パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

欲望の三角形

2007-03-17 23:29:52 | Weblog
やっぱり、うまくアマゾンにリンクできていない。ちゃんとアソシエイションの許可はアマゾンからとっているのだが……。

 それはさておき、 そのまんま東知事が外国人特派員協会に招かれて講演と質疑応答を行ったことの次第は、マスコミで面白おかしく伝えられたが、そこで「従軍慰安婦問題」についての質問もあったらしい。

 ところが、日本のマスコミは、私の記憶している限りでは、一つだけ(どのメディアだったか忘れた)、「歴史的事実としての検証が不十分なので……(答えることが出来ない)」と答えたと報道しただけで、それに東国原知事がどう答えたか、「まったく」と言ってよいほど、シカとを決め込んでいる。

 ところが、実際には、そのまんま知事は、「日本が慰安婦と言う性的奴隷を使った歴史的な証拠は無い」、 「1910年~1945の間は双方の同意の上で朝鮮半島は日本に併合さえており、 当時売春は合法であったので、日本へ朝鮮半島から出稼ぎ売春婦が来るのは何の問題も無かった。」「論議の食い違いは勝者と敗者の違いに帰する」等、相当踏み込んだ発言を行っていたのだ。

 ……といっても、以上のソースは2chなのだが、でも、そのもとの記事はジャパンタイムスで、ネットで読むことができる。私の持っているブラウザーが古いせいか、記事の半分くらいしか読めなかったが、読んだ限りでは、簡単な英語で、ほぼ2chにアップされていた通りだった。

 なぜ日本のマスコミは、この「過激発言」を報じないのだろう。しかも、一方で、若い女性が東知事のマンションに泊まったとかなんとか、知事追い落としのセックススキャンダルを鵜の目鷹の目で探している。知事の「過激発言」を報道、追求したら大々的な論議が沸き起こることは必至なので、それを避けたのだろうが、核問題もそうだが、論議自体は大いに行ったらいいのだ。

 ところで、「論議」といえば、アメリカのシーファー大使が、「私は元慰安婦のアメリカ議会における証言を信じる」と言ったそうだが、私は、正直言って、彼女たちの証言を信じることは出来ない。
 というのは、ちょっと話はそれるが、ジラールというポストモダンの思想家がいる。そのジラールに、「欲望の三角形」という有名な理論がある――といって、実は、つい最近知ったのだが、人の欲望は、実は、他者のそれを模倣したものだ、というのだ。

 たとえば、Aという人がBを欲したとすると、その欲望は、Aその人に先立ち、Cという人がBを欲していたからだ、という。これが、「欲望の三角形」である。
 要するに、他の人が欲しいと思うものを自分も欲しいと思う心理で、誰もが経験することだが、ジラールは、これこそが、実は「欲望の本質」であると言っているのだ。

 この「他人の欲望が、自分の欲望」という原理は、当然、すべての人間に共通のものだが、朝鮮人の場合、もっとも強烈に発揮されるに違いない。(その結果、「すべての朝鮮人が両班の子孫」ということになる)

 「いや、それはおかしい。従軍慰安婦としての陵辱的な体験を、わざわざなんで模倣し、あまつさえ欲望する必要があるか」と思われるかもしれないが、彼らには、有名な「恨」の心理がある。「恨むこと」は、それを「晴らす」時の「さわやかさ」を考えれば、彼らにとって好ましいことなのだ。(もちろん、実際には、「恨みを晴らす」ことはできないで終わることが多いのだが、それでも、いつかそれを達成することを心に秘め、「恨」を抱えて生きることは、「人間的」であるとして、彼らにとって望ましいことなのだ。)

 というわけで、アメリカの議会で証言した「元慰安婦」はちょうど三人らしいが、その三人が、お互いに、お互いの「恨」を欲望して、競いあっている、というのが真相ではないか。(もちろん、彼女らの証言がまったく根も葉もないものとは思わない。それに近い、というか、「核(タネ)」となるような経験があったのだとは思う)

 とはいえ、「欲望の三角形」は、昨日買ったナツメ社の図解雑学シリーズ――『ポスト構造主義』で知ったばかりなので、見当違いのところもあるかもしれないが、「欲望」が実は「他者の欲望」だというのは、実におもしろい発見ではないかと思い、紹介した次第。

 ちなみに、図解雑学シリーズには書かれていなかったが、「他人の欲望が自分の欲望になる」メカニズムは、「脳細胞のミラーニューロンの発火現象」として、確認されている。月光24号「映画の研究」に少し書いてあります。(映画を見て面白いと思うことを、このミラーニューロン現象で説明している人もいるが、検討の余地はあると思うが、今のところ、ちょっと違うのではないかと考えている。)

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