どうして俺ってこんなに女好きなんだろ?実際にH出来ないまでも朝起きてから寝るまで暇さえあればHっぽいことを考えているし、ちょっとした可能性さえあれば、すぐチャレンジする。今日も朝起きてからHっぽいモードになってしまって、しなくてはいけないことが山積みになっていると云うのに、最近会社をやめてフリーターになっているWに電話してランチしようと誘いをかける。運良くWが酢の物とか炒飯とか食べたいものをリクエストしてくれたので、冷蔵庫の中を漁って、大根の千切りのもずく和え、レタス炒飯、水餃子と春菊のスープ、おでんの残り、明太子の海苔ロール巻きなどをテーブル並べて、Wの歓心を買う。でも、Wが美味しそうに食べてくれるのを見ている内、俺は当初の目的(Hすること)を忘れてしまい、キスも出来ない内に気がついたら俺が出かける時間なってしまっていた。ひょっとして俺の女好きは大したことないのか?四時半に店。一昨日は劇団ギルドの公演、昨日は小林政広ライブで二日間中断したけど、今日からまた三日間、ドキュメンタリージャパン創立25周年記念の連続上映会。今日は15歳の南アフリカの不良少年を扱った『シリーズ15歳 南アフリカ』とアメリカと死刑囚の家族と犯罪被害者の家族の交流を描いた『ジャーニーオブホープ』の二本立て。合計三時間余、二本の作品共、重いテーマだったし、ちょっと疲れる。一般のお客さんはシナリオライター志望のI君たちと俳優のOさんたち他十人弱。最後は銀座ママのSさんと居酒屋経営者のHさん。二人の水商売の先輩に、出入り禁止にしなくてはいけないと思ったお客は断固として実行しなくては店の将来の為によくないと喝を入れられる。A氏にもう店に来ないでくれとキチンとした手紙を書こう。
こう云う人生ってありなのか?この男の自信は何処から来るのだろうと、今日の小林政広ライブ『幸福な時間』でギター片手に自作のフォークソングを歌う彼の姿を見て、つくづく思ってしまった。自作のフォークソングがある以上、歌手なんだろう。現実に30年以上も昔、レコードを出したこともあるそうだから歌手である。いや、歌手だったと云うべきか?何故なら、歌手として売れなかった彼はその後脚本家を経て映画監督に転身し、カンヌ映画祭に何年も続けて作品を出品し、去年は『バッシング』と云う映画でフィルメックス映画祭最優秀作品賞を受賞した国際的にも知られた人物なのだ。その彼がウチのイベントスペースで観客30人を集めてギターを掻き鳴らしている。それも♩仕事がない、今日も仕事がない……なんて(うろ覚え)暗いフォークソングだ。国際的な映画監督にはとても見えない。ところが、元売れないフォーク歌手だったと思うと、50を過ぎて糖尿病で痩せこけたその姿はピタッと嵌まる。カンヌは似合わない、こっちの方が似合っている。けど、人生って奴はその人間の見かけとは違った仕事を与える。今年も又彼は映画を暮れにクランクインさせる。またその映画を持ってカンヌの街を歩くのだろう。乃木坂アンダーグランドで暗いフォークソングを歌い、明るい太陽の光が溢れるカンヌで国際的映画人となる小林政広と云う男。俺はちょっと恐れる。『バッシング』と云う映画では主題歌に昔の自作の歌を使っていたけど、今度の映画でも使うとなると、カンヌに彼の歌声が流れるのだろうか?
Sさんがドアを開けて入ってきて、「Aさん、いないわね」と確認すると、一旦出て行き、階段の上で待っていたTさんとNさんを連れて戻ってきた。SさんたちにとってA氏は一緒に酒を飲みたくない相手だ。俺の昔からの知り合いであるIさんやBさんにもお前の店にはA氏がいつもいるから行きたくないと言われたことがある。先日カウンターで同席してしまったFさんにも、「あの男、何とかしてよ」と苦情を言われた。A氏は酒場のルールを知らない。酒場の空気を読めない。カウンターの話題が自分中心に廻らないと気が済まない。金を払えば何してもいいだろうと云う態度が露骨だ。何処かの店では上客かもしれないが、俺の店では最悪の客だ。広尾時代に他の客に暴言を吐いたので一度出入り禁止にしたことがある。乃木坂に移る時には案内状も出さなかった。それなのに何処で聞いたのかしばらくして深夜に来て以来、ウチの店に居ついてしまった。俺も二年も経っているんだし、時効だと思って許していたが、最初は大人しくしていたA氏は次第にその本性を露にして行った。そして今年の4月、あまりに傍若無人ぶりが目にあまったので注意したら俺に対して罵詈雑言を浴びせて来たので、翌日彼の事務所に絶縁状をFAXした。ところが、A氏は構わず来店する。他の客がいる前で「出ていけ」と事を荒らげる訳にもいかず、俺はその後A氏が来ても「いらっしゃい」「有難うございました」の挨拶もせず、一切無視する態度を取っているのだけど、彼は意地になって店に来る。もう本当に勘弁して欲しい。こうなったら事を荒らげるしかない。今度A氏が来たらハッキリ宣告しよう。あんたはウチの店には向かない、もう来ないでくれと。
昨日、食事抜きで店へ飛んで行き、結局夜中に帰るまで満足が食事が出来なかったことに懲りて、今日は10時に起きてすぐさま食事の用意を始める。塩鮭、スクランブルエッグとレタスを柚子胡椒とマヨネーズで和えたもの、オクラと茗荷のもずく和え、納豆、佃煮、そして今朝の目玉料理は、夕べ食べた湯豆腐の残りの汁をベースにした味噌汁。豆腐やネギ、しめじ、えのき、春菊などの残骸が出汁と一緒に豪華料理?に生まれ変わって大満足。12時に店。準備して1時からドキュメンタリージャパン連続上映会の7日目。今日は若手の演出家の作品を8本続けてみる。皆それなりに面白かったけど、中でも『孤独の鳥カッコウ~生き残りをかけた進化~』で描かれたカッコウの托卵の映像は興味深かった。カッコウが卵を自分では育てずに他の鳥に孵化させることは知っていたが、生まれたカッコウの雛鳥が生後すぐ巣の中にあるその鳥の卵を一個ずつ棄てていく映像はショッキングだった。そうすることで餌を自分だけに貰えるようにしていくのだけど、そこまでする遺伝子がカッコウの雛に組み込まれているなんて、自然の神秘をしみじみ感じてしまう。6時過ぎ終了。観客もスタッフも早々に引き揚げ、普通営業に移るが、12時までにお客さんはGテレビのSさんと女友達のAさんだけ。殆どの時間をTちゃんとお酒を飲みながらお喋りの時間に費やす。25歳のTちゃんと合法的デイトをしているのは楽しいけど、こんなにお客さんがいないと、やはり来年からは日曜祭日を休むことした方がよさそうだ。
お昼からドキュメンタリージャパンの連続上映会。土曜日とあって観客も少なく、5時半過ぎに終った後も残って飲んだりする人も少ない。7時半過ぎには全員引き揚げ、それからMちゃんと二人きりの時間が「延々」と続く。いや、実質的には2、3時間だったのだけど、セミ連休の谷間だし、お客さんが来る気配が全く感じられなかったからそう思ってしまったのだろう。表に出て見れば人の姿はいないし、もう少しのとこでMちゃんに帰っていいと云いかけた時だった。10時過ぎ、放送作家のIちゃんが教室の生徒さん4人と入って来たのと殆ど同時に、S財団のLさんが半年ぶり位に6人で、そして5分も経たない内にT大助教授のHさんが仲間と教授と来店し、一気にパニック状態になる。ホント、Mちゃんを帰さないでよかった。Lさんたちが帰ったのは1時過ぎ。たまには早仕舞いして下北沢あたりに飲みに行こうと思っていたけど、明日も昼から連続上映会だし、店でMちゃんとお疲れビールを飲んで2時には帰宅。考えてみれば、今日は朝御飯抜きで店へ飛んで行き、そのまま連続上映会のお客になってしまった為、買い物のついでに買ってきたスーパーのお寿司を食べただけだったこと気づき、春菊の一杯入った湯豆腐と胡瓜を生ハムとカマンベールチーズを巻いたものを作って食べる。
出かける前に何かし忘れていることがあったと思ったら、明日が土曜日なので今日が給料日だと云うことに気づいて慌てて給料計算。したくないことは自然と忘れる癖があるみたいだ。今月からはLちゃんがいないので二人分。余裕で支払えるが、それはそれで少し淋しい。3時過ぎに銀行へ寄って店へ。昨日おでんがなくなってしまったので作る。5時からドキュメンタリージャパンの連続上映会。NHKで放送された三作品。昨日までの民放作品と違ってサービスがない分だけ格調が高く緊張を強いられる。上映会以外のお客さんは法律事務所勤務のNさんが友人たち5人と、同じビルのNさんたち、女友達Yの息子T君、ご飯友達のS、映画プロデューサーのNさんたち。セミ連休の真ん中の金曜日にしてはまぁまぁ。珍しくSが最後の最後まで残る。今日のSはとても人懐こく、饒舌だ。何があったのか?
12時に店。「ドキュメンタージャパン」の連続上映会の四日目。今日は最初の『昭和ラプソディ・踊るブルースの切なさよ』が一時間物だったけど、後の二本は二時間半物の『ネイチャリングスペシャル』。流石に二本続けて二時間半物を見るのはきつく、一本目の『神々の峰・アンデス大自然行』を見たけど、『赤道物語』はパス。これで全作品見ようとした記録は途切れた。それにしてもこのドキュメンター作家たちと俺との「視界の歴史」の違いは何だろ?特に今までの作品の殆どを撮影したカメラマンのYさんは、俺が女の子のスカートの中を覗きこんだり、お金がなくて銀行の通帳と睨めっこしている間に、同じ頃アンデスのインカ文明をファインダーの中に捉え、ヒマラヤの奥地やアルゼンチンの貧民街に生きる人々の顔を見ていたかと思うと、絶対網膜から脳に伝達された後に育った感性が俺とは違いすぎると確信してしまう。まぁ、俺も女の子のスカートの中を覗きこむことで作られた感性を卑下する訳ではないのだけど、いつもカウンターの隣に坐ってお喋りしていたYさんが異邦人に見えてきた。四時過ぎに一旦帰宅。餃子、牛肉とタマネギのソース炒め、昨日の残りの子持ちニシンの甘露煮、とろろ、納豆の味噌汁で食事してから、この日記と雑用をこなして九時に再び店。いつもは上映終了後も遅くまで残って飲んでいるドキュメンタージャパンのメンバーも二時間半物を二本続けてみて流石に疲れたのか一人も残っていない。一般のお客さんも週刊BのIさんと銀座ママのSさんだけ。12時半閉店。雨が止んだと思ってシャッターを降ろして歩きだしたらまだ雨が降っていた。ちょっと濡れながら歩くのは嫌いじゃない。
ふと目玉焼きが食べたくなる時がある。今日も納豆オムレツを作ろうと卵をわりかけた途端、目玉焼きが食べたくなって即刻納豆オムレツは中止。別に面倒な料理が嫌だからじゃない。卵が高価だった頃に育った世代には、目玉焼きはご馳走で、それも卵を二つ使った両目の目玉焼きは夢のまた夢だったから、こうして卵や安くなってからも時々豪華な両目の目玉焼きを作って悦に入ってしまう。他に子持ちニシンの甘露煮、納豆、アボガドとグリーン野菜のサラダ、わかめの味噌汁などで食事。5時から「ドキュメンタリージャパン」創立25周年を記念しての連続上映会の三日目。今日のプログラムは20年以上も前に制作されたTIME21『そこのべっぴん魚いらんか~大阪黒門紀行~』と新世界紀行『タンゴ・二都物語』と同じく『砂マンダラの衝撃』の三本立て。皆面白く、三本とも見てしまう。著作権処理の関係もあって限られた人にしか宣伝出来ないのが勿体ない。上映終了後も関係者たちの同窓会が夜遅くまで続く。一般のお客さんも「セミ連休」の前とあって、信託銀行勤務のU君、美人姉妹の姉Aさん、AN嬢、法律事務所勤務のNさん他常連でカウンターが埋まる。そして下北沢で酒場を経営するOさんが三時過ぎまで。かなり酔っぱらったOさんが広島弁で支離滅裂なことを喋っているのに、Mちゃんが楽しそうに聞いているのは、同じ故郷の言葉からだと思っていたら、それもあるけど、大好きなお祖父ちゃんと喋り方が似ていたからと聞いてホロッとなる。同時に俺はOさんと二歳しか違わないことに気づいて、Mちゃんは俺のことをお祖父さん替わりに思っているんじゃないかと一瞬不安になりながら電気を消して帰ろうとした時に、D通のE君が半年ぶりに顔を覗かす。久しぶりに俺の顔を見たかったと言われ、カウンターに座らせてビールを奢る。最近若い女だけじゃなく若い男にもモテル。まさかMちゃんと同じお祖父さん替わりじゃないだろうね、E君。
朝起きて珈琲を飲もうと台所へ行き、ふと窓から表を覗くと、通りを挟んだ家の前でその男は飼い犬の背中を撫ぜている。新聞を読み終わり、食事の支度をしようと又台所へ行くと、男は植木に水をやっている。食事が終り、後片付けをしようと再び台所に行った時、今度は近所のお婆さんと立ち話をしている。数刻後、洗濯物を干そうとベランダに出てみると、男は飼い犬と散歩に出かける時だったが、二三十メートルも行った処で何を思ったか戻ってきて、飼い犬を鎖に繋ぐとガレージの掃除を始めた。多分俺と同じ年位か?とにかく俺が表を覗く度にその男はいる。そして俺から見ればいつも実に無為なことをしている。でも、それは窓の中から見る俺の偏見かもしれない。彼にとっては有為なことなのかも知れない。朝から晩まで、飼い犬の世話をし、植木の手入れをし、ガレージの掃除をして一日を過ごしていて何がいけないのか?お前みたいにやることに追われ、複雑な人間関係に頭と心を悩まし、ゆったりとした時間は寝る時だけの人生の何処が面白いのか?その男を窓から見る度にそう問われている気がしている。
今日から近所にある映像制作会社『ドキュメンタージャパン』の創立25周年を記念した連続上映会が始まった。テレビドラマはDVDになったり、再放送されたりして見逃しても見る機会があるけど、テレビドキュメンターは滅多に見る機会がない。その意味でもこの25年間のテレビドキュメンターの秀作を連続上映するのは貴重な試みだ。初日の今日は「日帝36年『韓国・朝鮮と日本人』『在日韓国・朝鮮人』」と「爆走!1万3千キロ~インド発ロンドン行直行バス」の二作品を上映。これが25年も前の作品とはとても思えない程色褪せてない。これから2週間、合計30本以上の作品を上映していくが、どれも見たい作品ばかりで、この機会に全作品を見ようと目論んでいる。入場は無料。興味のある方は是非(プログラムはホームページに掲載)。この上映会以外のお客さんは週明けもあって不調。しばらく顔を見せなかった女優のKさんが二週間ぶりに。他には制作会社プロデューサーのIさんたちとイチゲンの男性客二人だけ。1時半にお客さんはいなくなったので、Mちゃんと二人ですき焼を食べて帰る。