桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

2008・9・29

2008年09月30日 | Weblog
運命の9時30分が刻一刻と近づいて来るのを俺は厨房の椅子に座って何もできないまま待っていた。芝居が終わってお客が捌ける時間と、大手出版社Kのご一行が一次会を終わり、ウチの店に到着する時間までの間に果たして何分の余裕があるか?芝居の流れによっては、それが五分になるかも知れないし、一分になるかも知れないのだ。更に芝居のお客がどの位残り、K出版社のご一行が何人になるか、ひょっとすると、あの狭い空間に百人近くの人間が犇き合う可能性もあった。でも、考えても無駄だった。もうなるようにしかならないと居直った時に芝居が終わったとのMの声。9時15分だ。やったっと思わず声をあげる。後15分ある。MKちゃんも含めて予てからの打ち合わせ通り三人は無言のまま作業に取りかかった。まだ芝居のお客さんがいるのにバーカウンターを作り、飲み物コップを並べる。席をどんどん作って、テーブルを拭く。この突貫作業が終わったのがジャスト9時30分。そしてパーティの先着隊が到着したのも9時30分ジャスト。そして幸いなことに芝居のお客んで残ったのは四人きりで、続々と到着したパーティの一行も合計四十人!全てジャスト!オールセーフ!ホント、助かったと云う思い。更に俺の気持ちを嬉しくさせたのが、パーティの中身。普通、大手出版社の局長の退職パーティに義理では参加しても二次会なんかには集わないだろうに、ウチにきたのは全員が二十代、三十代の若者たち。彼らは、俺と高校の同期生であるS君を心から慕って、集っていたのだ。彼らにこんなに慕われるS君の姿を見ている内に、こっちまで感無量になってしまう。こんな気持ちになったのは初めてだし、無理してウチでパーティをやって貰った甲斐があったと云うものだ。そして今日はもう一つ、パーティを予定していた。12時を過ぎて9月30日になったらMの22歳の誕生日。部屋に帰ってシャンパンとケーキで二人だけのパーティ。ろうそくの代わりに22本の赤いバラを飾って祝う。いつもは一杯で飲めなくなってしまうシャンパンが今日はグイグイ喉を通って行って、いつしか二人は夢の中。

2008・9・28

2008年09月29日 | Weblog
二カ月前、高校時代の同期生で、大手出版社の局長であるS君から自分の退職パーティをウチの店でやりたいと言われていたのだけど、その日が9/29日で、もう芝居の公演が予定されていた為に、多分30万近くの収入になったパーティを断らざるをえなかった。S君にしてみれば、倒産寸前の同期生の店を見かねて企画してくれたのだろう。申し訳ない気持ちで一杯だったが、芝居の予定を受けている以上、どうしようもなかった。でも、S君は諦めない。一次会が駄目なら二次会をウチの店でやろうと言って来てくれる。芝居は7時半に始まって9時過ぎには終わるし、9時半から十数人の二次会だったら、芝居の観客が残っていても大丈夫だろうと引き受けたのだけど、今日になって幹事の人から二次会の参加者が最低40人にはなると云うメールが入る。おまけに芝居の上演時間を主催者に確かめてみたら、9時半ぎりぎりになると言われる。それも当日やってみなけれは分からないと言われる。芝居が終わり、パーティが始まるまでに10分あるか5分あるか、いや1分かも知れない。そして芝居の観客が大勢残り、二次会の参加者が50人にも60人にもなった場合は……どうなる?コレド9月29日21時30分!

2008・9・27

2008年09月28日 | Weblog
今日は午後から元Nテレビの演出家だったYさんの高校のクラス会があるので、極太ソーセージのホットドッグとバナナを食べただけでお昼には店へ。二時過ぎから23人の66歳が集う。食欲旺盛、用意したものがあっと云う間になくなるので、60歳の料理人は厨房でどんどん作り続ける。6時、カウンターに10人が残って二次会。8時過ぎ解散。俺もMも9時間近く立ちっぱなしだったし、今日は土曜日でお客さんが見込まれないので9時には店を閉めようと思っていたら、TテレビのMさんたちが来てくれたのを皮切りに常連のSさん、夕刊FのUさんたち、脚本家のFさんたちなどであっと云う間にカウンターは一杯になって嬉しい悲鳴。閉店時間より30分早く閉店。それでも12時間以上立ちっ放し、12時間以上すきっ腹の俺とMは店を出るなりタクシーに乗り込み麻布十番の焼き肉屋Tへ。マッコリと梅酒を飲みつつ、二人共無言で焼き肉を食べ続ける。

2008・9・26

2008年09月27日 | Weblog
先日、年金納付月数が受給資格300月に一カ月足らないと言う通知がきたけど、そんなことは去年の段階で分かっていたし、不足分の納付手続きはした筈だと思って、午後から社会保険事務所に出向く。さんざ待たされての挙げ句、とにかくコンピューターには納付記録がないとのことで、今度は区役所の窓口へ。お役所なんかと揉めるのは大好きだけど、たった一カ月のこと、一万四千百円のことと諦めて、納付手続きを取る。それだけで一日のエネルギーの半分を使い果たした感じ。そのまま店に行って、自転車で赤坂の業者専門の店へ買い出しに出向く。二万円分近い買い物を自転車に積んで帰ってくると、これで一日のエネルギーの四分の一は使った感じ。後残った四分の一のエネルギーで、毎月恒例の川柳の会のオードブル作りや明日のパーティ料理の下拵えに挑む。広尾の店の常連で、乃木坂には初めて来てくれた女医のIさんが帰った二時にはエネルギー切れ。深夜スーパーでディスカウントされている惣菜を買いまくって、部屋で貪り食う。本当は肉を貪りくいたかったのだけど……。

2008・9・25

2008年09月26日 | Weblog
午前中に起きて、今日のイベントの鍵明けに店まで行き、帰りに煮魚を食べようと買い物をして部屋に戻った途端、煮魚が食べたくなくなってしまった。同時に食欲もなくなる。でも、何か食べない訳にはいかないので、煮魚はパスしてたたみいわし、韓国海苔、数の子の醤油漬け、もずく、きゅうりの漬け物、昆布のお吸い物などでご飯を一膳。何となくだるい。ソファでゴロ寝してテレビを見ていると、あっと云う間に四時過ぎになる。このままダラダラとしていてはいけないと、Mと相談してニンニクを一杯使ったステーキを食べることにする。再び買い物に出かけ、一枚五百円のチルドビーフを買おうとしたのだが、生憎と品切れで、一枚千九百円(百六十グラム)のサーロインステーキしかない。こう云う時の俺は狂っている。二枚平然と買ってしまう。そして部屋に戻るなり、レアで焼いて殆ど無言のまま食べる。何だか野生の血が戻ったみたいで元気になる。お店には久しぶりにNテレビのOさん、NテレビOBのYさん、法律事務所勤務のNさん、制作会社の経理責任者Iさんたち、映画制作プロデューサーのNさんと配給会社のKさん、そしてTテレビのAちゃんが仲間七人と来てくれて、閉店する頃には午前中のだるさは嘘みたいに消えている。一枚千九百円のステーキの御利益か?

2008・9・24

2008年09月25日 | Weblog
今日カメラマンのMさんに連れられて初めてきた某国営テレビ局の女性ディレクターAさんは、カウンターにあった俺の缶ピー(ピースの缶詰)を見るなり「これ、お祖父さんが吸ってたわ」と懐かしそうに缶ピーを撫で回し、一本くださいと引き抜くと、祖父さんの匂いがする、お墓に行くよりこの煙草を吸う方がお祖父さんの供養になるわと禁煙中にも関わらず美味しそうに一本の煙草を吹かす。しばしAさんは紫煙の中でうっとりとお祖父さんとの世界。Mもそうだけど、若い女性がお祖父さんのことを話している時って本当に幸せそうだ。俺は祖父が二人共親が結婚する前に亡くなっているので、その存在を体感することは出来なかったし、祖父としての俺は二人の孫にまだ一度づつしか会ってないので、その気持ちも分からないけど、幼い子供にとって祖父ってきっと何もかも受け入れてくれる癒しの存在なんだろう。まぁ、そこにつけ込んで39歳差のMと結婚したと言われている俺としては、何もかも受け入れて癒しの存在になることを要求されているんだろうけど、最近、精神年齢がどんどん低下していて、Mとタイマンばかり張っている、どうしようもないお祖父さんだ。

2008・9・23

2008年09月24日 | Weblog
店に行く途中に新国立美術館がある。買い物する24時間スーパーの隣にサントリー美術館がある。部屋の窓から見える六本木ヒルズには森美術館がある。何とかトライアングルと呼ばれていて、いつも大きな美術展が催されている。けど、三つの美術館に一度も行ったことがない。絵が苦手なのだ。小学校や中学校時代、課外授業で担任に連れられてゾロゾロと美術館に連れて行かれて、ホラ、世界の巨匠の作品だとか、この画家は××派の影響を受けているとか教養主義的に講釈を受けた時の後遺症が残っているからだろうか?でも、子供の頃、絵は好きだった。クレヨンで自由に書いている時までは得意だったし、何度か展覧会で金賞も受けた記憶がある。それが絵の具を使って書くようになってから嫌いになった。色の使い方を色々指導されるのが嫌だったのだろうか?分からない。とにかくいつからか絵が苦手になった。それが大人になった今も続いている。でも、時々、一枚の絵に見入られる時がある。四年前、店で個展をやった石塚桜子さんの絵が今も数点飾られてあるのだけど、お客さんが誰もいない時にぼんやりみていると、彼女の世界に引き込まれてしまうことがある。そんな時、絵画っていいなと思う。何でも身構えないで接することが大切なんだろうな。身構えずに近所の美術館に行けるのはいつの日か?

2008・9・22

2008年09月23日 | Weblog
体調はホボ正常になったものの、ちょっと不安が残っていたので、シメジと油揚げとネギとオクラをいれた雑炊を作り、まつのは昆布と納豆、きゅうりの漬け物をお供に食べる。でも、雑炊はすぐお腹が減る。三時間後、スーパーで二尾180円のさんまを買って、約三百円相当の炭を起こし、じっくり焼く。大根おろしもたっぷり。この手間が大切で楽しい。豚肉と野菜の中華炒めと数の子の醤油漬けなどと食べて幸福。世の中が飛び石連休のこの週明け、普通ならお客さんと売上はゼロに近い筈なのに、AMD企画のイベントが四日間続いて、店は賑わい、売上もまぁまぁ上がり、芝居のお客さん以外にも大阪から上京するたびに寄ってくれるYさんたちがカウンターを埋めてくれて安堵。二時過ぎ帰宅。もう始まっていた『白夜行』の再放送見つつ、買ってきた肉まんを食べようとするが、ドラマの深刻さに手がなかなか伸びない。見逃してしまった回をレンタルして来て見てみたい。ものもらいはもうちょっとで完治か?

2008・9・21

2008年09月22日 | Weblog
夕べ六本木の某飲食店で稲荷寿司を食べた途端、何だか妙な味がした。稲荷寿司だから酸っぱくても当然なんだけど、酸っぱさがお酢とは違う気がしたのだ。帰り道、お腹が痛くなった。あの稲荷寿司が原因かどうか分からないけど、部屋に帰ってトイレに行ってからも気持ち悪さと便意は続いた。その後遺症が今日も続いて食欲がない。おまけに今朝顔を洗う時に鏡を見てみたら右目にものもらいが出来ている。眼鏡をかければあまり目立たないけど、自分ではどうにも鬱陶しく、恥ずかしい。今日のイベントのマチネとソワレの間に広尾までいく途中、二年前S女子大を卒業したH子ちゃんにホームで会ったのだけど、顔を見られるのが嫌で一言二言話しただけで逃げる様に立ち去ってしまった程だ。還暦のオヤジの癖して恥ずかしいも何もないだろうに。更に右手親指がひょうそうにかかっていて、俺のパソコンは親指ソフトなもんだからキイを叩くと痛くて、ここまで書くのに二十分以上かかっている。そして微かに痛風の発作と腰痛とだるさ。久しぶりに病気のオンパレードだ。気分も今日の天候の様に滅入っている。

2008・9・20

2008年09月21日 | Weblog
酒場って云うのはお酒を飲む場所だし、お酒を飲めば酔って当たり前だし、酔えばどうしても論理的じゃなくなる。だからどうでもいい話をしていれば問題はないんだけど、歴史問題や政治問題を話しだすと脈略がなくなり収拾がつかなくなる。今日来店したOさんも、マッカーサーと白州次郎について話しだしたのをきっかけに日露戦争の話題になり、儒教の話に飛び、1990年以降のアメリカ軍の軍事戦略の話しになり、プロ野球と企業の組織論になり、司馬遼太郎の歴史観になり、麻生政権の話になった頃には、ワイン一本が空いていたけど、同時に話の結末が自分でもどうにも分からなくなっていた。今日の話題、別々に話してくれれば、こっちも意見を云ったりして一つの話題だけで優に一時間は持つのに、続けて話すもんだから酔ってないこっちは頷くしかない。実に勿体ないけど、酒場だから仕方ないか。その反対に、昼間芝居をみにきた中年紳士はカウンターに座って十分位の間にジントニックとスプモーニをオーダーしてググッと飲み干したけど、何か話しかけても余り受け答えがなかったので放っておいたら、部屋に帰ったら俺の日記のファンだとメールが入っていた。折角来てくれたんだからもっと話してくれたらよかったのに。こっちも勿体ないけど、今日が初めてだから仕方ないか。Hさん、常連になってOさんみたいにクドクドと支離滅裂な話をするようになってください。