桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

2009・4・29

2009年04月30日 | Weblog
リスボンに着いたのが日本時間になるのかもう分からなくなっている。時差ボケだ。飛行機の中での食事は期待外れでワインを飲んで寝てしまったのに、空港からホテルまでのタクシーの車窓に映るリスボンの街並みは俺がそれまで抱いていたイメージ以上だったし、ホテルに荷物を置いたらそのまま街に出ても良かったのに、シャワーを浴びたらベッドに入ることを優先してしまう。本当は日本時間で29日はまだ終わってないのだろうけど、リスボン第一夜は眠い眠いと更けていく。

2009、4、28

2009年04月29日 | Weblog
朝7時に近所のホテル発のシャトルバスで成田へ。空港で朝御飯。俺はかつカレーを食べたが、Mは食欲不振。機内でも俺の食欲は衰えず11時に日本を発って13時間の空の旅の間出されるものはMの分までワインとビールを飲みながら完食。乗り換えでパリドゴール空港に三時間足止め。成田と同じように何か食べていようと思ったが、食欲をそそる店はなくリスボン行きの機内食にかけることにした日本時間29日午前2時のドゴール空港。さぁ、後何時間かで憧れの街、リスボンだ。

2009・4・27

2009年04月28日 | Weblog
五周年パーティが終わった頃だったと思う。Mが突然、ポルトガルへ行かない?と言い出した。え、ポルトガル?そりゃ行きたいさ。俺が唯一行きたいと思っている国はポルトガルだからな。知ってるわよ。ポルトガルで死ぬのが夢なんでしょ。そう、ガンを宣告されたらガン保険が200万貰えるし、治療なんか糞食らえでその金を持ってポルトガルに行って、謎の東洋人として野垂れ死にするんだ。でも、それは独身の時の話でしょ?私と結婚したんだし、そうはさせないわ。ポルトガルは死ぬ場所じゃなくて、私たちの門出の場所にしましょ?とM。そりゃいいけどさ、先立つ金と時間がないだろ?お金だったら大丈夫。私が毎月二万づつ貯めたお金があるから。え、そんなにお金貯めてたの?と驚く俺を無視してMは続ける。それにゴールデンウィークに改装工事をすることに決まったなら、その間に行けばいいじゃない?と言われて、もう俺は抵抗できなくなった。結果的にはキャンセルが続いて休みが取れることになったが、その頃の予定では2月末から3月4月にかけてイベントが続いて八週間は休みが取れないと思っていたので、4月の末の平日を少しゴールデンウィークにくっつけてしまっても罰が当たらないだろうと都合よく考えたのだ。という訳で、今日の夕方、広島から飛行機で帰ってきたばかりなのに、明日の朝にはまた飛行機でポルトガルへ旅立ちます。ポルトガルからも日記は更新する予定ですので、二人の珍道中ぶりを笑ってください。

2009・4・26

2009年04月27日 | Weblog
睡眠二時間で飛び起きて、8時過ぎ羽田発の飛行機で広島へ。Mの曾祖母の七回忌の法要に参加する。祖父母の家で、両親と妹たち、叔父さん夫婦とその子供たちが集い、その末席に俺という60を過ぎた東京モンがいる不思議さ。法要が終わった後、庭先にあるお墓にお参りすると、傍にタケノコが一杯はえていたので、みんなしてタケノコ掘り。そして採れたばかりのタケノコをその場で生のまま食べてみる。甘味があって美味い。家に戻って今度は焼いたタケノコで酒宴へ。寝不足もあっていつもより早くダウンしていた。

2009・4・25

2009年04月26日 | Weblog
今日のイベントはKさん主催のキウンジ公演。俺は見ることが出来なかったが、セリフはなく踊りに近い芝居だったみたいで、いつか再演する時は絶対見てみたいと悔しい思い。カウンターにはバイオリン奏者のMさん、撮影帰りのカメラマンYさん、夕刊FのUさんの四人だけ。土曜日だし、仕方ない。というより良かった。というのは、閉店後にイベントが待っていたからだ。明日から長い休みに入るのだけど、その間に事務室を潰してテーブル席を作り、カウンターの中に棚を作ったりする店内の改装工事をするので、工事の邪魔にならない様に酒瓶を片付けたり、いらないものを捨てたりする大掃除が待っていたのだ。Y君と彼の友人のHさん、それに俺とMの四人で約二時間。閉店して一旦仕事が終わったのに、また別の仕事が始まるのはちょっと堪える。本当ならお疲れ会でみんなと焼肉でも食べにいく処なんだけど、今日は部屋に飛んで帰る。実は明日、Mの曾祖母の七回忌で朝六時起きで広島へいくのだ。今,三時過ぎだ。ということはもう三時間しか眠ることが出来ない。日記をダラダラ書いているより寝ることにしよう。

2009・4・24

2009年04月25日 | Weblog
昨日お客さんにすき焼きを出している内に、二人共すき焼きが食べたくなって、今日の第一食は何がなんでもすき焼きにしようと、スーパーに買い物に行ったら、何故かすき焼き用の肉がない。仕方なく切り落としの牛肉を500グラム買って、二人で貪り食う。夕方店へ。近くのJ事務所の前は昨日逮捕されたKが釈放されるというニュースもあってマスコミが詰めかけている。ニュースバリューは確かにある。でも、何処かの大臣の様に一方的に口汚い言葉で彼を非難する様な正義感的報道はやめてほしいものだ。この事件には絶対裏がある。あの程度の事件なら絶対揉み消すことが出来た筈なのに、何故こんな大きな事件になってしまったのか?そこにはドロドロした何か事情があった筈だ。イベントスペースは今日、乃木坂de575という川柳の会。カウンターにはY君のカクテルと牡蠣カレーを目当てにきてくれたプログラマーのI君、久しぶりにきてくれたTテレビのOさん、某国営放送局のIさん、昨日に引き続いて常連の演出家Sちゃん、明日のイベントにも来る予定で、そうなると今週は三回もウチにきてしまうことになる美人OLのJ子さん、最近常連になってくれた近所のTさんたち、夕刊FのUさんたち、制作会社Wの経理責任者Iさんたち、そして最後は自分の店が終わった後久しぶりにきてくれた美人姉妹の妹のNさん。閉店後、今日は俺とMが初めてあった記念日なので、二人でささやかなお祝い。たかが三年、されど三年。
★4/27(月)~5/6(水)まで店内改装工事の為お休みします。

2009・4・23

2009年04月24日 | Weblog
本当は昨日公然猥褻罪で逮捕された人気グループSのKについて、何故あんなことをやったのかこの日記で検証する文章を書いていた。恐らく彼は精神医学用語で病的酩酊状態に陥っていて、あの公園を部屋だと錯覚して風呂に入っているつもりになっていたのではないかという想像なんだけど、聞きかじりの医学的知識で他人の行動をあれこれ書くのもいけないと思って削除することにした。それにしてもお酒は怖い。お酒を売っている人間がこんなことをいうのもなんだけど、少量のお酒でも体調によってはとんでもない酔い方をすることもあり、それが自分の欲望とか意志とか関係なしに公然猥褻罪なんてレッテルを張られて社会から葬りさられてしまうこともあるのだと思うと、背筋がゾッとする。Kのことをこうして庇いたくなるのも、最近では全くないし、全裸にもならなかった筈だけど、昔は自分が朝起きた時に夕べはどうして部屋まで辿り着いたか全く分からないことがたびたびだったからだ。記憶のない時間ほど怖いものはない。どんな人格になっていたのか、どんな非常識なことをしたのか、誰にどんな毒舌を吐いたのか分からないなんて、みんなよく気が狂わないものだ。でも、一杯飲んで酔って貰わなくちゃ俺の商売は成立しない。ジレンマを抱えた商売だ。
★4/27(月)から5/6(水)まで店内改装工事の為お休みいたします。

2009・4・22

2009年04月23日 | Weblog
今日はイベントがないし、部屋で八月にウチの店が主催するコレド演劇フェスティバル(仮称)の企画書を書こうとしていたら、六時過ぎに店からもうかれこれ一年半近く音沙汰のなかったT映画会社のTさんが来ているとの電話があったもんだから店に飛んでいく。店には他にも高校の同級生で元外国航路の船長をしていたK君や看護士のRさんたちが来ていて、料理も頼まれたのでなかなかTさんと話せなかったが、一段落して彼の隣に座ったら徐にTさんが元同僚で今は別の制作会社Kの社長をしていたAさんの死を告げた。享年58歳、去年から白血病を煩って入院していたという。Aさんとそんなに親しかった訳ではない。でも、今から30年程前、俺がT映画会社とオーストラリアとの合作映画の企画で生まれて初めて海外へ、それも一人きりで行くことになった時、窓口だったAさんは俺に代わって渡航手続きを全てやってくれた上、当日は羽田まで送ってくれたりした。そうだ、あの頃はオーストラアに行くにも成田ではなく羽田だった、なんてAさんのことを思い出している間につまらぬことまで思い出してしまう。結局その合作映画の企画は実現せず、Aさんはお疲れ会を開いてくれたり、その後もT映画会社のテレビ部に俺がシナリオが出来ずに言い訳に出向く度に、穏やかな笑顔で慰めてくれたりする優しい男だった。彼がK制作会社の社長になるのと俺がシナリオライターを廃業するのが殆ど同時だった。一度か二度広尾の店に来てくれた気がする。どんなことを話したのか覚えてない。その位のつきあいだ。でも、何故かAさんの穏やかな笑顔が忘れられない。単身海外にいく心細さも、シナリオが出来ずに担当プロデューサーに怒られ落ち込んでいる時も、Aさんの笑顔は俺にとって救いになってくれた。Aさん、心からご冥福をお祈りします。
★4/27(月)~5/6(水)まで店内改装工事の為休業いたします。

2009・4・21

2009年04月22日 | Weblog
イベントのフードのサービス方法を昨日のネコさんライブから変えてみた。注文があってからお湯を沸かしてパスタを作るのはどう考えても時間的に無理なので、茹でてしばらくしても大丈夫なペンネでアラビアータにしたり、焼きおにぎりやタラモサラダは無駄になることを覚悟して二人前は作りおきして、オーダーが入ったら数分でサービスできるようにした。処が、これが思ったより大変。4時に店に入ってご飯を炊くことから始まって、昨日も今日も開場時間までに全部のメニューを作り終えるのにヘトヘト。でも、二日間共フード約40オーダーをそんなに遅くならずに提供できたし、このやり方を続けてみようと思う。今日は月に一度やってきて、ちょうど一年目になる「SomethingJazzy」の日。noonさんというかなり人気のあるアーティストだったけど、客足はイマイチ。カウンターは先日急死した広尾にある某制作会社の会長兼プロデューサーのYさんを偲ぶ会がホテルOで催されたらしく、その流れでプロデューサーのMさん、Kさん、脚本家のTさん、映像作家で映画評論家でもあるOさん、映画制作会社の美女二人などが来店。他にも有名女性脚本家でG大大学院の教授でもあるTさんが学生たちときて満杯になってしまったため、その後からきたHさんたちは帰さなくてはいけなくなってしまった。早くテーブル席が欲しい。久しぶりに足指のつけねに痛風の発作。俺が勝手に「命の水」と読んでいる温泉水が切れてしまい、三日間飲んでいないことが原因か?ボレタレン50を「挿入」して痛みを和らげるが、歩くのが辛い。早く届け、温泉水。
★4/27(月)~5/6(水)まで店内改装工事のためお休みします。

2009・4・20

2009年04月21日 | Weblog
常連の女性歯科医Sちゃんがあるステージで見た斎藤ネコさんのライブに感動して、そしてライブ終了後の飲み会で親しくなった斎藤ネコさんに、コレドのことを紹介したことから、今日の『斎藤ネコカルテットライブ』は始まった。1月末、Sちゃんと一緒に飲みに来てくれたネコさんはウチのスペースを気にいってくれて、ここでライブをやりたいからSちゃんにプロデューサーをやって欲しいと頼んだ。俺もけしかけた。別に学生時代にイベントや音楽に関係していた訳ではないし、卒業後は歯科医一筋できたSちゃんだ。例えウチみたいな小さなスペースでも宣伝と集客、当日の進行と色々とやることがあるし、素人の彼女には今まで体験したことのない大変な仕事だ。でも、彼女は引き受けた。そして引き受けてからのSちゃんの仕事ぶりは感動に値した。女性らしく細かな気遣いと熱心さで今日のイベントを成功に導いた。本当にお疲れさま、Sちゃん。俺は最後の方をチラッとしか見ることが出来なかったが、たった数分だけでも素敵なステージだということが分かった。こうなったらこれで終わらずにまた近い内にプロデューサーをやってほしい。それはともかく今日一日コレドはネコさんフィーバーが吹き荒れた。始まる前も終わってからもコレドにいる全員が熱に浮かされた。俺は嬉しかった。五年前、こんな熱っぽい空間を作りたいと思ったのだ。お蔭で飲食のオーダーも一杯でて俺は厨房の中に殆ど閉じ籠もり放しだったけど、こんな熱っぽくしてくれたネコさんとSちゃんに心から感謝をいいたい。
★4/27(月)~5/6(水)まで店内改装工事の為休業いたします。