パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

日本の権利と義務

2007-06-11 22:54:23 | Weblog
 久しぶりに本屋で『諸君!』を立ち読み。西尾幹司先生が、訪米した安部首相がブッシュ大統領に従軍慰安婦問題について、「謝罪」し、それをブッシュが「受け入れ」たことに関し、アメリカの大統領が日中、あるいは日韓、日朝の間の問題に介入する権利なんか、そもそもないではないかと慨嘆・悲憤していた。

 しかし――西尾先生も書いていたと思うが――、前のブログにも書いた通り、アメリカもイギリスも、奴隷貿易をはじめ、「スネに傷持つ身」であって、そこまでさかのぼって、彼我と同じ立場に立つというのが、「二〇世紀の過ちの責任を負う」という安部発言の真意であって、それをブッシュが認めたという点が重要なのだ。
 つまり、言ってみれば、日本は、近代からポスト近代(ポストモダン)ヘ向かう歴史の中で、日本は唯一の非キリスト教国家として、途中、大きなつまづきを経験したものの、大枠で見るならば、そのレースの「勝組」――というと刺激的すぎるかもしれないが――としての権利を、「最終的」かどうかは今一つ判らないが、認められたのだ。(もちろん、「義務」も課せられた。安部首相の「謝罪」もその一つだ)

 といっても、そんな風に解釈している論者はほとんど、というか、一人もいないらしいのだが……ともかく、日本は、「憲法九条を戴く平和愛好国」という自己イメージとは裏腹に、狡猾で、何をしでかすか判らない、無気味な国として今でも恐れられていることをはっきり認識すべきだと思う。そしてそう認識すれば、西尾氏のように、「欧米にほめられたって片腹痛い」といった態度でつっぱることは、極めて危険だということがわかるにちがいない。

 たとえば、日本の象徴である、「サムライ」が、世界で「尊敬」されているかというと、そうでとは限らない。
 もちろん、果敢な武断主義とか、忠勇精神を尊敬されていることもあるだろうが、平均的に見れば、ダースベイダーが、「サムライ」をモデルにしたことで明らかなように、仮面の影で平気で人を殺し、必要とあらば、自分だって殺してしまう(ハラキリ)自我の抑圧の達人といった、恐ろしく、かつ無気味なイメージの方が強いはずだ。

 ダースベイダーのオリジナルデザインが日本の鎧兜だと言って、「凄いだろう」と自慢したくなる気持ちは、同じ日本人として判るが、ダースベイダーがフーマンチューのような単純な悪役とは言えないにせよ、「悪役」であることにはちがいなく、したがって、それが世界の人々に伝える日本のイメージの「本当のところ=負の側面」にも、目配りしておく必要があると思うのである。