パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

ケロロ軍曹、って…

2006-01-28 17:36:27 | Weblog
 …なんだ?と思ってグーグルで調べたら、テレビ東京の(笑)、関係ないです、アフォーダンス理論とは。いや、関係ないでしょう。

 アフォーダンス理論とは、従来、写真や絵画で説明されてきた視覚理論に代わるものです。じゃあ、具体的に説明せよといわれると、極めて難しいので、それを承知でいうと、人間に限らず、犬でもネコでも、馬でも鹿でも、あるいはチョウチョでも、芋虫でも、生きとし生けるものはすべてアフォーダンス環境の中で生きており、その数だけ「世界」がある。それも、「視覚」(芋虫の場合は触覚かなにかになるのでしょうが)が瞬間瞬間に、具体的に言うと、人間の場合1秒間5、6回眼球が動き回っていて、その動いている間には、視覚は機能を停止していると言われています。たとえば、読書していて、行から行に目を移す時、視覚は瞬間的に機能を停止しているのです。これは、専門書になんとか現象とか書いてあったけど(…あ、思い出した。「サッケード現象」だ)、要するに、人間の目は、何を見ていなくても、1秒間に5、6回、断絶的に切り替わっているわけで、ということは、その数だけ「世界」も切り替わっている。「更新」されていると言ってもよいが、つまり、その意味では、アフォーダンス理論は、宇宙物理学でいう、「多世界理論」に似てます。
 もっとも、これは私のオリジナルな考えなので、アフォーダンスの解説書にはそんなこと書いてありませんが、悪しからず。

 ちなみに、巷に流れているアフォーダンス解説書では、アフォーダンス理論はデザイン理論として紹介されている場合が多いようです。これは、今売れっ子の某日本人デザイナーがアフォーダンス理論に基づいて、マイクロソフトのゲーム器、「Xボックス」をデザインしたとあちこちで喋っていることが影響しているみたいです。それによると、そのデザイナー氏は、解説書などを読まなくても、それを見て、触るだけで自然に機能を理解できるように、アフォーーダンス理論を導入してXボックスをデザインしたというのです。

 ここで、ちょっとデザイン理論としてのアフォーダンス理論に触れておくと、たとえば、椅子なら椅子を例にとると、丸い椅子から、四角い椅子から、アームつきから、アームなしから、長椅子から、なにやらかにやら、いろいろな形態(デザイン)の椅子があるわけですが、人間はそのいずれも、ひと目見ただけで「座る」道具だと見分けることができる。しかし、この事実を、従来の、写真、絵画をもとにした視覚理論は説明できないわけです。では、どんなふうに考えればよいのか、ということで出てきたのがアフォーダンス理論であると。
 で、この「アフォーダンス理論/デザイナー向けバージョン」の場合、ひと目でその機能(たとえば、「椅子」なら「椅子」と)がわかるように、意図的に――理想的には何も考えなくても自然にその機能に到達できるように――工夫されたデザインが、アフォーダンス理論に基づくデザインの理想ということになります。(MacのOSXなんか、典型的アフォーダンス的デザインです)

 なんで、デザインのことに多く触れたかというと、前に書いたように、今現在では、デザイン理論としてアフォーダンス理論を紹介している場合が9割だけれど、いずれ、本来の意味で脚光を浴びる時がくるだろうと思うわけで、その時には、月光読者のみが、「ア~ラ、何言ってんの、私たち、そんなこととっくに知ってたわよ~ん」と自慢してもらいためなんですな。いやー、深謀遠慮。

 毎日新聞のコラムにアラブの言葉が二つ、紹介されていた。

 一。「アッラーは二つのことを軽蔑なさる。その二つの中の、よりましなほうが貪欲である」

 アラブ人は、「ましな方」を選んでいるのかな。ちなみに、「ましでない方」は、明らかにされていないそうだ。

 二。「馬に乗ると神のことは忘れ、馬をおりると馬のことは忘れる」

 人間は忘恩の輩であるてことかな。よくわからないない~。

 結論。アラブ人って、馬が好きで、恩を忘れることがあり、貪欲である、てことかな。

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1 コメント

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ケロ○体験 (うさぴょん)
2006-01-29 00:23:05
やはり、違いますよね(笑)。

要するに単なる直感なだけだもの。(直感でなければ私の動体視力はけっこう良ろしいのだろうか?)

でももしかしたら、直感っていうのもある種環境との対話なのかなと思ってみたりしてみちゃったのでした・・・。
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