パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

フェイスブックと「名指しの必然」説

2011-05-14 14:10:55 | Weblog
 フェイスブックとやらをやってみようと思って、私の諸データを入力した上,登録したところ、写真展をやったオグマグのオーナーが真っ先に「お友達」として紹介された。

 つごい!

 私は出身地とか,現住所とか、簡単な学歴とか、趣味、信条などを登録しただけなのに。

 さらに驚いたのは,展覧会に来ていただいた方がさらに「お友達」になり、その方が当ブログの記述から「風に吹かれて」を手に微笑む巌谷國士さんの写真を見て、「驚いた」とのメッセージが届いた。

 その方には「風に…」を買っていただいたのだが、巌谷國士が同じ本をもっていて「驚いた」のではない。

 巌谷國士氏は、「私の親戚です」なんだそうだ。

 だそうですよ、confinueさん!

 以前、「月光」で「都市伝説」を特集したとき、「都市伝説のように見えるが,事実」として、7人だったか、11人だったか忘れたが、ともかく10人前後の人を介すれば、世界中の誰とでも知り合いになれるという話があった。

 たとえば、オバマ大統領とでも、10人前後の人を介すれば、お友達のお友達として連絡がつくのだ。

 これは、「21人いれば、その中の二人は同じ誕生日」というのと同じ、確率の問題なのだ。

 フェイスブックの創設者が、確率理論を知って創設したかどうかは知らないが、ともかく、そういうわけでフェイスブックの「実名制」のすごさに驚嘆した後、とんでもないことが起きてしまった。

 実は,この際、新しいブログをつくって「風に吹かれて」で展開した「写真論」を解説付きでアップしてみたらどうだろうと思い、とりあえず、今使っているgooブログで新設しようと思ったのだが,新しいIDが必要だということで、前のID に「_2」をつけて登録したところ、そのIDをトップにつけた新メールが配布され、旧メールにアクセスできなくなってしまったのだ。

 ということは、メールをチェックできない上に、アドレス帳も使えない。

 念のため、新メールから旧メールにテスト通信を試みると、「送信済み」となった。

 しかし、その「送信済み」のメールを、私は受け取ることができないのだ。

 どこにいっちゃったのでしょうね、あたしのメールは。

 そこで、とりあえず、gooのトップページから、私の「基本情報」にアクセスすると、ちゃんと旧メールが私の「基本情報」になっている。

 いったい何が起きたのか、わからなくなったが、ともかく、皆には、事故で旧メールが使えなくなったので,新メールをつくりましたというメッセージを送ろうとしたが、アドレス帳が使えない。

 万事窮すと思って、泣きそうな気持ちでふて寝していて、ふと気がついた。

 ブラウザーに表示されている前日の「履歴」から旧メールアドレスに到達できるかもしれない。

 やってみたら、あっさりつながったので、すぐにそれを「お気に入り」に登録し,窮地を脱することができたので、とりあえずこの問題は収まったのだが、フェイスブックの優秀さに驚いた直後だけに、日本のIT技術の旧態依然たる、あまりの拙劣さに愕然としたのだった。

 さて、そのフェイスブックのすごさはどこにあるかというと、「実名制度」にあると言われているわけだが、それは「固有名詞」のすごさに等しい、と私は思う。

 アメリカにクリプキという哲学者がいて、そのクリプキがわずか17歳の時、「固有名詞の論理学」を提唱した。

 それまで「固有名詞」は「確定記述の束」とみなされていた。

 たとえば、エベレスト山は、「チベットの奥」にある「世界一高い山」である。

 これが「確定記述の束」だが、もしも、エベレスト以上に高い山が発見されたらどうなるか?

 「確定記述の束」は崩れてしまう。

 一方、クリプキは、エベレストという固有名詞は、仮に、世界一高い山でなくても、つまり、「確定記述の束」が崩れても,同一の対象(エベレスト山)を指示し続ける、と考えた。

 この「固有名詞の力」はどこからくるのか?

 それは、斯く名づけられた時に必然的に所有するようになったのだ、とクリプキは説明した。

 この、「名指しの必然」説(「指示の因果説」とも呼ばれる)は、「真偽を問わない」故に、いろいろ批判を浴びつつも、クリプキは、現在,もっとも影響力のある哲学者と言われている。

 と、「風に吹かれて」のアンチョコ本である、「絵でわかる現代思想」で、VALIS DEUXさんがおっしゃってます。

 それはともかく、「フェイスブック」は、「確率論」ばかりでなく、このクリプキの「名指しの必然説」ともなんか、関係ありそうだと私は思ったのです。

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