季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

犬学 2

2009年02月15日 | 
ミケはたまがいなかったら我が家に来なかったかもしれない。

2頭目のシェパードを飼おうと決心してしまったのも、たまがいつかいなくなる、その時に少しでも気持ちを和らげてくれるのはもう一頭のシェパードだ、と思ったからだ。

いや違うな。たまがいなくなったら次のシェパードを飼う気力がなくなることを予感していたし、犬なしの生活がどれほど味気ないかを思うと耐え切れなかった、そんなところか。

ドイツであっさり新聞広告で買ったというのに、電話帳で調べて幾つかの繁殖者を訪ねたにもかかわらず、どうも勝手が違う。

「シェパードの子犬はいますか?」と訊ねても何やらむにゃむにゃした答えが返ってくるばかり。いないというわけではないけれど、とかね。

はっきりせんか!と思う。だって子犬はいるかいないかしかないじゃないか。僕は神様はいるかいないかと訊ねたわけではない。幽霊の存在を訊ねたのでもない。これ以上単純なことはあるまい、という問いを発したのだ。

また、値段を訊いても不得要領な答えしかくれない人もいた。じろじろ僕のなりを見られたりして、どうにも愉快ではない。まあ、見るからに貧乏そうではあるよ、それは認める。せめて友人たちのように肥えていたならば違った目で見られただろうが。

こんな単純明快な質問に答えることができないのにはわけがあると思ったが、後日わけはあるのだと知った。

シェパードを訓練所で買った場合、訓練に預けるのが一般らしい。また、由緒正しい血統の犬は大会に出して賞を狙うのが正統な飼いかたらしい。ミケは大変由緒のある子犬だったから、その後いろんなことを経験せざるを得なかった。

大会で上位になるためには訓練所に預けて訓練師と長時間一緒にいるようである。では飼い主はなぜ飼うのだろう、と素朴な質問が出ますね。

シェパードなど、警察犬に指定されている犬種を扱った雑誌が警察犬協会から発行されている。そこに○○氏様御愛犬、と大書されるのである。僕などから見れば、そこに名前を出すために飼っているとしか思えない。馬主の世界と似ているのかもしれない。僕は馬の社会を知らないからあて推量で書いているのだが。

したがって○○氏はお金持ちで、いっぺんに何頭ものシェパードを所有していることが多い。

そのような世界でミケがどうやって我が家に来たのだろう。ここにもわけがある。

シェパードの世界ではドイツから来た子と日本産の子では出来が違う。これはほんとうにそうだ。学歴なぞは人を欺くことばかりだが、こちらの来歴は信頼するに足る。たとえば、アメリカのシェパードは、いかにシェパード好きな僕でも可愛いとはとても思えない。なぜ姿かたちまで違っていくのか、じつに不思議だ。

大会では、そのためドイツから来た犬たちを「外産」日本生れを「内産」と呼び、ジャンルを別にして審査する。「外産」の持ち主(飼い主と呼ぶのに抵抗あり)はシェパード道の王道を行くお金持ちなのだ。

子犬を求めて、何番目かに信頼してよさそうな訓練所に行き着いた。雑談の折に、我が家にはドイツから連れてきたメスのシェパードがいると話したら「ほう、外産ですか!」と身を乗り出して、そこから一気に信頼を勝ち取ったような按配であった。

無論僕が裕福に見えるはずがない。ただ、シェパードに並々ならぬ情熱を持っていると思ったらしい。情熱といったって僕はただ好きなだけで、重松様御愛犬と書かれたいわけではない。

そんな事情があってミケは(本来裕福な家に買われて訓練所で飼われる代わりに)しみったれた我が家に来ることになった次第。

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