季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

高い修理代 2

2008年01月17日 | 骨董、器
心臓部が壊れた古い時計を直してくれそうな人を見つけたことを書くはずだったのに、話がそれて長くなり仕切り直しだ。

ネットで検索することを思いつくまでに時間がかかったが、思いついたらすぐ行動できるところは便利ではある。何件かのホームページのうち、これは時計が好きなだけではなく、時計という機械を通して人間的な何かを見ていそうだ、という人を見つけた。幸いごく近い。

あやうく見落とすような、店構えとは言えないほど箱だの紙だのが散乱した店。どう見ても店じまいしたような店舗に入り、お母さんと覚しき老婦人から最近の時計屋事情、店の由来などを聞きながら待つこと小一時間。

ようやく来た店主は40過ぎくらいだろうか。二言三言会話しただけで、この人なら直せるのではと期待感がふくらんだ。ホームページの印象通り、徹底的にこだわる人らしい。ただ、職人というよりロマンティストだと感じる。

持参した時計を見るなり「良い時計ですねぇ」レンズを眼にはめて機械部分を詳しく見ながら「もったいないことをしましたねぇ」「以前に手をいれた人はとても良い仕事ぶりです」「うちのホームページで修理例に挙げてあるのよりずっと良い品です」とまるで独り言でも言う口調で話す。

ネジを巻くためのスクリューというのだろうか、それもオリジナルで一層価値がある。それが無いと値打ちがガクンと下がるのだとか、文字盤の材質も上等だとかひとしきり講釈を受けた。楽しかった。

どうやらこの人の中には、時計が作られた時代や、その時計を所持、使用していた人を「追憶」する傾向があるようだ。

乱雑にうち捨てられたように見える箱や紙は全てが日本全国から送りつけられた壊れた時計とその部品である。中には沖縄とか長野の住所が貼り付けられた、開封前の箱もある。汚れた紙は、それぞれの時計の油を拭き取って置いてあるのだ。整頓なぞしてしまったらかえって混乱するのだそうだ。

肝腎の僕の時計だが、直せるかも知れない、断言はできないとのことだった。古いものを直すのは基本的には同じものを買ってそこから部品を取るのだそうだ。でも僕のと同じものを手に入れることはまず不可能、何とか工夫する以外に無い、という。

保証は出来ないし、修理代は十万から二十万はかかる、いつ出来るかも約束できない、数年かかるかも知れない。自分の気分次第だ、とのことである。僕は、構わない、それでお願いすると言った。この人なら多分やり遂せるだろう。ここで無理なら諦めもつく、そう思えた。買った値段よりも高い修理代だが、それは僕の気持ちひとつ。

数年は長い。でもすぐ出来たら支払いに困るというのが本当のところだ。ここ数ヶ月はビクビク、その後は首を長くして待つことにしよう。

これを書いていて気付いたのであるが、預かり証もなにももらっていない。こういうところも気に入った。

東京町田にある橋本時計店といいます。興味のある方はHPをご覧になると良いです。なかなかおもしろいです。

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