空木(うつぎ)という木を知っています?別名卯の花というそうです。夏は来ぬという唱歌をご存知ですよね。「卯の花の匂う垣根に/ほととぎす早やもき鳴きてーーー」と歌われている卯の花が、木釘の材料の空木なんです。普通は、生垣や畑地の境の木として植えら、高さが1.5㍍から2㍍までなります。全国に分布しており、雪の下科に属し、5月中旬から6月初旬にかけて白い花(写真)を咲かせます。木の随が、幹の中が、から(空洞)なので「空木」と呼ばれたり、旧暦の4月(卯月)に咲くことから「卯の花」とも呼ばれているのです。花言葉は「謙虚」。材質は硬く、腐りにくいところから、昔から木釘や杵などに使われているそうです。
このどこにでも繁っている空木を活用して、明治2年、北島善十郎という柏市豊四季地区の開墾農民の方が、冬の副業として桐タンスなどの組み立ての際に使う木釘づくりを始め、これが大勢の開拓者にも拡がり、豊四季木釘を有名にしたそうです。
東武線豊四季駅の北口から諏訪神社を超え、1キロも流山方面に行かない右側に稲荷神社が在りますが、その境内に、木釘記念碑が1926年に有志の人たちの寄付で建てられています。最初は手作りで、そのうち機械化もされたので、材料の空木が豊四季地区にはなくなり、大正から昭和にかけては大喜多のほうから貨車で豊四季駅に取り寄せていたと言うことです。木釘の生産は、戦後の一時期まで行なわれていましたが、桐タンスが洋タンスに取って替り、また、木釘によらない接着剤による組み立て方法が進み、今では産業としての木釘づくりは絶えてしまいました。豊四季蓑と同じ運命をたどったのです。
最後に、諏訪神社に参詣したしたかも知れないと言われ、境内に句碑がある与謝蕪村の卯の花に関する俳句を紹介します。「卯の花や 妹が垣根の はこべ草」
このどこにでも繁っている空木を活用して、明治2年、北島善十郎という柏市豊四季地区の開墾農民の方が、冬の副業として桐タンスなどの組み立ての際に使う木釘づくりを始め、これが大勢の開拓者にも拡がり、豊四季木釘を有名にしたそうです。
東武線豊四季駅の北口から諏訪神社を超え、1キロも流山方面に行かない右側に稲荷神社が在りますが、その境内に、木釘記念碑が1926年に有志の人たちの寄付で建てられています。最初は手作りで、そのうち機械化もされたので、材料の空木が豊四季地区にはなくなり、大正から昭和にかけては大喜多のほうから貨車で豊四季駅に取り寄せていたと言うことです。木釘の生産は、戦後の一時期まで行なわれていましたが、桐タンスが洋タンスに取って替り、また、木釘によらない接着剤による組み立て方法が進み、今では産業としての木釘づくりは絶えてしまいました。豊四季蓑と同じ運命をたどったのです。
最後に、諏訪神社に参詣したしたかも知れないと言われ、境内に句碑がある与謝蕪村の卯の花に関する俳句を紹介します。「卯の花や 妹が垣根の はこべ草」