パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

いきなり、「めまい」

2005-11-03 04:59:50 | Weblog
 確かめたいことがあって、ヒッチコックの「めまい」をツタヤで探したら、すべてDVDになっていた。DVDの再生装置はもっていないので、他のところを探したら、「あと10日で閉店です」というレンタル屋で見つけた。「なら、これ売ってよ」と言ったら、「だめです」と断られた。いいじゃん、別に、売ってくれたって。不都合はなかろうに。

 ま、ともかく借りて、見ました。「確かめたい」ところは、こっちの勘違いだったようで、ちょっと残念だったが、作品自体は、もちろん、面白い。しかし、最近とみに評価が上がっていると聞くけれど……まったく隙のない傑作というわけではないと思った。一言で言うと、ヒッチコックの手抜きが目立つような……。
 たとえば、キム・ノヴァックの曾祖母にあたる女性の肖像画がノヴァックに「似ていること」が重要ポイントになるのだけれど、あんまり似ていなかったり。これは、最初、ヴェラ・マイルズを主演に予定していて、肖像画もヴェラ・マイルズをモデルに描いておいたが、直前に出演できなくなってヴェラ・マイルズの代わりにキム・ノヴァックを起用したものの、ヒッチコックは彼女があまり気に入らず、それで肖像画も描き直さなかったらしい。重要ポイントだというのに……手抜きじゃ~。ヒッチコックは他にも、たとえば泳げない彼女にサンフランシスコ湾に放り込むとか、かなり意地悪をしたとか。

 意地悪云々は余談だが、そもそもキム・ノヴァックの役どころは、自分の妻を自殺と見せかけて殺す計画にジェームス・スチュアートを「自殺の証人」として巻き込むために、「スチュアートの前で自分の妻役を演じさせるために犯人が雇った妻と似ている女性」というややこしいもの。つまり、肖像画に描かれている女性は、実はキム・ノヴァックの曾祖母じゃないのだけれど、でも、物語上は「似ている」という設定なのだ。つまり……よく考えると、ノヴァックが選ばれたのも、「妻と似ている」というより、「曾祖母の肖像画と似ている」から選ばれたと考える方が合理的だ。(だとしたら、描かれた画像とノヴァックがあんまり似ていないのは、さらに致命的ミスということになるが……)そこまでやらなくとも、もっと単純な方法があるのでは、と思ってしまう。(もっともそれでは、この映画自体が成り立たなくなるが)
 あと、真相を知ったジェームス・スチュアートがキム・ノヴァックを難詰するところ。ジェームス・スチュアートは、キム・ノヴァックが死んだとばかり思って悲嘆にくれていたのだから、彼女が自分を騙したこと、犯罪の片棒を担いでいたこと等、論難すべき部分はあっても、彼女を心から愛しているのならば、彼女が生き返ってきてくれたことに、「超ラッキー!」と喜ぶのが普通だと思うのだが……。(もっとも、これでは「お話」が成り立たないけけど……)
 ジェームス・スチュアートは、部下の警官を自分の「高所恐怖症」故に死なせてしまったことの責任をとり、「将来警察署長間違いなし」というエリートコースを退いた後、何の職にもつかずにで「ブラブラしている」という設定だが、――「食べるのに困らないだけの貯えはある」んだそうだが……キム・ノヴァックを高級ブティックに連れていって自分の好みのドレスを注文したり――まるで「マイフェアレディ」のヒギンス教授だ。つまり、もともと超エリート階級の出身で、警察官になったのも、生活のためというより、「エリート」故の高貴な責任感からと考えられるわけで、しかりしこうして、エリートとしての矜持が彼女を許さなかった、ということなのだろうか? これはさすがに思い過ごしかもしれないが……でも、エリート階級のスチュアートに、彼が愛するキム・ノヴァックが貧困層の出身という設定になっていることに、なんらかの意味合いがなくもないのではないかとか(事実を言えば、貧しいから、金で犯罪行為に加担させることが出来たということなんだろうが……しかし、そういう「事実」を描くことによってもたらされる「結果」は、「もう一つの事実」として別様に考えることができる)、ともかく、いろいろ「微妙なこと」を考えさせるところの多い映画のようだ。意外と。

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1 コメント

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ヒッチコック様 (うさぴょん)
2005-11-03 22:26:03
後年映画がリメイクされるたんびに確実に駄作になってゆくので、後世の世代からすると「ヒッチコックは偉かった。」と言うしかなくなるのでせう。

最近は銀幕で見る機会が無いので寂しいが、「裏窓」は何度見ても好き。G・ケリーが美人です。
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