パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

あれもこれも

2013-01-11 18:05:03 | Weblog
 ここに来て急激に寒い。

 石油ストーブが禁止で、エアコンなのだが、エアコンは部屋が乾燥してしまうのであまり好きでない。

 ガスストーブがいいのだが、ガスは風呂限定のようで、部屋にコンセントがない。

 しょうがないので、受験生が使っているような、小さい電気ストーブをつけた上で、エアコンを動かしているのだが、石油ストーブがやっぱり一番いい。

 あの灯油の臭いが好きで、当初、こっそり家主に隠れて使っていたら、ある日、突然訪ねてきた大家に、その「臭い」で見つかってしまい「契約違反だ。出ていけ!」と怒鳴られてしまった。

 抗弁できないので、平謝りに謝り、追い出されることだけは勘弁してもらったが、以来、不自由な日々だ。

 部屋の蛍光灯も、リングが二つついているのだが、その大きい方がつかない。

 それで蛍光灯を買ってつけたが、点灯しない。

 それで、これはスタートランプが切れたのだろうと思って、それも新しいのを買ったが、それでも点灯しない。

 考えられる限り、いろいろやってみたが、ダメなので、照明装置全体を買い替えるしかないと思ったが、全部取っ替えても、依然ダメという状況をになりそうで、手元が暗いのを我慢している。

 大体、照明器具の不具合は、大家にねじ込めば大家が処置してくれそうに思うのだが、あの嫌みな大家と交渉するのかと思うと、気持ちがなえる。

 そんな嫌な気持ちを味わうくらいなら、最近話題の低消費ランプに買い替えてしまおうかとも考える。

 多分電気代はせいぜい数百円円ぐらいしか安くならないだろうが、そもそも、どれくらい明るいのか、それもわからないし、と、ためらいつつ、一年。

 その他、IH調理器具も調子が悪いし、フライパンも、すぐに焦げ付くので、通販番組でやっているようなのが欲しいと思うが、あれも司会者はうまく使っているが、いざ実際に買ったらとたんにダメになりそうな予感がして、ためらわれる。

 いきなり話が変わるが、自民の二階が調子に乗って、紀伊半島を一周する高速道路計画を叫んでいる。

 大昔、高校の卒業記念に友達と紀伊半島を一周したことを思い出す。

 白浜温泉が、関西では東京における箱根、熱海なみに有名なことを知ったとか、那智の滝が、水不足で一滴も落ちてこなかったとか、そんなことを思い出すが、あそこを一周というのは、伊豆半島一周の倍くらいのスケールと考えていいのだろうか。

 いずれにせよ、高速道路をつくり、新幹線を張り巡らしたが、それで地方が豊かになったのか。

 いや、地方はある程度豊かなのだが、しかし次につながる豊かさとはほど遠いように思う。

 地方に残っているじいさんばあさんの住んでいる家は「なんでも鑑定団」で見る限り、概して立派だ。

 でも、それあ、そんなにいいことではないだろう。

 なぜなら、その「立派さ」は結局、中央政府の補助金が主な財源だろうし、そのことは、その家の子供たちが地元で仕事が見つからず、家を離れて都会に行き、家に住んでいるのは老人ばかり、ということで明らかだ。

 私は東京生まれで、両親も東京生まれだから、田舎の実情というものをまったく知らないのだけれど、今、ニュースステーションで古賀氏が言っていたが、中央政府が金をくれると言うからには、もらっておかないと損だ、選挙にも通らない、ということでまたぞろの無駄な公共事業が復活しかねない。

 二階が執念を燃やしていると言う、紀伊半島一周高速道路も、期待を込めて「ぜひ!」と言っていたのは地元の温泉旅館の女将だった。

 つくりたければつくればいいのだが、それは地元自治体が自分たちの責任でやるべきだろう。

 今の雰囲気では明らかにそうではなく、補助金が出るのなら、もらいたいという姿勢が明白だ。

 やはり、地方分権がカギだ。

 中央官僚は、地方分権を実施すると格差が生じるという理由で猛反対する。

 いや、あんなのは結局、自分たちの力が殺がれることを恐れているのだ、と考える人もいるだろうが、私はそうは思わない。

 かれらは「格差」はよくないとまじめに考えて、そう言っているのだが、私はそれが間違えていると言いたい。

 地方で格差が生じるのは、人間の間に格差が生じるのと同じで、やむをえないというか、当たり前なのだ。

 何も、県同士で日本一を競えというのではなく、それこそ「あの花もこの花もそれぞれきれいだね」でいいではないか。

 ちょっと昔、高速バスを」ハイジャックした高校生がナイフで人を殺したことがあったが、あの事件のバスの運転手の福岡の自宅がテレビに映っていて、それが実に立派な、社長クラスの家だったのでびっくりしたことがある。

 実はあれが、戦後高度成長を支えた自民党の「持ち家政策」の成果なのだが、見て、なんか変だと思った。

 運転手風情が、なんて言うと物議をかもすかもしれないが、バスの運ちゃんは、低所得者向けのアパートで、貧しく、正しく、生きるのがいいのだ。

 ところが日本には、その低所得者向け住宅というのが、「持ち家政策」の結果、実質的に存在しない。

 あの西鉄バスの運ちゃんのように働けば皆、豪華な総二階建ての高級住宅に住めるようになる、というのが持ち家政策だったが、それは、実は根本的に間違えていると私は言いたいのだ。

 なんだか、結局、またここに話が落ちてきた。

 「貧乏は、正しい」と。

 正しく生きようと思ったら、貧乏でなければならないのだ。
 

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