パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

クレイジーをめぐる大いなる謎

2007-03-28 22:59:15 | Weblog
 植木等が亡くなった。加藤茶だったかが、「死ぬような人ではないと思っていたので、ショックだ」と話していたが、同感。
 去年、青島幸男の御葬式に鼻に管を入れて現れたので、体調が悪いのかなと思っていたのだが、最近、街でよくボンベか何かを引きずりながら歩いている老人を見かけるので、心配する程のことではないのかも、とも思っていた。やっぱり「死ぬことのない人」と考えていたのだろう。

 いずれ小林信彦が、入魂の追悼文を書いてくれるだろうが、植木というか、クレイジーキャッツについて、映画『日本一の無責任男』ばかりが引き合いに出され、今回も同じなのだが、どうも違和感がある。本当に面白いのか?あれ。クレイジーキャッツは、どう考えたって、テレビの人で、「シャボン玉ホリデー」にとどめを指すだろう。

 問題は、「シャボン玉ホリデー」が終わってしまったことはしょうがないことで、その後なのだが、あまりにも人気が出過ぎたせいか、露出が減ってしまった……ということはないはずだが、頻繁にくり返される「露出」が単発的で、出て来た時は確実に大爆笑させてもったのだが、「クレイジーキャッツ」としてのまとまった印象がない。私にとっては、なんといっても、「クレイジーキャッツの植木等」だったのだ。

 ところで、「クレイジーキャッツ」については、月光復活第三号でちょっと書いたので、ざっと読み直してみたが……小林御大に刃向かったりしているものの、説得力がない、恥ずかしい文章だ。しかし、書いておいて良かったと思う。
 というのは……冒頭に書いたこととは、大分違うのだ。

 要するに、こういうことである。

 私の世代……つまり、「団塊」を中心とする世代にとって「クレイジーキャッツ」は、「つまらなくなることがないんだ」と、「ほとんど信仰」の対象のように信じていたと、橋本治がどこかで書いていて、それにまったく同感なのだが、いったい、いつ、この「信仰」が芽生えたのか、私自身、考え出すとよくわからなくなるのである。

 つまり、私にとって「クレイジーキャッツ」は、信仰の対象であるほどに、その「面白さ」を信じていたが、一方、非常に屈託のある、というか、要するに「不満」を否定することの出来ない対象であった、ということが月光三号を読み返して分かったのだ。
 具体的に書くと、以下のようになる。

 クレイジーキャッツに石橋エータローという女形を得意とするメンバーがいたが、身体を壊してメンバーから外れていた時期があった。その時、私は、はっきり覚えているのだが、「エータローがいなくなって、クレイジーキャッツは大丈夫だろうか」と心配したのである。

 もっとも、今はそんなことは覚えていない。だから、冒頭に「クレイジーと言えばシャボン玉」なんて、書いてしまったわけだが、それはともかく、月光三号ったって、ン十年も昔のことじゃない。多分、原稿を書いているうちに思い出したのだろう。あるいは、それで原稿にしちゃったので、「クレイジーに関する屈折した思い」を忘れてしまったのかも知れないが……あ、今、思い出した。「エータローがいなくなって、クレイジーキャッツは大丈夫だろうか」と、特にエータローのファンでもないのに、先回りして心配していたことを……(笑)。

 ところが、先に、「クレイジーと言えばシャボン玉」と書いたのに、エータローが倒れたのは、年表で調べると、シャボン玉ホリデーが始まる1年以上前なのだ。(と月光三号にある)ということは、「エータローがいなくなって、クレイジーキャッツは大丈夫だろうか」と子供の私が心配した「クレイジーキャッツ」は、「シャボン玉」以前の「クレイジーキャッツ」なのだ。これはまちがいない。

 もちろん、「シャボン玉」以前にも彼らはテレビに出ているし、そこそこ人気もあったのだが、その「クレイジーキャッツ」は、エータローがいなくなって「おもしろくなくなるのではないか」と心配した「クレイジーキャッツ」ではない。これは、実感としてはっきりしている。(第一、その頃は「脱線トリオ」の全盛時代で、クレイジーははるかその後方にいた)

 だとしたら、私はどこで「クレイジーキャッツ」を見て、夢中になったのだろう?

 これが、「クレイジーキャッツ」をめぐる私の大いなる謎なのだが、年表を繰って調べた限り、答えは一つしかない。

 私が小学生の頃、かの有名な、日劇のウェスタンジャンボリーという、ロカビリーの祭典があった。このウェスタンジャンボリーの最後の回にタイガースたち、GSが出て来るわけだが、そのウェスタンジャンボリー第1回、「これがロカビリーだ」がテレビで中継放映された。そして、小林信彦の『日本の喜劇人』によると、これにクレイジーキャッツが出ていて、これが彼らのはじめてのテレビ出演だったのだ。昭和33年の春である。
 そうか……時期もぴったりだ。春休みで暇だった小学生の私は、普段は見ることもない、夕方、彼らをテレビで見て、そのギャグ演奏の面白さの虜になってしまったのだ。

 つまり、「クレイジーと言えばシャボン玉」と冒頭に書いたのだけれど、考えてみると、「シャボン玉」におけるクレージーはギャグ演奏はほとんど行わず、コントばかりやらされていて、それも充分に面白かったのだが、私は、その間もずっと、私のクレイジー体験のオリジナルである、ギャグ演奏を渇望し続けていたのだ。

 ギャグ演奏を真骨頂とする彼らが「スーダラ節」を歌った時、「これでクレイジーも終わりだな」と小林信彦は思ったと言い、橋本治も同じようなことを書いていて、確かに私もそう思ったのである。多分、多くの人がそう思ったはずだ。しかし、ン十年の間に、それも忘れかけていたのだが、小林、橋本が、そのことを忘れていなかったのは、彼らが文章を書き、それを印刷にして残しておくような商売をしていたからだ。そして、僭越ながら、私も……というわけである。

 というわけで、私的な「謎」は、とりあえず解けたのだが、ドリフターズの場合は、そのような「謎」は基本的にない。これは、一つにはメンバーの才能がクレイジーに及ばなかったため、いかりや長さんが、絶対的リーダーシップを振るったことによって、かえって持続的な活動が可能だったからだと思う。つまり、私の「ドリフ好き」は、クレイジーに対する不満がそう言わせているのだ。

 そのようなわけで、たとえば、月光復活三号のまつざき先生を含む蜂巣君との座談会で、蜂巣君から「南原さんはドリフターズが好きなんですよね」と聞かれて、私は、「……うん」と、いかにもはっきりしない返事をしているわけだが、それは、「クレイジーキャッツこそ、絶対的に面白いのだ」という「信仰」をずっと抱き続けながら、それが遂に実現することのなかったことに対する逡巡が、思わず、口籠らせたのだった、と今わかった。

 いやー、こんなに長く書くことになるとは!

 今、HPを「南原四郎総合サイト」に改良中です。近日アップップ! 乞う御期待。