パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

月光24号、遂に印刷屋へ

2006-12-08 20:12:29 | Weblog
 バンザ~イ! 「月光」24号、遂に印刷屋に入れました。久し振りだ、この解放感。何ヶ月ぶり? いや、三年ぶり(笑)。

 最後に来て、2週間以上、デカルトでひっかかってしまった

 「映画の研究」ということで、まず、視覚研究の歴史をしらべたら、西洋哲学が2000年来、苦闘してきた問題であることがわかった。「苦闘」してきた理由は、その出発にあたって、対象と離れているのに、何故、その対象のことを知ることができるのかという風に問題を立てたのだが、実はこれ自体が、西洋哲学の根本原理である主客2元論哲学が不可避的に抱える問題だったのだ。

 研究の始まりは、例によって古代ギリシャだが、その成果をアラビアのアルハーゼンという学者がヨーロッパに伝え、博物学者のデ・ラポルタや、有名なダ・ヴィンチらの研究を経て、ケプラーが光学理論としてまとめた。これを根底的に批判したのがデカルトで、それをさらにバークリ僧正が「視覚新論」に集大成した。しかし、この「集大成」は伝統的な2元論の枠内で試みられた「究極理論」とも言うべきもので、これに対し、アフォーダンス理論の創始者、ギブソンが、発想を一から改めた、新しい、一元論的というか、直接知覚論としての視覚理論をつくりあげた。

 ……というのが、視覚理論研究の全体的道筋なのだけれど、視知覚研究の現場ではこの道筋は「哲学問題」であるとして、ほとんど問題になっていない(と思う)。

 では、デカルトは、どんなことを言っているかというと、「見ること」の本質は、見たもの、たとえば馬なら馬の「見た目」は様々なのに、見た瞬間、「馬」とわかるのは何故かということを考えるところにあるのであって、見えているものが、そのオリジナルと類似しているといったことは問題でない、と言っている。(「見えているものが、そのオリジナルと類似している」云々というのは、「見ること」とは、対象のコピーを見ることなのだ、ということで、これが伝統的な心物2元論に基づく視覚理論なのだ。)
 
 つまり、デカルトは心身2元論の創始者として有名だが、視覚理論について言えば、むしろ2元論を否定しているとも言えるのではないか、とか、まあ、そんなことをいろいろと……。

 ちなみに、デカルトの言葉は次の通り。

「イメージが関係を持つ対象の総ての様々な性質を魂に感覚させる手段をどのようにして与えるか、ということだけが問題で、そのイメージがそれ自体として、どのように似ているかは、まったく問題ではない」

 これを、上記のように、馬云々と私が勝手に言い換えたわけで、あっているかどうかわからないけど、数学の集合論的考え方を参考に思いついたもので、それが妥当なら、デカルトの視覚理論は一種のトポロジーだということになる。

 ともかく、月光24号は、あと10日、遅くとも2週間以内には発送できると思います。御注文、ございましたら、メールでお知らせを。定価1000円、税、送料込みです。(表紙等、HPにアップしておきます)

月光24号、遂に印刷屋へ

2006-12-08 20:05:19 | Weblog
 バンザ~イ! 「月光」24号、遂に印刷屋に入れました。久し振りだ、この解放感。何ヶ月ぶり? いや、三年ぶり(笑)。

 最後に来て、2週間以上、デカルトでひっかかってしまった

 「映画の研究」ということで、まず、視覚研究の歴史をしらべたら、西洋哲学が2000年来、苦闘してきた問題であることがわかった。「苦闘」してきた理由は、その出発にあたって、対象と離れているのに、何故、その対象のことを知ることができるのかという風に問題を立てたのだが、実はこれ自体が、西洋哲学の根本原理である主客2元論哲学が不可避的に抱える問題だったのだ。

 研究の始まりは、例によって古代ギリシャだが、その成果をアラビアのアルハーゼンという学者がヨーロッパに伝え、博物学者のデ・ラポルタや、有名なダ・ヴィンチらの研究を経て、ケプラーが光学理論としてまとめた。これを根底的に批判したのがデカルトで、それをさらにバークリ僧正が「視覚新論」に集大成した。しかし、この「集大成」は伝統的な2元論の枠内で試みられた「究極理論」とも言うべきもので、これに対し、アフォーダンス理論の創始者、ギブソンが、発想を一から改めた、新しい、一元論的というか、直接知覚論としての視覚理論をつくりあげた。

 ……というのが、視覚理論研究の全体的道筋なのだけれど、視知覚研究の現場ではこの道筋は「哲学問題」であるとして、ほとんど問題になっていない(と思う)。

 では、デカルトは、どんなことを言っているかというと、「見ること」の本質は、見たもの、たとえばリンゴならリンゴと、何故わかるのかということを考えるところにあるのであって、見えているものが、そのオリジナルと類似しているといったことは問題でない、と言っている。(「見えているものが、そのオリジナルと類似している」云々というのは、「見ること」とは、対象のコピーを見ることなのだ、ということで、これが伝統的な心物2元論に基づく視覚理論なのだ。)
 
 つまり、デカルトは心身2元論の創始者として有名だが、視覚理論について言えば、むしろ2元論を否定しているとも言えるのではないか、とか、まあ、そんなことをいろいろと……。

 ちなみに、デカルトの言葉は次の通り。

「イメージが関係を持つ対象の総ての様々な性質を魂に感覚させる手段をどのようにして与えるか、ということだけが問題で、そのイメージがそれ自体として、どのように似ているかは、まったく問題ではない」

 これを、上記のように、リンゴ云々と私が勝手に言い換えたわけで、あっているかどうかわかりませんが、数学の集合論的考え方を参考に思いついたもので、それが妥当なら、デカルトの視覚理論は一種のトポロジーだということになります。

 ともかく、月光24号は、あと10日、遅くとも2週間以内には発送できるでしょう。御注文、ございましたら、メールでお知らせを。定価1000円、税、送料込みです。(表紙等、HPにアップしておきます)