栄光イレブン会

栄光学園11期卒業生の親睦・連絡・活動記録

ブログ開設:2011年8月23日

きよちゃんのエッセイ (8) ”犬と飼い主”  (Okubo_Kiyokuni)

2014年05月09日 | 大久保(清)

犬と飼い主

 

 散歩をしていると、犬を連れている人に出会う。正確に言えば、犬に連れられているのか、犬を連れているのかわからない。犬に拘束されているので、散歩と言う自由な世界から逸脱しているとも言えるので、本来の散歩ではない、人と犬の連帯運動かもしれない。この犬と主人の関係を眺めて気がつくことがある。犬の顔と主人の顔がよく似ていることである。コリーの紐を引く人は、やはりとんがった顔をしているし、ダックスフンドの人は、そのような容貌をしている。ブルドックもそうだ。これは飼い主の服装にもいえる。

 犬を飼うときに、犬が主人を選ぶことは少ないだろう。自然と似た容貌の犬を選ぶのだろうか。それとも、飼っているうちに、飼い主の顔が犬に似てくるのだろうか。犬の性格と主人の性格は似通っているのは、十分に考えられる。どちらかが、相手に合わせてくるからだ。大抵は、飼い主が犬に寄り添っていく。特に、日本ではそのようだ。外国のような犬の飼いかたは苦手らしい。

 先輩にミニチュアダックスフンドを飼っている人がいる。もう、とうに七十半ばをまわり、八十の大台に近づこうとする後期高齢者だ。彼の愛犬は十三歳、人間で言えば80歳に近い、やはり後期高齢犬である。愛犬が心配で、ご夫婦は二人で外出する機会もなくなり、愛犬の見取りをしていると喋っていた。犬も夕飯を食べ終わると、寝室に向かい、一緒に早く寝ようとうるさくほえるそうだ。いつも添い寝で・・・。恐らく、犬君は生まれてからズーと、先輩と一緒に家で暮らしているのであるから、犬と認識せずに、人間の老人仲間以外の何者でもないのだろう。

  元来、純粋な日本犬は紀州犬、秋田犬、柴犬などの七種類らしい。柴犬はべつとして、日本犬を散歩の途中で見かけるのはまれである。殆どがお人形さんみたいなミニサイズの外来犬である。何故だろうか。西洋化が進み、散歩のアクセサリとしては、洋装に似合う外来種が好まれるのであろうか。ミニサイズの家には、ミニサイズの犬が飼いやすいのかもしれないが、概してこのチビ犬は主張が強い。甘やかされて育つと人間も犬も同じだ。

 しかし、この頃犬の散歩の面倒見がよくなってきたように思う。殆どの人は小さなビニールのウンチ袋を携帯し、小さなシャベルを持って散歩している。昔の番犬代わりに犬を飼う習慣から、昨今はペットして飼うスタイルに変化してきているが、この文化が何時まで続くのだろうか。少子高齢化の年齢構造が変わらない限り、ミニドックの飼い主は増えていくのだろうか。本当は、ペットのこどもではなく、人間の子供がドンドン増えてくれるのが望ましいのに。

コメント
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