パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

ドラキュラを読む

2007-05-01 21:39:53 | Weblog
 数週間前、当ブログを「有料」に切り替えた。いろいろ編集ができるというのだが、やってみたら、全然チンプンカンプン。どうせ、月300円程度のものなのだが、釈然とせず、「無料」に戻したが、戻したら、文中のアドレス、たとえばhttp://www.k4.dion.ne.jp/%7Egekko/
が、以前は自動的にリンクされたと思うのだが、それが切れてしまった。またまた釈然としないが、しょうがない。リンクしたかったのはここです。

 さて、数日前だが、一冬、着る機会がなくてしまいこんだままだったジャケットをとりだしてみたら、カビだらけだった。カビだけじゃない。一冬、窓をまったく開けなかった物だから、風呂場からの湯気を吸って、びっしょり濡れている。びっくりして、太陽に当てたら、折からの晴天のもと、喉ににんにくを詰め込まれ、心臓を杭で打ち込まれたドラキュラのごとく、カビがパラパラと剥がれ落ち、消えていった。

 で、そのドラキュラなのだが、ブラム・ストーカーのオリジナル『ドラキュラ』を読了。
 う~ん、もちろん、一世を風靡したのだから、面白いことは面白いのだが……たぶん、ディケンズなんかと同時代の人だと思うが、彼なんかとくらべると、平井呈一の訳をもってしても数段落ちるというか、格がちがう。私が読んだディケンズは『クリスマスキャロル』だが、出て来るお化けの描写はもとより、「密度」が全然ちがう。いや、ディケンズと比べてしまったら可哀想だろうが、フに落ちないところを一つ二つ。

 物語は、ロンドンの不動産会社に勤める若い弁理士、ジョナサン・ハーカーが顧客との打ち合わせのために、はるばるトランシルバニアにやってくる。その顧客がドラキュラ伯爵というわけで、ドラキュラ伯爵は、たぶん、もう自分の領地内では「血」の供給源が無くなってしまったためなのだろうが、ロンドン進出を目論み、ロンドン市内の空家を探しているのだ。
 ハーカーは婚約者がロンドンにいることもあって、仕事を終えたらさっさと帰るつもりでいたが、伯爵はなかなかそれを許さない。そのうち、伯爵が、食事を取らぬこと、昼間はいつもどこかに出かけるということで姿を表さないことなどを、不審に思い、伯爵から「余計なことはするな」と禁じられていた城内を探索した結果、棺の中で、口から血を垂らしながら寝ている伯爵を発見する。ハーカーは、こんなやつをロンドンに来させてたまるかと手近にあったシャベルを手にして、伯爵めがけて思いきり振りおろすが、不死身の伯爵はにやりと笑って……といったところで、第1部終了。

 第2部以降は、ロンドンにやってきたドラキュラ伯爵と、それを迎え撃つ、伯爵の魔手から逃れたハーカーとハーカーの婚約者の幼友達の求婚者3人と、求婚者の中の1人で、精神病院の院長である男性の恩師であるヴァン・ヘルシングという学者の打々発止の物語りということになるのだが、なんで「ハーカーの婚約者の幼友達の求婚者」なんてまどろこしい設定なのか。
 多分、「ピアノの脚もむき出しでは猥褻」と、靴下を履かせたというビクトリア朝時代の極端な性的倫理主義をストーリーに取り込むためにややこしい設定にしたのだと思うが、どうやってハーカーがドラキュラ伯爵の城から逃げだせたのかが書いてないことと併せ、物語の欠点と言わざるを得ない。

 ところで、ドラキュラ伯爵は、周知の通り、大蝙蝠になったり、狼になったり、あるいは霧になってドアの隙間から入り込んだり、夜の間だったらなんでもできてしまうのだが、だったら、トランシルバニアから、夜を選べば、難無くロンドンにやってこれるのではないかと思うのだが、実はドラキュラは、水がもっとも苦手で、水の中はもちろん、「水の上」すら飛べないので、川があるともうお手上げなのだ。それで、自ら泥をつめた箱の中に潜り込み、その箱を運送屋にロンドンの買い入れた家まで運ばせるのだが、そこに着くまでは人任せなので、念には念を入れて、計画を立てなければならない。
 蝙蝠に変身しても、水の上は飛べないという設定はなんだかなーであるが、ゲームとして理解すれば、面白いとも言えるかもしれない。

 いずれにせよ、ドラキュラ伯爵は、ヴァン・ヘルシング教授たちの抵抗に、ロンドン進出を諦め、トランシルバニアに「箱詰め」で戻ることにするが、教授たちは、その箱がドラキュラ城に着く前に追い付くべく、手分けして追い掛ける。

 この時、ヘルシング教授は、ハーカーの婚約者で、今はハーカーの妻であるミナと二人で組む。何故かというと、ミナは、ドラキュラの魔手に遭い、「一噛み」やられてしまっているからで、教授は、この危うい立場にあるミナを自ら監視しようというのだ。(と思うのだが……「ミナとわしがドラキュラ城へ行くのは運命だ」といわんばかりの教授の弁明は、読み直してもよくわからない)
 ところが、ヘルシング教授は、ずっと前に奥さんを亡くして以来、貞潔を守ってきたのだが、ミナといる時、はっきりとミナに「情欲」を感じたと告白をする。教授をじっと見つめたり、妙に色っぽいのだ。

 この教授のミナによって煽られた「情欲」はどうやって解消せられたかというと、ドラキュラ伯爵と同族の吸血鬼である、3人の豊満な美女を殺すことで達成される。「見目よい、愛らしい顔、ぱっちりした眼、接吻してくれと言わんばかりの淫らな唇」をもつ、棺に横たわる吸血美女に対する「劣情」を押さえながら、心臓に杭を打ち込む。

 こうして、女吸血鬼を殺した教授はミナの元に戻るが、教授を迎えるミナは、「げっそり痩せて青ざめ、元気のない顔」に見えたが、「眼は清らかに澄んで」いる。ミナは救われたのだ……が、それはもちろん、教授が自らの「情欲」を殺したことを意味している。

 これで、ほぼ話は済んだ形であり、その直後、はるか彼方からドラキュラ伯爵の入った「泥の箱」を運ぶジプシーの馬車が教授とミナに向かってやってくる。その後を砂塵を舞いあげ、馬で追う仲間。教授たちは、一同、力をあわせ、ジプシーたちから「泥の箱」を奪い、それを暴いてドラキュラ伯爵の心臓に杭を打つ。

 ……すっかり長くなってしまったが、連休ということで、ま、いっか。

 ちなみに、読後感としては、いわゆるドラキュラ映画よりも、『ハムナプトラ』を連想させた。

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