークされたものも少なくないと思われる。いや、むしろそちらのほうが大半だろう。

 或る勢力にとってはひどく都合の悪いことであっても、それと対立する別の勢力にとっては、広く民衆に知らしめたほうが良いことがある。重大な情報や、大きな「真相」が出てくる際には、そのような力学が働いているに違いない。これこそが、ひとつの政党が独裁的に権力を掌握している国家とアメリカとの最大の相違点であり、巨大な複合体としてのアメリカ合衆国のもつ最大の強味でもあろう。一筋縄ではいかなくて、それが全体として活力を生んでいるのである。それでぼくは、犯罪に手を染めて私腹を肥やす政治家やら、外国のゲリラに武器を横流しする軍人といった悪役キャラを映画の中で目にするたび、ハリウッド映画をきちんと分析した評論を読みたいと思ってきた。それも、たんに作品に描かれた事象だけじゃなく、その映画が製作され、流通ルートに乗せられる背景までをもカバーするような、高所に立った評論を。

 井上一馬さんの『アメリカ映画の大教科書(上・下)』(新潮選書)は、まとまってはいるが余りにも深みがなさすぎて、文字どおり高校生向けの教科書程度でしかないし、川本三郎さんの一連のエッセイも、郷愁に満ちたウンチク話の域を出ない。かと言って、蓮實重彦さん系の映画評論はひたすら抽象的で難解だし、スラヴォイ・ジジェク(やその普及版たる内田樹さん)みたいに何でもかんでも精神分析で片付けてしまうと、現実の政治や社会が捨象されてしまう。

 だから古書店の店頭で、副島隆彦『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ(上・下)』(講談社+α文庫)を見つけた時には、一も二もなく買ってしまった。買ってから、ネットで調べて版元品切になっているのを知り、2004年の発行なのに品切が早すぎるんじゃないかと不審だったが、一読してみて理由が分かった。内容にかなり問題が多い。問題だらけと言ってもいい。だれかがamazonの書評で指摘しておられたが、下巻187ページの口絵に、「アインシュタインとゴダール」として、アインシュタインとタゴール(!)の写真が載っていたりする。ゴダールは『ピエロ・ル・フ』や『パッション』で知られる、おそらくは現代最高の映画監督だけど、タゴールはインドのノーベル賞詩人。名前が少し似ている以外、まったく何の関係もない。

 この写真はどうも編集者が挿入したものみたいだから、副島さんに責任はないんだろうけど、「ヨーロッパ映画は衰弱していてどうしようもない。今やハリウッド映画だけが映画といえる。ヨーロッパの芸術映画を取り巻いて、わけのわからぬ能書きを垂れる蓮實重彦、浅田彰といった連中は、ほんとにもうどうしようもない。」といった感じの発言がぽんぽん出てくるこの本にあっては、ゴダールがタゴールに変換されることくらい、さほど不思議はないとも言える。とにかくこの人、文学とか芸術が大嫌いらしく、「真の学問体系はこうなっている。」として、(1)神学。その下部に哲学と数学がある。(2)学問=サイエンス。物理学・化学・生物学などの自然学問および経済学・政治学・社会学・心理学などの社会学問。(3)文学=人文=下等/初級学問。生活の知恵をまとめたり、古文書・石碑などを解読すること。歴史学もここに含まれる。もっとも低級なものであり、もともと科学とは呼べない。……といった価値序列を、わざわざ図表をつけて力説しておられるくらいなのである。

 じっさいには、かのアリストテレスに「詩学」についての論考があることからも分かるとおり、文学研究は人間の叡智の歴史とともに始まっているし、現代の文芸批評理論の多くは、「科学」の名に値するくらい精緻に練り上げられている。そもそも科学的とは、宗教などの予断を排し、特定の個人の恣意にも依らず、現実との整合性に基づいて、理性を備えた主体であれば誰しもがそうする筈の方法に従って対象を取り扱う態度のことだ。それゆえ近代の学問は、自然系だけでなく、社会系や人文系でさえ、とりあえず科学と称しているのである。それを非難される筋合はないはずだけど、まあ、理論と実践の両面において切実に政治と関わってきた(らしい)副島さんのような方には、何であれ、文学だ芸術だのといった営みがかったるく映るんだろう。「もっと直截に、切れば血の出るリアルな情報を!現実の世界を偽りなく、仮借なきまでに解き明かす分析を!」ということなのだろう。ぼくだって、ふやけた小説なんかより、そういう本を読みたいと思うし、そして、たしかにこれはそんな欲求を満たそうとして書かれた本には違いないのだ。

 何しろこんな按配だから、いわゆるカルチュラル・スタディーズ風の分析を期待してはいけない。ひとことでいえば、これはかなり特異な個性を持った文筆家が、ハリウッド映画をダシにして、自身のもつ知識と思想を遠慮会釈なくぶちまけてみせた本である。一つ一つの文章や見解に頷けるかどうかは別として、とにもかくにも面白い。上巻343ページ、下巻356ページを併せて、ぼくは三時間ほどで読んでしまった。つまらなければもちろんのこと、放埓すぎて下らないぞと思ったら、その場で読むのを止めたはずである。現代政治や軍事や歴史にまつわる情報がぎっしりと詰まっていたし、なるほど、と思わず呟く分析もあった。その一方では牽強付会と思える箇所や、暴論すれすれの強引な論述、明らかに不必要な脱線、「今の若手知識人の中で私ほど頭のいい者はいない。」といった晩年のニーチェを思わせる豪快な発言、さらには先に挙げたような誤記や、個人攻撃などもあった。それらすべてが渾然一体となっての、かくも異様な面白さなのである。

 氏は若き日に左翼思想=活動に打ち込んだそうだが、現在は愛国者を自認しておられる。しかし、日本社会の後進性と、その後進性を直視しようとしない偽善的な姿勢に対する舌鋒はどこまでも鋭い。まさに痛罵というよりない。「欧米から見れば、日本は近代国家ではなく、ただの部族社会にすぎない。よってそこには、真の思想も文化も学問もない。」「日本はアメリカの属国であり、戦後の日本人はアメリカによって洗脳されている。それが洗脳とも気づかぬくらい根本的に。」さらには、「日本には独自の文明などはなく、あくまでも中国の辺境の一民族でしかない。」といったモティーフが繰り返される。それもこれも、「国家の真の姿を見極めぬかぎり、それを改めようとする意志は生まれない。」との信念に基づいてのことだ。

 もとより戦後65年間、これに類する主張を口にした論客は革新・保守双方において数多おられたはずだけど、その口ぶりは大体においてソフトで洗練すぎていたために、社会を揺るがすことはなかった。いや、三島由紀夫の命を賭した諫言ですら、あっさりと呑み込んでしまうのが高度大衆消費社会の恐ろしさではないか。その意味において、今のような時代に、およそアカデミックと呼ぶべくもない、八方破れの文体で主張を述べる副島さんの戦術は、しごくもっともだと思う(戦術というか、それ以上に性格の問題という気もするが)。

 ストレートに誉めづらいので持って回った言い方をしているが、けして茶化してるんじゃなく、ぼくには本当に役に立ったのである。ことに、下巻145ページの「アメリカ政界の思想派閥」と題された表はありがたかった。この表だけでも代金を投じた甲斐があった。現代アメリカの主流となっている政治思想(政治的立場)を11に分類しているのだが、民主党(リベラル)は①穏健リベラル②急進リベラル③ネオ・リベラル④ニュー・デモクラットに分けられる。いっぽう共和党(保守)は、①ネオ・コン②サプライサイダー③保守本流(バーキアン)④アイソレーショニスト⑤チャイナ・ロビー⑥宗教右派⑦リバタリアンだ。この共和党のほうの七項目は、園田義明さんの『最新・アメリカの政治地図』(講談社現代新書)にも載っているのだが(ただし個々の名称は副島氏のものとは少しずつ違う)、民主党をかくも明快に図解した資料はこれまで他に見当たらなかったのである。

 リバタリアンは絶対自由主義だから、これはネオ・リベラルの延長にあるものだとてっきりぼくは思っていた。それがそうではないらしい。大体ネオ・リベラルが民主党の一派閥であること自体が驚きなのだが、もっと重要なのは、この中で、民主党(リベラル)の全4派閥と、共和党の①ネオ・コン②サプライサイダー③保守本流(バーキアン)までもが「グローバリスト」、つまり世界各地に膨大な利権の網を張り巡らせ、その拡充を目的としている集団として括られていることだ。これもまた、ぼくには「目からウロコ」であった。

 してみると、ぼくが7月15日の記事で書いたような「アメリカの共和党(リパブリカン・パーティー)は思想的には保守派だが、経済面では《自由》に重きを置き、《小さな政府》を志向して、大企業や富裕層を優遇する。いっぽう民主党(デモクラティック・パーティー)は、《平等》のほうに重きを置いて、弱者に心を配った《リベラル》な政策を取る。」といったありきたりな認識は、てんで底が浅かったってことになる。

 ここのところが分からなければ、アメリカの経済政策や外交のことも見えてこないし、マイケル・サンデルの「ハーバード白熱教室」及びその書籍版『これからの《正義》の話をしよう』(早川書房)ですっかりブームになった政治哲学、なかんずく自由論のことも分からない。それだけならまだしも、じつは、わがニッポンの民主党がどこに行こうとしているのかも、よく分からないってことになる。『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ』は、たしかに奇書には違いないのだが、「厳密さよりもインパクト」という、一流の奇書のもつべき要件を備え、思ってもない視点を読者に与える点で、逆説的に「好著」になっちまってるといえる。