パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

『テキサス・チェーンソー』と『悪魔のいけにえ』

2007-03-23 17:06:02 | Weblog
 長らく足踏みしていた《春》も、ようやく姿を表したようで……ブログデザインも変えました。

 さて、昨夜、映画『テキサス・チェーンソーを、テレビでだが、見た。テレビ東京の深夜3時頃からで、珍しく、最初のタイトルから見たのだが、あまりに遅いので、あきらめようかと思いつつ、『テキサス・チェーンソー』(=『悪魔のいけにえ』と、この時点では思っていた)は今まで、ちゃんと見たことがなかったので、なんとかがんばって最後まで見ようと決意して見始めたのだが、オープニングタイトルは見逃したため、監督トビー・フーバーの名前は確認できず、その後、いくら経っても、フーバーの『悪魔のいけにえ』とは画面の雰囲気がちがうままなので、あれれ、リメイクものかな?と思いつつ、こちらはこちらで面白そうなので結局、最後まで見てしまった。終わったら朝の4時半過ぎ。眠~。まあ、いつも不眠症気味でなんやかやで4時近くまで起きている場合が大半なのだが。

 というわけで、翌日(ということは、今日)、グーグルで『テキサス・チェーンソー』を調べたら、やっぱり『悪魔のいけにえ』のリメークで、2003年の作品であることがわかった。ずいぶん新しいのにちょっとびっくり。『悪魔のいけにえ』の原題は『テキサス・チェーンソー・マッサクル』と「マッサクル(殺戮)」がつくのだった。あと、エド・ゲインという大量殺人鬼の実話が元になっていること、ただし、「チェーンソー」を殺戮の道具にしたのは、フーバー監督のアイデアであること、エド・ゲインは、ヒッチコックの『サイコ』や『羊たちの沈黙』の元ネタでもあること、などがわかった(これは、知らなかった私が無知と言うべきだろうな)。

 さて、オリジナルの『悪魔のいけにえ』は、先に書いたように、ちゃんと見ていないので偉そうなことは言えないが、『テキサス・チェーンソー』は、リメイクものには珍しく、成功しているといってよさそうだ。その成功の原因は、『悪魔のいけにえ』との共通点は、電動鋸を振り回すところぐらいで、雰囲気的には、『悪魔のいけにえ』より、『サイコ』のほうにより似ているといってもいいような、「世界の設定」にあるのかもしれない。

 ともかく、私は好きなのだが、その理由を考えると、映画の外見は、『ウィッチブレアー……』を思わせるドキュメンタリータッチながら、「お話」の構造は《昔話》を思わせるところが気に入った。

 たとえば、殺される若者たちは、冒頭、ワゴン車の中で、「数時間前に会ったばかり」の女の子とセックスをしながら、具体的な台詞は覚えていないのだが、《ほんの少し前まで赤の他人であった女性とセックスしていること》を、神の恩寵でもあるかのように誇っている。その「天国」が、数時間後には、「地獄」に暗転するのだ。
 この「災難」は、冒頭の若者の涜神的言動が自ら招き寄せたものとも理解できないだろうかと、――とちょっと強引すぎるかもしれないが――私は思う。何故なら、若者たちの「享楽」も、「災難」も、いずれも「赤の他人」との遭遇によっているからである。(一方、『悪魔のいけにえ』の場合、「無軌道な若者グループ」が襲われるという点では同じで、このパターンは『13日の金曜日』シリーズなどに受け継がれ、ホラー映画の定型となるが、そのいずれの場合にも、後に殺戮の犠牲者となる若者たちが、自らの「無軌道」を神に誇るような台詞は言っていないと思う)

 その他、『テキサス・チェーンソー』の場合、危うく車でひきそうになって、車に乗せた女の子が、車を発進させると、「元に戻ってはダメ」と叫んで、隠し持った拳銃で自殺したことが事件の発端となるが、この女の子を車に乗せた女性は、後、その女の子と同様に殺人鬼に追われ、まったく同じ台詞をトラックの運転手に言う羽目になる。
 このような、「円環構造」はいかにも昔話風だし、車椅子の老人が、「息子よ、出てこい」と言って、杖か何かを床に「ドン!」と突くと、それを合図に、電動鋸を手にした息子が風のように現れるところなんか、いかにも「昔話風」だ。

 しかし、それにしてもまあ、この膝から下のない(このことも、後でググってわかったことで、見ている間は画面がが小さ過ぎたせいか、わからなかった)老人の怖いこと。その他、和泉元弥の母みたいな、太った初老女といい、筋が通っているんだかいないんだかわからない(ということは、本物か偽者かわからない)老保安官といい、年寄り連中が不気味で怖い。(一般的に、頑固でかたくなになった老人ほど強いものはない。誰も、あえて彼等を排除しようとはしないからだ。これは、要するに「因習の力」なんだろうか。ちなみに、あまり指摘されることがないが、「ホラーもの」における恐怖の源泉には、「因習」があると思う)
 まったく彼等に比べれば、「息子」のほうが、「反撃が有効」という意味で、すっきりさわやか君ですらある。実際、彼がチェーンソーを振り回して犠牲者を追いかける場面にいたって、はじめてほっと安心して見ていられたりする。(もしかしたら、これが、この作品の欠点かも)

 この『テキサス・チェーンソー』の続編もあるらしいが、リメイクの「続編」というのも珍しいのではないか。
 一方、『悪魔のいけにえ』のほうは、監督のフーバーが、2、3、4と続編を作ったり、『悪魔の沼』とやらの類似作品やらを作っているが、これらは「リメイク」とは呼ばれず、「リメイク」と言ったら、『テキサス・チェーンソー』を指す……ということなのだろうか?
 いずれにせよ、日本では版権その他の関係で、本家『悪魔のいけにえ』のビデオは希少品で、数万円の値がついているそうだが、それも最近解決して、もうじき、DVDも手頃価格で発売になるそうで、それを記念してなのかどうか知らないが、近日劇場における再上映も行われるとか。これは、注目かも。

 追伸 渋谷のなんとか劇場で、3月17日から一ヶ月間、『悪魔の沼』と併映公開中とのこと。なんとか劇場は検索してちょ。