「あまちゃん」東京篇の為に7時半に起き、顔を洗って珈琲をいれてオンエアを待つ。何だか昔自分が書いたテレビドラマを見るみたいな緊張感。ちょっと勘違いしている。でも、ドラマも全く新しく衣替えした印象。ナレーションも夏さんからあまちゃんに変わっているし、こんなイメージチェンジしても今までの客を引っ張っていけると云う自信が作家とスタッフにはあるんだろ。ただ尊敬。そして一観客になる。ただ、東京篇は始まったけど、俺ァの体調はちょっと逆戻り。温泉卵を落とした昨日のすき焼きの残り、畳鰯、水ナス、韓国海苔,豆腐の味噌汁をテーブルの上に並べたもののいつも二膳は食べるご飯は一膳きり。食後、この日記を書いた後は(と云うか途中から)だるくて眠たくて堪らなくて、ベッドに倒れこむ様に眠ってしまう。単なる身体の老化なのか?異変が起きているのか?まぁ、どっちにしろ気持も身体も十代には戻らないんだし、60代には60代の気力の衰えと肉体の金属疲労があるさと可愛く居直って店に行ったら、先日23年ぶりに再会したIが近所?にある都立H高校に通う娘のSちゃんを連れて開店前に来て、彼女の相談に乗ってくれと云う。その内容はマル秘だけど、制服姿の16歳の女の子の相談に真面目に乗って、例え母親が傍にいたにしろ、看板を点けるのを忘れる程真剣に話し込んでしまう。この感覚は今年の一月俺の芝居を見に来た13歳の孫と話した時も感じたし、以前スタッフだったLちゃんに最初に会った時もそうだったけど、このスリリングさってどう説明したらいいんだろう?多分これまで彼女たちが生れて来てからの時間と俺がこれから生きることの出来る最大時間が同じ位だと意識してしまうのだ。何の意味も接点もない。でも、きっとそんな10何年と云う年月を意識することが俺の神経を研ぎ澄ませる。8時近くA芸能で旺盛に執筆活動を続けるライターのIさんがKさんと来店。続いて二年ぶりの来店となるNさん、近所の制作会社の女性プロデューサーのAさんたち、大阪からの出張のついでに寄ってくれたS新聞のUさん、法律事務所勤務のNさんなど。最後のお客さんのUさんが12時ちょうどに帰ってので後片付けを始めるが、「Sちゃんの生れて16年、桃井の残された16年」と云うフレーズが頭に浮かび、動作がスローモーになる。途中考え事をしてボッーとしていたこともあったのだろうか、気づいたら最終電車10分前。厨房は汚れたままだけど、タクシー代2500円を倹約する方が大事とばかり、店を後にする。そうだよね、俺には普通でいくと16年位しか残されていないんだよね。どうしよう?って悩む初期高齢者っているか?