桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

2009・1・30

2009年01月31日 | Weblog
カウンターでお喋りするお客さんの話に感動したり、深刻になったりすることは滅多にない。酔っているんだし、冗談半分、与太話が殆どだからだ。特に、数日前一年ぶり位に来店した嘗ての常連、広告メディア評論家のKさんのお喋りはいつも女の子にモテモテ自慢や仕事自慢ばかりなので、Kさんには悪いけど、俺は聞いているフリして全くと言っていい程聞いてない。でも、今日。Mが広島出身だと聞いてKさんは平和記念館についての質問を突然投げかけた。戦争で死んだ人を祀る靖国神社にも鹿屋の特攻記念館にも行ったけど、広島の平和記念館の展示物が他と決定的に違うことがある。それはなんだ?その時点でまたKさんが戦争や原爆を使ったギャグでもいうのではないかと日頃の悪のりぶりを知っている俺は恐れた。戦争や原爆を酒場のギャグにしたら、例えKさんでも怒鳴りつけるしかない。ところがKさんは真面目な顔でポツリと答えた。「それは遺書がないこと」他の記念館には両親や友人にあてた遺書が展示してあるのに、広島の平和記念館には遺書をかく暇もなく一瞬の内に死んで行った人々が祀られているんだよ。Kさんの話に隣にいた歯科医のSちゃんも雑誌編集者のOさんも聞き入る。何だか店が真面目モードになる。いや、ならざるを得ない。軽口は叩けない。Kさんは大学で学生に講義するように戦争と平和について語り続ける。酒場が時にそんな場所になってもいい。

2009・1・29

2009年01月30日 | Weblog
見込み違いって程大袈裟なことじゃないんだけど、今日はすき焼きのストックが七人前あるし、仕入れないでも大丈夫と判断して店へ入ったら、八時過ぎまでに七つのオーダーがあって、ストックがなくなる。もしもそれからオーダーがでても今日は売り切れましたと済まそうと思ったけど、すき焼きはウチの店のウリだし、それを目当てに来店してくれる人もいるので、慌てて六本木のスーパーまで自転車を飛ばす。案の定、店に戻ったら近所の高級ブティックのオーナーSさんが俺じゃなくて牛肉の到着を今か今かと待っていた。今度はちょっとした見込み違い。2/13にウチの店の主催で行う「新井英一ライブ09」は当初発表と共に定員80人がすぐに満杯になるのでは危惧していたが、今日現在予約申し込み数はまだ50人。普通ならこれでウチのスペースでは適正規模だし、ここで打ち切りたい処なんだけど、定員80人と宣伝してしまったし、もう少し上積みがあってほしい。そして今の悩みは、翌日の14日に行う5周年感謝パーティで出す生牡蠣の数。すき焼き生牡蠣食べ放題なんて気前のいいこと言ってしまったけど、牛肉は保存できるけど、生牡蠣は無理。でも、出欠はとってないので何人来てくれるか分からないし、一人が何個食べるかも分からない。牡蠣が足らなくなる程大勢のお客さんが来てくれたらいいとは思うけど、それでコロッケしか食べられなかったら、羊頭狗肉ならぬ「牡蠣頭芋肉」だ。とりあえず150ヶ頼むことにしたけど、余るか足りなくなるかどっちの見込み違いになることか?

2009・1・28

2009年01月29日 | Weblog
元ゴールデンカップスのD・平尾さんが先日亡くなったのに続いて、日曜日には元テンプターズの大口博司さんが、そして今日は元フォーリーブスの青山孝史さんが亡くなったとのニュース。三人共俺の若い頃に華やかなスターだった人だ。店に時々来てくれた大口さん以外に個人的感情は持つ立場にない。でも、同世代のスターだった人が朽ちるように消えていくのを知るのは、俺たちの時代の終わりを告げられているようで、複雑な思いにとらわれる。でも、ここで感傷的になってはいけないと戒める。俺たちの時代とは過去だけじゃない。確かに彼らが活躍していた過去もそれはそれなりに面白かったけど、それ以上に現在だって面白いんだし、今も俺たちの時代なのだと思ってしまおう。感傷的になるのは俺が棺桶に入る時までとっておく。いや、無理やりそう思わなくても、今日も俺は自分の時代を生きるのに忙しい。今日は月に一度恒例になったSomethingJazzyの日。有名ミュージシャンである小沼ようすけとTOKUが出演するとあって、入れ替え制で100人近い観客が押し寄せる。7時から始まって11時半までの長丁場だ。当然、フードのオーダーが殺到する。覚えているだけでもピザ12、生ハムサンド10、コロッケ12、パスタ8、カレー13などなど60以上のオーダーをこなす。勿論、ドリンクも150以上のオーダーがあって、Mもダウン寸前。本当は二時まで店を開けておかなくちゃいけないんだけど、後片付けが終わった一時過ぎにはどちらが言い出した訳でもなく店の灯を消していた。

2009・1・27

2009年01月28日 | Weblog
知り合いの店から何周年記念をやるという知らせが送られて来るたびに鬱陶しい気分にさせられていた。区切りの年だったら許せるけど、ひどいのになると二周年記念とか四周年記念とか、商売っ気が露骨に見えてたまらなかったので、一度だって出向いたことはない。だからウチの店だってリニューアルした一年目はやったけど、その後は何周年記念ウィークとしてやった生ビールサービス程度だし、去年の七月に広尾から通算して十年目を迎えた時も何もやらなかった。2月に今の店が出来て五年を迎えることは分かっていたけど、記念に念願だった新井英一さんのライブを店でプロデュースする以外は何もするつもりはなかった。でも、五年だ。色々あった五年だ。よくここまで店がもった。よくここまでやってこれた。自分一人でも祝いたくなった。そしたら誰か一人でもいいから祝って貰いたくなった。そう思ったら、一人じゃなくて出来るだけ大勢の人に祝って貰いたくなった。五周年パーティなんて粋じゃないことは分かっている。かなり恥ずかしいことも承知の助だ。でも、やることにした。2月14日(土曜)午後七時。バレンタインデイで忙しい人もいるだろうけど、みんなに来て貰いたい。みんなに祝ってほしい。御祝儀は五千円。その代わり、すき焼き食べ放題、広島から取り寄せる生牡蠣食べ放題。勿論飲み放題。待ってます。

2009・1・26

2009年01月27日 | Weblog
お昼に西麻布の部屋を出て、約800m歩いて六本木駅へ。銀行で入金と給料の引き出しと振込。その後、近所のスーパーで仕入れした食材を持って、また800m歩いて乃木坂の店へ。食材を冷蔵庫にしまって粗大ゴミの搬出チェック。それが終わって、今度は約600m歩いて赤坂にある文房具店へ。2月14日に催す開店五周年パーティの案内状600枚の印刷を依頼し、今来た道を引き返そうとした途端、気が重くなる。尺取り虫みたいに800mとか600mずつ進んでトータル二キロ強を歩くのと、一気に二キロ強歩くのでは全く印象が違う。でも、いつもは店と部屋との間を歩いて通っているのだ。そこに僅か600m増えただけじゃないかと思うのだけど、人間の心理って微妙なものだ。帰りにいつもの煙草屋に寄る。そこの「看板娘」は今年90歳。足腰と目は弱っているけど、口は達者だ。Mのことを俺の娘だと誤解していて、いつもMのことをいいお嬢さんねと褒める。誤解を解くのも面倒なので、そのまま親子を演じて来たけど、今日は何だかいつも以上にMのことを褒めすぎる。桃井さんはあんないいお嬢さんに仕事を手伝って貰えて、おまけに一緒に住んで貰えるなんてホント幸せねぇ。あんないいお嬢さん,なかなかいないわよ。お嬢さんが結婚するなんて言い出したらどうされるの?淋しくなるわよ。今のうちから訓練しておかなくちゃ駄目よ……と「看板娘」のM礼賛が延々と続く。いつもより600m余計に歩いてなければ、そのままにしておいたかも知れない。でも、600mが余計だったのだ。それに「看板娘」がMを褒めすぎたのだ。俺は「看板娘」の話を遮って、「ごめん、あれは娘じゃなくて妻なんですよ」と告白してしまった。その瞬間、「看板娘」は言葉を失う。鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。「まぁ、そういう訳だからヨロシク」と俺は立ち去る。何がそういう訳なのか、何がヨロシクなのか、親子愛を信じていた「看板娘」は立ち直れるだろうか?

2009・1・25

2009年01月26日 | Weblog
伝説の歌手、Tさんの夢をみた。彼女から借りていた広尾の店の前を昨日通りかかったからだろうか?ご主人が亡くなって、彼女が人前で歌わなくなって、もう十五年以上になるのに、俺の夢の中でTさんは名曲『K』を歌っていた。恋人の制止を振り切って歌手になって、ステージに立とうとした時に、その人が死んだという知らせが来た。けど、それでも歌手はステージに立つというストーリーの歌詞。夢の中だというのに、その歌は俺の心に沁み入る。歌詞の一言一言が人生の重さを語っている。重さを知っている人間しか歌えない唄だ。俺は夢の中で彼女の唄を聴きながら、何故か歌詞の中の恋人に自分を重ね合わせて、俺が死んだ時に彼女がこの唄を歌っている光景を図々しくも想像して涙ぐんでいた。夢の中だけど、それ程に訴えかける唄だった。今日は休みだというのに、二月の株主総会の為に判子を貰いに取締役であるHさんやM君に別々に会っていたのだけど、その間中、俺の頭の中ではTさんの唄が流れ続けていた。

2009・1・24

2009年01月25日 | Weblog
日記に何も書くことがない日がある。そして日記に何も書きたくない日がある。その二つが合わさったのが、例えば今日だ。何も書くことがないとは、特別な事件は起こらなかったし、事件はなくても何か吐露したい感情も起きなかったということだ。それでも、朝起きて、食事して、店に出ているんだから箇条書きにはできる。でも、今日なんて、朝起きてしばらくしてからの食事が昨日のパーティで残って持ち帰ったおでんの汁をご飯にかけた(勿論具は乗せたけど)おでん茶漬けで、出かける前に食べたのが一昨日買って冷蔵庫にそのままになっていた中華饅頭だけだったりすると、こんな食事メニューはこの日記に記録しておきたくない(でも書いているけど)。店に出てもカウンターのお客さんは年金暮らしのSさん一人だけ。そりゃSさんとはずっとお喋りをして、それなりに面白かったけど、一人しかお客さんがいなかったことを今日はマゾ的に書きたくない気分(でも書いているけど)。Sさんが12時前に帰って店を閉めた後、六本木ヒルズで『チェ・28歳の革命』を見ようと思ったのだけど、その前に何を食べるかでMと意見が合わず、映画は中止。結局お好み焼きを食べて部屋に帰り、俺は本を読み、Mはパソコン。こんな何もなかったような一日は俺の人生の中から抹殺したい。でも、抹殺できないのが人生だから、今こうして書いている。

2009・1・23

2009年01月24日 | Weblog
今日は店が終わるまでちゃんと食事ができそうになかったので、Mは起きてすぐだったけど、二時近くにオニオンオムレツ、湯豆腐、山芋納豆、韓国海苔、にしんの粕漬け、キャベツの味噌汁でしっかり食事して、俺は2時半に部屋を出る。六本木と赤坂で二度に分けて今日のパーティの為に食材を仕入れ。料理の下拵えをした後、4時に会社の取締役をやって貰っている高校のクラスメイトI君と2月の臨時株主総会の打ち合わせ。6時まで懸案事項を検討し終わって7時半から始まる40人のパーティの為に本格的に料理を作り始める。チーズと生ハムとタラモサラダのカナッペ、ハムと野菜の盛り合わせ、ポテトフライと鳥のから揚げ、おでん、ペンネアラビアータ、ピザ、枝豆、ソーセージの盛り合わせ、それにデリバリーして貰った稲荷寿司と海苔巻きを10時半までの間に次々に出し続ける。おまけに今日は、二人ですき焼き、じゃがいもカレーなど七品も料理を注文してくれたイチゲンの若い女性を初めとして、カウンターには初めてご主人同伴で来店してくれた人妻Iちゃん、近所の出版社のO君、保険会社のOさん、マネージャーのHさんとI制作会社の演出家Oさん、SミュージックのNさんとEさん、映像カメラマンのYさんご夫妻、ベテラン俳優の奥さんのAさんとその友達で店の近所に住むHさん、イチゲンのKさんなどで店は久しぶりに活気を呈する。きっと昨日か一昨日に来て、今日も来たお客さんは別の店だと思ったに違いない。最後は六年ぶりにコレドに来てくれたベテラン放送作家のMさんが三時過ぎまで。後片付けが終わって店を出てタクシーに乗った途端、Mが「疲れた。十時間以上立ちっぱなしだった」と溜め息をついた時に俺が「よく頑張ったね」と労いの言葉を掛けられなかったのは、俺も十三時間以上休みなしで働いていて、俺こそ「よく頑張ったね」とMに労わって貰いたかったからだ。

2009・1・22

2009年01月23日 | Weblog
まだお昼前の西麻布の住宅街。その少女は坂道をキョロキョロあたりを見回しながら降りてきた。多分高校生か、ひょっとすると中学生かも知れない。店へいく途中の俺とすれ違いそうになった時、少女は何の恐れもなく俺に声をかけてきた。「新橋にいくにはどうしたらいいんでしょうか?」新橋?ここは西麻布だ。歩いて十分ほどかかるけど、六本木から日比谷線に乗って何処かで銀座線に乗り換えれば?と俺は教える。すると少女は「私、六本木駅からここまで歩いてきたんですけど」という。意味が分からない。六本木駅から新橋駅まで歩いていけと誰かに教えられたのだろうか?たったそれだけの会話だけど、少女には訛りがあるし、何処か地方から出てきたのだろうと想像できる。いつしか少女にMの妹のYちゃんを連想してしまった俺は母性本能が疼きだし、近くにあるバス停まで少女を連れていく。六本木駅まで戻って且つ乗り換えしなくても、そこから新橋行のバスが出ているのだ。でも、少女の表情が曇る。「バスって高くないですか?」え?でも地下鉄だって160円かかるし、そう変わらないよと言いかけて、地方ではバスが距離で運賃が違うことに気づく。「大丈夫、都内は一律200円だから」と告げると、少女はホッとした顔になって、「有り難うございました」と頭を下げた。ちょうどそこへ新橋行のバスがきた。少女を見送って俺はまだお昼なのに店へいく。今日は21才の息子に倉庫整理のバイトを頼んであった。ビルのオーナーの好意で無償でこの倉庫を借りているのに、ついつい不用品や廃棄物を積み重ねてしまい、オーナーから整頓しないと使用禁止にしますと警告を受けていたのだ。ゴキブリの死骸も散らばっている。蜘蛛の巣も張っている。大きな廃棄物もあって力もいる。業者に頼んだらいくら取られるか分からない。そんな汚れ仕事をバイトに慣れた息子は黙々とやってくれる。でも、時々「ここまで放っておいちゃ駄目じゃないか、お父さん」とか俺に意見する。作業が終わって別れ際には「歳なんだから、体、気をつけろよ」と俺を心配する。親と子が完全に逆転している。一人の少女と俺の息子、二人には何の関係もない。でも、俺の中では何処かで二人がつながっていた。それが何だか分からないんだけど。

2009・1・21

2009年01月22日 | Weblog
たった五秒か十秒だ。あと五秒か十秒店の灯を消すのが早かったら、十二人のお客さんの売上二万八千円を失う処だった。今年に入ってから売上不振が続くウチの店は、今日も超低空飛行で、早い時間から人妻Iちゃんたちが来店してくれたにも関わらず、10時前には赤坂のクリニックに勤めるMさんだけになってしまい、11時過ぎに彼女が帰ってしまうと、俺たち二人になってしまった。けど、15分後には夕刊FのUさんが来店してくれてホッと安堵したものの、翌朝勤めのあるUさんが店にいられるのは一時過ぎまで。それでもお客さんがいないのに同情してくれたのかUさんは二時近くまでいてくれたけど、彼が帰った後、今日はこれきりだなと観念しせざるをえない。この時点で売上は三万弱。雨も冷たいけど、今日の売上も寒々しい。Mと二人、殆ど無言で後片付けを終えて店の電気を消そうとした時だった。階段をバタバタと降りて来る数人の足音。誰かきた!ドアを開けて入ってきたのは映画監督のHさんと女優のTさん、男優のOさんという五年前の映画『V』のトリオだ。続いてプロデューサーのMさんとNさん、直前の飲み屋で合流したという有名個性派俳優のEさんと最近俳優としてメキメキ頭角を現している二人の息子さんたち総勢12名。カウンターにズラッと並んだ日本映画界を支える面々と映画の話をしながら俺は頭の中で電卓ばかり叩いていた。