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「廃墟写真」で著名な、宮本隆司さんから1995年の神戸大震災を写した写真集、「Kobe1995」を送っていただいた。
実は、宮本氏には「風に吹かれて」を贈呈してあったので、その返礼ということだったのだが、同封された手紙に「私はあなたとお会いしたはないと思うが、分厚い写真集を長い時間をかけて見。読んでいるうちに、出身地、学歴等でずいぶん重なるところがあり、写真についても、「懐かしいというのとはまったく違う、共感とも異なる、ああそうだな、そうだったのだな、という感慨がひしひしと沸き上がってくる」と書かれてあった。
実は、と、「実は」が重なってしまうが、私の方で宮本氏について「よく知っている」つもりでいて、そのため、宮本氏の方でも私のことを知っていると決め込んで、「風に吹かれて」をお送りしたのだったが、そうじゃなかったということで、そのギャップが新鮮というか、貴重なご意見をうかがわせてもらった、という気持ちになった。
そもそも、「Kobe1995」を開いてみた時、僭越しごくな言い方になるが、「わたしの写真とそっくりだ!」と思ったのだった。
私の場合は、崩れていないだけ。
「崩れている」と「崩れていない」では、全然違うはずだが、どうも、そんな感じがしないのだ。
多木浩二氏が、次のような「テキスト」を「Kobe1995」に寄せている。
《最初、宮本隆司さんを論じてきた多くの人と同じく、私も多少とも夢想的な廃墟論を書こうと思った。瓦礫の山が喚起するイメージである。しかし、宮本さんの写真を眺めるにつれ、それが間違いであることがすぐわかった。かねて廃虚論は、私にとってはピラネージのローマの廃虚や、ソーンの博物館の考古学的断片の累積などを頭の隅に置きつつ、生と死を比喩的に交錯させるロマン主義的夢想だった。…(略)…。この瓦礫にそそがれるまなざしはそうではなかった。彼の「神戸」は、倒れかかった大きなビル、…(略)…路地に倒れ込んだ家屋といった様々な破壊の様相を繰り広げていくのだが、その写真からは美的夢想が消え去っているのだ。なんども見返すうちに、瞬間的に走り抜けた巨大な破壊力が見えてきた。だがそれだけではない。我々の想像力に働きかける何かがある。》
まったく同感であるが、最後のワンフレーズ、「我々の想像力に働きかける何か」とは、何か?
それが問題なのだが、多木氏は、まず「対象を脱意味化する写真の直接性」をあげている。
その「写真の直接性」が「ひとつの都市が一瞬にして破壊したという出来事に我々を巻き込む」というのだが、私としては、その後、多木氏が書いていることに興味を持った。
多木氏は、実は神戸出身で、少年時代を神戸で過ごしたのだが、神戸とはその後、すっかり疎遠となってしまった。
その神戸を、大震災が襲う2年ほど前に久しぶりに訪れたが、その時、都市・神戸の変貌についていけず、「故郷」を訪れたのに、むしろ不安な気持ちで「故郷」を去ることになったという。
ところが、「Kobe1995」を見ているうち、故郷・神戸を懐かしく思う気持ちが甦ったというのだ。
その理由を、多木氏は、「神戸を離れていた間に駆け抜けていった時間が、大震災で、一瞬、止まってしまったため、記憶が甦る隙間ができたのかもしれない」と書いている。
要するに、「Kobe1995」では、時間が止まっている、というのだが、わたしの写真も、「時間が止まっている」とよく言われるのだ。
それで、「Kobe1995」を見て、「わたしの写真と似ている!」と思ったのだったが、わたしのことはともかく、なんで宮本氏はあんな写真を撮ったのだろう。
よく、大災害が起こると、ニュース等では、時間が止まった時計が時計が象徴的に写し出されたりするが、そんな軽薄な動機とは、「Kobe1995」は無関係である。
では、どんな動機が宮本氏を動かしたのか。
それは、説明できない。
というか、説明すると、循環論法に陥るのだ、と思う。
実は、宮本氏には「風に吹かれて」を贈呈してあったので、その返礼ということだったのだが、同封された手紙に「私はあなたとお会いしたはないと思うが、分厚い写真集を長い時間をかけて見。読んでいるうちに、出身地、学歴等でずいぶん重なるところがあり、写真についても、「懐かしいというのとはまったく違う、共感とも異なる、ああそうだな、そうだったのだな、という感慨がひしひしと沸き上がってくる」と書かれてあった。
実は、と、「実は」が重なってしまうが、私の方で宮本氏について「よく知っている」つもりでいて、そのため、宮本氏の方でも私のことを知っていると決め込んで、「風に吹かれて」をお送りしたのだったが、そうじゃなかったということで、そのギャップが新鮮というか、貴重なご意見をうかがわせてもらった、という気持ちになった。
そもそも、「Kobe1995」を開いてみた時、僭越しごくな言い方になるが、「わたしの写真とそっくりだ!」と思ったのだった。
私の場合は、崩れていないだけ。
「崩れている」と「崩れていない」では、全然違うはずだが、どうも、そんな感じがしないのだ。
多木浩二氏が、次のような「テキスト」を「Kobe1995」に寄せている。
《最初、宮本隆司さんを論じてきた多くの人と同じく、私も多少とも夢想的な廃墟論を書こうと思った。瓦礫の山が喚起するイメージである。しかし、宮本さんの写真を眺めるにつれ、それが間違いであることがすぐわかった。かねて廃虚論は、私にとってはピラネージのローマの廃虚や、ソーンの博物館の考古学的断片の累積などを頭の隅に置きつつ、生と死を比喩的に交錯させるロマン主義的夢想だった。…(略)…。この瓦礫にそそがれるまなざしはそうではなかった。彼の「神戸」は、倒れかかった大きなビル、…(略)…路地に倒れ込んだ家屋といった様々な破壊の様相を繰り広げていくのだが、その写真からは美的夢想が消え去っているのだ。なんども見返すうちに、瞬間的に走り抜けた巨大な破壊力が見えてきた。だがそれだけではない。我々の想像力に働きかける何かがある。》
まったく同感であるが、最後のワンフレーズ、「我々の想像力に働きかける何か」とは、何か?
それが問題なのだが、多木氏は、まず「対象を脱意味化する写真の直接性」をあげている。
その「写真の直接性」が「ひとつの都市が一瞬にして破壊したという出来事に我々を巻き込む」というのだが、私としては、その後、多木氏が書いていることに興味を持った。
多木氏は、実は神戸出身で、少年時代を神戸で過ごしたのだが、神戸とはその後、すっかり疎遠となってしまった。
その神戸を、大震災が襲う2年ほど前に久しぶりに訪れたが、その時、都市・神戸の変貌についていけず、「故郷」を訪れたのに、むしろ不安な気持ちで「故郷」を去ることになったという。
ところが、「Kobe1995」を見ているうち、故郷・神戸を懐かしく思う気持ちが甦ったというのだ。
その理由を、多木氏は、「神戸を離れていた間に駆け抜けていった時間が、大震災で、一瞬、止まってしまったため、記憶が甦る隙間ができたのかもしれない」と書いている。
要するに、「Kobe1995」では、時間が止まっている、というのだが、わたしの写真も、「時間が止まっている」とよく言われるのだ。
それで、「Kobe1995」を見て、「わたしの写真と似ている!」と思ったのだったが、わたしのことはともかく、なんで宮本氏はあんな写真を撮ったのだろう。
よく、大災害が起こると、ニュース等では、時間が止まった時計が時計が象徴的に写し出されたりするが、そんな軽薄な動機とは、「Kobe1995」は無関係である。
では、どんな動機が宮本氏を動かしたのか。
それは、説明できない。
というか、説明すると、循環論法に陥るのだ、と思う。
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