栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

きよちゃんのエッセイ (35) ”海彦さん・山彦さん” (Okubo_kiyokuni)

2015年08月09日 | 大久保(清)

海彦さん、山彦さん

 

 ギニアのコナクリに出張ですと言うと、アフリカを知る人は大変なところですねーと、同情と哀れみをもった挨拶を返してくれる。西アフリカは気候も治安もよくない。アフリカの地形を頭蓋骨に例えると後頭部に当たるギニア湾は、無風地帯、熱く、湿度も高くマラリアの蔓延する地帯である。日本を出発する時に、何本、予防注射をうっただろうか。

 ここに鉄鉱石の積出港を建設し、リベリア国境に近い鉄鉱山より千キロもの鉄道レールを敷こうというのだ。今考えて見ても壮大なプランだが、四十年前の出来事だ。夢見たいな話だが、本気で契約してしまった。こちらは、駆け出しのエンジニア、言われたとおり港の調査を進める。コナクリでの問題点は山ほどあるが、最大の難関は食べ物であった。三年の調査を予定し、一部屋をつぶしたエアコン室には、日本より船便で運び込まれた缶詰類が山と積まれ、錆び付きそうになりながら、熱さと湿気に耐えている。

 西アフリカには当時、日本のマグロ船が操業していた。彼等は今と違い、潤沢な装備で航海していたのではなく、釣った魚で生き伸びて帰国するのが一般的だったようだ。鉄道チームは海から離れた山岳地帯に展開しているために、野菜・果物は不自由せずに暮らしていた。コナクリは、野菜も肉も非常に手に入りづらい。ここで、海彦さんと山彦さんが登場する。ヘリコプターでの空輸が始まる。海チームが沖を行くマグロ船に渡りを付ける。すると、00日、XX時にヘリコプターが飛来し、山の野菜を籠に入れ海に下ろしてくる。厳密なことを言えば、密輸になるのであろうか。

 漁船は野菜の籠に魚を詰めて、ヘリのロープを引き上げさせる。物々交換である。アフリカの海で、日本人同士の涙ぐましい友情物語の始まりである。このヘリも密輸のために千キロも飛んできたのではなく、調査の途中で抜けてきた暗黙のフライトである。そのために、大量の物々交換は不可能であったが、アフリカの山の中で食べるマグロの味は、何に例えればよいのだろうか。漁船員も同じである。炎天下の海仕事の後で、南国のフルーツを味わい、新鮮な緑の野菜は美味しかろう。

  交換バザールも、日数にすればたいしたこともなく、普段は缶詰料理の連続である。色々な種類があるのに驚いたが、生卵の缶詰には仰天した。非常に便利な一品である。しかし、これも飽きるものだ。缶詰を食べ続け、肝臓を悪くした人が続出した。恐らく、マラリアの予防薬も肝臓に負担があったのであろう。こちらも、帰国して、早々にマラリアの急患で医科研に入院したが、原虫は発見できずに、代わりに黄疸症状が現れ、退院時の病名は肝炎に変わっていた。

コメント
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