ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

12月14日・南極の日、よりもい一挙生放送!

2019-12-10 | 宇宙よりも遠い場所



◎これは2019(令和1)年12月の記事です。日付にご注意ください。


☆☆☆☆☆☆☆


 『宇宙よりも遠い場所』については、カテゴリ内の記事数がたまたまぴったり70件になったこともあり、もう書く機会もなかろうと思ってたけど、そんな杓子定規になる必要もないか。来たる12月14日が「南極の日」とのことで、ニコニコ生放送で全13本が一挙配信されるとか。今度の土曜日だよね。告知もかねて記事にしておきましょう。


 「南極の日」って、いやたしか「古い怪獣映画好き」さんが年明けの1月末くらいにそんなようなことをコメントで教えてくれたけど、あれ何だったっけ……と再確認したら、1月29日の「昭和基地開設記念日」だった。そうかそうか。でもその日を「南極の日」と呼んだりもするそうで、紛らわしいけど、12月14日は有名なノルウェーの探検家・アムンセンが4人の隊員と共に人類で初めて南極点に到達した日。1911年。なんと明治44年ですよ。いっぽうの1月29日は、1957(昭和32)年、南極大陸に昭和基地が開設された日。それならば、そりゃ12月14日のほうが由緒正しい……というか、世界的に「南極の日」と呼ばれるにふさわしいわなあ。


 ニコニコ放送のことはよく知らぬのだが、どれくらいの視聴数があるんだろうか。ニューヨークタイムズにまで認められたんだし、ほんとはテレビでやってほしいんだけど、それでもこの名作がより多くの人に知られる契機にはなるんだろう。名作ってのは左から右へと消費されてお終いではなく、こうやって何度も再放送されて然るべきだとつねづね思ってるんで、うれしい。できれば毎年の恒例にならんもんかなあ。


 思えば去年の今ごろは毎日せっせと「よりもい」論をやってんだった。どうにか年内に「上陸」まで至り、年明けから南極での話を始めたかったんで、年越し蕎麦も食わずに励んで大晦日に3本まとめてアップした。おかげさまでいっぱい有意義なコメントもいただき、「貴子が末期にみた光景は何だったのか?」とか「昭和基地から『内陸基地』までの日数はどれくらいなのか?」とか、「あの狭い雪上車の中で、4人はどうやって寝ていたのか?」とか、いまひとつ自分でも曖昧なままだった疑問に納得のいく答も貰えた。これがブログのいいところ。


 ネット上の考察や論考や感想やルポもとうぜん参考にさせていただいたけれど、ぼくのばあい、どんな作品を取り上げるうえでも「物語論」として扱うもんで、どうしても少々毛色の変わったものになる。読み込みすぎて、濃すぎるというか、過剰な感じになった部分もあったかと思うが、自分としては今読み返しても不満はありません。


 「物語」としての『宇宙よりも遠い場所』については、ほぼ語り尽くしたので、より社会的な話題を持ち出しましょう。
 2018年の1月だから、まさに「よりもい」の本放送がテレビで流れていたころ、オーストラリアの女子高生、ジェイド・ハマイスターさんが、南極点に到達していた。
歴史的偉業達成の16歳女子高生が南極で「サンドイッチ」を作った理由に降参
2018-01-31


 このときハマイスターさん16歳。この年齢での到達はもちろん史上最年少。だからとうぜん女性としても最年少。しかもこの方、その前の2016年に14歳で北極点までスキーで到達して最年少記録を打ち立て、さらに翌17年にはグリーンランド氷床をもスキーで踏破している。それで、この南極点到達により、3箇所の極点を制覇する「Polar Hattrick(ポーラー・ハットトリック)」を成し遂げたのだった。





 『宇宙よりも遠い場所』に対する批判的な声の中には、「キマリたちって、ようするに大人たちの計画に便乗させてもらっただけじゃん。ぜんぜん冒険してないじゃん。」というのもあって、たしかに広い世界にはハマイスターさんのような女子高生も(ごくごく稀に)いるわけで、そういう意味ではその手の批判もけして的外れではないとは思う(具体的にこの方がどれくらい周囲の支援を受けたのかについては不明だけど、スキーで行ったわけだから、キマリたちより大変だったのは間違いあるまい)。


 しかし、もし仮に報瀬がハマイスターさんみたいな冒険家で、キマリたちがその強烈な熱意に巻き込まれ……みたいな設定だったら、この日本ではなかなかリアリティーを確保できないし、視聴者の共感を得るのも難しかったろう。「よりもい」は、「どこにでもいるフツーの女子高生が、ふとした出会いをきっかけに、どうしても踏み出せなかった最初の一歩を踏み出す話」なんだから、あれくらいでいいのだ(いや、あれくらいってこともないな。高校生の時のぼくだったら、とうてい無理だったろう)。


 それはそれとして、ぼく個人は、ハマイスターさんみたいなティーンエイジャーの冒険者を主人公に据えたリアリスティックなお話を、往年の「世界名作劇場」みたいなタッチでアニメ化した作品を見てみたい……と思ってはいるけれども。









宇宙よりも遠い場所・論 65 言い残したこと。ハグ(hug)

2019-06-03 | 宇宙よりも遠い場所
 宇野常寛さんが、たしか『ゼロ年代の想像力』(ハヤカワ文庫)の中で、「近代の物語が男(男の子)を主人公にして綴ってきた物語を、ポストモダンだといって、改めて女性(女の子)を主人公にして語り直しても、つまらない。」という意味のことをいっていた。
 言いたいことはわからぬでもないが、たんに機械的に置換するわけではなく、女性(女の子)を主人公にすることにより、これまでにはない関係性がひらけていくことはあると思う。
 「hug(ハグ。抱擁。抱きしめること)」というのもそのひとつだ。男性(男子)のキャラ同士だと、これはなかなか描きにくいのである。


 報瀬と結月が「一人っ子」なのは間違いないだろう。日向については定かではないが、少なくとも作中では「きょうだいがいる」ことを示唆するくだりはない(そもそも家族についての言及がない)。
 めぐっちゃんもまた一人っ子であり、メインキャラ5名のうち、明らかにそうじゃないのはキマリだけだ。
 キマリ(本名・玉木マリ)には妹がいる。名前はリン。ふたり合わせて「マリリン」になるのは、スタッフの遊び心だろう(2話Bパートの「歌舞伎町鬼ごっこ」のさい、キマリが「マリリン」という看板のまえでモンローの真似をするシーンがある)。



玉木リン(CV・本渡楓)
1話より


 「ちょっと頼りなさそうな姉」と「しっかり者の妹」というキャラ類型はよくあって、マリ・リン姉妹もその文脈のうちにある。そんな妹が、そんな姉のことをほんとは誰より大好きで、心から慕っているのも微笑ましきパターンのひとつだ。
 延々と書き連ねた「宇宙よりも遠い場所・論」のなかで、ぼくはほとんどリンについてふれなかったけど、キマリがじつは「お姉さん」であり、しかも姉妹の仲がすこぶる良いということは、キマリの性格を形づくるうえでとても大きかったろう、と思うわけである。


 マリリン姉妹の仲の良さは、5話の「旅立ちの朝」のさいに端的に表れている。


「お姉ちゃん!」



「なんで起こしてくれないの……」
「や……でも朝早いし。」
「心配……」


「はっ……」


「心配しないでいいようにがんばる。」
5話より


 このあとすぐ、めぐっちゃんとの例のシーンがやってくるため、つい印象が薄くなってしまうが、あらためて見れば、これはこれで名場面ではないか。


 13話(最終話)で帰宅した際にも、リンはキマリに飛びついている。2人はこれまで、生い立ちのなかで、こういった抱擁を繰り返しながら成長してきたんだろうなあと思う。


13話より


 キマリが年下の結月に対してしぜんとあんなふうに接することができるのも、きっとそのせいなんだろう。


「な、なんですか!?」


「なんか、抱きしめたくなった!」
3話より


 ところで、抱擁(ハグ)といえば、じつは作中における初のハグシーンでは、キマリはするほうではなくされるほうなのだった。ぼくはこれをうっかりしていて、コメントでのご指摘で気がついたのだが、虎の子の「しゃくまんえん」を返してもらったさい、報瀬がキマリを抱きしめている。これが作中初のハグシーンなのだ。


1話より


 だから1話で報瀬→キマリ。3話でキマリ→結月(横から)。5話でのキマリ→めぐっちゃん(背中から)をはさんで、10話でもういちどキマリ→結月(こんどは正面から)。



「絶交、無効。」
5話より


「ごめん……ごめんね。」
10話より


 それから11話、ルンドボークスヘッタの「地上でいちばんきれいな水」のほとりにて、日向→報瀬。


「連れて来てくれてありがとう。」
11話より


 そのあと大晦日、日本との中継を繋いでのレポート直前に、例のあの報瀬の啖呵があって、結月→日向。


「報瀬ぇ……」
11話より

 わずかに順序が前後するが、報瀬→キマリ→結月→日向→報瀬と、きっちりサイクルになっている。


 むろんこれもスタッフの計算のうちなんだろうけど、ただ、報瀬と結月のラインだけが弱い。キマリと日向は「強盗ごっこ」なんかでじゃれあったりしてるが、報瀬と結月だけは、お互いの性格もあってか、いくぶん距離があるようにもみえる。
 じっさい、この2人のツーショットといえば10話で弓子さんを手伝うところくらいだし、2人だけが絡む印象的なエピソードもない。
 ぼくの考えだけど、12話のあの「宇宙(そら)よりも遠い場所」において、貴子の遺品を探す際、結月だけが手袋を脱ぎ捨てるのはそのせいではなかろうか。
 報瀬本人と触れ合うことがなかったぶん、報瀬にとってのいちばん大切な物を、3人のうちで一人だけ、手袋ごしでなく直にじぶんの肌で掴んだ。そういうことではなかったのかなァ……と思ったりもする。


宇宙よりも遠い場所・論 64 行きて帰りし。09 そして、きっとまた。

2019-02-01 | 宇宙よりも遠い場所
 行きて帰りし。あるいは、往きて還りし。
 それはファンタジーの文法。定型。いいかえればすなわち、物語の定型だ。
 慣れ親しんだ日常から離れ、「ここではない何処かへ」と旅立った主人公は、「境界」を越え、「異界」に赴き、友達の力を借りて、そしてまた、友達に力を貸して、自らの課題をはたし、友達が課題をはたすための手助けをし、もういちど日常のなかに、「何処かではないここ」へと帰ってくる。
 そのとき、慣れ親しみすぎたあまり、「澱み」ともみえていた日常が、また別の相貌をおびて目に映る。
 そのなかにおける自分のふるまいも、周りとの接しかたも、自ずからかわってくるだろう。
 旅ってものは、そのためにこそ、あるのではないか。
 いずれまた、その新しく得た日常も、どんよりと澱んでいくだろう。その時はまた、旅に出よう。
 「喪の仕事」は、ひとが近親者の死を乗り越えるための大切な課題。「過去との訣別」も、時としてその後の一生を左右しかねぬほどの大きな課題。
 「友達がほしい」だって、すこし意味合いは違ってくるけど、大きな課題に違いない。
 しかし、「ここではない何処かへ」は、それらのうちのどれにもまして、「物語」にとって、ということはたぶん「人間」という存在にとって、より本質的かつ普遍的な課題なんだろう。
 たとえ比喩的なものであれ、「ここではない何処かへ」と赴かぬかぎり、ひとは誰かとかかわることもできないし、何事かを為すこともできないのだから。
 だからこの作品の主人公は、やはり報瀬ではなくキマリなのだ。
 そしてその主人公には、忘れちゃいけない、3人とはまた別の関係性で結ばれた、もうひとりの友がいるのである。



 エンディングテーマ「ここから、ここから」が流れつづけている。



ひとりで電車を待つキマリ。

 3人とは空港で別れたのだ。それは一人だけ北海道へ帰る結月への配慮だったのかもしれないが、いかにもキマリらしい、さわやかな決断だった。

 キマリ「ねえ、ここで別れよう。」


 日向「え……。」
 報瀬「キマリ……。」
 結月「もう、一緒にいられないってことですか?」
 キマリ「逆だよ。一緒にいられなくても、一緒にいられる。だって、もう「私」たちは「私たち」だもん。」
 結月「なんですその名言? 日向さんですか?」


 日向「でも、わるくない。」


 「でしょ?」

(これは空港ではなく、駅にいる今のキマリがみている光景)


 報瀬「やらなきゃいけないこと、たくさんあるもんね。」


 キマリ「うん。それが終わったら、また旅に出よう。この4人で。」
 結月「この4人でですよ。」
 日向「まあ、報瀬は百万あるし。私も貯金してる……」
 報瀬「あれはもうない。」


 3人「えっ。」


「置いてきたの。」

「宇宙(そら)よりも遠い場所に!」
凍った手袋が台座になっている。「母が言ってた南極の宝箱をこの手で開けた」ことの証なのだろう


 3人「えええええええーっ。」




 キマリ「旅に出て、初めて知ることがある」


 報瀬「この景色が、かけがえのないものだということ」





 結月「自分が見ていなくても、人も世界も変わっていくこと」



 日向「何もない一日なんて、存在しないのだということ」






 キマリ「自分の家に、匂いがあること」




 報瀬「それを知るためにも、足を動かそう。知らない景色が見えるまで、足を動かしつづけよう」



 日向「どこまで行っても、世界は広くて、新しい何かは必ず見つかるから」



 結月「ちょっぴり怖いけど、きっとできる」

 
 キマリ「だって……」

ベッドから始まり、ベッドに帰ってきた

めぐっちゃんにラインで報告


間髪いれぬ即レス



南極と北極とでは、同じ時間にオーロラがみえる。ここでめぐっちゃんの背景に架かっている極光は、十中八九、あのときキマリたちが船上で見たのと同じものである。


「なんで……なんで……」

 「なんで?」は、あの5話の「旅立ちの朝」のさい、キマリがめぐっちゃんに繰り返し投げかけた問いだ。
 あの時の「なんで?」は、当惑と混乱にまみれた問いだった。対してこれは、それとは真逆。むろん吃驚してはいるけれど、歓びに輝いている。


 キマリ「……同じ思いの人は、すぐ気づいてくれるから」



 もちろん、めぐっちゃんが「同じ思いの人」だとわかったからこその歓びである。

「なんでーっ」





 この素晴らしい作品に携わったすべてのスタッフ、および声優の方々に心からの称賛を送ります。ありがとうございました。




宇宙よりも遠い場所・論 63 行きて帰りし。そして、きっとまた…… 08 知ってる。

2019-01-31 | 宇宙よりも遠い場所
 「南極」といえば「オーロラ」だなんて、今どきもう、陳腐とさえ謗られかねない取り合わせだろう。けれどこの作品は、要所において定跡を外したり、こちらの「期待の地平」の斜め上をいったりしながらも、いっぽうでは「ベタ」と言いたくなるほどの律義さで、抑えるべきところは抑えてきた。きらめくべきところで夜空には星がきらめき、昇るべきところでちゃんと昧爽(まいそう)の陽が昇って、キマリたちを照らしたのである。
 結月がくわわる3話のオチに使われてたんだし、オーロラは必ずやどこかで出すとは思っていた。しかもこのスタッフなのだから、「ああなるほど。まさにここしかないな」と唸らせられるような、圧倒されるような、泣かされるような、唯一無二のタイミングで出してくるんだろうと信じていた。その予想は、もちろん裏切られなかった。
 ただ、それさえもまだ第一段にすぎず、最後の最後にもういちど、オーロラがらみで驚きが待っていたわけだけど。


 挿入歌「ハルカトオク」が流れるなか、

報瀬が3年にわたって送り続けたメールをひとしきり見ていた藤堂(中身は開けていない)

パソコンを閉じようとして

はっと気がつく




 いったんシーンチェンジして、船上の4人。


 「はじめて来たときは、遠いなって思ったのに」と報瀬。
 「まあ、そんなもんだよな、旅って」と日向。
 「まだ終わりじゃないですよ。また、60度50度40度」と結月。
 「叫ぶーっ」とおどけるキマリ。
 また船酔いしますね、という意味のことを結月が言い、
 まあ、いいよ。また何回もトイレ行って、ああ気分わるーい、死にたーいってなって、というようなことをキマリが答える。
 「まあいいじゃん、それも旅だ」と日向。
 くすっと笑って、「なんか、私たちちょっぴり強くなりました?」と結月。
 「もしくは、雑になったっていうか」と報瀬。
 「大きいからね、ここは何もかも」と日向。


 もちろん、いちばん相応しい形容は「一回り成長した。」だ。視聴者にはよくわかっている。



 またシーンチェンジで、夜。

「この格好ですか?」
「最後だもん、やっぱりビシッとこれでしょう」


 甲板にて最後の南極リポート。去り際にあれほど堂々たるスピーチをした報瀬、またしてもポンコツに戻っておたおたしている。「えと、キャッチーで、ウイットで、セ、センセーショナルなリポートも……」
 「むしろ原稿ないほうがいいんじゃないですか」と結月。

「よーし、じゃ行くぞー」
 
 なおも報瀬が「え、ちょと待って」とおたおたしつづけるなか……


 ふと頭上を見上げたキマリ、



 夜空を指さし、「うわーっ」と絶叫。

「オーロラだ……」

 ここで初めに見つけるのは、やはり「表の主人公」の仕事である。
 さらに、「だめだ……きれいに映らない」と慌てる日向に、

「いいんじゃないかな、(さっさと仰向けに寝転がって)そういうのがひとつくらいあっても」


これもよく引用される名カット



 瞳を潤ませて見上げる報瀬。
 ふいにスマホの着信が鳴る。
 半身を起こして確かめると……


「お母さん……」

 「うそ!」と覗き込むキマリたち。

 
 4人で歌うエンディングテーマ「ここから、ここから」がはじまる。


 添付された画像をひらくと、


 もう涙はない。にっこりと微笑んで、
「知ってる。」
 
 知っているのは、本物の美しさというだけではない。友達といっしょにみるオーロラの美しさ、でもある。




パソコンのなかに眠っていた、母からの最後のメッセージは、もっとも相応しいひとの手によって、娘に送り届けられた






キマリ「あれだよ、あれが南極星。けってーい!」
報瀬「あんな明るくないと思うけど……」

 ひとつだけ叶えられなかったのは、いずれ再訪するときのお楽しみだろうか。






オーロラはゆっくりと薄らぎ、消え、新しい朝日が昇る。日常への帰還の時が近づいているのだ


 







 


 




宇宙よりも遠い場所・論 62 行きて帰りし。そして、きっとまた…… 07 さらば南極。

2019-01-30 | 宇宙よりも遠い場所
 シーンがかわり、昭和基地まわり及び内部(食堂)の短いカットを3つはさんで、挿入歌「宇宙を見上げて」スタート。
 「ありあわせの材料で、だけどね」と言いながら紙袋に入れたカップケーキのお土産をくれる弓子さん。
 「これを日本で待っているユウくんに」と、この期に及んで手編みのセーターを言づけてくる信恵さん(日向ドン引き)
 「行っちゃわないで~」と泣きながら報瀬に抱きつく保奈美さん(報瀬は「お酒くさいですよ」とクールに対応)。
 「これあげる」と、さりげなく報瀬の大好きなペンギンの生写真をくれる夢さん(一転、がぜんコーフンする報瀬)。
 そんななか氷見は、「いいから行けよ」と後ろから敏夫にずるずると背中を押されて結月の前へ。「フォローバックが止まらない」のCDに、ようやく念願のサインを申し出る。
 キマリ「へー、これが結月ちゃんのサイン」報瀬「アイドルみたいね」日向「何枚くらい売れたんだ?」
 結月「(少し赤くなって)ごちゃごちゃ言うのやめてくれますか?」
 氷見から、ドラマ、楽しみにしてます、観るの、帰ってからですけど、と激励された結月、「楽しみにしてくれる人……いるんですね」。
 芸能界ずれしていない、という設定なのだろう。じつに謙虚なタレントさんなのである。
 日向に「当たり前だろ」キマリに「がんばらなきゃ」と言われて、「はい」とにっこり。
 4人で、あらためてこの風景を眺めやっているところに……



 「そろそろ時間よー」と、かなえから声がかかる。



「はーい!」

 ヘリポート。プロペラの風に髪をあおられながら、
 「元気でね」
 4人「ありがとうございました」
 「こちらこそありがとう。……最初にバンで話した時のこと覚えてる?」
 キマリ「え?」
 「あのときのあなたたちと話してて、じつは、すごい勇気が出た。あなたたちの顔見て、ぜったい中止にできないぞって」
 結月「なりそうだったんですか?」
 「ええ。大人はね、正直になっちゃいけない瞬間があるの」



 どさくさに紛れてけっこうなカミングアウトである。そもそもの初めの段階から、キマリたち4人の無鉄砲な情熱が、逆に大人たちの背中を押していたわけだ。
 報瀬、すこし微笑んで、「隊長のこと、よろしくお願いします」
 かなえ(藤堂を振り返って)「だぁって」
 藤堂「言うようになったねー」
 かなえ「さあ、乗った乗った」

 4話で「訓練の地」へと向かうバンに「さあ、乗って」と4人を促したかなえが、南極の地から去るヘリに「乗った乗った」と促すのも、むろん偶然ではなく、脚本の計算のうちなのだが、それに注目している暇はない。もっともっと大事なことが、報瀬と藤堂とのあいだで起こる。

 報瀬、リュックを肩から降ろしつつ藤堂に近寄り、
「それと、これ」
 母の形身のパソコンを差し出す。えっ、と驚く藤堂。


明示されることはなかったが、かつてこの写真を撮ったのは藤堂なのだ


「(あなたと)一緒に越冬させないと、母に怒られそうな気がして」
「でも……」
「(にこやかに)私はもう、無くても平気ですから」


2人がこれだけ至近距離できちんと向き合い、互いの目を正面からみて言葉を交わすのは、じつはこの時が初めてである(9話のあのシーンでは、対峙はしていたが、どちらかが絶えず目を逸らし、次いで報瀬が立ち位置をかえた)


「わかった。」



 ヘリが離陸する。ついに高所恐怖症を克服できなかった結月は目を閉じて頭を抱え、それよりは軽度の報瀬は頭を抱えはするが目はあけている。キマリ、日向は例によって大喜びで窓の外を見ている。
 隊員たちは総出で見送り。しかも、激しい風圧のなか、4人の似顔絵を描いた旗を地面に抑えつけてくれている。





 ヘリが船を目指して飛び去って行く。


 保奈美「行っちゃった……」
 敏夫「すっかり(女子隊員の)平均年齢上がっちゃったな」
 弓子、ヘルメットの上から敏夫の後頭部をぱしんとはたいて、


「さあ、長いぞ、こっから!」

 挿入歌「ハルカトオク」がはじまる。







宇宙よりも遠い場所・論 61 行きて帰りし。そして、きっとまた…… 06 ラスト・スピーチ

2019-01-29 | 宇宙よりも遠い場所
 ぼくはいしづか監督や花田氏のほかの作品を見たことがないため、それがこの方々のいつもの流儀かどうかはわからないのだが、『よりもい』は様式美をことのほか重んじるアニメだ。それゆえに、いわば数学の公式にも似た均整をおぼえる。まるでバッハやフェルメールのように。
 南極の地と、お世話になった(それに見合うくらいの勤労奉仕はしたと思うが)大人たちに向けた報瀬のこの堂々たるラスト・スピーチが、出航前夜のあのヤケっぱち気味のスピーチと対になっていることはいうまでもない。



「みなさん、おはようございます。」



「みなさんご存知のとおり、私の母は、南極観測隊員でした。」



「南極が大好きで、夢中になって家をあけてしまう母を見て、じつは、私は南極に対していいイメージを持てませんでした。」



「私は、そんな自分の気持ちをどうにかしたいと思って、ここに来たんだと思います。」



(ここで上半身を起こす)



「宇宙(そら)よりも遠い場所。おかあさ……いえ、母は、この場所をそう言いました。」



「ここは、すべてが剥き出しの場所です。」



「時間も、生き物も、」



「心も、」



「守ってくれるもの、隠れる場所がない地です。」



「私たちはその中で、恥ずかしいことも、隠したいことも、ぜんぶ曝け出して、」



「泣きながら、裸で、まっすぐに自分じしんに向き合いました。」



「一緒に、ひとつひとつ乗り越えてきました。」



「そして、わかった気がしました。」


12話で、「内陸基地」を前にした時の映像のつづき。あのあと3人が迎えに来ていたのだ


「母がここを愛したのは、この景色と、この空と、この風と、同じくらいに、」



「仲間と一緒に乗り越えられる、その時間を愛したんだと。」



「何にも邪魔されず、仲間だけで乗り越えていくしかないこの空間が大好きだったんだと。」




結月が真ん中にいるのがいい。12話のあの、廊下のシーンでもそうだった




「私はここが大好きです。越冬がんばってください。必ずまた来ます。ここに。」








かなえが泣き笑いになってるのは、藤堂が(泣いてないよ)とばかりに強がってるのが可笑しかったからだが、貴子のことをずっと背負い続ける親友が、ここで肩の荷をひとつ降ろしたことをみての安堵もあるんだと思う




 かくて別れの時は来る。






宇宙よりも遠い場所・論 60 行きて帰りし。そして、きっとまた…… 05 母を継ぐ。

2019-01-28 | 宇宙よりも遠い場所
「喪の仕事」は、たんに死者を忘れ去ってしまうことではもちろんない。遺された自分たちの暮らしのなかに、しかるべき形でその霊を迎え入れることだ。霊という言い方がいかにも宗教的すぎて不穏当ならば、「記憶」と言い換えてもいい。その記憶が自らの生の一部となり、新たな関係が築かれる。それこそが、真に死者を弔うことなのだ。
 それはたぶん、身近な人の死を悼まずにはいられないニンゲンという動物に不可欠の営みであって、だからこそ「物語」は、「出で来はじめの祖(おや)」の昔より、「喪の仕事」を主題にしてきたし、そもそも物語ること、モノをして語らしむることそのものが、一種の「喪の仕事」ではなかろうか、ともぼくは考えている。ひとりで勝手に考えてるだけですが。
 亡き母・貴子との新しい関係性を築いた報瀬は、ここでひとつの決断をする。


 CMが明けると理髪室。思えば「内陸基地」行きはここから始まったわけで、改めてここで、「喪の仕事」の仕上げをするわけである。今回は藤堂とかなえはいない。立ち会うのはこの3人だけ。


日向「いまさらかよ。切るなら来たときに切っとけばいいのに」
報瀬「なんか、切りたくなった」


「私、やるっ?」
「キマリさんは下がっててください」
「ええー?」
いつも自分で前髪を切っているキマリ、信用がない。というより、バリカンを持ち出している時点でアウトか

日向「どのくらい?」

 報瀬、うなじの辺りでチョキをつくって、ジャキン、というしぐさ。

キマリ・結月「えっ」
日向「まじスか」


「うん!」

 シーン変わって、「夏隊」(ほぼキマリたち4人のこと)の帰還式典。「いつまでぐずってんだよ、本当にもういなくなるんだぞ」「うう……」という敏夫と氷見のやり取りあり(2話の「歌舞伎町鬼ごっこ」の時いらい、氷見はずっと結月のサインが欲しいのだが、どうしても言い出せないのである。少年のように純情なひとだ)。


 4人の似顔をあしらった手づくりの旗が正面に飾られ、その前に藤堂とかなえが立っている。「お、主賓が来た来た。さ、こっち並んで」とかなえに迎え入れられた4人、「はーい」と、キマリ、結月、日向の順にその前を通って……。


「あ」「ええっ」

「どう、似合います?」

「やっぱり母娘(おやこ)ね、笑ったところがそっくり」

参考画像。高校時代の貴子。7話の回想シーンより。

保奈美「なになに失恋ー?」
キマリ「違いますよ」
日向「いや、でも、ある意味そうかも」
保奈美「ある意味って?」
夢「想像力」
保奈美「わかんないー」


 かなえの挨拶のあと、藤堂隊長のスピーチ。


「皆さんお疲れ様です。今朝は天気も良く、旅立ちにふさわしい朝になりました。」


「とくに今回は、日本ではじめて、女子高生の観測隊員が南極で過ごしました。それは大きな試みでした。きっと不安だったと思います。私たちもたいへんたいへん不安でした。(キマリたちが、てへへ、と笑い、明るい笑いが広がる。保奈美はもう泣いている)」

「でも、彼女たちは立派に観測隊員をやりきってくれました。あらゆる男性隊員の、帰らないで、という心の声がうるさいくらいに聞こえます。でも、彼女たちは帰ります。あきらめてください(氷見は必死に泣くのをこらえている。弓子が涙を溜めて少しうつむく)」

「最後に……今日までありがとう」


「向こうに戻っても、たまにでいいので、遠い空の向こう、真っ暗闇の中、黙々と越冬している私たちのことを思い出してください。……ここでまた、会いましょう」





 かなえ「では、夏隊代表として、小淵沢報瀬さん」


 報瀬、日向と繋いだ手をぎゅっと握って、
「はい」






宇宙よりも遠い場所・論 59 行きて帰りし。そして、きっとまた…… 04 母を送る。

2019-01-26 | 宇宙よりも遠い場所
 日本を代表する少女漫画雑誌『りぼん』(集英社)と『なかよし』(講談社)が創刊されたのは1950年代半ば。昭和でいえば、ちょうど30年になった頃である。『ジャンプ』『マガジン』よりも早かったのだ。
 創刊当初は、「少女向け総合雑誌」ということで、挿絵付きの小説、グラフ(写真)、そして漫画が三本柱であった。
 その頃はけして漫画がカルチャーの中心ではなかった。詳しくは知らぬが、たぶん内容もそれほど凝ったものではなかったと思われる。しかし10年経って、60年代も半ばくらいになると、かなり充実してきたようだ。
 「定番ネタ」ってのがあって、当時は「バレエもの」「西洋もの」「お姫様もの」あたりだったらしい。「怪奇もの」なんてのも既に出てきていた。しかし、それらのうちのどれにもまして鉄板なのが「母恋もの」だったのである。
 系譜を遡れば、たぶん吉屋信子の少女小説に行き着くと思う(むろん、ほかにもあるだろうし、さらに遡ることもできるだろうが)。「娘が、何らかの事情で離ればなれになった母親を慕う」パターンだ。
 「母恋もの」の訴求力は強く、1976年に連載が始まった美内すずえ『ガラスの仮面』の序盤にも、その色濃い影響がみられる。
 『宇宙よりも遠い場所』に対する批判の中には(それは当然、絶賛の声に比べれば些細なものだが)、「民間観測隊という設定にムリがある。」「女子高生をあんな危険な行程に伴うのはおかしい。」といったものがみられるが、「報瀬がなぜあれほど母を慕うのか分からない。」というのもある。
 ぼくは正直、どの声もいちおう「もっともだ」と思う。とはいえ、リアリズムの見地からだけでも、ぜんぶ反論可能だろう。さらに、これまで縷々、ボーダイな字数(と画像)を費やして述べてるように、「物語論」の見地からすれば、どれも正統すぎるほど正統なのだ。
 おさらいのつもりで要約すれば、「民間観測隊」とは「同志的紐帯によって結ばれた人たち」の謂なのだ。思いっきり荒っぽくいうならば、「麦わらの一味」みたいなもんである。
 「女子高生をあんな危険な行程に伴う」のは、あれが報瀬にとって「喪の仕事」のための「象徴の旅」であるからで、ほかの3人はその介添えをしているわけだ。
 そして、「報瀬があれほど母を慕う」のは、『宇宙よりも遠い場所』が「母恋もの」の系譜を引いているからだ、ということになる。


 むろん、21世紀、平成ニホンの物語である「よりもい」は、「母恋もの」の伝統を受け継ぎつつ、それを超え出てもいる。
 報瀬はただ亡き母を慕い続けただけでなく、「宇宙(そら)よりも遠い場所」まで赴いて、自分のなかで曖昧であったその死と正面から向き合い(キマリたちの助けを借りて)、ついにその死を乗り越えることができた。
 「論 14 友を亡くした女」でも少しふれかけたのだが、「遺された娘が亡き母の死を乗り越えて、身をもってその母を継ぐ」という類型というか先例が、ぼくにはなかなか見当たらぬのである。
 「遺された息子」が「亡き父」を、というパターンなら、これはもうたくさんある。バリエーションまで含めれば、枚挙にいとまがないほどだ。少年ものに留まらず、成長した男を主人公に据えたものでも、「父の影」が濃く差している作品は少なくない。
 しかし、「娘」「母」というのは思いつかない。皆無ってことはあるまいが、まださほど多くないのは確かだろう。さまざまな物語の粋(エッセンス)を結集したような「よりもい」だけど、この件に関しては、先陣を切っているのではないか。


 「最後に何か、やりたいことがあったらいいなさい。」と藤堂隊長から告げられていたキマリたち。選んだのは、全員でのソフトボール大会。いかにもこの4人らしい、小気味よい選択だ。
 例によって、時間と場所はジャンプしているが、挿入歌「ONE STEP」のおかげで、前の「本気で答えてる。」のラストから、軽快で愉しいムードが高まりながら続いている。

「ほんとうにこんなのでいいの?」

「はい! ここにいる人、みんなで遊びたいなあ、って」
ラインマーカーの代用として、かき氷の赤いシロップをさっと取り出したところ。そのタイミングが4人四様、微妙に異なってるところが楽しい。アニメの魅力はこんな細部にも宿る

「隊長! 僕が打ったらもういちど考えてくれますか」
 敏夫くん、どうやら一度はコクったらしい。たいしたもんである

「ふっ。いいよ(能登さんの男前ボイス)」


 弓子「まだ諦めてなかったのか」
 報瀬「打てますか?」
 かなえ「ムリね。吟ちゃんは南極のタテジマ19(ナインティーン)の異名をもつの。投げる球は一級品。そして……」

 最近さっぱり野球を見ないぼくはネットを調べて知ったのだが、「タテジマ19」とは阪神の藤浪晋太郎投手のことらしい。


 藤堂の豪速球は敏夫の脇腹を直撃。ぶっ倒れる敏夫。なんというか、「コメディーリリーフのお勤めご苦労様です」という感じ(あとでまた、もう一仕事して弓子さんに頭をはたかれるのだが)。

 かなえ「……誰もよけられない」

 震えあがる報瀬とキマリ。しかし、そんな報瀬(次打者)にかなえがひとこと。

「だいじょうぶ。それでも打ったわよ、貴子は」

 報瀬の顔つきが一変し、決然たる面持となって打席へと向かう。

 脇腹をおさえてよたよたと一塁ベースに歩く敏夫。ファーストの結月が「……」という目つきで見やっているのがなんとも可笑しい。

 藤堂(ふりかぶって)「貴子……」



「見てるでしょ」

かつての母の勇姿に……

娘の姿が重なる
(目をつぶってはいても、脇はしっかりと締め、同じフォームだ)




 結月「日向さん!」


 俊足の日向、追わない。追えない。球(たま)はその頭上を遥かに超えて、


 蒼穹に消える。


 このカットは12話のあの観測気球のカットに繋がる。そして、日本語においては「球(玉 たま)」は魂(たましい)と語源を同じくすること……すなわち、日本人の感性において「球」と「魂」とが深く関わり合っていることは、付け加えるまでもないだろう。



宇宙よりも遠い場所・論 58 行きて帰りし。そして、きっとまた…… 03 本気で答えてる。

2019-01-25 | 宇宙よりも遠い場所
 アニメとかドラマとか映画で羨ましいなと思うのは、A地点にて誰かがしゃべり、いったん切って、そのセリフの続きをつないだときに、場面がB地点に移っていても違和感なく見てられるってことである。この手法は、2人の人物が移動しながら話している時などにも使われる。専門用語でどういうんだろうと調べてみたが、wikipediaには「カット割りによる時間経過」とだけ記してあった。「ジャンプカット」とはまた別で、あまりにありふれた手法ゆえ特別な呼称はないらしい。
 ビジュアルは情報量が多い。背景をみれば場所が変わってるのは文字どおり一目瞭然なのだ。だからしぜんに話がつながるのだが、これをコトバでやろうと思ったら厄介で、小説でやってみたこともあるが、難しい。段落ごとバサッと切って、2行ほど空けて次の段落に移るってのがいちばん手っ取り早いけど、それだと滑らかな持続感が出ない。


 「たとえばだけどさ、たとえばだけど……」とキマリがちょっと遠い目をして呟くように言ったとき、4人は採氷の現場におり、まだ日は高かった。それに続けて、「日本に帰らないで、もっと南極にいようよー」というようなことをキマリは述べたらしいのだが、それは表立っては描かれない。
 次のシーンは、日向の「はあ?」という呆れ声からはじまる。
 4人はべつの場所にいて、日はもう翳りを帯びている。これはそのような光のもとでこそ綴られるべきシーン。地味ながら印象ぶかい名場面のひとつだ。



「だから、部屋も空いてるわけだし、ここからならずっと動画も送れるわけでしょ。いまぜったい帰らなきゃいけないってこと、ないでしょ!」


「ん。」

 キマリ、いったんは顔を近づけようとして、


「い、痛くするつもりでしょ。」

 「しない、しない。」


 「う……」真に受けて顔を近づける。なんとも正直な人である。そんでもって、


ぺしっ
手袋をしてる分だけましであろうか

 「う、うそつきー。うぎゃー。」

 「当たり前だ。いま帰らなかったら来年まで帰れないんだぞ。」
 やっぱり日向はちょっぴり荒い。


「わかってるよ、大丈夫。私、空が暗かったらずっと寝てられる自信あるから。」


 「学校はどうするの。戻った時にはみんな卒業よ。」と報瀬。
 「家族はどうするんです?」と結月。
 「ゆづのドラマは?」と日向。


「それは……」

 この顔を見た結月。ふっと微笑んで、

 「まあ、私も帰りたくないって気持ちはありますけど。」

 「じゃあ、また来てくれる?」



「え? ああ、いいですよ?」


 結月のこの、「何を当たり前のことを訊くんだろうこの人は?」みたいな感じの答え方が好きだ。

 「越冬だよ! この4人でだよ!」


「わかってる」

日向の「わかってる」にも安定感が漂う。

 「絶対だからね! 断るのなしだからね!」
 
 かんじんの報瀬が、「はいはい。」と、あしらうような言い方をするので……



「本気で訊いてる。」

むにゅ

「本気で答えてる。」



「ならよし! うひひ。」


全員で寝転がって……





 
 「それより、どうするんですか。隊長に言われたじゃないですか。最後にやりたいことがあったら言えって。」

 「最後か……」 


 キマリのこの「最後か……」のところから、挿入歌「ONE STEP」がはじまる。8話で甲板に出て波をかぶったとき以来だ。この最終話では、これまでクライマックスシーンを彩ってきた挿入歌がぜんぶ使われ、フィナーレを飾る。




宇宙よりも遠い場所・論 57 行きて帰りし。そして、きっとまた…… 02 かき氷

2019-01-24 | 宇宙よりも遠い場所
 アイスオペレーションとは、つまりは採氷作業のこと。このキーワードでgoogle検索をかけてトップにくる「国立極地研究所 南極観測のホームページ 昭和基地NOW」からまたしても引用させて頂くと……。


 天候に恵まれたこの日、わたしたちは年に一度のアイスオペレーションを実施しました。アイスオペレーションとは、国内の教育現場や南極観測の広報活動などで使用する南極氷床の氷を採取する作業で、氷床が海に流れてきた氷山の氷を利用して、毎年、越冬隊が担当しています。
 南極氷床の氷は、年々降り積もった雪が融けずに、長い時間をかけて押し固められて圧密されてきたものです。そのため、氷の中には過去の空気が小さな気泡として、高い圧力で閉じこめられており、水に入れるとパチパチという音ともに昔の空気が出てきます。この音と空気を日本にお届けすべく、できるだけはじける気泡が多い氷山が選ばれました。
 事前に組み立てておいた、氷を入れるためのたくさんのダンボールを現地に持って行き、氷採取が始まります。ツルハシで氷を切り崩して、箱に詰める作業はとても疲れますが、皆で協力して汗を流す仕事は気持ち良く、楽しみながら丸一日がんばりました。休憩時にはイベント係による流しそうめんが振る舞われ、笑顔いっぱいのアイスオペレーションとなりました。


 アニメ本編は、「流しそうめん」のもようまで含めて、この文章をほぼ忠実に再現している。



 とりあえず集合したキマリたち。「同行者4名。アイスオペレーションに向かいます」とキマリが通信で基地に報告を入れ、結月が「どれに乗ればいいんです?」と言ったところで、日向が「あ」と向こうを見る。



かなえたちがスノーモービルで迎えにきた!
現地まではこれで行くのだ。一人ずつ後ろの橇に乗って引っ張ってもらう。4人はきゃーきゃーわーわー大はしゃぎ


そして現着




 キマリ「すっごー、氷山だ」
 結月「こんなに大きな氷を削っていくんですか?」
 かなえ「持ち出し禁止の南極で、ゆいいつ自由にお土産にしていいものだからねー。この氷の中には、何万年も前の空気が閉じ込められていて、溶けるとぷちぷち弾けるのよ。ちょっと食べてみる?」



はい!



 キマリの「南極4大目標」(ワタシが勝手に命名しました)のうち、「ペンギンと記念写真撮る」は、本編では出てこなかったが、すでに達成済みらしい。まあOPではアザラシと写真を撮ってるほどだから、それくらいはやってるわなあ。でもって、ここで2つ目の「かき氷食べて」をクリア。4話でキマリが挙げた順番と逆になってるのも計算のうちなんだろうけど、つくづく細かい。
 残るはあと2つだが……。

 かなえ「これが始まると、夏も終わりだなあって思うわ」
 日向「そうなんですか?」
 かなえ「すぐ秋になって……冬になって」
 キマリ「越冬だ!」
 日向「冬のあいだって何してるんです?」
 かなえ「いろいろやってるよ。ゲームしたり、お酒飲んだり」(ここで、敏夫たちが「流しそうめん」に興じる映像が挿入される)
 日向「はあ?」
 かなえ(にこにこして)「もちろん、研究や観測なんかも大切だけど、いかんせん、6月になったら1日中夜だからねー」
 日向「そっかあ……」
 キマリ「極夜……だっけ?」
 かなえ「昼前にわずかに地平線が明るくなる。1日のうちに変化はそれだけ。あとはただただ、夜が延々とつづく」

(挿入される極夜のイメージ)
 日向「ずっと夜かあ……」
 かなえ「でもそのぶん、星は綺麗だけどね。オーロラも見えるし」
 キマリ「オーロラ……あっ! そういえば見てない!」
 日向「そりゃまだ、ちょっとしか夜にならないからな」
 キマリ「ペンギンと記念写真撮って、かき氷食べて、オーロラと南極星まだじゃん!」
 日向「だから白夜だって言ってるだろ」
 そこにとつぜん、「助けて!」と切迫した声が。

 結月が発言しなかったのは、遠慮していたからだろうが、この人はそうじゃなかった。脇でペンギンにスマホを向けていたのだ。それが、いつの間にやらこんなことになっちまってた。


「しあわせ。でも臭い。でもしあわせ。でも臭ーい」(これを微妙に変えながら10回ほどループ)

 「私は作業戻るけど、ゆっくりしてきなさいよ。たぶん氷塊も今日が最後でしょ」と、かなえが立ち去っていく。


そっか……




報瀬のわちゃわちゃに付き合う日向。「5メートル以内に近づけないんでー」「助けてって言ってるでしょ~」「無理でーす」
……まあ、本編で描かれなかった「ペンギンとの記念写真」を、この場を借りて思いっきりビジュアル化したということでしょうか


 いっぽうこちらはちょっとしんみり。



なんか、すっかり慣れちゃいましたねー、この景色も。



たとえばだけどさ、たとえばだけど……