桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

2011・12・30

2011年12月31日 | Weblog
終わった。一時はどうなるかと思った12月が終わった。結婚前そして結婚してからも合わせて五年以上も一緒に働いてきたMに「今日で店をやめます」と突然宣告されたのは先月の30日の午後3時。青天の霹靂とはこのことだろう。確かに夫婦間には色々問題はあったけど、彼女は毎日店に出ていたし、それより何より来年からは色々な事情から俺が第一線を退いて、Mが中心になって新しい女性スタッフを見つけて新生コレドをやっていこうと10月段階でMと決めたばかりだったので、意味が分からなかった。二ヶ月の間に彼女に何があったのか?聞きただしてみせてもMからはハッキリとした答えを言ってくれない。でも、今日の今日やめるっていうのはちょっと問題だし、せめてパーティやイベントの予約がぎっしり詰まっている12月一杯までいてくれないかと思ったものの、もうあの店には行きたくないというばかりで、翻意をさせようにも、その時間がなかった。彼女が今日からもう店には出ないという以上、俺はポルトガル語講座をキャンセルし、店で彼女がする筈の開店準備にかからなくてはならなかったからだ。そこからだ。俺の地獄の一ヶ月が始まったのは。翌々日は40人のパーティ、10日後には60人、その二日後には20人、その十日後には40人のパーティと続き、その間にはイベントが15件あって、その30日の間でスタッフのO君が文学座の公演の為に店に出ることが出来るのはたった7日だけ。つまり残りの21日はこの予定を一人でやらなければならなかったのだ。確かに天使が大勢現われて俺の窮状を見かねてグラスを洗ってくれたりしたし、それはそれで大助かりだったけど、基本は一人だ。24日と25日の連休を除いて日曜祭日もいれた27日間、朝昼兼用の食事を終えたら前日の経理事務、顧客名簿の整理、イベント関係のメール返信、郵便物の作成に始まって2時半から3時には部屋を出ると仕入れして4時前には店に出て、そこから少ない時で9時間、多い時で12時間店にいる生活が続いてしまったのだ。その間、店をどうしたらいいか考えたり悩むのを停止した。考えたり悩んでいたら店が止まってしまう気がしたのだ。考えたり悩んだりするのは1月になってからにしよう。その為に休みを一杯とろう。だからそれまではただ何も考えずにいこうと心に決めて突っ走ってきての今日。12月の30日、金曜日。もう一昨日あたりからバテバテで、連休を途中いれて少し気が緩んだのがいけなかったのか風邪気味だし、ダウン寸前で、本当は休んでしまいたかったけど、優しかったり色っぽい天使たちが大勢俺を慰めに来るといけないと無理やり店をあけたのだけど、広尾時代の店の一階でユニークな雑貨屋さんをやっていたKさんを皮切りに、近所のシルバーモデルのMさん、彼とは名門A高校の同窓生の映画プロデューサーのKさん、S大学経済学部教授のSさん、某制作会社経理担当役員のIさんたち、そして大阪に転勤になった後も上京の度に寄ってくれる去年まで来店数でダントツ一位を三年間続けていたS新聞のUさんにSミュージックのH君と、最後の二人を除けば一見して平均年齢55というオジサン天使ばかり。嬉しさ98%、淋しさ2%。それは最後まで残ったH君も同じらしく、コレドに行けばきっと天使たちが大勢いる筈と石神井の家からわざわざ遠征してきたのに充てが外れて落ちこんでいるので、そんな彼を口実に今年一年を締め括る意味で飲みにいくことにする。31歳のH君と過ごす今年最後の日。鶏料理の店で焼鳥10本づつど豚ロース焼きと日本酒を各々5本、そこを出て上海風中華料理屋で餃子とラーメン食べながら紹興酒を二杯づつ。かなりの暴飲暴食の結果、部屋に帰ってバタンQで寝たのに二時間後に飛び起きてトイレ直行。でも、解放度90%。30数才年下なのに割り勘に応じてくれたH君に感謝。そしてこの日記を書いているのは31日の午後3時過ぎ。ホントに、本当にゆったりとした大晦日が流れて行っています。次にこの日記を書くのは新年になってしまいますので、今日の日記の最後に、今年一年本当にお世話になりました。来年もどうぞよろしくとご挨拶して。★新年は10日(火)から営業します。

2011・12・29

2011年12月30日 | Weblog
今朝起きてから一番食べたかったものは、たたみいわしのお吸い物、というか畳鰯に醤油をチラッと垂らしてお湯をかけただけのお汁。今日は豪華に畳鰯を二枚分焼いてお椀の中に千切る。そのお椀がメインだから他はどうでもよいのだけど、冷凍してあった牛肉を解凍して、赤唐辛子、しし唐、豆板醤、キムチなどを総動員して胡麻油とニンニクで肉やネギを揉んで激辛すき焼を作る。ここまでやって韓国海苔まで添えると日本料理というより韓国料理みたいだけど、畳鰯のお椀も美味しく、第一食目の食事としては大満足。年末年始、今日からバスの時間が違っているのに気づかず、次のバスまで20分以上もあったのでイヤフォンでポルトガル語のテキストを聞きながら品川駅まで歩く。ポルトガル語は毎日同じ文章を聞いているのに殆ど聞き取れない。さすがに嫌になる。でもやる。こうなったら棺桶に入った時も誰か傍にいたら俺の耳にポルトガル語の流れるイヤフォンを突っ込んでくれ。勉強しながら天国か地獄に行こう。銀行と簡単な仕入れをして5時前に店へ。店の前で俳優事務所のKさんにあったのでそのままビール一杯だけと連れ込む。二人の間にいる共通の知り合いの噂話。特に彼女をウチの店に最初連れてきた演出家のSちゃんの近況を慮る。リハビリは順調なのか?そうだと思いたい。来年は酒は飲まなくてもウチの店の階段を下りることが出来るまでには回復してほしい。Kさんと入れ違いに俳優事務所社長で来年の五月に公演する芝居のプロデューサーでもあるNさんが来店。先日正月明けに台本をみせると約束して別れたので、その確認念おし。その為に年明けは休みを9日までとったのだ。30日までとにかく店を営業したら後は頭の中を芝居モードにするつもりなんだけど、税理士の先生にはこのまま店を続けることは借金地獄へ突っ走っているようなもんだから出来るだけ早く閉店すべきだと言われるし、他の店のオーナーやママからも閉店を勧められるし、どうしていいのかわからないままて年を越す訳で、それ以外にも私生活もこのままだと決着がつかないままだろうし、頭の中の居住者が芝居だけという訳にはいかないだろうが、そんな不安定な気持ちが混濁して台本になったら面白いと思いたい。他にお客さんは赤坂の制作会社のAさんと美人CMプロデューサーのMさんと俳優のMさんの5人だけ。12時まで粘って電車で帰宅。冷蔵庫にとっておいた鴨肉の燻製が賞味期限を切れそうなのでお皿に並べ、大根にオリーブオイルをかけて添えると、ここは当然ワインということになり、店から持ってきておいたポルトガルワイン「CORETO」の栓を抜いて一人晩餐。となるとテレビの地上波は邪魔で、先日買った佐渡裕のベルリンフィルをかけながら「13階段」をラストまで読む。★年末は30日(金)まで、新年は10日(火)から営業します。

2011・12・28

2011年12月29日 | Weblog
ちょっと食欲がない。となると当然作る意欲もなくなる訳で、今日はミネストローネの缶詰を空けて、一緒にコンビーフも空けて、サラダを添えて、ニンニクバターライスを作って食べるのが精一杯。2時半に店。今日のイベントでは打楽器を使うので、振動音が上の店などにどの程度響くかチェックする。最大限に叩いても許容範囲内だと判断して銀行にいく。多分普通の会社は仕事納めということなのだろうかATMは混んでいるのに、会社と個人二冊の通帳に引き出しと預入、それに合計8軒の送金を繰り返す。時間が余ったので日本か東京で二番目に美味しい珈琲の店というのが売り文句の「BB」で二番目に美味しい珈琲を飲みつつ、「13階段」(高野和明)の続きを読んでいたら、数時間前は食欲がなかったのにこの時間には回復して空腹を覚えたので、乃木坂界隈で一番美味しい蕎麦屋「CH」で京都のネギ蕎麦を食べる。ホント美味。お汁も一滴も残さず飲んでしまった。5時に店に入って開店準備。今日はO君が来てくれたのだけど、風邪をひいて具合が悪そうに見えたし、イベントの観客数も30人以下と予想されたので、観客が入る前に帰って貰うことにする。でも、えてしてこういう日は忙しくなるもので、開演前にも料理のオーダーがかなりあった上に終わってからみんなして呑んで行ってくれたので慌てる。おまけにカウンターにも少し前までパリに在住していた映画監督のTさん、芸能関係を中心にルポルタージュを書き続けているIさん、今日で55回目の来店だと仰って今年を締め括った悠々セカンドライフのSさん、食品会社の経営者のAさんたち、日本の大学で教鞭をとりつつ執筆活動を続けるアメリカ人のJさん、彼女とももう30年近いつきあいにある大御所の脚本家Tさんたち、以前スタッフだったTちゃんの友達でいつもビールしか飲まないFさん、某国営放送局勤務のIさん、セカンドライフを演劇鑑賞にあてるSさん、法律事務所勤務のNさん、ほかにイチゲンが何組かいてかなりの忙しいで、嬉しい悲鳴。でも、今日は天使が現われなかったので、シンクから溢れ出ているグラスの山をみて、とても洗う元気はなくなって、明日だ、明日だと自分を納得させてそのまま逃げるように店をでてしまう。大晦日は営業しないので今年は後二日だ。何とかこのまま突っ切れたらいいんだけど。★年内は30日(金)まで営業、新年は10日(月)から営業します。


2011・12・27

2011年12月28日 | Weblog
12月の27日ともなると師じゃなくとも忙しく走る。起きて日記を書くだけで、食事をする時間も風呂で本を読む時間もないまま、近所の眼科医へ薬を処方して貰いにいく。そのまま今度は茅場町のT歯科クリニックへ。いつも通りの定期検診のつもりだったのが、問題児の歯がトラブルを起こしているようで、正月早々に来院して本格的な治療をすすめられた上で抗生物質をだされる。やばい。これで昨日整形外科で貰った尿酸値を下げる薬二種類と、精神科クリニックで貰っている睡眠導入剤とあわせると一日で四種類の薬を飲むことになる。おまけに皮膚科で貰った軟膏を塗って眼科の目薬と花粉症予防の点鼻薬まである。そして更に昨日届いた先日の健康診断の報告書によると便潜血反応がE評価で即精密検査の必要ありで、コレストロールがC判定で三ヶ月後に再検査を受けろと書かれてある。ウーム、これ以上薬を飲むようになったなったら、まるで薬局だ。そんなお年頃かと嘆きつつ、このまま部屋に帰っても滞空時間2時間ほどでまた店へ出かけなくちゃいけないことに気づいて、銀座でトムクルーズの「ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル」を見ることする。週刊文春の「Cinema Chart」欄で5人の評者の内コラムニストのNさんを除いて三人が★五つ一人が★四つとひどく評判のいい映画だったので期待したけど、多分俺は危機に陥っても最終的には主人公が助かってしまい、悪人をやっつけてしまうアクションは結果が分かっているのでつまらないのだろう。主人公が死んでしまうって訳にはいかないのか?なんて馬鹿なことを考えつつ店へ。今日は早い時間にウチの店と俺のことを心配して美人OLのJ子ちゃんがきてくれて、他にお客さんが9時過ぎまでいなかったので二人でおしゃべり。途中イチゲンのお客さん二組を挟んで映画プロデューサーのKさんと今日から「美人」を肩書につけることになったCMプロデューサーのMさん、今年で三十年のつきあいになる女性編集者のYさん、そして近所に住む若手弁護士のIさんご夫妻など。明日のイベントの準備をして3時過ぎに帰宅。昔のテレビドラマ「ガリレオ」が何故か自然にと録画されているので寝る前に見る。以前見たドラマで筋立ては分かっているし、犯人は捕まるって分かっているのだけど、俺としては「ミッション……」より何故か面白い。★年末は30日(金)まで営業、新年は10日(月)より営業します

2011・12・26

2011年12月27日 | Weblog
24日の日記にある佐渡裕がベルリンフィルで最初にタクトを振った曲目はシベリウスのではなく、ショスタコーヴィチの交響曲第5番だったことに気づく。うっかりミスか知ったがりミスなのか、とにかくこの程度のミスなら俺が恥を晒すことでこうして訂正出来る。そしてこの間違いを記念して、病院の帰りに寄ったTSUTAYAで「佐渡裕ベルリンフィルデビューLIVE」のCDを買い求めて照れ隠ししたりする。数日前にパソコンで映像を上映した人たちが現状復帰しないまま帰ってしまったのでそのままじゃDVD映像が映らなくなっているのに気づいてはいたのだけど、連休中に直しに来る元気勇気覇気はなく、今日のイベントで使うと言われたらどうしようと思っていたのだけど、それはなかったのでホッとしたものの、明後日のイベントでは使うことは分かっているので、お客さんが10時過ぎにみんな引き揚げた段階で修復作業にとりかかる。とにかくアレルギーなのだろう。パソコンに関連すると分かっただけで逃げ腰になってしまう。でも、これは逃げる訳にはいかない。あーでもないこーでもないとマニュアルと首っ引きで作業を続けた甲斐あって、一時間半後にスクリーンに映像が映し出された。どんなに苦手なものでも頑張れば殆どのものは元に戻る。でも、人間関係だけは駄目だ。一度その人の年表に負の事件として書き加えられてしまうと訂正が難しい。多分原因は俺の方にあるのだろう。昔世話になったNさんは公の席でも俺のことを非難中傷するし、泥酔して誰かに連れられて俺の店とは知らず来店した時など俺がワインをつごうとしたら桃井なんか傍に寄るなと喚く程嫌われてしまっている。お店のお客さんでも単に何かの事情でこなくなった人もいるけど、冠婚葬祭などで会釈しても顔を逸らすまでに俺を不快に思うようになってしまった人もいる。誤解をとくべきだという意見もある。俺に瑕疵があるなら訂正して謝罪すべきだという意見も聞く。でも、俺はやらない。現在形で俺の歴史が進んでいるのに過去の年表を訂正している暇なんかないのだ。俺は現在だけを生きていくし、明日しか見てない。そんな俺だから、5年前に始まった俺の人生における大きな事件が今年幕を閉じる★年末は30日(金)まで営業。年始は1/10(月)から営業します。

2011・12・25

2011年12月26日 | Weblog
今日は起きてから誰とも会わない。誰とも電話で話さない。何処にも出かけない。そして何もしない。本当は今日しか年賀状を書く時間がなかったけど、筆記用具がボールペンしかないことを口実にやめてしまった。去年も200枚の年賀状を無駄にしたけど、今年もこれじゃどうなるかわからない。掃除も洗濯もしたくない。辛うじて食事の仕度だけはする。残り物のオデンと畳鰯とカリカリベーコンとレタスのサラダにしめじとかぶの味噌汁で食事した後、ベッドにひっくり返って、「13階段」(高野和明)を読み出す。前から気になっていた小説だけど、昨日やっと買うことが出来たのだ。途中「3・11映像の記録~あの日、何があったのか~」(TBS)をチラチラ見る。確かにあの日何かがあって、確かにあの日から俺の周りで何かが変わってしまった。死刑囚の小説と大地震のドキュメントを行ったり来たりしながら何十分かおきかにうたた寝する。夜はワンタンスープに残りご飯でチャーハンを作って食べる。あまり美味くない。ビールを飲もうとしたけど、あまり飲みたくない。またベッドにひっくり返る。そして眠る。深夜日本賞を受けた仏のドキュメンタリー「チェルノブイリ」(NHK)を見る。今日はダラダラと全く意欲的じゃない一日だったけど、俺の頭の中には死刑と震災と原発問題がグルグルと廻っていた。★年末は30日(金)まで営業。年始は1/10(月)から営業します。

2011・12・24

2011年12月25日 | Weblog
この間、妹のKが俺の手を見て「これ塗るといいよ」と肌荒れ防止薬を取り出した。今までも食器の洗い物は毎日してきたし、日替わり天使が現われてグラスを洗ってくれたりしてきたけど、やっぱりこの一ヶ月の水仕事の量は半端じゃなくて、俺の手はガサガサになった上にひび割れまでしてきたのだ。「ホラこうして塗るのよ」と妹がひび割れした指に薬を塗ってくれる。されるがままの兄。他人が見たら少しやばい光景だ。母に昨日のパーティで残ったおでんを持っていく。「おいしいっ。この味どうやったら出るの?」とお世辞を言ってくれる。いや、オフクロの作ったお膾も美味いよと二人して熱燗を飲みながらお世辞を言い合うクリスマスイブ。この光景も他人が見たら微笑ましさより気持ち悪さを感じてしまうだろう。でも、俺は肉親がこうして触れあっているのを嫌だとは思わない。みんな60を過ぎてオジサンオバサンになったのに、母を中心に子供の頃のようになっている。こういうの、かなりの幸福度だと思う。今日は母に会いに行った以外は部屋の中でぼんやりテレビを見て過ごした一日。昨日途中まで見て寝てしまった「人志松本のすべらない話」も面白かったが、深夜やっていたNHK特集「情熱のタクト 指揮者佐渡裕」はベルリンフィルに憧れて指揮者になった佐渡裕が現実にベルリンフィルで指揮をするまでになった過程と実際に楽団員と闘いながらシベリウスの交響楽を完成させていくまでが描かれていて、深夜なのに食い入るように70分を堪能してしまった。そして久しぶりに何もせずにのんびり過ごせた一日をもてたことはそれ以上の幸福度か?。★年末は30日(金)まで営業。年始は1/10(月)から営業します。

2011・12・23

2011年12月24日 | Weblog
かなり疲労がピークにきているのか、9時過ぎに目が覚めたのに10時過ぎまでベッドから出ることができない。でも、こういう時は「気合だ、気合だ、気合だ!」と昔は小馬鹿にしていたレスラーの言葉を借りてベッドからでると、トイレ、風呂、洗濯、経理事務、日記と起きてからの日課をこなして、食事はせずにとにかく部屋をでてしまう。部屋で食事を作り、食べているとそのままダラッとしてしまいそうな気がして、怖かったのた。何故って、今日は予定では観客が50人のライブが6時から、更に8時半からは35人から40人のパーティがあるのに、O君は休みだし、料理から会場設営から一人でやらなくてならないので、一時間でもダラっとしている訳にはいかないのだ。おいおい、そんなスケジュール、一人でやれる訳ないだろ?誰かバイトにきて貰えばいいじゃないかと云う勿れ。クリスマス前の連休初日、いくら「負け組」が流行っているからって、今まで手伝ってくれた天使たちに、君たち負け組は暇だろうから店を手伝ってくれよと電話するのって勇気が必要で、いやそれ以前に俺の天使たちはみな勝ち組だろうし、遂に誰にも電話できずに今日に至ってしまったのだ。けど、流石に今日は一人でやるにはかなりの「気合だ、気合だ、気合だ!」が必要で、肩に食い込む程の食材の入った鞄を背負い、両手にスーパーの袋を持って店に入ったのが3時過ぎだったろうか、それから店を2時に店を出るまでは、ただただ掃除して、料理を作って、お酒を作って、洗い物をしての11時間。これだけの集中力と持続力があれば受験勉強だって出来て東大にだって受かっただろうにと学歴コンプレックスの俺は臍をかむ(話題がずれるけど、64歳になってまで受験や学歴のことを語っている俺ってある意味で凄い)でも、今日も天使は現われた。Fテレビの秘書のMちゃんとM銀行の同じ名前のMちゃんの二人が洗い物を手伝ってくれたのだ。ウームっ、俺って恵まれている。それにこの季節、ライブやパーティを企画してくれてウチの店の財政状態を助けてくれたSさんに感謝。とは言っても疲れ切ったことは疲れ切ったし、何処かで暖かい日本酒を飲んで帰ろうかと思ったけど、パーティで残ったおでんやお寿司、それに昨日※※テレビ社長秘書のIさんからのいただいたお菓子まて抱えて飲む気になれず、電気を消す前に強いラムを二杯ストレートで飲んで、2時前店の前からタクシーに乗り込んでしまう。普通だと細かい店の指示するのだけど、今日はそんな元気もなく、「五反田の昔のソニー近くまで。コースはおまかせします」と寝込んでしまったら、いつもは2300円から2500円なのに、2700円台。まぁ、仕方ないか。部屋で海苔巻きの残りを熱いお茶で食べつつ、録画してあった「松本人志のすべらない話」を見ながら一日を終える。今日働いた分、明日のクリスマスイブを臨時休業にして日曜日と合わせて久々の連休だ。さて何をしよう?いや多分何もしないだろう。十数年ぶりにひとりきりのクリスマス。★12/24(土)は臨時休業します。尚、年末は30日(金)まで営業。年始は1/10(月)から営業します。

2011・12・22

2011年12月23日 | Weblog
朝、湯船の中で北杜夫さんの「楡家の人びと」を読み続ける。若い頃読んで感動した覚えがあるけど、蔵書趣味のない俺はそのハードカバーの本を持っていないので、北杜夫さんが亡くなってしばらくして再販された文庫本全三冊を買って、再読することにしたのだけど、ここで毎日の様に訴え甘えている様に桃井にはただでさえ時間が極端にない上に、バスや電車に乗っている時は何がなんでもポルトガル語の勉強(→睡眠)と決めているし、ベッドに入ったらバタンQなので、必然的に読書は毎朝のトイレとそれに続く湯船の中ということになってしまい、文庫分三冊で約千二百頁というこの作品を飛ばし読みではなくじっくりと味わって読むとなると一日三十頁が限度で、単純計算すると約40日かかることになる。そしてホボその単純計算通り今日読み終えることができた。凄い小説だと思う。ドクトルマンボウシリーズがあるから何処か軽く見られる北杜夫さんだけど、ユーモアに彩られながらも極めて重厚な小説だ。北杜夫さんがトーマスマンの「ブッデンブローク家の人びと」に刺激を受けてこの小説を書いた様に、俺も「楡家の人びと」に刺激を受けて「※※家の人びと」を書こうと30歳の頃思ったものの、お金の為にどうでもいいテレビドラマばかり書いたり、飲み屋のマスターをやって若い女の子と仲良くなることばかりに時間を使っている内に、64歳になってしまった。この間には大手出版社Sの文芸担当のSさんやR出版社のKさんに正式に執筆を依頼されていたこともあったのに、企画書さえ書かないままここまできてしまった。もう遅いんだろうな、もう書く時間のゆとりも心の余裕もないんだろうなと思って落ちこんでいたら、昨日葬儀に参列した市川森一さんの娘さんのHちゃんから電話がかかってきた。俺としては気持ちと同じく悲痛な声でお悔やみを述べる。するとH子ちゃんは遺族なのにいつもの明るい元気一杯の声で逆に俺を励ましてくれる。反対だ。落ち着いたら献杯をしに店にきてくれと電話を切ったら、彼女の明るさに刺激を受けたようにまだ遅くないと思いだす。まだ書くチャンスはあると思いだす。書かかなくちゃいけないと思うだす。書かないで死んだらこの世に未練が残ってしまう。幽霊として戻ってこない為にも書かなくちゃいけないと思う「※※家の人びと」。ご期待ください。※12/24(土)は臨時休業します。尚本年は12/30(金)まで営業し、新年は1/10(月)から営業します。

2011・12・21

2011年12月22日 | Weblog
十日前に脚本家の市川森一さんが肺癌で亡くなったという知らせを聞いて、冗談だろ、三ヶ月前に有名俳優のNさんたちと店に来て、いつもと変わらず楽しそうに飲んで行ったじゃないか?それなのに肺癌で死んだなんて馬鹿なことをいうのよと知らせてくれた相手に食ってかかっていた。でも、彼の死は事実だった。翌日の朝刊には「ウルトラセブンの脚本家 市川森一さん死去」と大きくでていた。おいおい、これじゃウルトラセブンが死んだみたいじゃないか?と彼の死より見出しの方をきにしてしまう。確かにウルトラセブンも凄い作品かも知れないけど、彼は「傷だらせの天使の市川森一」と書かれたかったのではとか「淋しいのはお前だけじゃないの市川森一」とか書かれたかったのではなかっただろうかと苛立って、新聞を畳んでしまう。まぁ、死んだらわからないんだし、そんなことどうだっていいか?でも、どうでもよくないのは三ヶ月前にあんなに元気だった市川さんがこんな突然死みたいな人生の終焉を迎えることになったかだ。三ヶ月前……いや、ちょっと待て。三ヶ月前というとひとり営業をしていた九月だ。でも、あの夜、市川さんはMとも話していた。ということは、いらしたのは10月か一ヶ月前の8月だったか?俺は気になって来店者名簿を調べてみる。処が、何度調べても8月から10月にかけての名簿に彼の名前はない。11月はもう入院していたと聞いたけど、念の為に調べてみるが、勿論載ってない。書き忘れたのか?いや、ミーハーな俺が有名人を書き忘れる筈がない。だとすると7月だったか……ない……市川森一さんの名前がない……どうした?本当に書き忘れてしまったみたいだ。こんなことがあるなんて……ひょっとしてあれは幻だったのか?半年後に死ぬことを予感していた市川さんの魂が俺に会いにきてくれたのか?いや、そんな筈はない。あの夜はNさんが昔の朝ドラのヒロインだったM姉ちゃんを呼んで、市川さんも楽しそうにいつものスーズのソーダ割りを飲んでいたじゃないか?そしてその夜のことをこの日記に書いたじゃないか?俺は不安になる。何とか市川さんがいらした日を割り出そうと7月から10月までの日記を調べてみる。処がない。彼がきたという記述がない。一体どういうことだ?その時、有名俳優のNさんと来たのは、確か彼が主演して市川さんが書いた「淋しいのはお前だけじゃない」が舞台化されて、それを見た帰りだったことを思い出す。こういう時ネットは便利だ。早速検索してみる。すると検索できたことはできたけど、公演が行われたのは6月の末だと分かる。そんな6月だなんて……と半信半疑でまだ調べてなかった六月分の来客名簿を見てみたら、あった。市川さんの名前と有名俳優のNさんと女優のKさんと演出家のTさんのお名前が6月24日の欄にちゃんと書かれてあった。よくわからない。あの夜が6月だったなんて。だったら半年前じゃないか?何が三ヶ月前だよ?俺はどうしてこんな錯誤をしてしまったのか?時間が後になったり前になったり俺の廻りで妙な流れか方をしているのか?そしてあなたの周りではもう時間が流れていないんですね。告別式が執り行われた青山斎場の祭壇で花に囲まれて微笑む市川さんの遺影をずっと見つめている内、俺は知らない内に「市川ワールド」に入ってしまっていた。市川森一さん、有り難うそしてさようなら★年末は30日(金)まで営業<尚12/24は臨時休業します>新年は10日(月)から営業します。