桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

2013・6・18

2013年06月19日 | Weblog
今日は朝風呂に入っている間にたまらなく映画が見たくなって、そうなるといてもたってもいられなく、この日記を書き終わると、もうご飯なんかどうでもいいと桃井章らしからぬ独り言をぼざいて、いぶりがっこに昆布の佃煮にインスタントのお吸い物で卵かけご飯を胃袋に強制収容して、予てから見ようと思っていた「二流小説家」(猪崎宣昭監督)を見に渋谷東映まて足を運ぶ。この原作(Dゴードン)はこれまでに二度読んでいる。一度目はストーリー中心に、二度目は会話のセンスとディテールを追って。でも、何故二度も犯人が分かっている推理小説を読んだかというと、正直言ってストーリー的にはつまらなかったからだけど、二度目に読んだ時にこの小説のディティールの面白さを知り、「週刊文春ミステリーベスト10」他でナンバーワンになった理由が納得できたのだ。こういう面白い小説に出会った時、それを原作にした映画にいくことは問題だ。原作を読んだ時以上の感動に出会うことは99%ないと言い切っていいだろうから、以前何かの小説の映画化で懲りてから見にでかけることはなくなっていた。でも、今回は以前テレビで何本か二時間ドラマと一緒に作ったことのある猪崎監督の、何十年ぶりかの劇場用映画となれば同い年の人間としては見に行くのが義務に思えたのだ。でも、やっぱり感動した小説を原作にした映画は見るべきではない。もしも原作を読んでいなかったとしたらいちいちがスリリングだったりサスペンスだったり登場人物に親しみや共感をいだいたりしただろうけど、普段からそう云う映画の見方は邪道だと言っていたのにどうしても原作と比較してしまったのだ。大体、犯人を知っていたらサスペンスはかからない。この映画は原作を読んだことのない人におすすめだ。映画館を出て近所の渋谷市場でトリッパ用の蜂の巣やいわしを仕入れて店へ。でも、その時点で脱力感が凄くて、店を明ける気力が出てこない。仕方なくしばらくボッーとしている。30分ほどウトウトしただろうか?金取引のセールスの電話で起こされ、腹立ったことは腹立ったが、目覚まし代わりになってくれたと思えば感謝。バタバタといわしの塩焼きを初め六種類の料理をカウンターの後ろに並べて開店する。でも、やっぱり本調子じゃないのか?官庁退官後モンゴル貿易に携わるTさん、十年前に最初に来て今日で三回目の来店だという美女Aさん、色々あっても相変わらず出勤してくれる社長秘書のYさん、TさんのT大時代の学友で且つ俺の鎌倉小学校時代に線路を挟んだライバル校に同時期に通っていたYさんたち三人組、週刊Aで活発に芸能ルポを書き続けているライターのIさん、そして今月末にイベントをやる文学座のシニアクラスの面々たちを応対しているまではよかったのだけど、先日見て感激した「さよなら渓谷」のプロデューサーのMさんが監督のOさんと主演女優のMさんたち総勢八人で来店してくれたあたりから俺の挙動不審ぶりがひどくなる。注文をうけた飲み物が分からなくなる、違う飲み物を作ってしまう。伝票にはなにもつけなくなってしまうなどなど。堪り兼ねてカウンターにいたYさんが中に入ってくれたり、代わりに運んでくれたりする。とにかく頭の中が真っ白、虚ろ。動作、決定がスローモー。ちょっとやばい。感激した映画の主演女優に紹介された後遺症?だったらいいんだけど、俺がそんな純情なタマか?いやいやそんな筈はないと自問自答しながら終電ギリギリまで手伝ってくれたYさんに感謝。でも、みんなが引き揚げた2時半過ぎにグラスと云うグラスを全部使い切った後片付けをしてから帰る能力は残ってなく、店中「焼け野原」ならぬ「自棄野原」で逃げる用に店から出てしまう。どうなるんだろ?明日?そして気づいてみたら食事は朝たべた卵かけご飯だけで、食欲はなし。大丈夫か?桃井の体調?