パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

アメリカ人と東京人

2007-05-10 22:00:06 | Weblog
 スペアとしてとっておいた電話器兼ファックス(留守電はなし。それでスペアに降格してあったのだ)を処分した翌日、つまり、今日、ただ一つとなった電話器とパソコンのキーボードの上に水をこぼしてしまった。ほんの少々、たぶん20~30?くらいのものだったと思うのだけれど、たちまちダメになってしまった。
 キーボードは予備が幾つかあるので大丈夫だが、電話器は、今書いたように、昨日「予備」としてとっておいたものを捨てたばかり。ついてないな~、というか、これがちょっと前に書いた、「事象の偏り」なんだろうか。
 それはともかく、以前、キーボードに珈琲をぶちまけてしまったことがあったが、その時はキーボードの構造が単純だったため、ばらして、水道水でじゃーじゃーと洗って干しただけで、元通りになったが、最近のは構造が複雑で、キーボードですら素人に簡単にいじれるようになっていない。
 結局、キーボード、電話器とも半分ほどばらしたところであきらめてゴミ箱に捨て、キーボードは予備を引っぱりだし、電話器は近所のジャンク屋で単機能の中古電話を購入した。980円也。

 やれやれだ。

 あと、最近、パソコンのモニターが時々真っ暗になる。2、3秒で元通りになるのだが、1年も使っていないし、「寿命」とは思えない。これについても、「予備」としてとっておいたブラウン管のモニターがあったのだが、とっくに処分してしまったし、ちょっと心配だ。

 さて、昨日の続き。

 「山岸 カメラ毎日」でぐぐって調べているうち、「セラピーとして書いた写真的なメモ」というサイトを見つけた。サイト主はuno氏という人だが、どういう人物なのかは、よくわからず。でも、なかなか面白い。特に面白かったのは、ロバート・フランクについてだった。
 ロバート・フランクは、スイス人だが、アメリカ旅行中に撮った『アメリカ人』という写真集で有名になった。内省的で私小説的な作品が多いせいか、日本で特に人気があるが、アメリカでも尊敬する人は多い。ただし、『アメリカ人』jを見て、嫌な顔をするアメリカ人も少なくないらしい。(多分、それ故に、彼を尊敬するアメリカ人も多いということなのだろう)
 
 ……ということなのだが、私は、何故か、このロバート・フランクが、嫌いというわけではないのだが、どうしても「わからない」。昨日書いた、「コンポラ写真」、たとえば、新倉氏のそれや、本場アメリカの「コンポラ写真」は、いくら見ても見飽きないのに、ロバート・フランクの作品は、一見「コンポラ」と見紛うような作風なのに、どうしても、気持ちを集中してみる事が出来ない。見ているうち、いつの間にか、余計な事を考えているような気持ちになって、落ち着かないのだ。

 でも、みんなロバート・フランクはいいってほめるし……正直言って、ロバート・フランクの話題になると、密かに劣等感に囚われていたのだが、uno氏のサイトに、以下のように書かれていて、それが払拭されたのだ。

《(ロバート・フランクの)写真のなかに写っているものにはすべて政治的な意味がある。日本人にはわかりにくいが、アメリカ人が見ればすぐにわかってしまうものらしい。かつて石元泰博氏が一枚一枚説明したことがあったそうだ。星条旗とかバスの黒人乗客とか、エホバの証人だとか。そういう知識がなくて写真集を見ると、意味が全然わからないから面白くないそうだ。》

 なるほど、そうだったのか。私が『アメリカ人』が、さっぱりわからなかったことは、当たり前のことだったのだ。(ちなみに、石元泰博氏とは、日本の写真界の最長老の一人だが、元来アメリカ生まれ(たしか、シカゴ)のアメリカ人で、後、日本に帰化した人だ。)

 しかし、だとしたら、ロバート・フランクを賛美する日本の写真家たちは、どこをどう賛美しているのだろう、という話になるが……uno氏は次のように書いている。

 《日本人のフォトグラファーたちは『アメリカ人』の亜流やパクリを堂々とやって、それがまるでバレバレなのにもかかわらず、評価は高かった。高梨豊さんの「東京人」や小川隆之さんの「ニューヨーク イズ」など。当初はロバート・フランクより小川隆之のほうがいいという意見もあった。……》

 そうなのか。「東京人」がロバート・フランクのパクりとは気づかなかったが(何故なら、ロバート・フランクがわからなかったから)、何故か、私は、その「東京人」や「ニューヨーク イズ」が大好きだった。「ニューヨーク イズ」はニューヨークを撮ったものだから、とりあえずさておくとして、「東京人」は、文字どおり、東京の人々を撮った組写真で、まさに「東京人」である私には、びんびんと、肌でわかる。それで、「嫌いだ」という東京人もいるだろうし、私のように「好きだ」という東京人もいる。――、ロバート・フランクの『アメリカ人』を見て「嫌だ」というアメリカ人がいれば、「好きだ」というアメリカ人もいるように。

 以上のように、「なるほど」とロバート・フランクにまつわる幾つかの謎は(「東京人」の謎とともに)氷解したのだが、しかし、『アメリカ人』は、先に書いたようにスイス人、つまり、ヨーロッパ人によるアメリカ批判という、これまた日本人にはわかりにくいテーマに拘わる書物(写真集だが……もちろん、これも書物だ)であり、なおかつ、この問題は、特に9.11テロ以降、先鋭化しているわけだが、「東京人」には、そのような政治性はない。全然ない。それは、当たり前のことなのだが……じゃあ、私は、「東京人」に、何を見ていたのだろう。

 新たな「謎」が生まれてしまった。

 ※誰もわからないであろう話題を2日に渡って書いてしまった。ごめんなさい。

沈黙により迎えられ、送りだされたこと

2007-05-09 16:20:12 | Weblog
 三日ほど前、御存じの人は少ないと思うけれど、写真家の新倉孝雄氏が、私の写真展を見に来てくれた。

 新倉氏は、もう、40年近く前のことになるが、20代半ばにして、『カメラ毎日』という、毎日新聞社が出していた写真雑誌の巻頭を与えられ、当時の写真の新思潮である「コンポラ写真」の旗手、担い手、ホープと言われていた人だ。

 当時の写真界の動向は、『カメラ毎日』を見ればすべてわかると言って過言でなく、同誌の編集長、山岸章二氏は、「山岸天皇」と称されていた。

 もっとも私は山岸編集長が、そんなふうに呼ばれていた事は知らなかったが、『カメラ毎日』はよく見ていたし、その編集長がカリスマ的存在である事も知っていた。

 で、その頃、写真を個人的にこそこそ撮っていた私は、ある日、意を決して、その『カメラ毎日』に自分の写真を持ち込んだのだが、その時、編集部には山岸編集長1人しかいなかった。
 私は、この人が名高い山岸さんかとカチンコチンに緊張しながら、机の上にもっていった作品を7、8枚並べて、氏の言葉を待ったのだが、奇妙な事に山岸氏は黙りこくって何も言わない。
 ただただ黙って机の上の私の写真を見ているだけで、いったいどれくらいの時間が経過したのか、全然憶えていないが、ともかく、これでは諦めざるを得ないと思って、黙って写真をカバンにしまい込み、編集部を辞したのだったが、その時も山岸氏は黙ったままだった。

 よいなら「よい」、だめなら「だめ」と言ってくれるならば、まだしも、無言で迎えられ、無言のまま送りだされるという最悪の結果にすっかり意気消沈したことは言うまでもないのだが、いったい、山岸編集長はなぜ、あんな理不尽な態度を私に対してとったのだろう、新米編集者ならいざ知らず、天下の「山岸天皇」ではないかと不思議に思っていたのだが、『月光』の24号で草森紳一氏に御協力を願った際、話が山岸編集長の話になって、山岸氏が「天皇」と呼ばれていたのは、実は、山岸氏は写真を見る事が全然できな人で、周囲の意見に従っているだけであり、それで、皆は「山岸天皇」と呼んだのだということだった。

 草森氏の話に私はなるほどと思った。もちろん、山岸氏が、私の写真にどう反応していいのか、全然わからなくて、絶句してしまったからといって、私の写真が優れていると言いたいわけじゃない。ただ、「なるほど」と思っただけだ。

 しかし、往生際が悪いというか、私は新倉氏に、草森氏の言葉を伝えて意見を聞いてみた。

 ちなみに、草森氏は、当時広告業界に関連し、『カメラ毎日』の巻頭30数頁を独占して発表された立木義浩の「舌出し天使」と名付けられた企画(立木義浩の最高傑作)の解説を担当(《舌出し天使》というタイトルも草森氏の命名。草森氏によると、これは自分のアイデアではなく、東方キリスト教会に伝えられる天使にこういう名前があるのだそうだ)していて、山岸氏を身近でよく知る人の一人であり、新倉氏の場合は、一時期『カメラ毎日』の看板だったのだから、知らないわけはないのだが、その新倉氏の言うには、「たしかにあの人は写真を全然見れなかった人だが、時代の流れのようなものに非常に的確に反応する人だった」ということだった。

 つまり、山岸氏は、個々の写真の善し悪しにはあまり拘泥せず、それをいかに時代の中に位置付けるかに腐心した、典型的プロデューサータイプの編集者、ということなのだろう。

 この新倉氏の評価に、一応納得したのだが、その後、ネットで写真家のホーム頁をいくつかチェックしたところ、若い頃、『カメラ毎日』に写真を持ち込んで、山岸編集長に見てもらったという人の文章がいくつか見つかった。
 ところが、そこでは山岸氏は、「いいねー、いいよー」と実に愛想が良い。しかし、「いいね」と言ってくれたものの、雑誌掲載については、自分の一存では決められない(ん?)という答えで、「天皇と言われてるのだったら、《自分の一存》で決めたっていいじゃないか」と内心不服でいると、それを察知したか、山岸編集長は、件の写真家の卵の肩を抱いて引き寄せ、「次号の掲載予定の人の校正刷りが出てるんだ。見ていくかい」などと懐柔する始末。

 結局、その人の写真は、2、3号先の号に載ったようだが、それはともかく、私への態度とはなんたるちがいだろうかと、憤懣たる思いがまたふつふつと沸き起こったのだが、でも、「いいねー」なんて言われたくもなし。沈黙によって迎えられようが、ただ、その人の心のうちに棘となって刺さっていてくれればよしとしよう。というか、「写真を見れない」人とは、実は、「心眼で見る人」のことであり、その心眼に迫り得た事の結果が、「沈黙」だった、と、いいように解釈する事にしょう。(山岸氏はその後自殺しちゃったんだけど)

 この話はまだちょっと続くのだが、長くなったのでまた明日。

逃亡中の犯罪者によく会う人

2007-05-03 22:16:05 | Weblog
 TBSラジオの「警察が懸賞金制度を導入した事についての是非」を問う視聴者参加番組を聞いていたら、面白い人が出て来た。

 それは中年の男性で、この制度を「是」とする人だったが、その「是」とする理由がユニークだったのだ。
 その男性は、何故か自分の周辺に犯罪者が集まってしまうという人で、たとえばグリコ森永事件の犯人も知っているというのだ。司会は宮崎哲哉だったが、宮崎は、「えっ?」とか言っていた。
 もちろん、真犯人を知っている、と言う人ははいて捨てるほどいるし、むしろ、こういう人がもたらす情報に現場は混乱させられることのほうが多いのだろうが、それはともかくとして、この人物が言うには、グリコ森永以外にもいろいろ知っているのだが、警察に知らせた事はないというのだ。なぜかというと、自分としては絶対に犯人に違いないと思っていても警察が信じてくれるとは限らないし、むしろ邪慳に扱われるにちがいない、などと思うと、つい言わずにすませてしまっていたが、賞金が出るとなると、決して金が欲しいわけではないのだが、警察に言う際の大義名分ができるから、もし、これからまた誰か犯罪者と知り合って、それに懸賞金がかかっていたら、以前のように迷う事もなく、警察に届けるだろうというのである。

 宮崎哲哉は、「そういう心理もあるのだな」と感心していたが、私も「なるほどな」と思う。しかし、懸賞金制度の対象になる事件がたったの5件で、しかもそんなことがあったことも、一般の人はほとんど知らないような事件では効果も少ないように思われる。(例の、英語女教師殺人事件の犯人には賞金かけないの? 世田谷の一家4人殺害事件は? 群馬県で女の子を縛って刺し殺した犯人は? 昼寝していた女子高生を家の中に上がり込んで殺した犯人は?)というか、何も「5件」に限定する必要はなく、犯人逮捕に役立った情報提供者にはお礼を出すということでいいのではないか。
 番組によると、今回の制度で最高賞金額は1000万円だそうだが、これは警察が出す賞金としては国際的に飛び抜けて高いのだそうだ。しかし、件の男性の話では、「金額の問題ではない」ということだから、数十万円の「お礼」でいいのではないだろうか。迷っている人の背中を、ちょっと押すだけでいいのだ。「賞金」などと言うと、西部劇の賞金稼ぎみたいで、おだやかでない気持ちになる人も多いだろうし。

 それはともかく、特に私が面白いと思ったのは、「妙に逃亡中の犯罪者に縁がある」という発言のほうだ。

 実際、そういうことはあるに違いない。
 といっても、別に、「世の中には理屈で説明できない奇妙なことが起きる事がある」といったようなことを言いたいのではない。むしろ全然逆で、「○○に縁のある人」「ない人」が存在するのは、論理的に当たり前のことだと言いたいのだ。

 前にも少し書いた事があるのだけれど、たとえば、赤と白の同数のキャンディーをガラス瓶につめて充分に振る。その「振り方」が充分であれば、そのガラス瓶の中のキャンディーは赤と白の市松模様になるはずだと思われるが、実際には、たとえば赤が10個固まったりする。10個赤が固まれば、その「しわ寄せ」で、白のキャンディーは、たとえばあっちに6つ、こっちに4つ固まることになるだろう。
 この現象を発見した某数学者は、自分の発見が信じられず、赤は赤同士、白は白同士で固まる性質があるのだろうかとまで考えたのだが、実際に確率計算をしてみたら、「完全な市松模様」に赤の玉と白の玉が組み合わさる事は、文字どおり、天文学的な極小の確率でいかないことがわかった。

 実際、同数の赤いキャンディと白いキャンディーを瓶の中に詰めて、それをよくかき混ぜた結果、赤の隣に必ず白、白の隣に必ず赤が来るなんてことは、ちょっとありそうにない。だとしたら、どこか偏りが生じなければならない理屈だ。
 卑近な例で言えば、電話番号だ。南原企画の電話番号は、ちょうど10桁で、03-3863-6557だが、0、3、5、6、7、8と、10桁中、6個しか使っていない。10桁を全部きっちり使い切っている電話番号はそんなに多くないはずだ。

 あんまり適切な例ではなかったかも知れないが、要するに、世の中には、なんであれ「偏り」が存在しているのであって、したがって「逃亡中の犯罪者の近辺に特化して(偏って)居住する人」がいる事は不思議でもなんでもないということだ。

 要するに、こういうことだ。

 私は、幸か不幸か(いや、「幸」にちがいないのだが)、犯罪者、それも逃亡中の犯罪者に出会うなんてことはこれまで皆無、かつ今後もありそうにない人間であり、したがって、その私が、「あ、あいつ怪しいな」と思ってもそれは全然あてにならない想像であり、もし、私がそう警察に届け出たとしても警察はそれを受理しないのが賢明だが、TBSラジオに出て来た人のように、そうではない人もいるのであって、だとしたら警察は、そういう人が存在することを認め、効率良く犯罪捜査を進める事を期待したいのだが、昨今、入って来る情報をすべて平均化することをもって「科学的」と称しているようでは、「効率の良い犯罪捜査」も望み薄だという残念な結論になる。

 ところで、悪い事をすれば何も考えなくて済むと思ったと言って、郵便局だかに強盗に入った税務署員がいたが、カフカの小説みたいだと、ちょっと思った。

ドラキュラを読む

2007-05-01 21:39:53 | Weblog
 数週間前、当ブログを「有料」に切り替えた。いろいろ編集ができるというのだが、やってみたら、全然チンプンカンプン。どうせ、月300円程度のものなのだが、釈然とせず、「無料」に戻したが、戻したら、文中のアドレス、たとえばhttp://www.k4.dion.ne.jp/%7Egekko/
が、以前は自動的にリンクされたと思うのだが、それが切れてしまった。またまた釈然としないが、しょうがない。リンクしたかったのはここです。

 さて、数日前だが、一冬、着る機会がなくてしまいこんだままだったジャケットをとりだしてみたら、カビだらけだった。カビだけじゃない。一冬、窓をまったく開けなかった物だから、風呂場からの湯気を吸って、びっしょり濡れている。びっくりして、太陽に当てたら、折からの晴天のもと、喉ににんにくを詰め込まれ、心臓を杭で打ち込まれたドラキュラのごとく、カビがパラパラと剥がれ落ち、消えていった。

 で、そのドラキュラなのだが、ブラム・ストーカーのオリジナル『ドラキュラ』を読了。
 う~ん、もちろん、一世を風靡したのだから、面白いことは面白いのだが……たぶん、ディケンズなんかと同時代の人だと思うが、彼なんかとくらべると、平井呈一の訳をもってしても数段落ちるというか、格がちがう。私が読んだディケンズは『クリスマスキャロル』だが、出て来るお化けの描写はもとより、「密度」が全然ちがう。いや、ディケンズと比べてしまったら可哀想だろうが、フに落ちないところを一つ二つ。

 物語は、ロンドンの不動産会社に勤める若い弁理士、ジョナサン・ハーカーが顧客との打ち合わせのために、はるばるトランシルバニアにやってくる。その顧客がドラキュラ伯爵というわけで、ドラキュラ伯爵は、たぶん、もう自分の領地内では「血」の供給源が無くなってしまったためなのだろうが、ロンドン進出を目論み、ロンドン市内の空家を探しているのだ。
 ハーカーは婚約者がロンドンにいることもあって、仕事を終えたらさっさと帰るつもりでいたが、伯爵はなかなかそれを許さない。そのうち、伯爵が、食事を取らぬこと、昼間はいつもどこかに出かけるということで姿を表さないことなどを、不審に思い、伯爵から「余計なことはするな」と禁じられていた城内を探索した結果、棺の中で、口から血を垂らしながら寝ている伯爵を発見する。ハーカーは、こんなやつをロンドンに来させてたまるかと手近にあったシャベルを手にして、伯爵めがけて思いきり振りおろすが、不死身の伯爵はにやりと笑って……といったところで、第1部終了。

 第2部以降は、ロンドンにやってきたドラキュラ伯爵と、それを迎え撃つ、伯爵の魔手から逃れたハーカーとハーカーの婚約者の幼友達の求婚者3人と、求婚者の中の1人で、精神病院の院長である男性の恩師であるヴァン・ヘルシングという学者の打々発止の物語りということになるのだが、なんで「ハーカーの婚約者の幼友達の求婚者」なんてまどろこしい設定なのか。
 多分、「ピアノの脚もむき出しでは猥褻」と、靴下を履かせたというビクトリア朝時代の極端な性的倫理主義をストーリーに取り込むためにややこしい設定にしたのだと思うが、どうやってハーカーがドラキュラ伯爵の城から逃げだせたのかが書いてないことと併せ、物語の欠点と言わざるを得ない。

 ところで、ドラキュラ伯爵は、周知の通り、大蝙蝠になったり、狼になったり、あるいは霧になってドアの隙間から入り込んだり、夜の間だったらなんでもできてしまうのだが、だったら、トランシルバニアから、夜を選べば、難無くロンドンにやってこれるのではないかと思うのだが、実はドラキュラは、水がもっとも苦手で、水の中はもちろん、「水の上」すら飛べないので、川があるともうお手上げなのだ。それで、自ら泥をつめた箱の中に潜り込み、その箱を運送屋にロンドンの買い入れた家まで運ばせるのだが、そこに着くまでは人任せなので、念には念を入れて、計画を立てなければならない。
 蝙蝠に変身しても、水の上は飛べないという設定はなんだかなーであるが、ゲームとして理解すれば、面白いとも言えるかもしれない。

 いずれにせよ、ドラキュラ伯爵は、ヴァン・ヘルシング教授たちの抵抗に、ロンドン進出を諦め、トランシルバニアに「箱詰め」で戻ることにするが、教授たちは、その箱がドラキュラ城に着く前に追い付くべく、手分けして追い掛ける。

 この時、ヘルシング教授は、ハーカーの婚約者で、今はハーカーの妻であるミナと二人で組む。何故かというと、ミナは、ドラキュラの魔手に遭い、「一噛み」やられてしまっているからで、教授は、この危うい立場にあるミナを自ら監視しようというのだ。(と思うのだが……「ミナとわしがドラキュラ城へ行くのは運命だ」といわんばかりの教授の弁明は、読み直してもよくわからない)
 ところが、ヘルシング教授は、ずっと前に奥さんを亡くして以来、貞潔を守ってきたのだが、ミナといる時、はっきりとミナに「情欲」を感じたと告白をする。教授をじっと見つめたり、妙に色っぽいのだ。

 この教授のミナによって煽られた「情欲」はどうやって解消せられたかというと、ドラキュラ伯爵と同族の吸血鬼である、3人の豊満な美女を殺すことで達成される。「見目よい、愛らしい顔、ぱっちりした眼、接吻してくれと言わんばかりの淫らな唇」をもつ、棺に横たわる吸血美女に対する「劣情」を押さえながら、心臓に杭を打ち込む。

 こうして、女吸血鬼を殺した教授はミナの元に戻るが、教授を迎えるミナは、「げっそり痩せて青ざめ、元気のない顔」に見えたが、「眼は清らかに澄んで」いる。ミナは救われたのだ……が、それはもちろん、教授が自らの「情欲」を殺したことを意味している。

 これで、ほぼ話は済んだ形であり、その直後、はるか彼方からドラキュラ伯爵の入った「泥の箱」を運ぶジプシーの馬車が教授とミナに向かってやってくる。その後を砂塵を舞いあげ、馬で追う仲間。教授たちは、一同、力をあわせ、ジプシーたちから「泥の箱」を奪い、それを暴いてドラキュラ伯爵の心臓に杭を打つ。

 ……すっかり長くなってしまったが、連休ということで、ま、いっか。

 ちなみに、読後感としては、いわゆるドラキュラ映画よりも、『ハムナプトラ』を連想させた。