桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

2013・6・20

2013年06月21日 | Weblog
今日は待ちに待った20日だ。毎月20日になるとソワソワドキドキする。俺が著作権を信託している脚本家連盟から二次使用料が毎月払い込まれる日なのだ。毎月20日になると(20日が土日祭日の場合は19日に)何気なさを装って郵便ポストを覗き込む。そして何通かのDMとチラシの中に混じっている支払通知書を「あれ、今日だったけ」といかにも忘れていたかのように独り言を呟いて、本当なら今すぐ封を切って払い込まれている金額を知りたいのに、わざと無関心を装って封筒を鞄の中に放り込み、それが出勤する時だったらバスの中で人目を避ける用に後部座席の隅に隠れて封を破るし、帰宅した時だったら深夜のエレベーターの中で、ごみ捨てに行く途中だったらゴミ集積場の悪臭に耐えながら封を切るのだが、不労所得だから文句はいえないのたけど、殆どの場合はため息してがっくりくる金額が目に入ってくる。でも、それも当然だ。俺がプロの脚本家を廃業してもう15年だ。それも大したヒット作もなく廃業に追い込まれたような脚本家に例え3万でも4万でも(去年実績)年金みたいに毎月お金が振り込まれてくるだけでもありがたいと思わなくてはいけない。それは重々承知なのだ。承知は承知だけど、今から六年前たった一本の映画のテレビ放送料として何かの間違いみたいに150万円もの使用料が払い込まれたことがあったもんだから、それから以後、「20日の郵便ポスト」は俺にとって金庫みたいに思えているのだ。それなのにそれなのに、今日は部屋を出るまでは店に行くことよりも金庫を覗くことの方が大事に思えていたのに、お隣の奥さんが西瓜をくれたりして井戸端会議をしている間にバスの時間に間に合わなくなってしまったもんだから慌てて階段を駆け下りて、金庫を見るのを忘れてことに気づいたのはバスの中だったのだ。ああっ、ひょっとして何百万も振り込まれていたら俺の人生は変わるのに、なんてことをしてしまったんだと漫画みたいに悔しがり、今日は店にいてもそのことばかりが頭の中を占めていたと聞いたら、今日兵庫の灘から来てくれたもう30年以上のつきあいになる令嬢ことKさんや今度娘さんがウチのスペースでライブをやることになったテレビAの関連会社社長のKさんたちは怒るかも知れないけど、去年の九月から役員報酬ゼロで生きてきてお金渇望過剰になっている俺に免じて許して貰いたい。でも、今日もお客さんは前出の二人と中年のカップルの合計四人だけだったし、12時には閉店してしまったのだから金庫の扉を開けるまでにはちょっと辛抱の筈だった。それなのに、また何をぼんやりしていたのか、何に疲れていたのか、そんなに痛風の痛みがひどかったのか、本当ならエレベーター傍にある金庫を覗く筈なのに、エレベーターを使わずに外階段で部屋に入ってしまったのだ。そして金庫を覗かなかったのに気づいたのはベッドの中。もうさすがに起きて確かめにいく訳にはいかず、少なくとも100万円くらいは振り込まれて金庫に眠っているに違いないと夢見る65歳だった。。