パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

冷静に…

2009-06-03 19:51:10 | Weblog
 免許取得後間もなく、交差点事故で看護婦を3人はねて死なせてしまった件で、その看護婦の知人が、加害者が未成年だからといって罪を軽くしないでほしいと言ったそうだが、これはどういうことだろう。

 尼崎だったかJR脱線事故で百数十人の死者を出したとき、被害者の従兄弟だかが、JR攻撃の先頭に立っていたことを思い出した。

 はっきり言って、無責任に騒いでいるようにしか思えない。

 それはともかく、いっぺんに3人も死んでしまったことは大きなことだが、報道記事を見る限り、これはもう、「運が悪かった」としか言いようがないケースだ。

 その看護婦の知人とやらが、明日、その加害者になってしまうかもしれない。

 そういうケースだ。

 飲酒運転だって、つきつめて考えれば、そういうことになる。

 私は酒を飲めないし、免許を持ってないし,その前に車を持ってないので、飲酒運転で事故を起こす可能性はゼロだが、はっきり言って、酒を飲んだら必ず事故を起こすというものではない。

 飲酒運転は殺人に等しいという。

 そんなわけはない。

 飲酒運転をしたら、それは「人を殺しても構わない」と思って運転しているのだ、などとは法律家ならさすがに言えないはずだ。

 それは、まさに「言葉のあや」にすぎない。

 酒酔い運転で乗用車に追突して赤ん坊を死なせてしまった男性に懲役20年の判決が出て、傍聴席が静まり返ったと報道されていたが、世論は「厳罰を」と主張しているが、いざとなると、やはり「息を呑む」。

 「殺人に等しい」というのは、「言葉のあや」で、感情論にすぎないことを自ら思い知る。

 書いたように,私は下戸なんで、「飲んべえ」の心理はまったくわからないのだが、大宮のMさんに余ったビール券を差し上げた時のMさんの喜びようを見て思うに、飲酒運転の根絶なんて無理だ。

 飲んべえで車を運転する人だったら,酒を飲んで運転をしたことのない人はおそらくいないだろう。

 飲んべえと言っても程度があるが、仮にMさんを基準に考えるなら、もしMさんが金持ちで車を持っていたら、確実にそう言えると思う。

 たまたまだろうが、長期の禁固刑がくだされた飲酒運転事故の犠牲者は赤ん坊か幼児だ。

 で,新聞記事なんかには、燃える車内から「あちゅいよー」と泣き叫ぶ声がしたとか書いてある。

 可哀想だとは思うが,はっきり言って「運が悪い」としか言いようがないのだ、こればかりは。

 もちろん、だから酒飲み運転はしょうがないのだ、というわけではない。

 立っていられないほどの酩酊状態で子供を3人死なせたダンプの運転手が禁錮23年というのは,妥当だと思うけれど、あくまでもこれは、刑法上は異例というか、本来邪道である、「見せしめ刑」だということを念頭においておくべきだと思うのだ。

 さもないと、すべてが「復讐感情」で覆われてしまう。

 ところが、今の日本では、為政者が、この民衆の復讐感情を利用して暴走している。

 あのねのねの原田が、知人で銃砲許可証を持っている人から猟銃を手渡され、「ほう,重いもんですなー」とラジオ番組で発言したことで、6秒間の「銃砲不法所持」とみなされ送検されたそうだ。

 アホすぎる,警察。

 殺人犯人を捕まえるよりも,たとえ、6秒間でも「銃砲不法所持」を見逃さない方が大事だとでも思ってるのか。

 コントで「はい、あんた不法所持、6秒!」とかやったら、なかなか面白いだろうと思うが、やったら、「不謹慎!」とかでねじ込んできかねない。

 戦前の「思想警察」が復活したような気がする。

 ヤバすぎる警察。

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