パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

加藤紘一が四角い顔を赤くして……

2007-06-09 23:20:40 | Weblog
 李登輝前総統が靖国を訪れたことについて、「これで対中国関係は非常にまずいことになると思います」とか、あれが「したり顔」というのだろうが、言い、朝日や毎日なんかも口をそろえて「中国の反撥は必至」と言いながら、翌日に安部首相とサミットで会談をしたコキントーはまったく触れず。

 加藤も、朝日も毎日も、これをどう説明するのだろうか? 「情報がまだ届いていなかったのではないでしょうか」とか言ったりして。

 当然これは――前にも少し書いたと思うのだが――靖国を巡る日本と中国の争い、というか綱引きというかに、日本が勝ったということを意味しているのだ。

 ストーリーを説明すると、まず、小泉の靖国参拝で中国が激怒したが、これは、具体的には巨額の円借款を要求したのだと思う。どこまで話が進んだかはわからない。ただ中国の「思惑」だけだったのかもしれない。

 いずれにせよ、小泉が、8月15日の参拝こそ避けたものの、中国の意に添う行動は頑として拒否した。

 これで、オリンピックを控え、特に環境問題に関する日本の援助が欲しい中国は、困ってしまった。一方、日本のほうも、対中関係がこのままでは困るという人が、財界を中心に少なからず存在するし、アメリカも「仲直りせよ」と言っている。といっても、小泉が靖国参拝を中止するなんて言えない。言ったら、中国が「勝ち」になる。

 そこで、中国の「意」が充分に明らかになった時点で、小泉と意の通じている安部に政権を委譲し、安部が中国との「和解」を進める、という連係作戦を立てた。もちろん、その場合、安部が、私も断固靖国を参拝します、なんて言ったら話は元の木阿弥になる。それで、「何も言わない」作戦に出た。もちろん、中国も承知の上だ。

 というわけで、安部の訪中後、中国は、安部首相が靖国の春の大祭に首相名儀で金を包んでも、「遺憾」と言っただけで、明らかに態度が変化した。

 ここらへんで朝日も毎日も事情がわかっただろうと、私は思ったのだが、わからなかったらしい。(李登輝の靖国訪問を中国の主脳が黙認しても、まだその真意がわからない様子だが、だとしたら本格的にバカだと思う)

 ところで、穿ち過ぎかも知れないのだが、安部首相がアメリカでブッシュ大統領に、従軍慰安婦問題について、「二〇世紀における残念な出来事の一つ」と言って、受け入れられたことは、非常に重要なことだったのではないかと思う。
 というのは、ここで言われた「二〇世紀における残念な出来事」とは、要するに、先行する近代国家が非近代国家に対して被害を与えたということだが、実は――東京裁判で明らかな通り――日本はこれまで、「先行する近代国家」とはみなされていなかったのだ。

 日本の対英米戦争は、せいぜいのところ、未開の非近代国家が近代国家に成り上がろうとして引き起こした戦争と考えられていた。しかし――もちろん、そういう面もなくはなかっただろうが――日本は、大正のはじめに、早くも当時の覇権国であるイギリスと同盟を結び、「5大国」の一員として、世界秩序を維持する役目を担っていた。そのことは、ポツダム宣言に、「かつての民主政体を恢復すること」と書かれていたように、ファシスト的な戦争大国的体制は一時的なものであったという認識が、戦前には世界的にあったのだが、東京裁判ではそのような冷静な認識は忘れ去られ、野蛮な非近代国家の烙印を押されてしまった……。

 もちろん、これは私の個人的意見だけれど、いずれにせよ、たとえばアメリカもイギリスもかつての奴隷貿易をアフリカ人から指弾され、エリザベス女王が謝罪したりしているのだが、安部首相の「二〇世紀における残念な出来事」(正確な表現は忘れたが)という言葉をブッシュが受け入れたということは、大枠で「近代国家の瑕疵」を日本も共に負うことをアメリカが認めたということであり、日本はこれで、名実共に「近代国家」として――具体的には、「欧米諸国」が「主語」ということになるが――受け入れられたのではないかと思う。
 少なくともバブル前、あるいはバブルの最中であったら、このような発言は到底許されなかったはずだ。(実際、バブル期の日本は、アメリカへの「再挑戦」と受け止められていたことは記憶に新しい。実のところ、当時、アメリカの議員が日本車をハンマーでたたき壊したりするニュースが流れたときは単純な感情論に過ぎないと思っていたが、実際はそうではなかったのだ。日本人は、かつて果たさなかった米大陸上陸を目論んでいると、本気で彼らは思っていたのだ。)

 中国や韓国が、安部の訪米以降、なんとなく大人しいのはそのためもあるのではないだろうか。