福岡県豊前市に、「豊前宝来軒」という有名ラーメン店がありました。このお店が昨年閉店したことを聞き、驚いています。
子供の頃からよく通った「豊前宝来軒」は、いつも行列が絶えない人気店でした。本家は「中津宝来軒」で、1961年にその弟さんが豊前にも宝来軒として出店しました。
久留米ラーメンの流れをくむ豚骨ラーメンは、色は濃いいがあっさりした味わいでした。学生時代に東京で豊前出身の仲間が集まった時、必ず出る話題は宝来軒のラーメンでした。
今の三代目の店主の山平君は、築上中部高校時代の同級生でした。父親が仕込み中に倒れたため、大学卒業後に内定していた会社を辞退してラーメン業界に入ってしまったのです。
巨大五右衛門釜で、トンコツや背骨・鶏ガラを焚くスープづくりは重労働です。辞めた理由は、腰を痛めたことと後継者がいないことにあるようです。
故郷から懐かしいラーメン店が消えることは残念ですが、今は山平君の痛めた腰の完治を祈ります。そして、再び「豊前宝来軒」として復活することを期待します。
さて、今日は青の洞門の誕生日です。開店から17年の歳月が流れ、あと何年やれるかが今からの勝負です。
自営業は、定年がありません。ゴールが見えないマラソンレースのような飲食業の明日は、いつまでやれるか不安でありまた楽しみでもあります。
子供の頃からよく通った「豊前宝来軒」は、いつも行列が絶えない人気店でした。本家は「中津宝来軒」で、1961年にその弟さんが豊前にも宝来軒として出店しました。
久留米ラーメンの流れをくむ豚骨ラーメンは、色は濃いいがあっさりした味わいでした。学生時代に東京で豊前出身の仲間が集まった時、必ず出る話題は宝来軒のラーメンでした。
今の三代目の店主の山平君は、築上中部高校時代の同級生でした。父親が仕込み中に倒れたため、大学卒業後に内定していた会社を辞退してラーメン業界に入ってしまったのです。
巨大五右衛門釜で、トンコツや背骨・鶏ガラを焚くスープづくりは重労働です。辞めた理由は、腰を痛めたことと後継者がいないことにあるようです。
故郷から懐かしいラーメン店が消えることは残念ですが、今は山平君の痛めた腰の完治を祈ります。そして、再び「豊前宝来軒」として復活することを期待します。
さて、今日は青の洞門の誕生日です。開店から17年の歳月が流れ、あと何年やれるかが今からの勝負です。
自営業は、定年がありません。ゴールが見えないマラソンレースのような飲食業の明日は、いつまでやれるか不安でありまた楽しみでもあります。
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