Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

耳の痛い事柄

2007-09-25 06:07:21 | 読書ノート
読書ノートNo.14

「まえがき」その13

「理屈なしに真理は確定していると思いこむ態度も困りものである。44P」
を初めとして、市井人の陥りやすい致命的な誤りが次のページに渡って書かれています。私自身にとって耳の痛い事柄もあれば、思弁の志向すべき事柄が書かれています。
内容は、省略します。

「感情や神託を内部に見だせず感じられない人にたいしてはなにもいうことがない、というのが常識のいい分である。ということは、常識が人間性の根を踏みつけにしている、というにほかならない。46P」

一神教にいかがわしさを見ている者にとって、「神」を空気のように呼吸している思考は、構造は理解できても、自分の呼吸とはなりません。

「時がくれば真理はかならず広く受けいれられることを堅く信じなければならない。真理は時がきてはじめてすがたをあらわすので、それ以前にあらわれることもなければ、未熟な読者に受けいれられるわけでもない。47P」

「受けいれられる」かどうかにどんな意味があるのでしょう。

「まえがき」のメモは、本稿で終りです。
本書の意義を高らかに(?)書いている個所のメモは、「勢い」が伝わらないと考え起こしていません。

次回から、本編の「はじめに」に入ります。



横浜は浦和に負け、コンサドーレは連敗と散々でした。
再び、札幌ドームで横浜とコンサドーレの試合を観戦したいものです。

昨日、福住駅と札幌ドームの間は、人で溢れかえっていました。
日ハムは、勝ちに等しい引き分けだったと思います。


自民党総裁

2007-09-24 07:02:24 | 読書ノート
読書ノートNo.13

「まえがき」その12

「主語と述語にわかれる可能性をもつ判断ないし命題の性格が、哲学的命題によって破壊され、あらたに生じた分裂のない命題が、以前の関係に反撃を加えることになる40P」

この例示として「神は存在である41P」、「現実的なものは普遍的なものである41P」を掲げて解説していますが、この例示は理解できません、と言いますか拒絶ありきです。

「思考は、対象を支える確固とした土台たる主語を失う反面、述語のなかで主語へと投げかえされ、しかも、そこで自分へと還るのではなく、内容の主体へと還っていくのである。41P」

ですから、『神は非在である』、『現実的なものは普遍的なものでない』のほうが、思弁しやすいです。

「真理はその本質からして主体であり、主体としての真理は、自分を生みだし、前へと導きながら、やがて自分に還ってくるという弁証法運動にほかならないのだ43P」

つづいて、「純粋な主語 ―  空虚で概念なき一  ― をさししめす名前がまずある。ただの名前というのなら、たとえば「神」という名は避けたほうがよい。43P」と書かれていますが、「神」のもつ概念は、私の裡には領域がありませんので、純粋かどうかに関わらず思考が頓挫します。


   彼は、今日も商いだって ・ ・ ・

自民党特有のサイドチェンジのバネが働きました。
政権維持と国民不在のサイドチェンジのバネです。

福田、麻生のどちらが自民党総裁になろうとも、目○○鼻○○の類です。
選挙管理内閣しか組閣できないと見ます。


おいしい生活

2007-09-23 08:49:30 | 未分類
「明日の左翼へ」の支離滅裂 

某国は、低価格のスニーカーを大量に造り稼いだ外貨で、我国の工業製品を買っています。
その某国は、やがて輸入していた工業製品を自前でつくりだし、低価格のスニーカーを大量に造る必要はなくなります。

やがて、我国の人々のスニーカーは、誰が造ることになるのでしょう。
メーカーは、この国の人々のためにさらに周辺諸国に進出するのでしょうか。

「資本」と「労働」の対立が見えにくくなっているだけで、本質はなんら変わっていません。
まもなく周辺諸国から自称個人主義と悦に浸っている我国の人々に鋭く突き付けられます。
これは、自称個人主義と悦に浸っている我国の人々の「鈍感さ」そのものです。

* * *

1982年から1983年にかけて垂れ流された、西武百貨店のコピー「おいしい生活」(糸井重里作)が、今も市井人に続いていると思えます。
信条、信念、思想のない個人主義は個人主義ではなく、たんに生活主義です。
人によっては、私生活主義、生活保守主義などと呼ぶことでしょう。

生活主義者の群れは、たんなる愚鈍な群れです。権力を持っている者にとって、管理しやすい社会になっています。

* * *

日の丸、君が代等を謳う人々。
赤旗、階級闘争等を謳う人々。
ジェンダー、差別等を謳う人々。
血筋、学歴等を謳う人々。
文化、スポーツ等を謳う人々。

この人たちから、日の丸、君が代等、赤旗、階級闘争等、ジェンダー、差別等、血筋、学歴等、文化、スポーツ等を剥がすと素の人間が現れます。
ほとんどか「のっぺらぼう」です。

何故なら、「日の丸、君が代等、赤旗、階級闘争等、ジェンダー、差別等、血筋、学歴等、文化、スポーツ等」が、他者からの批判を否定する「守護神」の役割を、安直で表面的な正義を、そして自己存在の証としているからです。

なんと貧弱な存在なのでしょうか、この愚鈍な群れは「自己否定」を無意識に、本能的に忌避する特性を持っていると言えます。

* * *

おいしい生活の生活主義者は、自分は銃剣を手にしないと考えているようですが、真っ先に戦場に送り出され、真っ先に敵の銃弾の標的になる人々です。
監視カメラ、住基ネット、安心と安全の生活安全条例など、身近なところで戦時国家の地ならしが進んでいます。

* * *

資本と労働の再構築が、周辺諸国の人々から「おいしい生活の生活主義者」の喉元に突き付けられていると考えます。

おいしい生活の生活主義者は、差別と排除を特性として持っています。
国家の思惑どおりに ・ ・ ・


あなたの、そして私の ・ ・ ・

日曜だというのに、彼はこれから商いに行くって。
でも彼と、彼はコルセットをしながらも、デジカメ片手に、散歩に行って来たんだ。


馬大頭

2007-09-18 06:28:01 | 読書ノート
読書ノートNo.12

 「まえがき」その11

「イメージを手がかりに思考を進める一般人にとっては、概念によってイメージが中断されるのは面倒なことだし、非現実の思想のなかをさまよう形式的な思考にとっても概念を追うのは厄介に思えるだろう。38P」
概念化するかどうかに意味があると考える人と考えない人がいますが、問題なのはイメージの質です。一般人の特権です。

「偶然目の前にある素材にひたすらのめりこんでいくような意識であって、たしかに、そんな意識にとっては、素材から自分のすがた(概念)を純粋に引きだしてきて、そのもとにとどまるのはむずかしい。38P」
社会、政治、思想、異性、文学、音楽などの様々な素材を弄ぶ至福のときは、何物にも変え難いひとときです。で、そのひとときを言語で構築するか、イメージの断片で構築するか、空間で構築するかなどに上下、優劣などはありません。なぜなら自分が素材だからです。

「形式的に理屈をこねる思考は、自分が内容から自由であり、内容は無価値だと思い込んでいるが、 略 自分の思いつきなどは捨てて、概念に内在するリズムにしたがうこと、38P」
形式的に理屈をこねる思考は、不毛で、噴飯もので、自戒、自戒・・・。

「概念とは対象自体の自己であって、その生成過程が表現されるのだから、自己が静止した不動の主体として属性を担うということではなく、みずから運動しつつ、さまざまな性質を内にとりもどす概念が主体となる。39P」
この通りだと考えます。


馬大頭(オニヤンマ) Wikipediaより

バラエティ番組で「馬大頭」の読み方が出題されていました。
見当もつきませんでした。

それから、読みたい本を思い出し隣り街の本屋へ、入荷していませんでした。
何冊かの本とドーナツを手に帰宅しました。


存在が知性

2007-09-17 07:54:46 | 読書ノート
読書ノートNo.11

「まえがき」その10

「なにかが実体としてそこにあるということは、自分と一体化していることであって、一体化できない存在は解体していくしかない。が、自己との一体化とは純粋な抽象形式であって、それがすなわち思考である。35P」
解体できないドグマは、似非知性と考えますが、解体しつづける存在は非知性のにおいがします。非知性は、思考そのものです。ただ、「思考」の語彙に胡散臭さを覚えています。

「存在が質を ― 一定の単純で一様な性質を ― もち、一定の観念体であることが、存在が知性だということである。36P」
『存在が知性』のようなフレーズは好きです。断定しているようで不定のため、様々なパターンを捏造できるからです。その中に別な照射がままあります。
例えば『存在が思想』、『存在が季節』とか『トマトが知性』、『性が知性』とか。

「単一で自己同一であるがゆえに、実体は確固不動の存在なのだ。しかし、自己同一であることは否定力が働くことでもあって、その否定力ゆえに確固不動の存在は解体へと向かう。36P」
この数行に対しては大量の語彙が浮かびますが、そのメモを始めると読書ノートから逸脱することだけを記しておきます。


 僕がメインだよね、ワォン~。

*読書ノート数回分のメモを入力していたら、突然停電になり、愕然としました。