桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

2013・6・29

2013年06月30日 | Weblog
朝、母からの電話で今日はお昼まで検査が続くので来ないでいいと言われたのでのんびり朝風呂に入って食事してから12時に店へ。今日は昨日に続いてプラチナネックストの公演が2時と6時の二回あるので、フードの準備。マチネは元マドンナのTちゃんが手伝ってくれたが、ソワレは一人。それも終演後の打ち上げ用の料理40皿を含めて130オーダー。カウンターのお客さんはいつも妖しい魅力を振りまく歯科医のSちゃんとキャスティングディレクターのUさんだけだったけど、さすがにクタクタ。ごめんなさい。月曜日は臨時休業します。

2013・6・28

2013年06月29日 | Weblog
今日は時間的に表に出てしまったら食事をとる時間がなさそうだったので、出かける前にSちゃんからいただいた博多の明太子、昨日店から持ち帰ったすき焼きの残りのリフォーム、同じくアボガドサラダ、納豆、揚げとネギの味噌汁などでご飯を二杯食べる。12時に母の家。頼まれていた書類の整理などをして使い慣れたつめ切りやはさみなどを持って1時過ぎに母の病室に。
母は看護士さんが親切なこともあって頗る上機嫌。数日後に大変な手術を控えている怪我人にはとても思えない。3時前、病室を出て頼まれた新聞の講読代を販売店に払いに行きがてら広尾にある業者向け食料品店で仕入して4時過ぎには店へ。今日と明日は文学座のシルバークラス?の「戯曲を読む会」の公演。昨日のゲネの様子ではオーダーが一杯出そうだったので、開演前までにメニューにあるフードを出来る限り作っておく。でも、それは正解だったみたいで、開演前開演後ともドリンク含めてオーダーの連続で合計70オーダー。フードは全部うりきれていた。そしてカウンターにもいつも妖しい魅力をふりまく歯科医のSちゃん、芝居や自主映画の制作や演出に携わるMさん、婚約者を俺に紹介しにきたS女子大時代からの知り合いのUさん、今週は三度目も来店してくれた社長秘書のYさん、某国営放送局を今年退職したばかりのIさん、美人OLのJ子さん、そしてイチゲンの三人組などが来てくれたものだからかなりのバタバタ度を呈してしまった。そんな俺のことを予想したのか近所に住む女性ディレクターのあいさんが十日ぶりに顔をだしてくれてボランティア活動をしてくれる。明日は昼間はTちゃんが手伝ってくれると云う。ちょっとダウン気味だった俺だけど、みんなの好意で精神的には頑張っていけそうな気。後は体力だけ。★7/1(月)は勝手ながら臨時休業します。尚、これから個人的な事情で臨時休業することが度々あるかも知れませんので、ご来店の際には必ずこの日記を見るか店に電話してお確かめください

2013・6・27

2013年06月28日 | Weblog
母が定期配達して貰っている生協の野菜や生ものが10時から12時の間に届くことになっているというので9時半までに留守宅に向う。昨日緊急入院しての今日だから他にも新聞の配達を止めたり冷蔵庫の整理をしたり書類を探したり留守電をチェックしたり母に頼まれたいくつかの用事を処理する。並行して持ってきたパソコンでこの日記。こんな時くらいやめたら?と云う声に抗うように書く。お昼には医師の義妹と弟が来ている筈なので、狭い病室でだぶらない様にいきつけのトンカツ屋「D」で食事してから病院にいく。母は慣れない環境と自分が置かれた状況に戸惑ってはいるだろうけど表面的には元気で安心。これで落ち込まれていたら(落ち込む方が自然なんだけど)どう対処していいか分からない。手術は七月になってからになりそうだけど、大変なのは手術が終わってからのリハビリだ。こうなれば一心同体で例え店が営業できなくなっても母に寄り添う覚悟。他の弟妹も同じだと思う。でも、俺たちがこんな気持になれるのは母が俺たちを育てるのに苦労してきたのを知っているからで、今日雑談している時にその甲斐があったねと云ったら、反対にお前は家庭を途中放棄ばかりしてきて、もしも私みたいにことにあったらどうなるんだろうねと病人に反対に心配されてしまった。今日も後で一番下の弟夫婦が来たのでバタンタッチして病室を出る。本当は店に直行しなくてはいけない時間だったのだけど、どうしても気持の中継点が欲しくて広尾のスタバに入って珈琲を飲みながら昨日作家の鎌田敏夫さんにいただいた最新エッセイ集「来て!見て!感じて!」(海竜社刊)を読む。これは「俺たちの旅」「男女七人秋(夏)物語」「金曜日の妻たちへ」「29歳のクリスマス」などの脚本家である鎌田さんが自分が書いた脚本の中から50の思い出深い台詞(一部は他の人書いた映画や小説の台詞もあり)を選び出し、その台詞が生れた背景と台詞の意味を掘り下げたものだ。エッセイとしても一級品だけど、若手の脚本家や脚本家志望の人たちはHOWTO本ではない最高級の教科書だと思う。俺は全くの新人(初めてのテレビ作品が鎌田さんメインの連続ドラマだった)の頃からもう40年近くおつきあいさせていただいていて、尊敬できる素晴らしい作家だとは思っていたけと、今回この本を読ませていただいて、何となくは知っているつもりになっていたけど、こんな風に鎌田さんのシナリオは出来ていたのかと目から鱗の発見、驚きで、もっと早く鎌田さんの創作の原点を知っていたら俺ももう少しましな脚本家になっていたかもしれないと臍を噛む。5時過ぎに店。今日は急遽明日明後日と公演するプラチナネクストのゲネ公演が行われることになったのだけど肉体的精神的な疲れもあって料理を準備する力が残ってなく、何も用意しないまま営業してしまう。早い時間に某美人のRさん、久し振りに顔を出した京女優Kさん、そして偶然なのか彼女の知り合いのキャスティングプロデューサーのUさんたち、法律事務所勤務のNさん、そして最後は脚本家志望のOLのKさんと来店してくれたが、料理のオーダーは殆どなく、ホッとする。でも、明日の公演は現在予約観客数が50、明後日の土曜日は昼と夜とで80とか。オーダーが一杯あったら嬉しいと思うのと、あったらどうしようと思うのが50%、50%。そんなことを思うようじゃ飲食店の最後が確実に近づいている。★7月1日(月曜日)臨時休業します。尚、今後個人的事情で臨時休業する可能性がありますので、ご来店の際は必ず電話でご確認ください。

2013・6・26

2013年06月27日 | Weblog
個人的日記とはいえブログで書いている以上半ば公器なのに、それを使って身内の怪我や病気について書くのはどうかと云う意見があることはあるだろうけど、俺にとって母親は最近は特に自分の生活や人生に大きなウェイトを占めている存在だったし、これからも手術やリハビリで最適二カ月は病院生活をしなくてはならない母親に当然俺も関わっていく訳で、それが俺のこれからの人生にどんな影響を与えていくか分からないけど、どうも人生の流れが大きく変わっていく予感がしている。午前中に母を病院に入院させた後、一番下の弟とバトンタッチして今日保険会社に渡すことになっている書類を取りに一旦帰宅。朝から何も食べてなかったので本当は今日の老老ランチ様に用意したいわしのオリーブオイル焼きや鶏の唐揚げやサラダで食事してから店に5時過ぎに入る。殆ど買い物が出来なかったので、冷蔵庫にある食材だけで料理を作って並べる。開店早々、日記で母のことを知ったいつも妖しい魅力をふりまく歯科医のSちゃんが来てくれて色々心配してくれる。お客さんは他に雨模様も手伝って社長秘書のYさんたち、今度日経新聞に連載していたエッセイを出版した有名脚本家のKさんと出版社のTさん、脚本家のHさんの六人と低空飛行。閉店直前に母が飼っていた犬のブリーダー?のMさんが犬の世話をどうするか相談にくる。でも、そこまで頭が廻らない。他にも色々と決めなくてはいけないことが起きそうだ。終電ぎりぎりで閉店して五反田駅から徒歩十二三分。足が重い。途中で座り込みたくなってしまった。部屋に辿り着いてベッドに直行。眠たい。眠る。、

2013・6・25

2013年06月26日 | Weblog
現在水曜日の四時前。早朝、母が散歩中に転んで動けなくなったとの連絡があって、殆ど着の身着のままで飛んで行って、病院に連れて行く。診断は大腿脛骨骨折。股関節の一部を骨折しているらしい。今週末に手術、その後の数カ月に及ぶリハビリを覚悟する必要があるとのこと。今、店で必要な書類を取りに一度部屋に戻ってきたけど、これからどの位店のことに時間を費やせるか分からなくなってきた。いつかこんな日がくるんじゃないかと恐れつつも現実になってみるとうろたえる。でも、これからが息子の真価が問われる時だ。

2013・6・24

2013年06月25日 | Weblog
「あまちゃん」東京篇の為に7時半に起き、顔を洗って珈琲をいれてオンエアを待つ。何だか昔自分が書いたテレビドラマを見るみたいな緊張感。ちょっと勘違いしている。でも、ドラマも全く新しく衣替えした印象。ナレーションも夏さんからあまちゃんに変わっているし、こんなイメージチェンジしても今までの客を引っ張っていけると云う自信が作家とスタッフにはあるんだろ。ただ尊敬。そして一観客になる。ただ、東京篇は始まったけど、俺ァの体調はちょっと逆戻り。温泉卵を落とした昨日のすき焼きの残り、畳鰯、水ナス、韓国海苔,豆腐の味噌汁をテーブルの上に並べたもののいつも二膳は食べるご飯は一膳きり。食後、この日記を書いた後は(と云うか途中から)だるくて眠たくて堪らなくて、ベッドに倒れこむ様に眠ってしまう。単なる身体の老化なのか?異変が起きているのか?まぁ、どっちにしろ気持も身体も十代には戻らないんだし、60代には60代の気力の衰えと肉体の金属疲労があるさと可愛く居直って店に行ったら、先日23年ぶりに再会したIが近所?にある都立H高校に通う娘のSちゃんを連れて開店前に来て、彼女の相談に乗ってくれと云う。その内容はマル秘だけど、制服姿の16歳の女の子の相談に真面目に乗って、例え母親が傍にいたにしろ、看板を点けるのを忘れる程真剣に話し込んでしまう。この感覚は今年の一月俺の芝居を見に来た13歳の孫と話した時も感じたし、以前スタッフだったLちゃんに最初に会った時もそうだったけど、このスリリングさってどう説明したらいいんだろう?多分これまで彼女たちが生れて来てからの時間と俺がこれから生きることの出来る最大時間が同じ位だと意識してしまうのだ。何の意味も接点もない。でも、きっとそんな10何年と云う年月を意識することが俺の神経を研ぎ澄ませる。8時近くA芸能で旺盛に執筆活動を続けるライターのIさんがKさんと来店。続いて二年ぶりの来店となるNさん、近所の制作会社の女性プロデューサーのAさんたち、大阪からの出張のついでに寄ってくれたS新聞のUさん、法律事務所勤務のNさんなど。最後のお客さんのUさんが12時ちょうどに帰ってので後片付けを始めるが、「Sちゃんの生れて16年、桃井の残された16年」と云うフレーズが頭に浮かび、動作がスローモーになる。途中考え事をしてボッーとしていたこともあったのだろうか、気づいたら最終電車10分前。厨房は汚れたままだけど、タクシー代2500円を倹約する方が大事とばかり、店を後にする。そうだよね、俺には普通でいくと16年位しか残されていないんだよね。どうしよう?って悩む初期高齢者っているか?

2013・6・23

2013年06月24日 | Weblog
目が覚めて時計を見たら8時2分前。しまった、今日から「あまちゃん」の東京篇が始まるんだとベッドを飛び出して別室にあるテレビを点けたのだが、うん?うん?うん?違う、これって「あまちゃん」じゃないとしばらくして気づく。そうだよ、今日は日曜日だ。「あまちゃん」東京篇は明日からだ。そうそう、昨日は具合が悪くて店を早仕舞いして部屋に帰り早い時間に眠ってしまったんだ。でも、睡眠をたっぷり取ったお蔭で今日の体調はいい。そうじゃなかったらいくら「あまちゃん」でも飛び起きる訳がない。食欲も戻った。店から持ち帰った牛肉としらたき、ネギに春菊とキムチを加えて胡麻油で作る特製韓国風すき焼き、昨日大阪のYさんからいただいた水ナス、粒貝の醤油漬け、若布と油揚げの味噌汁でご飯を二膳。こうして元気が回復すると映画が見たくなる。ダスティホフマン監督作品の「カルテット」とヴディアレン監督の「ローマでアモーレ」のどっちかを見ようと思っていたのだけど、近所の品川プリンスシネマで「ローマでアモーレ」を上映していたのでこっちを選ぶ。映画を見た後、母の所に行くつもりで食材を用意していた時、ふと数日前にした母とお喋りを思い出す。今はすっかり映画館にいかなくなってしまったけど、子供の頃には映画好きの母親(俺の祖母)に連れられてデートリッヒの映画なんかをよく見に行ったとか。だったら老後は息子に連れられて映画に行くのもアリじゃないかと思って断られるのを覚悟で誘ってみると、二つ返事でOK。斯くして65歳の息子と※※歳の母親の映画見物。それもヴディアレン。例によって例の如くストーリーははちゃめちゃ。時制なんかおかまいなし。幻想なんだか現実なんだか分からない映画で、俺としては笑い声をあげるのを堪える程面白かったが、隣の席で母も笑っている。それを見てホッとする。一緒にきてよかったと思う。シニア料金二人で二千円の安い親孝行。今度はダスティホフマン監督作品を一緒に見に来よう。

2013・6・22

2013年06月23日 | Weblog
現実に痛みを伴うのは左手の甲と、そして今日からまた発症した腰痛だけなんだけど、何だか得体不明の倦怠感と疲労感に朝から襲われていて、無理やりご飯を食べたものの何を食べたか覚えてないなんて俺らしくないけど、それほど食欲がなかったと云うことで、再放送で「あまちゃん」を見た後、また眠ってしまって、起きたのは3時過ぎ。昼寝を二時間以上取るなんて滅多にないけど、ということは身体の何処かが悪いと云うことで、土曜日だし、このまま臨時休業してしまおうかと思ったけど、今日は7時半にイベントスペースの見学の予定が入っていたので、そう云うわけにも行かず、4時過ぎに体をひっぱる様に部屋の外に連れ出す。こう云う時にマンションの前にバス停があるのは助かる。殆どベッドtoベッドの感じでバスに乗ったら六本木まで殆ど完睡、というか乗り過ごして終点のヒルズまで行ってしまったけど。でも、それで少しは元気が出て、店に着くや否や、昨日15人の団体客が帰ったままになっているイベントスペースを片づけることから始まって、トイレ掃除、ビールの洗浄、お釣りの準備、グラスの洗い物など営業するのに必要最低限のことを終えるが、料理は駄目。どうしたらそう云う神経になるんだか自分でも分からないけと、今日は料理なしと決め込む。お客さんが来たら訳を話して許して貰おうと決め込む。もうその時点で飲食店の体裁をなしてない。自分を責める。でも、体と気持が動かない。更に自分を責める。7時半にMさんたちが見学にくる。この後続いてお客さんが来たらどうなっていたか分からないけど、彼女たちが見学して打ち合わせしている一時間弱、俺は椅子に座っていてもフラフラ目眩がして、半分朦朧状態だったもんだから、見学が終わった後でMさんにビール飲んで行ってもいいですか?と聞かれた時、「すいません。今日は休みでして」と即答していた。ごめんなさい、Mさん。本当はそういう訳だったのです。と云う訳で、Mさんたちが帰った後、俺も張り紙して店を急いで離れる。今日は例え社長秘書のYさんが来てくれても駄目。とにかく体を横にしたいの一心。勿論六本木から五反田まてのバスの間は再び眠りこけ、部屋についたら「ガリレオXX・内海薫最後の事件」を見ながらソファで眠りだし、終わった頃に一旦起きたが、歯を磨いていたらまた睡魔におそわれて今度はベッドで本格的に眠ってしまう。店にはその間に誰かお客さんが来てくれていたかも知れない。その方々には悪いと思いつつ、もう年齢が年齢だし、そして根本的に客商売に向いてないのだから仕方ないだろと嘯く俺は居直り強盗。

2013・6・21

2013年06月22日 | Weblog
左手の甲の腫れと痛みは大分和らいできたけど、まだ完全にはひかないもんだからお昼に老老ランチをしようと麻婆豆腐の入ったタッパー、炒飯の入ったタッパー、サラダの入ったジップロック、お隣のKさんにいただいた西瓜を何切れかいれたかなり重く嵩張る袋を右手に持ち、肩からいつもの鞄を背負って部屋からでようとして、傘を持つ手に困る。右手に荷物を持つと左手で傘を持つしかない。でも、それは左手にかなりの負担を強いる。迷った末に今日はタクシーに乗ることにする。お店の残飯整理をして倹約しようと思ったのにタクシー代(980円)をかけるのは本末転倒の感があるが、老老ランチ出来る方を優先する。そのお蔭で今年初の西瓜を母と頬張ることが出来たし、今日もまた「あまちゃん」の話で盛り上がることも出来た。それにしても「あまちゃん」は俺の周りで盛り上がり過ぎだ。店では昨日も一昨日も「あまちゃん」話でいい年した大人がはまり具合を喋っていたけど、今日もまた水ナスをお土産に大阪からの出張ついで寄ってくれた運送会社の女社長Yさんと「あまちゃん」談議。因みに彼女は猛烈にはまっているけど、大阪全体では視聴率的にも話題的にも東京ほどではないそうだ。そこの所は東西比で面白い。他にお客さんはイチゲンの三人組、社長秘書のYさんと以前一緒にきたMさんとSさん、映画プロデューサーのKさん、法律事務所勤務のNさん、先日道端でばったり会った女性脚本家のMさんと美人CMプロデューサーのRさんなどで、金曜日にしては少ないけど、台風接近の雨模様の日にしてはまぁまぁかと思っていたら、11時過ぎに近所にあるドキュメンタリー制作会社の面々が15人あまりで「大量来店」。俺の好きなNさんとも久し振りに会えたし、そこからみんなが引き揚げる2時半までの時間、売上アップで左手の痛みは忘れていることが出来たけど、後片付けを全部する能力はもう俺には残ってない。

2013・6・20

2013年06月21日 | Weblog
今日は待ちに待った20日だ。毎月20日になるとソワソワドキドキする。俺が著作権を信託している脚本家連盟から二次使用料が毎月払い込まれる日なのだ。毎月20日になると(20日が土日祭日の場合は19日に)何気なさを装って郵便ポストを覗き込む。そして何通かのDMとチラシの中に混じっている支払通知書を「あれ、今日だったけ」といかにも忘れていたかのように独り言を呟いて、本当なら今すぐ封を切って払い込まれている金額を知りたいのに、わざと無関心を装って封筒を鞄の中に放り込み、それが出勤する時だったらバスの中で人目を避ける用に後部座席の隅に隠れて封を破るし、帰宅した時だったら深夜のエレベーターの中で、ごみ捨てに行く途中だったらゴミ集積場の悪臭に耐えながら封を切るのだが、不労所得だから文句はいえないのたけど、殆どの場合はため息してがっくりくる金額が目に入ってくる。でも、それも当然だ。俺がプロの脚本家を廃業してもう15年だ。それも大したヒット作もなく廃業に追い込まれたような脚本家に例え3万でも4万でも(去年実績)年金みたいに毎月お金が振り込まれてくるだけでもありがたいと思わなくてはいけない。それは重々承知なのだ。承知は承知だけど、今から六年前たった一本の映画のテレビ放送料として何かの間違いみたいに150万円もの使用料が払い込まれたことがあったもんだから、それから以後、「20日の郵便ポスト」は俺にとって金庫みたいに思えているのだ。それなのにそれなのに、今日は部屋を出るまでは店に行くことよりも金庫を覗くことの方が大事に思えていたのに、お隣の奥さんが西瓜をくれたりして井戸端会議をしている間にバスの時間に間に合わなくなってしまったもんだから慌てて階段を駆け下りて、金庫を見るのを忘れてことに気づいたのはバスの中だったのだ。ああっ、ひょっとして何百万も振り込まれていたら俺の人生は変わるのに、なんてことをしてしまったんだと漫画みたいに悔しがり、今日は店にいてもそのことばかりが頭の中を占めていたと聞いたら、今日兵庫の灘から来てくれたもう30年以上のつきあいになる令嬢ことKさんや今度娘さんがウチのスペースでライブをやることになったテレビAの関連会社社長のKさんたちは怒るかも知れないけど、去年の九月から役員報酬ゼロで生きてきてお金渇望過剰になっている俺に免じて許して貰いたい。でも、今日もお客さんは前出の二人と中年のカップルの合計四人だけだったし、12時には閉店してしまったのだから金庫の扉を開けるまでにはちょっと辛抱の筈だった。それなのに、また何をぼんやりしていたのか、何に疲れていたのか、そんなに痛風の痛みがひどかったのか、本当ならエレベーター傍にある金庫を覗く筈なのに、エレベーターを使わずに外階段で部屋に入ってしまったのだ。そして金庫を覗かなかったのに気づいたのはベッドの中。もうさすがに起きて確かめにいく訳にはいかず、少なくとも100万円くらいは振り込まれて金庫に眠っているに違いないと夢見る65歳だった。。