夏祭りと言えば、代表的なのは京都の祇園祭り。幕末に宵宮に起きた新撰組の池田屋騒動はつとに有名だ。柏市内には、こうした物騒な事件はないが、夏祭りといえば、柏の天王様(現柏神社のこと)の祭りと豊四季のお諏訪様の祭りがある。天王様は7月中旬、お諏訪様は8月中旬、どれも駅から神社まで、ずらりと夜店が出、子どもにとっては、大変な楽しい季節であった。
さて、八坂様を祀ってある柏神社の祭り、昔の天王様の祭りは、最近は、柏商工会議所や柏市役所等が行う柏まつりに押され、実に見る影も無くなっている。同じ八坂様系統でも我孫子の駅前にある八坂様のお祭りは、今でもそれはにぎやかである。手賀沼までのだらだら坂(いわゆる公園坂通り)いっぱいに露天が出て、多くの人が出る。柏神社のように社務所はないが、氏子の心が社務所となっているようである。
この全国にある八坂神社は、元々、牛頭天王社や祇園社などと呼ばれていたが、明治元年(1868年)の神仏分離令(廃仏毀釈運動)により「八坂神社」に改められたのだ。八坂神社のご祭神は、素盞鳴尊(スサノオノミコト)で、この八坂神社(祇園さん)は、全国に2300位あるそうな。もちろん、総本山は、京都の八坂神社であることはいうまでもあります。
では、柏市内で元気な八坂様はあるのだろうか。わが布施界隈の古谷と言うところにも八坂神社はある。古谷というのは、善照寺の近くで、昔、東海寺があったところです。だが、ここも、ごたぶんに漏れず、往時の面影はない。この神社も、昔は牛頭神社と呼ばれており、かっては、大杉様も祀ってあったという。現在、八坂様と妙見様が祀ってあるが、八坂様の建物の中には、今は担がれない3000万円はこえるという大御輿が飾ってある。ここの祭礼は7月14日と15日で、旧布施6町会の氏子が取り仕切っているが御輿の担ぎ手がいなくなり、担がれなくなってから久しい。同じ境内の敷地内に奉納されている子ども御輿は、今でもこの地区祭りには担がれています。
そんな中でも、元気な八坂様といえば、新たに沼南から加わった若白毛地区の鎮守様である八坂様であろう。県道柏・印西線の曹洞宗長栄寺の道路を挟んだ反対側にあるが、ここの夏祭りは、7月の23日と24日に行われるが、なんといって24日の夜、奉納される若白毛ばやしは、みものである。この神社の創立時期は不詳だが、現在の本殿は明治9年に建立されたもので、若白毛ばやしもこの時期に導入されたのではないかと推察されています。
お囃子は、太鼓1名、小鼓2名、鉦1名、笛1名の5名で構成され、舞の順序は、獅子舞でお浄めをし、悪魔払いをしたあと、 狐・ひょっとこ・おかめ・大黒などのお面を付けた舞い手が、こっけいな舞を披露される。このおはやしは、柏市指定の無形民族文化財となっており、現在、大人達だけでなく、手賀西小学校の児童たちによっても受け継がれています。なお、7月1日に行われた大杉様の手賀囃子は、この若白毛囃子が明治時代に導入されてほどなく、手賀地区にも伝わったものではないかと言われております。この若白毛はやしは一度はみてみたいおはやしです。
このように、伝統的なお祭りが、子ども達によって受け継がれ、未来に残されるというのは大切なことと思いますが、なかなか、それさえも難しいのが現状です。
最後に、この地名の「若白毛」の「白毛」は全身白毛で覆われた馬を指すそうですが、この地名がいつ誕生したかは不明です。「若白毛」は若い「白毛」を指すものと思われますが、それとこの地区との関係はこれ以上わかりませんでした。
さて、八坂様を祀ってある柏神社の祭り、昔の天王様の祭りは、最近は、柏商工会議所や柏市役所等が行う柏まつりに押され、実に見る影も無くなっている。同じ八坂様系統でも我孫子の駅前にある八坂様のお祭りは、今でもそれはにぎやかである。手賀沼までのだらだら坂(いわゆる公園坂通り)いっぱいに露天が出て、多くの人が出る。柏神社のように社務所はないが、氏子の心が社務所となっているようである。
この全国にある八坂神社は、元々、牛頭天王社や祇園社などと呼ばれていたが、明治元年(1868年)の神仏分離令(廃仏毀釈運動)により「八坂神社」に改められたのだ。八坂神社のご祭神は、素盞鳴尊(スサノオノミコト)で、この八坂神社(祇園さん)は、全国に2300位あるそうな。もちろん、総本山は、京都の八坂神社であることはいうまでもあります。
では、柏市内で元気な八坂様はあるのだろうか。わが布施界隈の古谷と言うところにも八坂神社はある。古谷というのは、善照寺の近くで、昔、東海寺があったところです。だが、ここも、ごたぶんに漏れず、往時の面影はない。この神社も、昔は牛頭神社と呼ばれており、かっては、大杉様も祀ってあったという。現在、八坂様と妙見様が祀ってあるが、八坂様の建物の中には、今は担がれない3000万円はこえるという大御輿が飾ってある。ここの祭礼は7月14日と15日で、旧布施6町会の氏子が取り仕切っているが御輿の担ぎ手がいなくなり、担がれなくなってから久しい。同じ境内の敷地内に奉納されている子ども御輿は、今でもこの地区祭りには担がれています。
そんな中でも、元気な八坂様といえば、新たに沼南から加わった若白毛地区の鎮守様である八坂様であろう。県道柏・印西線の曹洞宗長栄寺の道路を挟んだ反対側にあるが、ここの夏祭りは、7月の23日と24日に行われるが、なんといって24日の夜、奉納される若白毛ばやしは、みものである。この神社の創立時期は不詳だが、現在の本殿は明治9年に建立されたもので、若白毛ばやしもこの時期に導入されたのではないかと推察されています。
お囃子は、太鼓1名、小鼓2名、鉦1名、笛1名の5名で構成され、舞の順序は、獅子舞でお浄めをし、悪魔払いをしたあと、 狐・ひょっとこ・おかめ・大黒などのお面を付けた舞い手が、こっけいな舞を披露される。このおはやしは、柏市指定の無形民族文化財となっており、現在、大人達だけでなく、手賀西小学校の児童たちによっても受け継がれています。なお、7月1日に行われた大杉様の手賀囃子は、この若白毛囃子が明治時代に導入されてほどなく、手賀地区にも伝わったものではないかと言われております。この若白毛はやしは一度はみてみたいおはやしです。
このように、伝統的なお祭りが、子ども達によって受け継がれ、未来に残されるというのは大切なことと思いますが、なかなか、それさえも難しいのが現状です。
最後に、この地名の「若白毛」の「白毛」は全身白毛で覆われた馬を指すそうですが、この地名がいつ誕生したかは不明です。「若白毛」は若い「白毛」を指すものと思われますが、それとこの地区との関係はこれ以上わかりませんでした。
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