季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

忘れられぬこと

2008年02月17日 | 音楽

僕の音楽にまつわる体験で、もっとも忘れ得ぬできごとのひとつ。

中学の終わりころか高校に入ったころ、新聞紙上でブルックナーの交響曲7,8,9の宣伝記事が大きく載った。9番だけはちがう会社から出ていたはずだから、もしかすると相前後していたのかもしれない。

宇宙の神秘、とかその類で買い手の気を惹く、いつの世にもあるやつ。以前にも書いたように僕はすでにフルトヴェングラーの「英雄」から「田園」「運命」、ブラームスの交響曲、各種協奏曲等々、レパートリー?を急激に増やしていた。もちろんワーグナーも入っていた。

音楽はすでに僕の生活のほぼ全部を占めるようになっていた。現代と違って録音ですら聴く機会など非常に少ない時代だったことを思ってほしい。戦前の人たちはむしろ(人数は少なくても)レコードを手に入れ聴く機会自体は多かったのではないだろうか。戦後生まれの僕の世代は、たとえば僕も家にステレオ装置がきたのは5年生の時で、LPレコードという新システムが隅々まで浸透するにはまだまだという時期にあたる。

このことがみんなに当てはまるか、僕は知らない。音楽を志す人たちはすでにたくさんいて、僕のように牧歌的ともいえる態度でピアノを習っていた人は(志をもった人の中では)少数だったかもしれない。

とにかくそういう状況の中で僕はただ青年期にありがちなイライラと戦っていた。「宇宙の神秘」これは目をひいた。「これこそ俺にふさわしい音楽だ」1枚買おう。だがどれを?宣伝によれば9番がブルックナー最後の曲で、未完成ながら最も深遠な世界だそうだ。

僕が買うのは、そんな宣伝文句がある以上9番でなければならなかった。封を開けるのももどかしく早速聴き始めたのだが、延々となにやら経を唱えるような楽句が続くばかり。しびれをきらせて針をあげてしまった。音楽を聴いて何のことやらまったくわからず、というかつまらない、と感じて聴くのを中断した初めての体験だった。

その後も体調、気力とも充実しているときに、食えないものをエイヤと口に放り込むようなつもりで聴いてみた。しかしブルックナーの曲は長い長い。エイヤと聴き始めてもエイヤが延々と続くとただのイヤになる。中断する経験ばかりが重なった。

ある日、僕はプライドをかけて、このやろう、意地でもぜんぶ聴いてやると決意した。何が宇宙の神秘だ、と思いながらも他方ではフルトヴェングラーが絶賛する作曲家なのになぜ僕にはなにも良さが分からないのだ、という漠とした不安があったように思う。

エイヤとレコードをかけて、ひたすら耐えた。エイヤ、エイヤ、エイヤとなんべんも気合いを入れていたに違いない。日本のサッカーチームがブラジル代表と試合して3点くらい先制されたときはきっとこんな気持ちだろう。どうしようもない、でもやめるわけにはいかぬ。

第2主題が現れたとき様相は一変した。このときの驚き、感動を僕はいまでもよく覚えている。視界が急に開けた。僕が見たものは宇宙の神秘などではなかった。とにかく僕はひろいひろい場所に立って風を一身に受けていた。

僕は人生で唯一美しい時期である幼年期を佐賀県ですごした。家は佐賀平野が北へ延び、ここからは北部山地へ続くというあたりにあった。有明海が遠くに望まれ、とくべつ良い天気にはそのまた向こうに雲仙が望まれた。有明海から吹ききたる風は、一面の水田をわたって北の山塊にぶつかるのである。家の裏山からの景色は秋には黄金色の海のように見えた。

それが何の脈絡もなく僕の目の前に現れた。この不意打ちに僕は恍惚となった。CDがなくて幸いだった。CDの時代だったら第2主題ばかりを繰り返して聴いてしまっただろう。

この部分をもう一度あじわうためには、この長大な曲を冒頭から聴くしかすべがなかった。何回それを繰り返したか。気がついたときには、この曲を「理解」していた。つまり全体を好きになっていた。理解するとは愛着を持つことなのである。そしてそこへの道はこんな経路さえあるのだ。

僕が現代の冷たい知識人もどきに激しい嫌悪を覚えるのは、今でもこの経験を信じるからである。こういった経験を売りわたしてことをこなしていくのがプロならば僕はアマチュアでよい。そう思っている。

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