パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

不機嫌な女

2007-03-26 22:17:12 | Weblog
 先週の土曜日、昨日日曜日は、スポーツ中継づくめの二日間だった。
 みなさんは、どれがお気に召したでしょうか。
 私は、なんといっても、ありきたりだけど、女子フィギュアですね。マオとミキがキムヨナ(だっけ?)を大逆転してすっきり。
 中継等では、キム(“きむ”で入力すると、“金”に変換される。じゃあ、“ぱく”は、というと、変換されない。気を使ってるんだろうが、ちょっと中途半端……というか、その必要はないだろうと思う。どうせ、本人たちは漢字まったく書けないんだし)を16歳にはとても思えぬ妖艶さとか言ってほめたたえているけれど、私には、どうも、いつも“不服”そうな顔をしているように見えるのが気にかかる。(でも、表彰台ではそんな雰囲気はなく、くったくのない笑顔を見せていたので、気の回し過ぎだったのかも知れない。)

 しかし、中野も五位だものなあ、トップ5のうち、3人日本人。しかも、個性が、三者三様で、見ていて飽きない。(誰がどのようにとは、具体的には申しません)
 今日から、水泳の世界選手権も競泳部門がはじまるし、いやはや。

 先日ちょっと触れた、青山七重の芥川賞受賞作『ひとり日和』の書評が日経新聞に載っていたので読む。(3月25日付け朝刊)
 最後の部分をちょっと引用すると……

 『日々を暮らすということの、本来のまっとうさについて考えさせられる。最後に「わたし」はOLになって自立する。「ちゃんと」した大人になる。それと引き換えに、彼女が失った東京の片隅での豊かな時間が読後に身に沁みる。』

 評者は、清水良典。名前だけ知っているが、結構メジャーな文芸評論家だと思うが、なんじゃ、こりゃー!である。

 OLになった「わたし」が何をしたかと言うと、少なくとも作品においては、「上司との不倫」しかしてないのだが、それで、どこが「自立」なのか。
 最後、「わたし」は不倫デートの待ち合い場所まで電車で向かうが、その窓から、かつての恋人が駅で働いているところを見て、感慨にふける(どんな風にふけるのかは、今、手元に本がないので正確ではないが、それほど大したものではなかったと思う)が、「わたし」は、その恋人のジーパンからタバコを盗んで、「俺のタバコ、知らない?」と聞かれて知らんぷりしたり、同居している老女のコレクションを盗んで、「欲しかったら、あげたのに」と言われて「欲しくない」と答え、あまつさえ、上京して来た母親に、「唇の端を上げなさい!」と怒られるような、はっきり言って、「無気味な女」で、だから振られちゃうのだが、そんな、哀しいというか、「ヘン」なエピソードしか書かれていない、「わたし」の都会の片隅での生活のどこが「豊か」なんだろう。

 もっとも、私は、ある意味、面白い小説だとは思うが、それは、外見は一見まともなのだが、その「まとも」さ故に、内心は鬱々としたまま、自虐的行為(盗み、後、これも確かめないと正確ではないがリストカットもしていたと思う)をくり返し、最後に、「不倫」に身を委ねてしまうという、一種の「転落小説」として読めばだ。だから、意識的にそう書いていたとしたら、凄い小説と認めるにやぶさかでないのだが、でも、そんな風には全然見られない。インタビューしてみたいなー、あの「盗癖」は貴方自身の体験ですかとか……単行本を出したばっかりだし、ちょっと、まだ聞けないか。