パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

『週刊大衆』にケインズの名が……!

2007-06-16 22:38:21 | Weblog
 次の参院選挙では民主党に入れようかと思ったのだが、基礎的年金の財源を税とするという項目は残っているものの、全体的スローガンが「無駄遣いストップ」とか、そんな馬鹿らしいものらしいので、やっぱりやめようかと思い直しつつある。
 いけないのは、小沢一郎の「数の論理」だ。どんなに立派な政策をもっていても数が少なければ実現できない。何が何でも「数」をとるのだ、といって社民党みたいなアホまで取り込んでいる。だから、安部首相が数日前、社会保険番号制度がどうしても必要だと正論を言ったのだが、その前、社民党の阿部なんとかという女性議員がテレビ討論番組で、今回のトラブルをきっかけに背番号制度が導入されてはならないと話していたことを憶えているが、社民党が絶対反対だし、それを配慮してか、安部首相の提案には賛成も反対もせず、というか聞かなかったふりというか、全然反応していない。
 あまつさえ、社保庁が「無駄遣い」をやめれば、消費税アップなしで現在の国民年金が持続可能であるかのような選挙公約ではどうしようもない。
 いや、こんな風に書くと誤解を招くかも。そもそも、愚民共は社保庁の「無駄遣い」のせいで年金はもらえなくなると騒いでいるが、三千万人~四千万人から一人当り、推測だが、毎月四、五万円も集めておいて、グリーンピアの三千億円ごときで「破綻」するわけがないではないか。
 四、五万と書いたのは、厚生年金も含むからだが、国民年金だけでも一人一万五千円を三千万人が納めたとして4500億円。しかもこの数字は一月分だから、一年だと……五兆四千億円だ。厚生年金も含めれば、優にこの3倍、15兆円は集めているはず。税金の援助なしでも一人当り15万円を1000万人に配ることのできる金額だ。(今、65歳以上の人って、何人いるのか知らないが……)

 共産党の選挙公約では国民年金の掛け金を年間一万円減額としているようだが、日本は年間の掛け金が18万円だから、1万円引いても17万円。前にも書いたが、イギリスでは年間2万円だ! もちろん、消費税が段違いに高いという違いはあるが、多分、それだけでは説明つかないように思う。

 ともかく、1974年900円だった掛け金(月)が、どういう風に、一万五千円まであがってしまったか、表にしてみた。
 1974年 900円
 1975年 1100円
 1976年 1400円
 1977年 2200円(昭和49年)
 1978年 2730円
 1979年 3300円
 1980年 3770円
 1981年 4500円
 1982年 5220円
 1983年 5830円
 1984年 6220円
 1985年 6740円
 1986年 7100円
 1987年 7400円
 1988年 7700円
 1989年 8000円(平成元年)
 1990年 8400円
 1991年 9000円
 1992年 9700円
 1993年 10500円
 1994年 11100円
 1995年 11700円
 1996年 12300円
 1997年 12800円
 1998年 13300円
 さすがに、98年以降は値上がりは止まったが、今年度から、向こう数年間(正確なことは知らない)、毎年の値上げを再開し、最終的に17000円ほどでうち止めという約束らしい。
 この「うち止め」ってのがどういう理屈でそうなったのか、全然わからないのだが、それはさておくとして、1974年から25年間、12回納めたその次には、ひどい年には三〇%近く値上がりしているのを、文句も言わず、黙って払い続けたことになる。
 未払い者が四割もいるから、国民年金制度は今や累卵の危機にあると社保庁の親玉、厚生省は宣伝しているが、こんな条件で(支払い義務を負う者のうち)六割もの人が営々と払い続けたというほうが驚異だ。くり返すが、25年間、一年も欠かさず、毎年10%~30%も値上がりしている。
 私は、どうせ払えるはずがないのだからと、国民年金がこんな恒常的値上がり状態にあったことを全然知らなかったのだが、払っていた人たちは、なんで大人しく払っていたのだろう……不思議だ。
 ちなみに、この「表」の載っていた本の著者で元社保庁の数理官、坪野剛司氏は、この急激な値上がりについて、「当時の百円(昭和36年の国民年金発足当時の掛け金が百円)は、物価水準、あるいは賃金水準からみて今の三千円かも知れませんが、昭和36年当時の百円には相当価値があり……多くの人は食べるのを節約してでも納めていたことを、今の人は理解できないかも知れません」と理解不能なことを書いている。昭和36年当時の人々は、今で言えば「月三千円」に相当する額を納めるのに、食べたいものも食べずに節約して、捻出したというのか?
 ノンキャリアとおぼしい坪野氏は、キャリアの戦略を聞かされていないので、いかにも苦しい弁解を強いられているのだと推測するのだが、念のため、日銀のHPに載っていた消費者物価指数を見ると、昭和36年当時から現在まで、約四倍と明記されている。一方、年金掛け金は、100円から14000円、つまり、140倍だ!
 もちろん、当時の厚生省(と大蔵省)のキャリアは、スタート時のハードルを、あえてぐっと低くして、徐々にあげていくという方法を採ったのだろうが、私が思うに、1100円となった1975年にオイルショックが襲い、なおかつ赤字国債が常態化、さらにドルショック、バブル景気到来と続く事態に、法科出身で、ダイナミックな「近代経済学」を知らないキャリア役人の頭ではついていけなかったということなのではないだろうか。

 『週刊大衆』だったか、コンビニで立ち読みしていたら、とある記事に、「《長期的展望》は意味がない」というケインズの有名な言葉が引用されていた。年金問題とは関係のない、競輪競馬などのギャンブル関係の記事だったが、『週刊大衆』でケインズの四文字を目にするとは想定外だった。ちょっと期待したい。(『週刊大衆』に期待しようというわけではない。念のため)
 
 「年金」の話題を枕に、「素数蝉」の話を書こうと思っていたのだが、またまた長くなってしまったので、「素数蝉」の話は次回に。