布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

公開された布施弁天の宝物殿の中身とは

2008-11-07 | 歴史
11月3日に稚児行列と普山式を無事に終え、10月から始まった布施弁天の1200年祭もつつがなく終了。1300年祭はもう、私にはみられないにもかかわらず、3日は野暮用があり、みることができず本当に残念でした。
しかし、この1200年祭に合わせて行われた布施弁天境内の宝物殿のご開帳は、10月の公開初日に見させていただきました。
この宝物殿は、確か、あけぼの山野の売却代金で、昭和48年に建築されていますので、それ以前は、この宝物殿の中の寺の宝物はどこにしまっておいたのでしょうか?今回の公開は建築以来、初めてなのでしょうか。江戸時代、利根川図誌を書いた赤松宗旦の書物の中やと大正時代に白樺派の志賀直哉が書いた由紀の遠足の本の中に、見たと書かれている蟠龍石はどこに飾ってあったのでしょうか?蟠龍石とは、天に昇れなかった龍が黒い30センチくらいの石の中に白い模様で閉じ込められたもので、昔から布施弁天の寺宝物とされていたものです。これは、しっかりと拝顔させてもらいました。しかし、宝物殿の展示物は、撮影禁止でしたので、この石を紹介できないのは残念ですが、どんなものか知りたい方は、「利根川図誌」をご覧下さい。さて、この宝物殿のご開帳を私は、心待ちにしていましたが、それは、この際にぜひとも見ておきたいものが、このほかに2つほどあったからです。
1.823年に嵯峨天皇の勅願所に指定されたとことを裏付けるもの
2.古谷にお寺があったころのなんらかの東海寺の遺物
残念ながら、これらは、蟠龍石以外はやはり無理な望みでした。東海寺に関する一番古い展示物は、1700年代初めのもので、布施の古谷に東海寺があったころのものは、一切ありませんでした。現在の地に引っ越してきたからのものだけでした。やはり、将門の乱等で焼けてしまったので、無理な願いだったのでしょう。
それでは、この宝物殿にあった布施弁天東海寺の寺宝を私のブックマークに入っている富勢地域ふるさと協議会のホームページから以下に引用し、紹介します。
<宝物殿御開帳により公開された寺宝の一覧表>
① 蛇竹
   当山に奉納されたもので、巳年には蛇に似た竹が生れるといわれています。
② 不動明王座像
   悪を降伏させるため、念怒の姿であり、おとなしく仏道に行わない者がい
   れば激しく救済するという役割を果たす大日如来の化身である。当山にはか
   って不動堂があり、そこに安置されていたと思われる。
③ 弁財天像(3躰)
   御像は、1709年から行われた出開帳にて人々のお参りをさせたもので
   す。1796年まで、江戸開帳3回、地方巡回開帳6回行われ、本堂の建築
   費用等に歓進した。弁天さまは2臂で、琵琶を持つものと8臂で、弓・矢・
   刀を持つものと2つの像溶がある。
④ 弁財天十五童子像
   護摩の灰で練られた仏さまで、残念ながら、現在は中尊である弁天さまを欠
   いています。厨子には、元禄十五年(1702)寄進銘があり、当山に残る
   御像の中で最も古いものである。
⑤ 大黒天立像(2躰)
   大黒天は、弁天さまの脇侍として毘沙門天と共にその両脇へお祀りされる事
   がしばしばあり、これらの御像もかっては当山において弁天さまと並んで安
   置されていたと思われる。
⑥ 鳥衾
   創建時、茅葦屋根であり、箱様のみが瓦でした。この鳥衾は享保二年(17
   17)の創建時当初のもので、正面唐破風上部鬼板上に取り付けられた。
⑦ 神具および坐女衣装
   宝永二年(1705)東海寺が布施村古谷からこの地に移ってくるまで、弁
   天さまの当地で神社形式にお祀りされていた。これらの資料は布施弁天の歴
   史を知る上で大変貴重なものである。
⑧ 嵯峨御所 御用
   文政六年(1823)に嵯峨御所(大覚寺)より寄進を受けた際のものであ
   るとされている。
⑨ 布施弁天終わり山図 板木
   現在の本堂が建つ以前、弁天さまをお祀りしていたお堂の姿を描いた、重要
   なものである。
⑩ 練札(8枚)
   建物の練り上げや再建・修理時に工事の由緒や年月、建築主や工匠名を建築
   記録されたものが8枚展示されている。
⑪ 五條袈裟
   文政期に御所より拝領したものの一つと思われる。
⑫ 鬼面額および升
   節分が盛んに行われていた大正五年(1916)奉納されたもの。
⑬ 版木(5枚)
   1. 東海寺弁財天再興勧進状
   2. 関東三弁才天第一布施弁才天略縁起
   3. 弁才天縁起
   4. 弁才天坐像
   5. 胎蔵界大日如来坐像
⑭ 写真展示
   1. 茅葦の旧本堂
   2. 古絵図 明治12年頃の当所の様子を当山第36世(中興21
         世)大山猛阿が描いたもの。
   3. 楼門修復の様子
⑮ 堅紙(書状)
   1.文政六年(1823)に嵯峨御所より菊の御紋付・提灯灯、紫幕、布の
     幕を拝領したことが書かれている。
   2.文政十一年(1828)嵯峨御所より塗神興、蒔絵経箱、朱傘使用を許
     された。府内(江戸)では使用しないことが書かれている。
16 愛染明王坐像
17 如来坐像
18 勧喜天像
19 宇賀神像
20 銚子2本
21 大般若経
22 修行大師立像
23 阿弥陀如来立像
24 妙見菩薩立像
25 江戸時代に当山で使われていた食器、調度品。
26 幡竜骨 2点
27 宝珠石 2点 当山に代々伝えらてきた寺宝。 
28 朱印判 焼印判 当山で使われていた判の数々です。
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